2024.06.15

【芝居】「飲める醤油」あひるなんちゃら

2024.5.18 18:00 [CoRich]

あひるなんちゃらの新作、80分。5月19日まで駅前劇場。ずっと続いている上演回ごとの音源販売は行列になるほどの人気でうれしい。

ずっとゲームをしていた男は実家に戻り醤油蔵の社長になる。醤油を作る工程の秘密を見学したりする。社長の弟は同僚の窓際の男に会社の乗っ取りを誘われる。窓際の男は新しく来た上司の女に恋心を抱いたりする。社長の妹は子ども食堂をやっているが、小4だと嘘をつく女が訪れる。醤油蔵では新製品、「飲める醤油」を開発していて、それは成功するが、飲んだときの記憶がなくなり発売できない。子ども食堂でもその飲める醤油を飲んでみたりする。

いくつかの場面をつなぎながら、普通の会話のようでもあり、妙なことを突然言い出したり、SF風味だったり。結局のところ、「飲める醤油」なる、とても美味しいのに飲んだらその時の記憶がなくなるという液体NS(Nomeru-Shoyu)を巡るようなそうでもないような。緻密に組み立てられてるのに緩く見える会話が、リズムや間を含めて続き、ずっと聞いていたくなるのに、物語としてはわりとどうでもいい、という唯一無二の持ち味を楽しむのです。作家自身も書いている通り 独白の長台詞がわりと多めに挟まるのは、この作家にしては珍しい今作の特徴で、それでも緩く見える会話劇という骨格の印象が薄れないのはすごいことだなぁと思うのです。

子ども食堂を訪れ咄嗟に小4と嘘をついたらそれがすんなり通ってしまって後々後悔する一連の流れ、記憶がなくなるというアイテムが上手くきいて「やりなおす」ことができるというのはどこか温かさを感じるワタシです。ものすごく美味しい飲める醤油というアイテムが、冒険の勇者の転生が語るスライムの味(ダンジョン飯か)とか、宇宙からの未確認生物によってもたらされる謎液体などと自在に物語を膨らませるのも楽しい。

小4と嘘をついた女を演じた松本みゆき、童顔ではあるんだけどもちろん説得力はないのにその嘘でどんどん後悔していく感じがなんか楽しい。恋をする窓際の男を演じた杉木隆幸の自覚があるんだかないんだかな明るさ、見習いたい。社長を演じた日栄洋祐の絵に書いたような人の良さの説得力。恋心を抱かれる若い経理部長を演じた平川はる香のクールビューティさが目を引きます。

「物語はいつでも始められるし、終わらせられる」という独白、作家の自信に満ちた宣言とも取れて、物語を創る人の言葉としてはとても力強くて、これからも楽しみだったりするのです。

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2024.06.09

【芝居】「リンカク」下北澤姉妹社

2024.5.18 14:00 [CoRich]

作演出の西山水木と俳優の松岡洋子によるユニット。 演劇を見てすぐ配信するぶらゲキのエピソード7(spotify, YouTube など)に当たって嬉しいワタシw。110分。5月19日までザ・スズナリ。

ある雨の日、一人の女が首を吊って死のうとするが失敗する。橋の下で暮らすホームレスの女の住処を壊してしまい、女はホームレスを連れて広い屋敷に戻る。
屋敷では息子と二人きりで暮らしている。いい年になった息子は動画配信で稼ぎたいが再生回数は伸びていないのに母親はいつも褒めてくれて、逆にそのせいで進路に迷い続けている。
敷地の一角に建つマンションの最上階では、女の夫が愛人とその娘と暮らしている。かつては4階建ての有名なレストランのシェフだった男は金の卵と言われ上京し就職した会社を逃げ出してレストランに拾われ、そのあと、愛人は娘とともにホームレスのところを拾われ、住み込みで働くようになっていた。先代が亡くなり男が倒れ、愛人が介護していて屋敷にはもどらなくなっている。
屋敷に住む女にはかつてもう一人娘がいたが、弟を助けようとして川の事故で幼くして亡くなっていて、その声を聞きながら長い時間を過ごしてきた。「拾ってきた」ホームレスの女が一緒に暮らすようになる。もう、亡くした娘の陰膳はしなくていいと決心する。

