2024.11.24

【芝居】「地獄八景(じごくばっけい)」おのまさしあたあ

2024.10.25 19:30 [CoRich]

おのまさしが定期的に行う、一人芝居で大きな物語を語りきるシリーズ。趣向を変えて地獄にまつわる八つの小さな物語オムニバス。あとで公開された彼のライナーノーツも楽しい(前編後編)10月27日まで横浜ベイサイドスタジオ。

美味しいものを食べ尽くした男、ふとしたきっかけで人肉の旨さの虜になる。子供にも美味しい肉を食べさせ語りかける「美食の地獄」
近松賞に応募してきた候補作、「女殺油地獄」の終盤、油に滑りながら殺害におよぶ場面をバナナに置き換えただけでパックってきやがって「女殺甘蕪地獄」
竹林で虎に会う、人間が受験の悩みのあまり虎になってしまったのだという「受験の地獄・芸術の地獄〜中島敦「山月記」より」
アリジゴクの巣に大きなカマキリが落ちてきて下敷きになり身動きとれなくなる。カマキリは妻にころされかけているが、アリジゴクは恋をしたことがない「アリジゴクの悲しみ」
木造の便所で地震で押しつぶされそうになり、逃げられず「無間地獄」
ナチスドイツが勝利した世界、日本人もゆるされず収容所に入れられるが、そこで一人だけ気に入られた日本人。「寿限無」が好きでそれを延々繰り返して気に入られている。「アウシュビッツ地獄亭」
傑作映画を撮ると決心した映画監督。オイディプス王が神殿のセットをつくり、虎を整形して美女の顔にしてスフィンクスにしようと拘ったが、台詞を喋ることができず、俳優が噛みつかれ、撮影は遅れに遅れているが、順撮りに拘るあまり「アポロンの地獄の黙示録」
かつて蜘蛛の糸で助かったカンダタ、生まれ変わって1976年のアメリカの高層ビルの建築現場に。電線資材をけちり、火事が起きてしまう「そびえたつ地獄と蜘蛛の糸」

「美食」は人肉食の怖い物語を後半もう一度怖さを重ねる構造。なんだろ、仔牛とかラム肉みたいなある種のグロテスクさは普通にあるわけで。

「甘蕪」は最初に作家(=近松門左衛門)が登場し、自分の名を掲げた賞にエントリーされた一本が、ほぼ同じ話なのに、滑るというだけで「油」を「甘蕪」(バナナ)に変えただけという手抜きにも程があるパクりをぼやいてみせる序盤。しかし、(恥ずかしながらよく知らないけれど)「女殺油地獄」の物語の流れが判っちゃう、というのはとてもいいのです。選曲も◎。

「受験」はご存じ山月記。基本的にはそのままだけれど、虎という一点でタイガーマスクやらプロレスに物語のスイッチが鮮やかなのです。

「アリジゴク」は去年のベイサイド冬祭りで上演らしいけど、多分未見。それなのに観た覚えがある一本。人生の先輩と後輩の会話という体裁で、ああ、このまま童貞で死んでいくのか、みたいな若いなりの機微が細やかなのです。

「無限」は便所が崩れ、そこに落ちてしまった2分程度の光景を繰り返し、同じ音楽も重ねて。有り体にいえば排泄物の中に男がスローモーションで沈みゆくことを繰り返すことで笑いをとるのです。

「アウシュビッツ」は気に入られた男が落語・寿限無を披露して気に入られ、寿限無をドイツ人の名前に置き換えるという趣向が楽しい。

「そびえたつ〜」は前回予告された映画・タワーリングインフェルノをいわゆる「おのまさし一人芝居」のフォーマットで。そこに「蜘蛛の糸」を重ねることで、高いタワー、さらにその上にあるお釈迦様からの蜘蛛の糸を組みあわせて。なんかいろいろ小道具で一人芝居をやるこのフォーマットはとても強固で楽しいのです。

来年は還暦だそうで、ライブも予定されているのは楽しみで。しかしこのパワー、力強く細やかなこと。

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【芝居】「ビッグ虚無」コンプソンズ

2024.10.20 17:00 [CoRich]

