2026.04.12

【芝居】「歌わせたい男たち」Periodista

2026.3.20 18:00 [CoRich]
初見の劇団です。作品自体は二兎社での初演を観ています。3月22日まで cafe & bar 木星劇場。1h40。

非正規採用で不安定ながらやっと音楽教諭として採用された女が、卒業式で斉唱予定の君が代のリハーサル直前に体調を崩している保健室でのワンシチュエーション。 君が代の伴奏を拒んでいた前任者はじめ何人かの教師が違和感を抱き斉唱に加わらなかったために、校長には有形無形の圧力がかかっていて、校長はなんとしても君が代斉唱を完遂したいし、それに同調する者もいる一方、すでに少数派となってしまった「左」の君が代反対派の教師とのあれこれをえがく2005年。二兎社らしいといえばらしい社会派に戸田恵子という稀代のコメディエンヌを組みあわせていました。

ずっと規模の小さい今作だけれど、濃密なワンシチュエーションはそのままに、おそらくセリフも余り手を入れていないのではないかと想像します。生活のために非正規採用でもしがみつかなければならない職を描く序盤(なんせ元シャンソン歌手ではあって歌えてもピアノは不得手という設定)はあの頃よりずっと深刻になっているけれど、校長とのほぼ二人きりの序盤は、丁々発止コミカルでもあって悲哀でもあって。この場での校長はもちろん歌わせる体制側なのだけれど、終幕で、それが過去は内心の自由こそ大切だと訴えることで、変質というよりは立場と時代に合わせて自分の心は守りながら、外形的にはどこまで譲るかの戦いなのだということの凄み。終盤の演説は悲壮的だけれど、現実の姿でもあります。

一方でまっすぐリベラルである教師、その信念はもちろん素晴らしいしそうありたいとも思うけれど、今作では左に固執するあまり清潔感とか身だしなみといったものに気を払えなくなってる風に見えてしまうのは、そういう意味ではとてもリアリティ(←ワタシの偏見です)があるといえばそうなのだけど、少々感情移入しづらい造型になっているのが残念。 初演でのこの役は近藤芳正で不確かな記憶だけれど髪振り乱した熱演だったとは思うけれど、感情移入できないということはなくて、そういう意味でフィクションだからこそ丁寧に造型していればと思うのです。まあ、ワタシどの口で言うんだっていう壮大なブーメランという気もしますが。

| | コメント (0)

2026.04.11

【芝居】「野々村良枝の失踪」タテヨコ企画

2026.3.20 14:00 [CoRich]
タテヨコ企画の新作。3月22日までアトリエ風姿花伝。120分。

母親が認知症で行方不明になる。実家には父親や長男のほか、長女が中国赴任のため預けた娘、別に女を囲っている次男に代わり事実上実家の面倒をみている次男の妻が暮らしている。 母親の行方不明の知らせを受けて数年ぶりに長女が帰宅する。

認知症で居なくなった母親、久しぶりに会った家族たちのぎこちなさだったり明確な不満だったり素直になれない気持ちだったり。母親を中心にゆるやかに繋がり甘えていた人々がその欠落によって自分の立ち位置を見つめ直すこと。 認知症をどう呼ぶか、認知症患者自身にとってはどういう世界が見えているかなどの基本的なベースを共有しつつ、それを啓蒙するというよりは直近の記憶は抜け落ちても昔の記憶は鮮明に残っているという認知症の特性を枠組みとした物語だと気付くのです。

子供たちが幼く、自分たちが若かった頃はもちろん毎日大変だったけれど、あの時に撮った写真がピンボケでもなんでも、繰り返し見ることで鮮やかに蘇ること、それは認知症となった(そしてそれはある程度自覚できている)母親自身の日々の支えで大事にお気に入りのバッグにいれていたし、それを子供たちがあのかけがえのない日々を思い起こすことに繋がることの暖かく、切ないことなのです。