スズナリの舞台側に高さの異なる舞台を左右に造り、中央に音響照明卓側へランウェイのように張り出す舞台。その両側にも客席を設えて、コの字型に。驚きの声を多数見かけました。ここまで大掛かりは初めてだけど、空間を縦に使うといえば、トリのマーク(通称)( 1, 2) を思い出すワタシです。

死のうとしている女に偶然「拾われた」ホームレスが目にした、富裕層の一家の姿。拾った女は幼くして亡くした長女の姿を追っていたり、長男はモノにならない動画配信の日々で迷い、夫は愛人と同じ敷地で次女と暮らしていて。豊かな資産を持ち生活には余裕がある上に広大な敷地にいるからこの危うい関係ばかりでも安定しているようで、積極的にここから抜けようとは想いもしない人々。

いびつな家族の物語を縫い合わせるのが作家が長い間続けている「ジェストダンス」や日本舞踊といった踊りなのです。次女が大学で出逢うのが「一人踊る女」。自分のパワハラで人々が離れていったことを自覚して人目に触れないように一人で踊っているのだけれど、パワハラをしても踊りたいという思い、表現すること自体は止めなくていいし、海外留学という形で見えない場所で踊り続ければよいと肯定するというのは、クリエイターが持つある種の欲望をあまりに肯定的にあからさまに描いていて、少々危ういと感じるワタシです。あるいはさまざまなしがらみを思わせるゴムバンドでぐるぐる巻きにされながらも踊り続けるなども止められない欲望で、なるほど欲望の形は人それぞれ。

どこか世間とは距離がある感じである意味ぼんやりと生きている女、人との境界=リンカクの曖昧さ。共感力が高すぎて、本人のことではないのに人のことで泣いてしまうとか、感情が表に出なかったホームレスだった母娘が人の共感を目にして感情を手に入れるなど、それぞれの人としてのありようが変化していくのです。

家族の話、現在の社会の問題などたくさんの物語。さらには、娘を思わせる人形の操り、かと思えば本水を使った豪雨、(山の手事情社の)四畳半を思わせる空間を狭く使う舞踏、日本舞踊、ジェストダンス、あるいはこれも山の手事情社風の無茶振り演出家っぽいシーンがあったりと、ともかく盛りだくさんで、物語も演出も時間の割に詰め込んでいて、満腹で歩けないぐらいにくらうワタシです。

この家で暮らす女を演じた松岡洋子の、世間から乖離してふわふわと浮いているような(チラシでも感じる)説得力。拾われたホームレスを演じた倉品淳子は、距離を詰めたり冷静だったり、あるいは無茶振りのテンション、様々な物語をつなぎ止める背骨のよう。愛人を演じたあさ朝子の、謙虚よりは卑屈に居てしまう立場の解像度。踊る女を演じた永田涼香、ダンスを拝見するのは初めてだと思いますが孤高な感じが印象的。ヤングケアラーの女を演じた桑田佳澄の献身的なありようを自発的に感じさせてしまう説得力。息子を演じた喜田裕也の卑屈な造形が印象的、介護される男を演じた龍昇の、しかし一瞬元気な時代のシーンとの振り幅。

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2024.06.06

【芝居】「雲を掴む」渡辺源四郎商店・うさぎ庵

2024.5.12 14:00 [CoRich]

渡辺源四郎商店のうさぎ庵公演。5月12日までスズナリ、そのあと閉館が発表された愛媛・シアターねこ。105分。

老いたウォリスはかつての夫の姿を見て思い出す。
プレイボーイとして知られる英国王エドワード8世は社交界で米国人女性ウォリスに出逢う。離婚歴のある女性と結婚するため突然退位を決断する。王座を捨てイギリスに再び戻ることはなかったがウィンザー公としてナチスと交流を持ったり、若き日のチャールズとカミラに会ったりという日々を暮らす。

