2026.8.26 18:30
[CoRich]
2021年に解散した第三舞台の、2026年で集まれる人々で、という新作。8月30日までの紀伊國屋ホールの後半公演に滑り込めました。そのあと大阪・サンケイホールプリーゼ、新潟県民会館大ホール、作家の故郷・新居浜市市民文化センター大ホール、北九州芸術劇場大ホール。125分。
大学のボランティアサークルで児童館で上演するはずだった公演は、あるきっかけで中止になっていた。
年齢を重ねたメンバーのところに、かつてのリーダーが現れあのときの芝居をもう一度児童館で上演しようと持ちかける男は、認知症と診断されていた。選挙に出ようとしている女、人からは距離を取りおだやかに歳を重ねている男、亡き夫の記憶に生きる女たち、若者たちは巻き込まれ、しかし上演は行われることになる。リーダーの男は中止となった理由を忘れているようで、新しい公演をすることを全力で頑張っている。
年齢を重ねた作家と役者に重なるように、社会的な地位がついてきたり、仕舞い方を考えていたり、愛する人を失っていたり、更には認知症という老いに直面していたりという人々。そこに若い頃の熱意で物語を駆動しつつ「残してきたこと」を再び思い出し、考えること。この年齢になったから直面することを存分に盛り込んでいて、なるほど白髪が目立つワタシからもう少し上ぐらいの世代までを紀伊國屋ホールに呼ぶ劇団の年齢ということを感じるのです。
第三舞台については、96年の「朝日」から終盤のホンの少しの時代しか観られていないワタシです。それでも大高洋夫が(いろんな意味で)ぼけ、小須田康人が穏やかにしかし内包する気力を漲らせ、長野里美が軽快さとシリアスのコントラストを際立たせ、山下裕子が気丈でしかし弱さも併せ持つ、あああの時の感じと思うのです。彼らの丁々発止の距離感を生で見られる楽しさ。彼らの間に確かに存在していたはずなのにぽっかりと空いた穴のように不在であるモモコは岩谷真哉(未見だけれど)を感じたりもします。
上演しようとしていた物語は桃太郎で、それはイマドキのコンプラ的に男女の役割を固定化したり伝聞で退治するなんてことが許されるのかとか武力での解決が正しいのかと思案するのはコミカルに楽しく。亡くなった夫をAI化してそのタコツボにはまり込んでいる感じはコミカルだけれどこれからワタシたちが直面するという意味で深刻でファントムペインのようでもあり、ミヨコのようでもありと、過去の第三舞台の物語を思い出すのです。
対する若者たちの物語は基本的には巻き込まれ側で、カルトやAIといったイマドキの要素を物語に繋げます。劇中劇として立ち上がる桃太郎の中では彼らは圧倒的に格好良くて、さすがにこれは年齢の差をはっきりとみせつけるのです。亡くなった夫を演じた渡辺芳博はその中間世代でそこを繋ぐ感じでもあります。
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