認知症の母親を演じたあさ朝子は若い頃の母親の優しい視点から認知症故の激昂する老婆までも一人の人間の老いをギュッと一人で背会う安心感。次男の妻を演じたいまい彩乃は「古き良き」支える女であり続けたあとから見切りをつけ自由を得るある種の成長。長女を演じた舘智子は頼りになるけれど家族の距離があって思うようにならない歯がゆさ。次男を演じた西山竜一は若い女を囲い全てを失うという踏んだり蹴ったりな役だけれど中年男の悲哀を一身に背負うよう。同居する長男を演じた園田シンジはニートだけれど近所や同居する人々をよく見ている賢者といった風情が実はカッコイイ。長女の娘を演じた宮崎明音は軽口を叩いたりイマドキだけどまさに「いい娘に育って」を体現するようで眩しい。 ケアマネを演じた福永さとみは外からの視点の安定。父親を演じた宮島健は若い頃のカツラはご愛敬だけれど、年齢を妻を愛し続ける爺さんというあるようでなかなかない真っ直ぐな造型。近所のおばさんを演じた久行志乃ぶ は愛想のいいかんじだけれど、うっとうしさを通り越してヴィランに成り果てる人の汚いところもしっかり。

| | コメント (0)

【芝居】「ミッキーアイランド」滋企画

2026.3.14 18:00 [CoRich]
FUKAI PRODUCE羽衣の座付き作家だった糸井幸之介の作演による滋企画の新作。 3月22日までアトリエ春風舎。115分。

還暦近くのバツイチ長髪ロックミュージシャン。ライブハウスで20年ぶりの新曲をライブハウスで対バンになった22歳女性に捧げようとしたとたんに転倒する。
バンド仲間が部屋に運んでくれ、ときおり差し入れをして貰えるがベッドのまま動けないし、対バン女子へ電話しても連れない。 動けないままに、いろいろ思い出す。

還暦にもなってだらだらと売れないミュージシャンを続ける男、たった一回の転倒による骨折で動けなくなった結果のいろいろ夢想と現実の交錯。子どもの頃に漏らしたり食事したり風呂に一緒にはいったりといった、優しい母親との思い出から、母の晩年を二人暮らしで介護していたこと。 元妻との久々の再会と、出会った頃に学生だった元妻とのデート、父母に合わせ、息子が出来てといった思い出。 ずっと会っていなかった息子が現れ車椅子で居酒屋に一緒にいったり。

介護や結婚は経ているけれど、独り者で楽しく暮らしてきた男、それなりの波乱と背負っているものはあれど、突然の骨折で動けなくなることで、人生の仕舞い方みたいなことをする間もなく、ともかく幾つかの思い出を「しがんで」いること、つまり過去の記憶を頼りに過ごすのはなるほど走馬燈。 全体の調子は緩急あれど基本的にはストレートプレーにミュージカル風味、そうFUKAI PRODUCE羽衣の「妙ジカル」なかんじで軽やかなのです。

一方で序盤の骨折のキッカケは、若い対バン相手の女性に対して年甲斐もなく色気を出したこと。自覚のないストーカーっぽさ、怪我をしてなお電話して遠ざけられることなど明確に「気持ち悪い」キャラクタ造型だけれど、この気持ち悪さ自体は序盤でスパッと終わるのが救い。これを自覚して描いていることは大変重要で、気持ち悪さこそなくても、元妻が心配してきてくれるとか、長く会わなかった息子が会いに来てくれるとか、結婚にしても男の側の家族だけが描かれるなど、どこか男の身勝手な綺麗な妄想ではあるのです。それでも、自分の母親の介護など現実に向き合う部分もあったりしてその視点のないまぜな感じが実にオジサンにとってのリアルな感じでもあるのです。

終盤、亡くなった男の家に現れたネズミたち、ネズミたちが集まる「ミッキーアイランド」のシーンはセリフもないけれど、生きて死ぬネズミたちの姿は、人間たちの営みを俯瞰して観るよう。なるほど。

動けなくなった男を演じた佐藤滋はほぼ出突っ張りで、情けない中年オヤジからゆるやかに老いる男という男の晩節を細やかなグラデーションで。母親を演じた永井茉梨奈はシングルマザーの力強さと息子に対する優しさ、老いて介護されるがわになるまでのダイナミックレンジの広さ。元妻を演じた井上みなみはあくまでサバサバとクール、少しの情けというさじ加減が絶妙。序盤の狂言回しとなる「空気」から息子までさまざまな役を兼ねる木村友哉の自在な振れ幅。「悪い空気」を始めちょっと強面側を支える岡本陽介との対比も楽しい。

| | コメント (0)