認知症「レビー小体病」を患ったというフィクションを紛れ込ませ、リアルな「幻視」を感じているウォリス、という語り口。 英国王が道ならぬ恋のため王座をすてて離婚歴のある女性と結婚した、いわゆる「王冠をかけた恋」と、チャールズ皇太子、カミラ、ダイアナを巡る英国王をめぐるスキャンダル。第二次世界大戦を挟んで三十年を隔てた二つの物語。

映画「英国王のスピーチ」で扱われた戦前のエドワード8世のさまざまはワタシにとっても「歴史上」の知識だけれど、チャールズ皇太子を巡る戦後のさまざまは、リアルタイムで見聞きしているワタシには歴史というよりはワイドショーで扱われるゴシップとして、自然に覚えているものだったりします。敷衍して考えれば戦前のそれもきっとスキャンダルなんだろうな、というのはたとえばNHK映像の世紀「運命の恋人たち」などでの世間の大騒ぎをみているとわかるわけですが、どちらかでもこのリアルタイムな「下世話な感じ」を感じている世代かどうかで、この物語のとらえかたは変わってくるような気はします。

ワタシより少し上の世代であるはずの作家であることを考えると、もちろん戦争と男女を描くということでもあるけれど、どこかある種のメロドラマの軽さの中に、ヒトラーとウィンザー公を巡る「マールブルク文書」を紛れ込ませたことが「戦争と平和を考える2作品連続上演」の一本として描きだしたことなんだろうな、と思うのです。

ウォリスを演じた山村崇子の老いた、しかし力強い造形。ウィンザー公を演じた桂憲一の洒落者なモテ男の説得力。ヒトラーを演じる大井靖彦がともかく凄くて、人の会話に関係無く横でぶつぶつ突っ込んでたり、やけに艶めいてみえたり。

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2024.06.02

【芝居】「なぜけもののわかさはにがいのか」820製作所

2024.5.6 13:00 [CoRich]

2022年8月に予定していた公演が中止になり二年弱を経ての820製作所としての公演に、高校生キャストを加えて。アフターパフォーマンス10分を含めて130分ほど。5月6日までスタジオHIKARI。

高校生たち、教室や学校でのさまざまな風景。
仲のいい女二人、父親が若い女をつくったこととか、片方の彼氏の頭皮の匂いを嗅ぎたいとか、やらかす欲望はやばいと感じている。
男女、女は苦手な現代文の発表にひとり拍手をした男に馬鹿にされていると感じているし、言葉も人も不正確な定義が信じられず嫌いだが、男は歩み寄る。
男2と女2、園芸部の男は自分が何もしてないからクズだというが同級生の女に声をかけられても断ってしまう。それを目にしたもう一人の女が声をかけるが、実はふたりとも教室では浮いている。
コーチに殴られているが自分を責めている運動部の男が誘われ文芸部の部室を訪れる。文芸部の女は教室では全然目立たない。あとからやってきたもう一人の部員は教室では中心にいる陽キャで人気があるが、二人の部員はある小説のファンだと知り盛り上がっているのだ。
男たち4人、年寄りを襲う通り魔を捕まえようと盛り上がっている。
教室はいつもの毎日のように繰り返しているが、爆発音がおこり、彼らには日常だが、避難所になったり、できることも生徒も減っている。

二人から五人程度の小さなグループの会話を点描する前半。親のあれこれの嫌悪感とか褒められたことではないことをやりたくなってしまう衝動のやばさとか。親しくなれそうだとわかっているのに芽生えたプライドや異性のある種の眩しさが邪魔をして近づけないとか、若くてもこの年齢まで言葉に裏切られた経験の疑心暗鬼とか、教室で見せる顔と目立たないクラブ活動で見せる顔の違いなどいくつもの顔を持ち始めることとか。この年齢に徐々にみせる「けもののわかさ」。

