2023.09.18

【芝居】「地上の骨」アンパサンド

2023.09.09 18:30 [CoRich]

昨今、絶賛を聴くことが多くなった劇団、役者でありながら屈指のシアターゴアーの森下亮が2023年上半期版のイベントで大プッシュしていたのに押されて劇団初見。80分。9月10日まで三鷹市芸術文化センター・星のホール。

オフィスの終業近づく時間帯。電話を受けた女は小さな仕事を抱え込む。それを見ていた男は昼食を取れずにこの時間に自作の弁当を食べている。魚の佃煮を勧めてくるが女はそれを断りたくて小さな嘘をつく。同僚は勧められる魚の佃煮を食べる。
突然、勧めた男の喉から魚の骨が飛び出す。

100%の善意を断るために小さな嘘をついて膨れ上がること、その100%の善意が原因となって大惨事を起こすことを対比しながら、荒唐無稽な不条理をパワフルに押し切って描きます。

人が魚に「変身」していくさまを、服に隠してあった筒状の黒布で全身を包み、人を無かったことにする黒子的なお約束。そこに魚の頭や尻尾をつけたり、小さな魚がついていたりと消えていく様を舞台でパワフルに押し切ります。

正体の分からないスーパーの魚の佃煮をなれなれしく勧めてくる男、それを嫌だと感じるけれど、嫌だと伝えることができない、というこの小さなキッカケこそが本作のピークだと感じるワタシです。そのあとに何人もの同僚がそれぞれの小さなストレスを抱えながら佃煮を違和感なく受け入れ、それが招く大惨事は客席こそ大爆笑なのです。ワタシはといえば五反田団系の役者が多いこと、魚を勧める男を演じた黒田大輔の過剰を楽しむつくりになっていることもあって、五反田団あるいは新年工場見学会のバリエーションが続くように感じて、短編コント集の一編としてぎゅっと濃縮、30分弱ぐらいで見たいなと思ったり。

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2023.09.16

【芝居】「濫吹」やみ・あがりシアター

2023.09.09 14:00 [CoRich]

やみ・あがりシアターの新作。110分。9月10日までシアタートップス。

PTAの副会長になった女はPTAのスリム化を進めてきた。朝の通学時間の横断歩道の見守りもフォームでの報告など省力化を進めてきたが、いよいよPTAで行わずシルバー人材センターに外注しようとしていた矢先、親でも親族でもない女がサボっているPAT会員の代わりに勝手に入り旗を振っていることが判明する。

トップスの奈落が丸見えになるような空間を作り、役者たちをスタンバイ。その上にある舞台は浮いているよう(ステージナタリー)な設えは度肝を抜かれます。ワタシは読んだことのない韓非子で書かれているという「濫吹」をタイトルに。紛れていればわからなかった才能の差は、それぞれの才能を個別に吟味されるようになるとあからさまとなるというモチーフかなと思います。もう一つ、「秩序を乱す」と意味もあるようでそれも重なるよう。

PTAをめぐる昨今のとスリム化の流れ、あるいは商店街から人手を期待されてしまうといったコミュニティとの関係、子供たちを見守るということは必要だけれど、都会では誰もが顔見知りというわけにもいかず、不審者を排除するざるを得ないという事情を丁寧に自然に描きます。正直に云えば、登場人物が少々多い感じはあるのだけれど、何度も挟まれる竽(う)という笛を人の歌声で表現するという奥行きは、この人数とこの広さの劇場ゆえに表現できるとも思うのです。

二人登場する子供は役者や人形すら使わず、繋いだ手の位置や視線で人が現れる、演劇ゆえの見立ての楽しさ。

肉屋の兄弟を演じた笹井雄吾、南大空はパワフルでコミカル、二人居る面白さというか。コミカルといえば「そうめんのように白くて細い」と説明される女を演じたさんなぎも、要所を要所をコミカルに、とりわけ誘われて早く帰りたいからペットボトルを飲み干すあたりは面白い(けれどそこまで身体張らなくてもと思いつつ)。PTA以外で家を出して貰えないITに詳しいPTA役員を演じた佐野剛が、飲み友達として町議と出逢うのは、本筋には何の関係も無いけれど嬉しくなるワタシです。演じた加瀬澤拓未のおだやかさ、きっちり。「不審者」を演じた加藤睦望は紛れ、逃げ出す人の生きづらさを持つ人物をずっとフラットで演じる凄み。