2026.04.02

【芝居】「若芽 wakame」劇団コピュラ (かながわ演劇博覧会)

2026.3.8 18:00 [CoRich]
神奈川演劇連盟の博覧会企画。拝見できたもう一本。草野球ならぬ「草コント」と称して行っているワークショップからの参加者による創作コント集。それぞれの枠は45分ほど。スタジオHIKARI。

禁煙外来なのにタバコ吸いまくりどころか勧めてくる。「smoking area 」
そのバーはマスターがなかなか出てこない「いないいないbar」
果物店に来たつもりのマダム、キャバレーの呼び込みとの会話がかみ合わない「」
夫婦と友人の男3人。きまずいところに来てしまったらしい。「大人さんが転んだ」

一本目は禁煙外来なのに医者がタバコを吸うところか勧めてくることをどんどん押してくる。オチとなる(電子)タバコのサンプリング配布って、かつて盛り場ではよく見られた光景だけれど果たして今の時代の若者に響くかなぁと懸念はあれど、あらゆることにマネタイズが要求されてしまいがちという昨今の風潮だという風刺を効かせて。

二本目、マスターがまあ隠れては「ばあ」と出てくるという出落ち感あれど、それをともかく手を替え品を替え力で押し切る力わざ。

三本目、果物店に来たマダムと風俗の呼びこみ、果物の名前とホステスの源氏名(ピーチちゃんとか)で繋がりつつ、箱詰めにするとか味見するとか観客(すくなくともワタシは)下ネタに想像を膨らませれば限りなく広がるギャップのワンアイディアが楽しい。これを「青少年センター」でやる、というのも素晴らしいとおもう悪い大人のワタシ。

四本目、夫婦が揉めてきたところにタイミング悪く来てしまった友人、「だるまさんが転んだ」を唐突に始めながら、そのリズムに乗せて夫の浮気、妻も浮気の告発から始まり、仲直りして、やがてミュージカル風の振りをつけた大団円と、(お笑いに詳しくないワタシだけど)フォーマットの発明ではないかと思ったりするワタシです。

いわゆるお笑いに分類されながら、小道具とかセットを使って長編にも展開されたりと小劇場のすぐ隣にある領域のコントだけれど、物語を伝える以上に、愛すべき登場人物たちを笑いに昇華させることが必要なコントの気軽さと裏腹の難しさ。きっちり笑いを取っていくけれど気楽に見られる楽しさ。

| | コメント (0)

2026.03.25

【芝居】「テンチュウ」黒船 (かながわ演劇博覧会)

2026.3.6 19:00 [CoRich]

神奈川県演劇連盟が主催し入場無料出入り自由で多くの団体が順番に一時間弱の作品を上演する「かながわ演劇博覧会(えんぱく)」。ワタシは始めて拝見しました。時間の関係で2団体だけ拝見した1本目の「黒船」は4団体の作演をする主宰たち4人によるユニット。

ホームセンターのバックヤードで昼休憩しているアルバイトの中年男たち。男の一人が思いを寄せる女を食事に誘おうとしている。誘おうとしている女は職場の若い女で実は何度も断られているが諦めきれない。二人の同僚たちも少々呆れながらも話を聞いている。

ホワイトデーのお返しというプレゼント包装を抱えて嬉しさ一杯の表情の序盤で始まり、徐々に中年男の少々無理筋な恋物語だということがわかってきます。まあ、実際のところすぐに食事の誘いは断られてしまってからの後半が圧巻で、他のスタッフたちもその女を誘って食事に行ったり恋人っぽかったりというあれこれが次々に明らかになり、まあつまりオタサーならるホームセンターの姫状態なのだということがわかり、更に終盤では「テンチュウ(天誅)」を下そうとなるのだけれど、それはその女に対してではなく、というあたりがスムーズで濃密に楽しい一本。