中頃ではは彼らが一同に会する教室の姿。わりと盛りだくさんで、教室のあちこちでおこる小さな会話とか、二人きりなら仲良しでも皆の前ではつっけんどんなツンデレ具合とか、人の別荘に皆で行こうと盛り上がってたり、居眠りしてる友だちを起こそうとしていたり。なにかのものがたりというよりは、教室の日常の風景を人数とダイアログの個数という物量で奥行き深くつくりあげます。

後半はこの教室の風景の同じ会話を繰り返しながら、しかし彼らの置かれている状況がどんどん変化していくのです。日常だったはずだけど、何らかの緊急避難先になっていて戦車を見かけたり隕石と言われているがミサイルかもしれないと不穏な単語があったり、地震のような地響きのなか不安を抱えたり、生徒がだいぶ減っていて学校の外へ「調査隊」がいって絶望的な状態になったり、それは災害と戦争が日常の私たちに入り込んでいるということ、その場所にも子供たちはいて、成長していて、あるいは死んでいて、ということと重なり合うのです。

多くの人数、大量のダイアログ、同じ教室が変化していくことを重ね合わせて地層のように細やかに見せていくという意図はわかるものの、物語にワタシがかみ合う瞬間を逃してしまうとどう見たらいいか判らなくなりかねない危うさを感じるのだけれど、百戦錬磨の作演と役者たち、実はそんなことにはならないんだろうな、とも思ったり。

中央に帯状に舞台をつくり、いわゆる教室の椅子を動かしながら、教室や学校のあちこちを。それを挟むように両側に客席でじっさいのところ真ん中中央に座ったりすると首を左右に振る羽目になりそうなほどワイドなスパンに。私が座った奥の端からは、長い距離で奥行きが作られている町屋を表から覗いているような雰囲気でこれはこれで楽しくて。

いくつかの回に設定されていたアフターパフォーマンス、「私たちも年をとるのか」1988年から2083年までのそれぞれの時代の女子高生7人が突然一同に会して会話する10分間。変わっていると見做されていじめられることは時を経ても対象が変わるだけだったり、あるいは携帯が現れスマホになったり、服が替わったりということに驚いたり楽しんだりする彼女たちは実に眩しい。実は親子だったとか実は教師と教え子だったとか、いう偶然は10分の中ではやり過ぎな気がしないでもないけれど。さっと現れてさっと消える幻のようなこの空間は、演劇を教育に活かす効能として言われる「ロールプレイで他人は他人の考えや行動があることを理解する」というのを絵に描いたようでもあるのです。

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2024.05.26

【芝居】「法螺貝吹いたら川を渡れ」渡辺源四郎商店

2024.5.3 19:30 [CoRich]

渡辺源四郎商店の新作は「戦争と平和を考える2作品連続上演」として。105分。青森でのプレ公演を経て5月6日までスズナリ。そのあと5月29日まで彼らのアトリエともいうべき、渡辺源四郎商店しんまち本店。

幕末、川を挟んで津軽と南部が向き合うマタギの村。行き来は表向き禁じられていても、住民たちはひそかに交流していた。明治元年のある日、小湊に駐屯していた津軽の兵が出陣し、南部の村に放火し全戸消失させたが制圧直前で撤退し終結。それから3時間ほど、まだこの知らせはこの村には届いて居ない。津軽藩から、南部を襲撃する命が下るが、「ふり」の茶番でもいいのではないかと南部に持ちかけ、誰も傷つかない筈だったが。

舞台の左右を赤と青の布、津軽や南部の家門を配し左右に分割。エレキギターやキーボードの生演奏を添えてライブ感たっぷりに。

今は青森県という一つの県になっている土地、津軽と南部を隔てる蒜内川(ひるないがわ)という仮想の川を設定し、そこに野辺地戦争という史実を織り交ぜて、どこでもいつでも起こりうる戦争と暮らし。敵とされている隣人、中央からの指令での戦争。人間の営みも土地も地続きにグラデーションなのに、なにかの境界を引いて国をつくり、それゆえに中央には利害関係が起こるのです。グラデーションの筈なのに。