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2023.09.15

【芝居】「蒲田行進曲」おのまさしあたあ

2023.09.03 14:00 [CoRich]

アクターズスクールの授業の体裁。 酷い話ではあって、物語というより熱量と熱狂を伝えるちからとしての一人芝居。 スケールの大きな物語を一人芝居でつづける、おのまさしあたあ (1, 2, 3, 4, 5, 6, 7) の新作。9月3日まで、小劇場楽園。100分ほど。

アクターズスクールの講師の授業。映画における蒲田行進曲を教える。

1982年、深作欣二のヒット作、配信にあるのを観たら映画は107分。ほぼ同じ時間を費やしながら、しかし物語を絶妙に編集して印象の異なる物語に。スターの銀ちゃん、大部屋役者のヤス、銀ちゃんの子供を身籠もる小夏。というほぼ3人の物語なのは勿論変わらずなのだけど、実はあんまり映画をちゃんと見てなかったワタシです。

父親になる覚悟を決めたヤス、小夏は自分を向いてくれないけれど、地元・人吉に連れて行けば歓迎される。いっぽうで実直な息子を心配する母親は芸能人である小夏に対して息子を裏切らないように覚悟を問うなど、交錯する思い。毎日日払いで仕事を取る大部屋俳優であるヤスは稼母子と暮らすために危険な立ち回りなどの役をどんどん取って稼ごうとする物語を緻密なぞるかとおもえば、編集でつままれるシーンもあったり、いわゆる階段落ちのシーンは映像に比べてヤケに長かったりと。なるほど、作家、演出の意図に応じて編集する確かなちから。

演出に訊いたら、モチーフとなるジェームスディーンはヤスがなりたいと思っている憧れなのだと云います。ああ、なるほど。

次回作も検討中だといいます、もうね、ますます楽しみなワタシです。

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2023.09.10

【芝居】「SHINE SHOW!」東宝

2023.09.02 [CoRich]

去年秋、小劇場での上演作を、東宝の制作で。4日までシアタークリエ。休憩25分含み、170分。

いわゆる小劇場での枠組みから、何人かは引き継ぎつつメインキャスト陣をいわゆる商業演劇の領域の役者たちに。ワタシはほぼ未見だけれど、いい意味で統制の取れた宝塚ファン含め、女性の観客が圧倒的な客席。

今年4年振りの開催となった新宿三井ビルの名物企画・会社対抗のど自慢大会をモチーフに、さまざまな背景をもつ会社員の出演者たちに振り回されるバックステージのスタッフたちの奮闘を描くのは初演と同じ。登場人物全てを丁寧に描くあまり時間長め、というのもそのままなのはご愛敬だけれど、むしろ商業演劇のスタイルなら合ってる気もします。

記憶力のないワタシでも判る大きな変更は、ラップによる告発の流れで、初演では孫請け会社の社員が元請けの社長に労働環境を告発するというイマドキな感じだったけれど、今作では家庭を顧みなかった会社社長を息子が告発するという親子の物語に。どちらがいいかは判らないけれど、日本の現在を描こうとした初演に比べてより普遍的な物語にしているという気がします(とはいえ、この「現在」はそう簡単に変わらない普遍性があるのも悲しいけれど)。

元アイドルを演じた花乃まりあ、ぶりぶりのコメディエンヌにアイドル曲の圧倒的な盛り上がりの凄み。デスマーチ中のIT会社員を演じた木内健人、おそらくはもっとキリッとした人なのにコメディアンに徹しきるパワー。 管理会社スタッフを演じた朝夏まなとのキリリとした美しく有能なスーツ姿が格好良く、しかし元宝塚のトップに音痴設定を突き通す潔さは凄いけれど、勿体なすぎないか。プロポーズしたい男を演じた中川晃教の小物人物な造形と歌声のギャップ、告発を仕掛ける男を演じた増本尚とその父親を演じた石坂勇のラップバトルの迫力(客席がヒップホップのレスポンスになれてないのは相変わらず、勿体ないけれど)。 警備員を演じた淺越岳人、MCを演じた鹿島ゆきこ、広告代理店を演じた伊藤圭太、有能すぎるアルバイトスタッフを演じた前田友里子、ゲストを演じた山下雷舞、ライターを演じた三原一太(役は違うけれど)、小劇場から引き続き出演する役者たちのフックアップも楽しいし、きっちり渡り合って嬉しくて。