自分はなんとかその恋を手に入れられるのだという根拠がない、しかし実に脆いプライドをもつ中年男たちの悲哀。 序盤のストーカー気質っぽいあたりは少々危うい感もあるけれど、全体にコミカルに描かれる一本で、フラれてからはさらに同僚の二人が自分が実は食事に誘っているとか、過去に付き合っていたとかを白状するあたりは彼らを微笑ましく良い人と描くどこか暖かい話として描くのかなと思えば、拷問のためといって、シュマロを口に詰め込もう、しかし女には拷問なんかしないと言い放ちそれぞれにマシュマロを握りしめて去って行く三人がカッコイイ。

| | コメント (0)

2026.03.24

【芝居】「海の凹凸」serial number (ex. 風琴工房)

2026.2.27 19:00 [CoRich]

詩森ろばが2017年に俳優座に書き下ろした水俣病支援者をテーマにした作品(未見)を自劇団として改訂再演。130分。3月8日までザ・スズナリ。

1980年代の東京の大学で関係者の手弁当により続けられた市民講座理不尽に出世を防げられても講座を続けてきた助手、大学内に印刷所を設け支えてきた男、横浜からフィルムを借りるために講座に出会い講座を続けてきた女、講座を支える大学生たち、現地水俣に住み作品を発表し続ける女。10年ほど続いたが、問題は解決しないのに講座が終わろうとしている。

水俣病は知っていても、それが社会問題とみなされなくなったあとも「公害原論」と題された公開講座を核に ずっと支援をしていた人々のことは不勉強にも知らなかったアタシです。その時代の流行とも云えた学生運動には間に合わなかった世代、水俣に出会い全力を注いできた多数派とは言えないコミュニティの中で、結果的に一人の天才を囲み運動している気分にはなっているけれど、活動としては跡を継ぐ人材を生み出すことが出来なかった運動の行く末の寂寥。

それゆえに活動の中心にいる人物が離れてしまうことで、集団としての活動が変容してしまうのです。命を絶つ者、生活を変える者、その中である意味では生活を犠牲にし、しかしその理想故に惹かれ合う二人は寂しさを互いに埋めるのではなく、寂しさを理解出来る人が隣に居ることを選び取る終幕は、詩的でロマンティックでもあるのです。

教員を演じた杉木隆幸は序盤の説明から圧倒的な信頼感を得られる人物という説得力。印刷所を営む男を演じた西原誠吾は活動に静かに熱狂ししかし一方で家族への断絶という歪みのある男がとてもよい。串田十二夜のイノセントな学生からいろいろ清濁呑む大人への一歩という成長の解像度。

| | コメント (0)

2026.03.22

【芝居】「××××オンリーカインドトゥミー」日本のラジオ

2026.2.22 16:00 [CoRich]

日本のラジオの新作はだいぶ久々の劇団員だけで55分。2月23日までRAFT。

連続殺人犯の女性が逮捕され、ジャーナリストからの取材に応える。拘置所の職員は妹と二人暮らしだが、妹は時々家を出てしまう。犯人に殺された女は明るくポップだが希死概念が抜けない。

フィクションだけれど、2017年に発覚した実際の事件(wikipedia, 集英社新書プラス)を参考にしているといいます。犯人こそ女性に変えているけれど、連続して殺し頭蓋骨をクーラーボックスに入れて補完したり、自殺願望の女性をターゲットにしたり、記者に差し入れを要求したりと、なるほど事件をモチーフに犯人像を組み上げているように感じます。一方で殺され(たorかけた)女たちとの会話であったり、拘置所の職員の生活などの、同じ時代を静かに生きている人々を描くことでセンセーショナルな事件と日々の生活が紙一重で脆いモノだと描く作家の視点を感じるワタシです。

殺された女は拘置所職員とマッチングアプリであったことがあり、拘置所職員の妹は近所のスーパーでジャーナリストに会っていたり、あるいは殺人犯の家に転がり込んでいたことがあったりと、たった5人での物語ゆえにギュッと関係が凝縮されている箱庭感はありますが、1時間ほどの少人数の舞台ゆえにそれが心地よかったりもするのです。