マタギという武器を持つがゆえに戦争にかり出されそうな二つの村の間の男女の恋、あるいは山の神と崇める気持ち。女が間者でそもそもの仲違いは盛岡藩南部家と弘前藩津軽家の確執(相馬大作事件)で、そこからずいぶん時間が経ってるのにもかかわらず囚われているということ、もちろん忘れられないこともあるだろうけれど。

更に物語には津軽アイヌが登場して、少数民族も絡めて、抗争と日々との物語の奥行きがぐっと広がるのです。正直言えば、要素がそれほど多い訳ではないのに、ものがたりがごちゃついていている感じを受けるワタシです。

久しぶりに拝見する長谷川等、元気でなにより。未亡人を演じた山上由美子の物語を駆動するちからと、やけに色っぽい瞬間。音喜多咲子の子供のやけにクオリティの高いのはいつもの通りで安心。南部藩目付とギーター・キーボードを演奏した高坂明生もとてもよいのです。

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2024.05.22

【芝居】「フィクショナル香港IBM」やみ・あがりシアター

2024.5.3 14:00 [CoRich]

やみ・あがりシアターの新作はSF風味の、実はラブストーリー。CoRichの「観てきた」ではリピーターが続出、というのも頷ける120分。5月6日まで北とぴあペガサスホール。楽日までは台本が公開されていたようです。

1988年の香港。赤いドレスの女が待っていると、デートで待ち合わせた男が現れるが、これからみるSF映画をあらかじめ観て、あらすじをほぼ喋っちゃうような男に愛想を尽かしてもう二度と会わないと思う。
2088年、香港に作られた昔の空間を再現した仮想空間。人々は脳に電極を接続し、この世界で暮らしている。運営側のみが住人を現実世界に戻せない。この世界のルポルタージュを書くために招かれた男は、街で出逢った女を主人公に物語を書きたいと思う。

二つの物語が交互に進みます。一つは一組の男女が出逢って、いろいろ不本意で別れた筈なのに、そのあとも続いている話。もう一つは2088年の香港を模した仮想空間の起伏が激しいエンタメ的な物語。後半に至って、前者の二組が観た映画が後者のエンタメな物語なのだと判って唸るワタシです。うまく整理すればNetflixでもありそうな、エンタメなのです。

後者のエンタメは、サスペンス+SF+世界が崩れたり+フレッシュされたり+電子人間+コスチュームチェンジ(という、心と人間を入れ替われるチート)とか、と盛りだくさんでスピーディな映画の風味を存分に。めまぐるしくて、楽しい。

前者のラブストーリー、いろいろ間違っても進んでいる夫婦の話。いろいろな分岐点で間違ってしまったけれど、こちらもSF風味にリフレッシュすると、やり直せる感じで、正しい分岐点を選び直して、映画の設定である2088年まで生きようと思うファンタジーなのです。時に仲違いしながらも、100年の隔たりを二人で生き抜くために、医者になってみたり、仮想空間を作って脳だけをのこして、そこで3年分だけの想い出を繰り返していくとか、ゴールに向かって二人三脚で進む物語は純粋で美しいのです。

幅のある舞台の両端にすりガラスの衝立、時にラブホテルのシャワー、ときに街の影となる場所となったりしながら、それぞれの衝立の両側から出入りできるようになっていて、そこを八の字のように走り回ったりして、そんなに大きくない舞台に疾走感を作り出すのを観て、大昔の双数姉妹(という劇団)を思い出すのです。

未来の大統領を演じた、さんなぎ、ほぼ子供という設定のそれっぽさ。その大統領を肩に担ぎ続ける兄貴を演じた笹井雄吾、その弟分の鉄砲玉を演じた三枝佑のトリオが面白い。なんならヤッターマンの悪役3人みたいな。頭にパトランプをつけたセキュリティを演じた加瀬澤拓未とその娘を演じた冨岡英香の切ない物語の説得力。この仮想空間の運営こと補佐官を演じた小林義典のなにかを隠している不穏さの解像度。