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2023.09.08

【芝居】「オイ!」小松台東

2023.8.12 19:00 [CoRich]

宮崎の人々を描く劇団、1997年の高校生たちの物語。115分、8月13日まで スズナリ。

高校生たち。いつも立ち寄っている家。同じ学校の生徒に絡まれ、泣きつきたくて訪れる。この家の父親は怪我をして仕事は多分クビになる。その息子が父を同級生の父親の会社(電気工事)で雇って貰いたいと云いたいが言い出せない。その電業店の息子は部活を頑張って引退して何をしたらいいかわからなくて、この家に通っていて、その彼女は卒業して東京の短大に行くといっている。
父親が定年で千葉から引っ越してきて喫茶店を開いた転校生は音楽が好きで、あんまり会話が弾まないし人と群れないけれど、レコードを一緒に買って聞いてみたい同級生女子がいたりする。
この家の妹は拾ってきた犬を飼いたいと主張して、飼う。ほんの少しの時間だけれど、父親、息子、娘が繋がった救世主だった。

物語としてはこの物語から何年か後、誰かの葬式に集まっている、という流れになっています。前半は群像劇で、それぞれの鬱屈したり何かの希望があったり、楽しいことがあったり、切実に家族を何とかしようとおもった人々を丁寧に描きます。なんか空気読めないけれど連んでいるのがいたり、あるいは転校してきて距離を詰められないのがいたりして。

葬式のシーンでは、これらの人々が結婚したり、子供が居たり、家業を継いで社長になっていたり、あのとき泣きつきたくてこの家に来た男はパートナーと暮らしていて、絡まれたところを見ていたのに見捨てた男はそれをキッカケにカメラマンになっていたり。同性愛者だったということを地元に居る人々は判っているのか判って触れないのかという感じで、殊更に騒ぐのは卒業してから東京に戻ったカメラマンだったりという温度感というこのシーン、時間を経てのもう一つの群像劇になっているのです。

この家の息子を演じた小椋毅の苦悩の解像度、父親を演じた今村裕次郎 のほぼ聞き取れない宮崎弁と何者か判らないラスボス感。妹を演じた小園茉奈の家族を取り戻したい切実さ。泣きつきたくて訪れた同級生を演じた尾方宣久のひた隠して言えなかった子どもの頃と、年月を経て言えるようになった現在のコントラスト。部活を辞めた電業店(デンギョー!初演) の息子を演じた松本哲也 の空気読めないけれどいい奴。その恋人を演じた吉田久美の東京を夢見る気持ち、だけれど戻って妻になった現在の対比。転校生を演じた瓜生和成の、ややいけ好かない東京(千葉)モンだけれど、好きなものを一人でも楽しめる文系っぽさ。その男にちょっとちょっかいを出しつつ、同じ事をしたくて音楽聴き始めたりする同級生を演じた竹原千恵の積極的な潑剌の可愛らしさ、結婚してからの地元のおばちゃん感のコントラストが楽しい。

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2023.08.26

【芝居】「熱く、沼る」トローチ

2023.08.06 15:00 [CoRich]

俳優四人によるユニット、トローチ(1, 2, 3, 4, 5) の新作。130分。8月13日までRED/THEATER、9月に有料配信(teket)が予定されています。

いまいち客の入らないスナック、子なしバツイチの50歳のママが住み込みで切り盛りしている。客も少なくなってきてオーナーの暴言も笑顔でやり過ごして酔い潰れるほど呑んだ頃、セーラー服の若い女がこの店のママを探していると訪れるが、それは亡くなった先代の人気ママのことだった。
翌朝、ママが目を覚ますと、昨日のセーラー服の女、昨晩初めて訪れた35年間孤独を貫いているという初老の男、妻を亡くして以来常連となった男の四人も店に居る。ママは覚えていないが、若い女を抱きしめて、肩を組んで歌い、四人で一緒に暮らそうと言ったのだという。