職員を演じた安東信助は日々、妹との生活を守るために日々心を殺して働いているけれど、マッチングアプリであっさりフラれてしまうというあたりの中年男の悲哀が細やか。 妹を演じた日野あかりはどこか劇団のモチーフである猫のようで、気まぐれで世間知らずなイノセントさ。 殺された女を演じた沈ゆうこは死にたいと思いながらもやけに明るくというリアリティ。 ジャーナリストを演じた田中渚を舞台で拝見するのはもう随分久しぶりですが、変わらずスタイリッシュで何より嬉しい。 殺人犯を演じた永田佑衣は身近にある人々の恐怖を一人で背負い込む強いストレスがあるであろう役を走りきる胆力が確かなモノで。

| | コメント (0)

2026.03.21

【芝居】「メヤグダ」ホエイ

2026.2.21 18:00 [CoRich]

ホエイの新作。津軽弁を駆使する作風だけれど、東京を舞台にするという新しいスタイルの90分。2月25日までシアター風姿花伝。

東京にある津軽県人会の事務所。別の県人会から独立して10周年でイベントを企画しているが、出演者のキャンセルがあり、津軽出身や津軽に住んだことがある職員たちは調整にドタバタしている。津軽の出身者やその家族が会員として出入りしているが、よく姿を見せる男は上京して三年経つがなかなか東京に馴染めないようだ。

インタビュー(紙背)によれば、東京を舞台にして地方を描くことで方言芝居の拡張として県人会を思いついたのだといいます。確かにありそうで今まで観たことがない設定で、おなじコミュニティなのに、グラデーションのある方言と標準語が飛び交うというのは新鮮な体験です。

地方で借金を抱え、親族とも疎遠になっていてどうにもならなくなって上京した男。少々粗暴で扱いかねたりはしながらも、その男の数少ない拠り所である県人会の人々はなんだかんだ面倒を見ていて。その男が突然亡くなってしまって明らかになること、新たな縁ができることが描かれます。ずっと一人でいて数少ないコミュニティでもうまく立ち回れないことでどんどん居場所がなくなるし、弱いのに酒を呑むことで繋がろうとすることなど、もうほんの半歩先に見えているワタシの姿のようでもあって身につまされるのです。

親族との縁が切れていて、「メヤグダ(迷惑だorありがとう)」「かまど消し」とも言われた男と、その葬儀を肩代わりする「お節介」で成り立つ県人会の互助会的機能の手厚さとその苦しさ、見つかった親族にもそれぞれの事情があって引き取れないこと。世間で言われる正しさよりも、そういう問題があることを提示して糾弾したりはしないということが、今の作家から見える地方出身者のリアルであり、優しさなのだとも思うのです。

男の死を描くシーン、湯飲みを落として割れ、それを片付けているうちいつのまにか骨上げへとシームレスに変わるシーンの凄さ、地方をもり立てるイベントなのに「嫁いびり」とも言われる「弥三郎節」という倒錯もちょっと面白い。亡くなった男の妹を演じ、この声量で圧巻の終盤を決定的に歌い上げた東さわ子が印象的。

上京して働く職員を演じた三上晴佳や中田麦平、あるいは津軽に住んだことがある職員を演じた赤刎千久子は、離れた場所で津軽を見る思いや津軽弁ネイティブさのグラデーションが見事でホエイに欠かせない役者陣。ここが好きで通う年輩の女性を演じた羽場睦子は時に正論、時に空気読めない場を転換させる力。宅配員を演じた尾倉ケントの巻き込まれ面白がる軽やかさ。所長を演じた河村竜也は軽薄でしかし人情に厚い人たらしな造型が実は珍しい気がするワタシです。上京して馴染めなかった男を演じた山田百次はそういう人が居そうな細やかな造型。

| | コメント (0)

2026.03.15

【芝居】「くにお君と行く!伊藤企画 都内ぶらり旅~チェーさんも行けたら行くって~」伊藤企画

2026.2.15 16:30 [CoRich] (高円寺K'sスタジオ)
2026.2.21 15:00 [CoRich] (アトリエ春風舎)