ラブストーリーの男女。男を演じた森田亘はオタクな雰囲気から結婚するために頑張る気持ちとか、結婚してからのちょっと尊大な感じと、先を知ってから体験したい臆病さの振れ幅。女を演じた加藤睦望は先行き考えずに好奇心をもって行動したくて、予想外が楽しくて男の手を引いて先に進む明るさが印象的。

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2024.05.18

【芝居】「前髪(あなたに全て捧げるけど前髪だけは触るな)」MCR

2024.4.28 18:00 [CoRich]

MCRの新作。120分。4月30日まで、ザ・スズナリ。

女は通ってくる恋人を待っているが、その男は優しいけれど、プリンとかすき焼きなど食べ物の話で詰めてきがち。据えかねた女は刺してしまう。数日前に計画されて行けなかった学生時代の仲良しとの友だちが、来なかったことに腹を立てて訪れる。その瞬間に。
死体をクルマに載せて運ぶ途中、クルマをぶつけてしまう、ヤクザの男は死体の処分を引き受けるという。処分をした債権者は丁寧に仕事をしてしまい、足が付く。

犯人は明かされていて、犯人が追い詰められる過程を見せるサスペンス風味を持つけれど、作家の主眼はそこではないと思うワタシです。どうしようもない気持ちの持って行き場とか、ままならなさに翻弄されてしまうこととか、どこか諦めたような冷めた目線を感じるのです。

優しそうに見える男が実はモラハラ、という役を珍しく演じた堀靖明、グラデーションで怖くなっていって、観たことないほどの凄み。死んでいい人になって寄り添う、みたいな「殺した側でも、その人が良かった時の記憶のバイアスがかかる」というのは面白く、その振れ幅をしっかり。子分がいる女を演じた徳橋みのりも珍しい役と思ったけど、観たことあった。細やかな陰影が印象的。刑事を演じた澤唯は狂ったこの世界でほぼ唯一マトモな人物を違和感なく。妻を演じた伊達香苗はいい人っぽさはいつも通りに。しかし終幕、夫を殺した女と友だちになる怖い人物の説得力。

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【芝居】「夜会行」動物自殺倶楽部

2024.4.28 14:00 [CoRich]

2021年、鵺的での初演作(観劇三昧の配信あり)。今回は赤猫座ちこと高木登の二人ユニット「動物自殺倶楽部」として若手俳優中心のキャスティングで。赤猫座ちこの俳優活動休止前の触れ込みでしたが体調不良のため降板しキャストを変更しての上演。4月28日まで「劇」小劇場。

誕生日パーティに集まる二組のレズビアンカップルと、一人のフリーの女の一幕、という構成。小さなキッチン、テーブル、ソファで小さな部屋でくらす印象が強かったサンモールスタジオでの初演に比べると、ワイドスパンでガラス張り、下手側で階下に玄関、上手側で階上にも部屋という感じでどちらかというと木造一軒家という雰囲気の再演。さらに、コロナ禍真っ只中だった21年は皆がマスク、注意深く消毒、背を向けての乾杯という感じだったけれど、24年の現在を描くようにマスクなど感染症の捉え方がバラバラになっているなど、時間の経過を感じさせます。

今回も物語の一番のテンションとなるのは、別れた男からヨリを戻そうとしつこく掛かってくる電話のシーンで、女性と同棲しているのだといってからの「理解のある」ポリコレしぐさの腹立たしいマッチョイズムの腹立たしさ。いつの間にか舞台に大量に敷かれた風船を、男の言葉を聞いた女たちが一つ一つ割っていく演出は、怒りを風船の破裂音に託すのは象徴的で印象的。「かんしゃく玉」(青空文庫)を思い出すワタシ。音といえば、意図的に多くのノイズが劇中に混ぜられているのは最近の鵺的な感じでもあります。クレジットにも「ノイズ」の記載が。

記憶は薄れているけれど、イラストだけが残り二人がどうなったかについては不穏さを残す印象だった初演にくらべると、新たな画材を手にして先に進む終幕は、少し違う雰囲気を残します。