スナックの店である一階と、住み込んでいる二階の二部屋。時間を行き来して描きます。過去の下敷きとして今のママが店で働き始めた先代のママが好調に店を切り盛りしながらも、常連となりつつあった若い男への恋心が完膚なきまでに打ち砕かれる一人の寂しさを。 対比するように現時点を中心として、奇妙な同居をしてコンビニ飯の食卓を囲むようになる人々の過去を点描していきます。ママは子供の頃に父親の愛人へのラブレターを見つけ正直に母親に見せてしまったがために家族離散し、母親から責められるうち何を云われても笑ってやり過ごす癖が付いてしまったこと、妻を亡くした男はママに亡妻の面影を追っていること、35年孤独を貫く男はずっとわだかまっていた気持ちを抱えてこの店にやっとの思いでたどりついたこと。あくまで店の中の会話や語りとしてそれぞれの人物を描きます。「自分の過去を語る中年」のオンパレードで、なるほどスナックという磁場だからリアリティのある自分語りする人々。

店のオーナーや、先代ママの頃の若い作家志望の男、あるいは今のママの離婚した男など、悪人というわけではないけれど、女性(や貧乏人など弱者)に対しての態度や眼差しが前時代的だったり、対等な人間ではない観察対象として扱ってたり、妻を女として見てないということを公然と云えたりという男たちはどちらかというと、上記の人物たちをより深く造形するために機能していて、あたかも建造物を叩いて内部の構造を確認する「打音検査」のよう。

かくも今作は、50歳女のスナックママを中心に、生きるのが不器用な人々を執拗に、しかし時にコミカルに描きだすことに多くの時間を割いていて、それがいちいち見応えを持っているのです。この奇妙な「家族」ごっこは恐らくは一ヶ月ほどで終わりを迎えてしまうのだけれど、「家族」を見失っていた人々が擬似的にでもほんの一ヶ月ほどでも食卓を囲み、コンビニ飯でも美味しいと言い合えた経験があることで、この先、一人でも生きていけるという希望のある終幕に安心する、「この世代」のワタシなのです。

スナックのママを演じた小林さやかは、笑顔でやり過ごす以外の方法が判らなかった人生、しかしこの疑似家族を通じて得た何かの毅然とした強さしっかり、ほぼ出ずっぱりの主役。先代のママを演じた伴美奈子、まさかの若い男に手ひどくフラれるという役付の挑戦、きっちり。35年の孤独を貫いてきた男を演じた青山勝の生真面目なキャラクタが秘めていたことの重大さのコントラストを効果的に(まあまあの段階でうっすら見えてはくるのだけれど)。妻に先立たれた男を演じた堀靖明のコミカルにすら見えてしまう「変態的」な行為の切実さ、しかしそれを見つかったときに押し切ろうとする強引さが楽しい。娘を演じた土本燈子、口ごもるような口調が印象的と感じるのだけれど、思えばこの一年弱で既に三本拝見してるハイペース( 1, 2, 3)、ちょっと注目なのです。

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2023.08.21

【芝居】「2 a.m.」乙戯社

2023.08.06 11:30 [CoRich]

高円寺で定期的に開催されている演劇サロンプロジェクトの企画公演として、短編とリーディング、ティーチインで構成。ワンドリンク付き。8月6日まで、高円寺K'sスタジオ本館。

女が弟を名乗る男と住んでいるが、恋人は弟が亡くなっていることを突き止め心配している。「永遠姉弟ートワキョウダイー」(作・演出/いちかわとも)
女に告白するが、話が弾みすぎてその先に進めない童貞男、その話を聴く女友達。生き物ではなく、椅子になって話してみるのはどうかといってみる「恋人は椅子な人」(作/鈴江敏郎・演出/REN)