初見、かと思っていたら二回目だったコンプソンズ。120分。10月20日まで駅前劇場。

ハプニングバーに男3人がノリで訪れる。バーカウンターでは女二人が話していたり、奥さんと呼ばれる女が居たり。浮気した妻を連れてきた夫が罰だといい別の女を連れてプレイルームに入るとSFのように消えてしまう。

コラムニストのジェーン・スー(好きなんですが)を芝居でセリフとして聞くのはおそらく初めて、序盤で多くのイマドキの言葉を重ねて時代の雰囲気。ええ、ワタシはほとんどわからないのだけれど。フェミニズム文脈も揶揄するでも擁護するでもなくなので、薄っぺらだとはおもいつつ、薄くてもたくさん重ねれば厚みが出るミルフィーユ理論(私見です)がうまく機能しています。

物語は正直、何を描こうとしているかはぼんやりしかわかりません。笑う断片はいくつもあるけれど、物語に収束しているかというと微妙な感じで何をしたらいいかわからない人々が、したいことを探すでもなく暇をつぶしている話なのだ(そりゃゴドー待ちだ)とおもったけれど、 コメディドラマのような雰囲気をまとい、そこからあまり考える暇を与えずに巻き込む終幕の疾走感はすごいのです。

3年後に謎を解き明かすような感じではあるのだけれど、ちょいともやもや。とりわけ、左翼・右翼、右脳・左脳と言葉遊びし、ひだりを謝り続けるM、右は田舎で女子供を殴り続けるS、といった着地は、イマドキの話題を沢山取り込んだ割には少々雑にすぎるので、なるほど表面をなぞってるんだなぁ、という印象だったりもします。

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2024.11.23

【芝居】「おまえの血は汚れているか」鵺的

2024.10.20 14:00 [CoRich]

以前上演した「荒野1/7」(未見)を同じテーマで描き下ろした新作。90分。10月27日までスズナリ。

妻を殺した父親の子どもたち5人。別々の家で養子として引き取られ交わることなく育ったが、30年経ったある日、長男が5人を呼び、戸惑いながら集まる。長男の妻は本屋を継ぎ、その兄と同居。次男は関わり合いになるのを避けたい。三男は派遣で食いつなぎ兄弟に助けてもらえるかという期待を胸に。四男は穏やかで人がよく、丸め込まれるのを恐れて妻が一緒にやってくる。末娘は親の記憶はほとんどない。長男は死んだと思われていた父親と連絡を取り続けていたが、脳梗塞にたおれ、親をどうするか、全員で背負うかそれを拒否するかを決めたいとおもって集めている。

上手側にある書店の裏側、小さな中庭を挟んで下手側の奥に引き戸の玄関、中央手前に大きく畳敷きの広間に大きな座卓が置かれた古い日本家屋風。自分たちの母親を殺した父親の子供たち5人が成人して会いたい会いたくない会わなきゃいけないの温度差のある状況での久々の再会で渦巻くできごと。集めた側にはそうする理由はあるけれど、集められた側にはどうでもいいことだったりも温度差から物語が始まります。

父が酒に溺れた挙げ句に母を殺したのだということになっていたけれど、当の子供たちは父親に殴られた記憶はなくて、むしろ母親が子供に対して虐待していたのが日常ということ。もちろんその状況を知る他の大人はいなくて、子供たちそれぞれの記憶を手繰り、記憶と気持ちが揺れ動きます。子供の育つ状況を過酷にしたのはもちろん父親なのだけれど、子供たちを守ったのは実は父親なのかもしれないのだ、ということは長男が覚えている、父親の「(この虐待の状況を)なんとかするから」の言葉であり、それゆえに長男だけは父親を裏切れないというきもち。

並行して描かれる子供たちの現在。書店を建て直したものの先行きは暗く、子供もできず、それを義兄に詰られる長男、「普通の」家庭を築けていて現在を守りたい次男、独身無職でこの兄弟に縋り一発逆転を狙いたい三男、妻にコントロールされがちだけど兄弟たちへの郷愁もある四男、実は母親が異なる末娘。バラエティに過ぎるだろという箱庭感はあるけれど、ぎゅっと詰め込まれた濃縮の凄み。「血は汚れているか」というおどろおどろしいタイトル、作家がよく描く印象があるいろんな意味で怪奇と狂気にあふれる血縁の呪いみたいなものよりはずっと日常の延長線にありうる家族のドラマの体裁で、しかしそれでも、しっかりと「血縁」をめぐる物語なのです。