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2024.05.11

【芝居】「なかなか失われない30年」Aga-risk Entertainment

2024.4.27 19:00 [CoRich]

商業演劇 (1, 2)やテレビへの露出も増える作家の劇団、アガリスクエンターテイメントの新作。去年6月をもって閉館した新宿シアター・ミラクルへのオマージュを近くのシアタートップスで120分。5月18日まで配信があります。

2024年4月、雑居ビルにあった劇場跡地を片付けるビルオーナーは、次の買い手を待っている。電気設備の点検に訪れた男がいちど電源を落とすと。
1994年の同じ場所、街金の事務所では取引に必要な大金を用立てた男が金を無くして探している。2004年の同じ場所、風俗店の待機部屋の女たちはそれぞれの理由で絶対に接客したくない一人の客を押しつけ合っている。2014年の同じ場所、小劇場の楽屋では主宰を若い俳優、主宰の妻のもつれた話で多くの役者が降板した舞台の上演中。再び照明が復帰すると。

4つの時代が雑居ビルの同じフロアに重なり合って、それぞれの時代の人々それぞれのショーマストゴーオンというSFの設定。街金の店長がハードなSF好きで、何か起こしたことがバタフライ効果を生んでしまうなどの設定を序盤で早々に説明。 その部屋の中では時代が違う人も見えるし会話出来るし、物も受け渡せるけれど、その部屋を出てしまえば2024年の状態に戻るので人も物も消えてしまう、という少々判りにくい制約は作家も自覚しているようで、何度か説明するのも親切です。

時代の設定を縦断するように朝ドラを会話にするのもいいし(風俗の女性たちが歳のさば読みしてるとかもご愛敬で)、震災を折り込むのもまた時代の縦糸。

熱狂というか、ダブルコール。もしかしたらサンシャインボーイズ(←ワタシは観てない)かピスタチオかキャラメルボックスか遊眠舎か新感線か。そこまでの熱狂に乗れなかったのは物理的に気温が高すぎた劇場で、もっと詰め込んでた昔のトップスでもここまではという温度で、それは熱気以前の問題(劇場の設備も老朽化しているのだろうけれど)。

全席指定でしたが、当日近くになって、見切れ席が出来たので席を変更するとのお知らせ。確かに上手端にある柱が邪魔になるシーンがそこそこあって、心配りがすばらしい。場所の記憶を芝居にする、という意味ではトリのマークを思い出すワタシです。

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2024.05.03

【芝居】「S高原から」青年団

2024.4.6 18:00 [CoRich]

青年団で91年に初演。94年の再演までは未見で、2005年の再々演を初めて観て、19年ぶりに。(2005年はS高原を若手がつくるニセS高原の企画( 1, 2) もありました。4月22日まで、こまばアゴラ劇場。ワタシとしては、アゴラ見納め。

随分前に拝見してるだけだし、記憶力がザルなワタシなのだけど、やっぱり観始めれば記憶が思い浮かびます。驚くのはびっくりするほど感想が変わらないということなのです。とはいえ、久々に2005年のキャストを眺めてみれば、きら星のように思い浮かぶ役者たち。亡くなってしまったひと、テレビや映画で活躍するひと、今でもあちこちで見かけるひと、あの時の強烈な印象が今でもありありと思い浮かぶのです。 そう思えば今作もまた、次の時代の役者たちが並んでいるという期待感。全く関係無いけど、青年座も青年座スタジオの公演もやらなくなったなぁ。建物はそのままあると思うんだけど。

しかし、青年団やはりたいしたもの。劇団サイトでタグでの検索も含めてアーカイブがきっちり。直近20年ぐらいは公演詳細ページもそのまま残っているのです。(どの劇団でも出来るコトじゃありません。なので、独自サイトを維持出来なくなるかもしれないことを考えて、各劇団にはせめてCoRichに公演登録も切にお願いしたいのです。記憶力は衰えるワタシ、検索に頼りたい。過去のものも。)

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