「永遠〜」は20分ほど。姉と死んだ弟、姉の恋人という三人の芝居。姉は早々に寝ると云い去って残された男二人。前半で弟の写真がないのは「流された」からなど、予兆はみせつつ。追求しようとする恋人と、それをいなそうとする弟の対話は、弟がここから去らないのは姉を心配しているからで、恋人が守ってくれることを確認して弟は去り、寝られず起きてきた姉、弟が死んだことは理解していて、二人でそれぞれにもう一本ずつのビールは献杯を思わせるのです。

休憩を挟んで「〜椅子な人」も20分ほど。2005年作を。ワタシは初見、リーディングとして。告白して話が弾みすぎてもう一歩を踏み出せない男が女に相談し、相談に乗った女は告白された経験がなくて恥ずかしくて、椅子になってみたり、と書き出して思い出そうとしてもよく判らないと感じるワタシです。いろいろ唐突さでコミカルにしたいのかなと思いつつ、この短編で笑いにするのは演出として相当な企みが必要かなとも思います。物語は男の(別の女性への)告白が巧くいきそう、という終幕、解決してるようなしてないような。

二本の短編の上演後、「ティーチインイベント」と称した演劇交流会の場を設けています。役者たちのインタビューで始まり、観客からの質問という形の場を作ろうという意識は感じます。いろいろな劇団が作り手と観客の対話を模索しているし、対話したい観客は確かに存在するけれど、どういう場がいいんですかね。劇場にパブを作り付けるような雰囲気づくりがドリンク付きなのだろうけれど、舞台と客席という位置関係でやるのはちょっと難しい気もします。今回に限らず。

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2023.08.19

【芝居】「赤を張って、ブルー」おもち食べ放題

2023.08.05 14:00 [CoRich]

女優・沈ゆうこのプロデュース公演。85分。イズモギャラリー

ボタンに糸が通せない姉、帰宅した妹はそれを代わる代わりにアイスを買ってきて欲しいともちかけるが、姉はコンビニに行きたがらない。「針と糸とアイスクリーム」
この姉妹は一軒家を、姉の大学時代の男友達とシェアして家賃を折半している。男は婚活しているが、惚れっぽい割にデートの代金をどうするかとか話が長すぎたりしてフラれてばかり。同窓会が近づいていて、11回フラれている同級生が来るので、そこに「彼女」を連れていきたくて、妹に相談する。「アンチ・ブラッシング」
男が暮らし始める前の前日譚。姉がタトゥスタジオを開業し、大学の時のたった一人の男友達が訪れる。お祝いなのに夏なのにストールとかちょっとズレている。姉は人に舐められないためのタトゥは許せないこだわり。男はタトゥを入れようと考えていて。姉は家賃苦しく、一軒家をシェアしようと提案する。「キャンディとタブー」
休日、3人がリビングに居る。妹は三人の男の「ヒモ」で、大量にチョコレートを貰ってきてシェアしたりしてる。姉は地元の憧れのタトゥアーティストに手紙を書こうとしているが、慰められるのは弱い人間だから、彼を慰めるような手紙は失礼ではないかと逡巡している。「青」

ギャラリーを横長に使い、キッチンスペースからトイレまで(観客は使えないのは痛し痒し)を一室に見立てた場所での役者三人による4本立て。

タトゥアーティストの姉、舐めた態度を取られるのが嫌い、友達少なめ。男三人の家に通うヒモな生活の妹、察しがいいし人当たりもいい。姉の男友達はきちんと働いていて、婚活に勤しむが失敗続き、なのに独身女二人に手を出すでもなく暮らしてる。というそれぞれのキャラクタを描くような日常のスケッチになっています。

「針と〜」は姉妹ありがちな買い物の駆け引き。姉がコンビニに行きたがらないのは、態度が悪い店員だから距離感が気に入って通ってるのに、こんどタトゥの客になって態度が急変するからムカつくというのだけれど、それアイスを買いに行っても行かなくても同じではないかと思ったりするけど、その駆け引きの会話の間合いが楽しい。

「アンチ〜」は「彼女」役として妹を連れて行こう考え、妹は面倒見よく話を聞くという枠組み。妹は男が、パーティとかで人を居やすくしていると見抜き、同級生の横に座るにはどうしたらいいかの指南を考えたり。翌日も話そうと誘ったりして、妹が好意を持ってるようにも見えるんだけど、明確には恋に落ちそうな感じにはしない距離感が心地良いのです。