岸田國士(くにお君)の戯曲とチェーホフ(チェーさん)の短編小説を原作として、劇作家・演出家の劇作家・演出家 伊藤毅が、現代日本の生活実感に即して翻案・演出した短編を組みあわせながら都内三箇所の劇場を三週間にわたってツアー公演。2.14-15が高円寺K'sスタジオ、2.20-21がアトリエ春風舎を拝見しました。2.28-3.1がギャラリーがらん西荻。95分。 翻案戯曲を事前に公開しています。

新婚旅行で大阪に行った妹が早く戻り姉夫婦の家に来る。姉夫婦の家には下水道修理の男が訪ねてきている「驟雨」(Aキャスト)
自分の話をするワークショップ形式の会合。一人の女が昔の経験を話す。友だちの兄と一緒にソリに乗ってとても怖かったけれど、そのとき耳元で声が聞こえた。「たわむれ」(または悪戯)
田舎に移住した夫婦。妻は演劇で、夫は害獣駆除で町おこし隊として生活している。もっと余裕ができたらと鎌倉への旅行を夢想したりする「紙風船」(Bキャスト)
学生の頃の知り合いが久しぶりに会って互いの妻が買い物をしている間、デパートの屋上で話をする。 二人はかつて小説家を志していたが、一人は家業を継ぐために書くのをやめたが生活に余裕がある。一人は小さな賞をとったものの売れてはおらず、ロシア語翻訳などで暮らしており生活は苦しい。「屋上庭園Ⅰ」
その日の晩、帰宅した小説家の夫婦。妻どうしの会話の中で、小説を辞めた男が、小説家の才能を心底褒めていたのだと聞かされる。「屋上庭園Ⅱ」(Aキャスト)
介護の勉強をしている姉と同居している弟。仕事が決まらないふたりに、弟の友人たちは仕事を紹介したりなにかと気を遣ってるようによく通ってくる。いつものように寿司をとって食べよう、ということになる。「かんしゃく玉 Act 2026」

「驟雨」は新婚旅行にでかけた筈の妹が早々と姉夫婦の家に戻り、新郎への不満のあれやこれやを話すのだけれど、男は勝手で女が合わせる努力や忍耐を強いられるというのは時代が変わっても程度の差程度でしかなく変わらないという話。その理不尽が明確な原作(青空文庫)のほうがシンプルですっきりとしているけれど、現代版では一ひねりしてて、男も何かもっと後ろめたいことを隠してるし、新郎も今でこそ一人前の顔をしてるけれど今の地位にくるまでの半ばヒモ状態を支えてきたのが女なのだというのがより面倒くさくなっているかんじ。 現代の日本の普通の家ではまずあり得ない、原作の家政婦という役を、排水管詰まりを直す工事屋に置き換えたのはちょっと不思議な感じがします。

「悪戯」とも題されることの多いチェーホフの「たわむれ」は未見。小説原作なので女性の一人語りという体裁をそれぞれ自分の話を交替でするワークショップ形式の会合のような場所にしたのはなるほど今っぽい。家族も居て夕食の準備もあるけれどその隙間時間のワークショップ、みたいな忙しさも今っぽい。物語の骨子はおそらくそのままで、友だちの兄と二人でソリにのり、滑走が怖すぎるけれど、その中で「好きだ」というささやき声が聞こえた気がして、それが兄のものか風の男の悪戯かがわからず、でも、その声が聴きたいばかりになんども何ヶ月にもわたってソリに乗るというのが、中毒めいた恋心で切実で、可愛らしくて。演じた竹原千恵の働く母親という感じで化粧っ気のないフラットさがいい。

「紙風船」は、元々(青空文庫)はどこか倦怠感のある結婚一年目の夫婦の日曜日の過ごし方についての他愛ない会話。それぞれが出かけるとか、鎌倉行きの妄想とかを話しながら、駆け引きのような会話。今作はもっと切実に生活は厳しくでしかも移住したばかりで害獣駆除と演劇で町おこしみたいな活動が支えで自由にならないがんじがらめの生活の外枠で。金があれば、金ばかりじゃないがということではあるのだけれど、なんかもっと切実で。象徴的に終幕で出てくる紙風船は原作よりもより明確に二人の間に子どもが舞い降りたように描かれていると感じるワタシです。夫を演じた尾崎宇内はどこか余裕がなく、妻を演じた村岡佳奈は楽観的に感じる味付け。