物語の主軸とは明確に異質であり続けるのが、この書店を継がず、女にも逃げられた穀潰し、といわれる長男の妻の兄。書店を立て直すこともせず威張り散らすヒールで、見続けてしまう怖さ、演じた谷仲恵輔の暴力的な凄み。無職の三男を演じた今井勝法の人なつっこさかと思えば金が掛かり自分の利益にはならないと判ると否や冷たくなる利己な表裏のコントラスト。関わりたくない次男を演じた杉木隆幸のブレなさのなかに一瞬心動くさざ波の細やかさ。

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2024.11.16

【芝居】「精霊の贈りもの」羽布企画

2024.10.13 15:00 [CoRich]

まつもと演劇祭、唯一のオープンスペースでの上演。ギターソロ、パーカッション、詩の朗読に交えて、主にフランスでじゃがいもの普及に貢献したパルマンティエを巡る物語を交えて。枡形広場での公演に加えて、演劇祭エリアの練り歩きも交えて。

すべてが組み合わさって一つの舞台を作り上げるというよりは短いスパンでいくつかの出し物をみせるというスタイル。天気もほどよく暖かく、すぐとなりにはビールスタンドもあったりとなかなかなまったり空間。 芝居はおそらく、フランスにおけるじゃがいもの普及に尽力した人物の寸劇をいくつかの場に分けて語られます。なかなか興味深い話だけれど、それをためになる勉強みたいな感じにしないで、ぼんやりぼかしている感じが面白い。

かつては鶴林堂という書店ビルがあって、営業をやめたあとも演劇イベントで使われたりもしていましたが、現在はフリマなどのイベントに使われることの多い神社横の広場での上演。 なにより、練り歩きにオープンスペースの無料公演という体裁はどうしても劇場に閉じてしまいがちな演劇祭において「まつり」として人々の目に留まるというだけでも意味があって。「空中キャバレー」における大道芸、「まつもと歌舞伎」におけるお練り、といったこのコンパクトな市街地だからできることの一つ。もちろん規模はこれらに比べると小さなものだけれど、まつりであることは大切だなと思ったり。

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【芝居】「PARTY TIME『骨はダラスに埋めてくれ』」かんたくん

2024.10.13 13:00 [CoRich]

今年旗揚げで、本公演前にまつもと演劇祭に登場。2005年に大学生だった中屋敷法仁らによって初演されたものを2023年にPARTY TIMEと銘打った改訂版を上演。ワタシはどちらも未見ですが、改訂版を上演。10月13日まで上土ふれあいホール。

暗殺から60年、いまも唯一生きているキャロライン。召喚されるケネディ大統領の家族と友人。あたかもパーティ。暗殺事件の謎、家族の秘密いろいろとりまぜて。

暗殺の犯人は誰だの陰謀論、癇癪持ちでロボトミー手術を受けさせられたローズマリー、成金ファーストレディと揶揄される妻ジャッキー、古き良きアメリカの家族を守りたいローズ、家族には必ずしも歓迎されていないマリリン・モンローなど、JFKの家族をめぐる因縁の物語を文字通り(早口も含めて)スピーディーに。

中屋敷法仁主宰の柿喰う客という劇団、少なくとも過去おいて特徴づけていたのは大量のセリフをまくし立てるように積み重ねて、軽快な語り口でわりとエグいことを語るという物語のスタイル。初演再演とも柿喰う客という劇団の公演とは位置づけられていなくて、必ずしも劇団員のカラーというわけではないのだけれど、全く関係のないこの劇団が上演しても、「柿の役者」がそれぞれの役に透けて見える感じなのはちょっと不思議な感覚。初見の劇団ですが、きちんと「柿」の疾走感そのままにつくりあげているのは大したもの。

まことしやかに語られる陰謀論、あるいは古き良きアメリカの家族のありかたの暗部、後ろめたさゆえのスペシャルオリンピック創始といった、良くも悪くもちょっと興味を掻き立てられるさまざま。興味本位が過ぎる下世話な物語だけれど、もう半世紀以上前のことで登場人物の殆どがもうこの世にはおらず(今作でも、「召喚」してるわけで)、歴史上の人物になっているという距離感と、ポップな語り口が絶妙に「作り物」感をまとっていて楽しんで観てしまうワタシもまあ下世話な人間、ということなのですが。