わざわざここで時間を巻き戻す「キャンディ〜」をここに配した意味はよくわからないけれど、姉の一本気なこだわりと、それを好ましく思う男の心地よい関係。こちらも恋に進んだりしない距離感。

最終話「青」に至っても、姉の一本気、しかしどこか引っ込み思案な感じはそのまま。妹も男もそれを見守っていること。いつまでこの関係が続くかはわからないけれど、四本を通して、男女の間に友情というか仲間であることが成立するという幸せな空間の刹那を切り取るよう。物語としては実際は何も進んでいなくて、舞台が進むにつれて、人物のキャラクタの解像度が上がっていくようで、フィギュアを愛でるような不思議な体験なのです。

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2023.08.14

【芝居】「Sign of the times」オフィスプロジェクトM

2023.07.30 18:00 [CoRich]

還暦間近の丸尾聡が三人の若い作家たちとともに三人芝居として構成する短編集。110分。Paperback Studioで7月31日まで。

前説的に話し始めた男、自分はかつてプロレスラーになりたかったとかなんとか
初老の大学教授の男、女の教え子。教え子は自分の恋心を隠すこともなく思わせぶりな態度だけれど、男は自分を律している。
しばらくしてから、その妹が大学教授のもとを訪れている。姉はあいたくないといって引き籠もっているという。妹はSNSにのった姉の言葉を拾い男を責めるが、男はホテルにはいったが男だけが裸になり女は下着を外すことはなかったといい、指一本触れていないのだという「背中を向ける」(作・吉田康一)
記憶喪失となった劇団主宰の男。妹が劇団の稽古場に男を連れてくる。劇団員の作家志望の女も立ち会っている。男はかつて劇団でパワハラを繰り返していて、その不満から俳優の男が殴りかかったのだという。主宰の男はそれが本当ならこころから謝罪したいというが、「記憶がない状態での謝罪」は心から謝ったことになるのかと指摘される。かといって、記憶が戻って元の性格を取り戻せばパワハラを謝罪することすらしないかもしれない。「もらえるまで」(作・大西弘記)
0と1の間の無限の可能性を表現しうる量子コンピュータ、その無限の可能性ゆえに一歩も踏み出せなくなってしまう量子AI。酒浸りの「物語探偵」は、たった一筋の物語の流れを選び取ることが仕事。量子探偵は10万年に一回のすりぬける瞬間を観察し選び取ることで壁抜けをすることを利用して、量子コンピュータのプログラムとなった物語探偵も10年続れば壁抜けできるはずで、それで物語を「選び取ろう」という。「量子探偵のフレーム密室」(作・小野寺邦彦)

「世相」を謳うタイトル、なるほどイマドキのセクハラ、パワハラ、AIといった言葉が思い浮かぶラインナップ。

「背中〜」はいい歳をした男と教え子の若い女。舞台での描かれ方をそのまま客観のカメラとして受け取れば、女から誘ったように見えるし、二人きりで男は裸になり女は下着を外さなかったとしてもなお、男は無罪放免とはならない感じ。もちろん、最初の「誘ったよう」は、男の側の視点に過ぎずに認知が歪んでる可能性はあるし、二人きりで指一本触れなかったといったって説得力はないわけで。何が真実だったのかを描くというより、男の側から感じた眩しさとちょっとした浮かれ具合にやけに共感してしまうワタシですが、観る人によってずいぶんと感じ方が違うだろうなと思うのです。

「もらえるまで」はパワハラ的な男が記憶を無くして穏やかに変わったがその状態での謝罪は意味があるのか、というある種のパラドクス。その状態でも劇作家なのだから戯曲として書き、許されなかったとしても謝罪を許されるまで続けること、というのは呪いともいえるけれど、一つの考え方ではあります。それはたとえば侵略や戦争といった責任をそれ以降の世代が背負い続けなければいけないのかというのともちょっと似ている感じもします。作家がそれを意図したかはわからないけれど。