「屋上庭園1」は缶コーヒーやスマホなど、今っぽい味付けはされているけれど基本的には岸田國士の原作(青空文庫)とほぼ同じ枠組みで進みます。飛び降り事件は現代向けの翻案かと思えば原作にあるのもちょっとビックリしますが。こちらの方は、小説を書いていた男二人がそれから時が進んで一人は辞め、一人は翻訳でなんとか食べて居るけれど、小説は書けていなくてという感じではあるのだけれど、金を持っている側も無い側もそれぞれのプライドがあって、かつての頃のように分け隔てなく話せる関係ではなっていることの悲しさは時代が変わってもどちらにも有る風景で。

「屋上庭園2」は役者が「1」とは異なっていてちょっと戸惑いますが、同じ日に帰宅して帰った(金の無い側の)夫婦の話で、「屋上庭園」に外挿するように作られた新作。ハイボールを飲みながらリラックスして、それぞれの会話を補完するような答え合わせするような。こんな風に膨らませていけば、まるで一つのモチーフで楽曲を作り出していくかのように、一幕のごく短い芝居から中編長編と紡いでいけるんだなぁと思ったりします。著作権が切れている作品だから自由が効くというところはあるにせよ。

ワタシにとっては岸田國士といえば「かんしゃく玉」と言うぐらいなのだけれど、ACT2029と名付けられた今作、だいぶ捻って膨らませた一本。仕事にありつけない男と同居する女、友人たちは男のためといいながら、女への下心、腹を立てた二人はかんしゃく玉をぶつける、というぶっ飛んだ原作(青空文庫)に対し、なぜ二人は仕事につけないのか、なぜ友人たちは集まってくるのか、という背景がちょっとした現代のホラーなのです。イマドキそこら辺では投げられないかんしゃく玉に変わって二人が投げるのは最初はわからないのだけれど、出前寿司の醤油の小袋を溜め込んだもの、というのが謎解きにもなっているのが面白い。

| | コメント (0)

2026.02.21

【芝居】「眠レ、巴里」華翔

2026.2.14 19:00 [CoRich]

1985年の事件をもとにした竹内銃一郎の1995年初演作。主に東京乾電池で上演が多いようですが、ワタシは物語そのものが初見です。2月15日まで、中野あくとれ。70分。 ベッドのある部屋、姉妹ふたりで部屋にいる。二人はバリに旅をしてホテルにいる、窓からはエッフェル塔が見えている。歌ったり、母親に電話を掛けたり、折り鶴を折ったり。

サラ金の借金の貧困によって姉妹が板橋の都営住宅の一室で餓死した事件をモチーフにしながら、しかしあくまで姉妹は電話も電気も恐らくは水道も止められた二人きりの部屋の中で 、行ったことのないパリの旅行を夢想し、あるいは歌ったり、折り鶴を折ったり。あまりにも厳しい現実のなかで夢見た生活のごっこ遊びは、マッチ売りの少女のみたご馳走のようでもあるし、変わらない絶望の時間をただやり過ごすためのゴドー待ちでもあるかのよう。

食事のシーンは空の調味料や瓶で、空の食器での食事、というのは芝居のお約束である食器だけの演技のようでもあるし、本当に食料が無い状態での悲しいごっこ遊びでもあって、芝居でやるからこその二面性があってちょっと心にダメージをくらうのです。舞台のトーンはあくまでも明るく、華やかな気持ちのよう。それまではパジャマ姿だけれど終幕では二人は華やかなおめかしした格好の落差は本当に切ない。

終幕前、サラ金の取り立てに来たと思われるヤクザ。泣きながらビールとハンバーガーをかき込む姿。二人の会話にしばしば現れる彼は、もちろん取り立てだけれど、姉妹にとってはもしかしたら唯一の社会との繋がりなのかもしれないし、見殺しにはされたけれど、ただ単に金のやり取りではなかったかもしれない両者の関係を想像してしまうワタシです。

| | コメント (0)

«【芝居】「さらば曽古野遊園地」アガリスクエンターテイメント