うってかわって、ポップでSF風味の「量子探偵〜」。無限の可能性から一つの物語を選び取ることの奇跡を「10万年に一回のすり抜け」の瞬間の観測になぞる発想の面白さ。可能性が多すぎて一歩も進めなかった娘が一歩を踏み出すことを言祝ぐような気持ちになるワタシです。AIとか量子コンピュータといった最先端を、物語を創り出すこと、に落とし込む発想の面白さ。

ほぼ出突っ張りの丸尾聡のさまざま、しかも膨大なセリフな上に派手に動き回り。年齢を重ねたって現役で突っ走るのが頼もしい。江花実里、江花明里の姉妹共演、さまざまな表情も楽しく。

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2023.08.13

【芝居】「スローターハウス」serial number

2023.7.23 14:00 [CoRich]

障がい者施設での殺人事件をモチーフに、被害者の母と犯人の対話劇のスタイルで。7月2日まで東京芸術劇場シアターイーストで90分。

障がい者施設で自閉スペクトラム症の入所者を一人殺して取り押さえられた犯人。被害者も犯人も名前は伏せられ、刑が確定してから10年。自動車整備の仕事で働く犯人の男の元へ、被害者の母親が訪ねてくる。男は毎年「自分を取り戻したか」と母親に手紙を送ってきており、不穏に感じ「止めなければ」という想いで話にきたのだった。男は選ばれ者だけが受け取れるメッセージを受け、障がい者に多くの税金を投入する現状を嘆きよりよい世界を実現すべく行動を起こしたのだという。

大量殺人ではなく、一人を殺したところで取り押さえられたと言う形に変え、未成年だった犯人と被害者の母親という一対一の対話という緊張感溢れる場を設定。そこにオーバーラップするように、殺された息子の施設での様子を、説明役を兼ねる施設職員とのシーンとして描きます。

男をヒトラーに心酔して、自分を選ばれしものと考えて、よりよい世界のためであれば人殺しも躊躇わない、という優生思想のサイコパスだけれど、この一点を除けば極めて常識的な人物として造形しています。じっさいのところ観ているワタシはこれぽちも共感できないけれど、この絶望的な相手に「対話」を挑むのが被害者の母親というアングル。前半では背景となるその息子の様子や説明を交えて。

背景はよくわかるけれど、母親が犯人に対して対話を図ろうというモチベーションは正直なかなか理解が難しいと感じます。後半に至り母親は男に対して「あなたと私、似てないかしら」と問いかけます。十分裕福な家に生まれ、勉強も出来たふたり。男は地元の名士の家に生まれたが成績が下がり叱咤されてからの変化だし、母親は卒業してすぐ専業主婦となり生まれた子供が知的障害とわかり、成長につれ力も強くなり家では看られないと施設入りを決めて「捨てた」という自責。順風満帆な人生のはずがどこかで変わってしまった戸惑いを共感に変えたことの唐突さというか違和感は感じます。が、終幕、息子が一人でおしっこをする音の安心感を感じること、それは「数少ないできるようになったこと」で、その拙さを愛情と捉えること。犯人の男は万能感こそ感じているけれど、傍から見れば未完成な拙さ、それを「抱きしめたい」とまで言い切る感情はなかなか「共感」はできないけれど、追い詰められた切実さからの少し異型な発露のひとつの形なのかもな、と思ったりもするのです。

息子ができる数少ないことはもう一つ。「ローゼンにシール買いに行こうね」「いい子にしてたらね」と決められた定形でしか成立しない「会話のようなもの」。その会話の中身には意味がないことは母親はもちろんわかっているけれど、コミュニケーションらしいことができる数少ない寄す処の切実さ。神奈川ローカルのスーパー「ローゼン」に子供の頃から馴染みのある私、なんかぎゅっと掴まれるよう。

それにしても観客の共感を推進力にするわけにはいかないし、なかなかにハードな題材を扱い、鋭利な刃物のような緊張感のある会話を続ける作家と役者の胆力の凄さにびっくりするのです。よく認識してなかったけれどジャニーズ所属の役者なのだそうで、女性があふれるほど多い客席、しかしこの会話劇のしんと静まり張り詰めた至福の空間を乱すこともなく90分きちんと、というきちんとした客を呼べる役者ってのは大したものだと思うのです。

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