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2024.11.11

【芝居】「オーロラのコメッツとアトミックハーツ」沸騰100g

2024.10.13 11:30 [CoRich]

長野県茅野市の社会人劇団。35年目にしてまつもと演劇祭に初参加。10月13日まで上土シネマ。

西部の酒場、賞金首を追う男が訪れる。常連客と決闘し勝つが、さらに女の賞金稼ぎが現れる。決闘をするが、銃で撃っても当たらない。時空をゆがめて弾道を散らす特殊能力を持っているのだ。
最終兵器、「眠り姫」の発射施設、隕石の飛来を誤検知して自動応答システムより発射命令が下されるが、係員は発射キーを回すことを躊躇するが、もう一人は命令遂行し、多くの「彗星」が発射される。
地球を救うための戦いが静かに始まっている。

大まかにいえば、最終兵器が発射され滅んだ世界線と、それを阻止するために時空を歪める能力を持つストリートハンターを集めるための西部の酒場での決闘を織り交ぜながら、小ネタ満載のあくまでコメディとして成立させるのです。旗揚げ35年で、初期メンバーがどれだけ残っているのかは判らないけれど、きっとワタシのような50歳台後半ぐらいの人々はだれもが少しは聞きかじってきたSF風味が満載で実に楽しいのです。劇団の過去公演情報を見ると鴻上尚史から野田秀樹、オリジナルと思わしきものまで多彩で、これを35年「社会人劇団」として続けてきた厚みがあるのに、こんなに軽快で洒落ているのに泥臭さもあるコメディをちゃんともってくるところ、凄いことだと思うのです。

いろいろ小ネタを織り交ぜるのも楽しく、哲学としてよく引き合いに出される「トロッコ問題」とか、シュレーディンガーの猫、はては料理の蘊蓄では「ちらし寿司は祈りの料理だ」というパワーワードや、西部だからチリコンカン→刑事コロンボの豆知識、オーロラソースなるものの偏愛を語るのはコメディとしての楽しさを補強します。さまざまな物語を重ねた上で、最後に時間軸的には一番過去にあたる、最初の二人の出会いで終幕というのも、ベタだけれど、綺麗で巧いのです。

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【芝居】「蛍の棲む水2024」経帷子

2024.10.13 10:00 [CoRich]

2015年の初演を改訂再演。上土劇場。

娘が行方不明になってから20年探し続ける初老の夫婦。記憶を無くしたホステスのリリーは水筒を傍らに携えている。北で待つ娘の隣にはマッチ工場があり、その家事で娘は亡くなってしまう。謎の男と人形をきっかけに、水筒の水から、娘が現れる。

北朝鮮拉致家族を下敷きに、もう出会えなくなってしまった親娘が悲しく、しかし再開するという物語。初演では信濃ギャラリーだった会場が本格的な照明を仕込める上土劇場にパワーアップしたこともあり、実に空間が美しいのが印象的。広い劇場でもきちんと空間を埋められる確かな力。現実にリンクした物語ですが、十年弱を経てもなお、その枠組みは少しも変わっていないことにすこしばかり絶望するワタシです。

燃えてしまった人形が謎の男とともに旅をしている、というのは初演にあったかなぁ。記憶があいまいなワタシです。作家自身が演じてることもあり語り部のような立ち位置なのですが、この二人の旅の物語のスピンアウトも面白そうだなとおもったりもします。

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2024.11.09

【芝居】「ノーと言えない」超時空劇団 異次元中毒

2024.10.12 20:30 [CoRich]

宮崎の劇団・異次元中毒、初見です。3人の男たちの45分。13日まで信濃ギャラリー。

牧場の休憩所。作業服の男たちが戻ってくる。しかし落ち着かず、息子の三者面談とか、読んでいるSFの話とか、過去の農業大学校での経験など世間話をして時間を潰している。 が、決められた時間は迫っている。気が進まないが、これは決められたこと。ノーとは言えない。

この場所で、帰るわけにもいかず、しかし進んで作業をしたくもなくて、時間を潰す男たち。 息子の三者面談の話は、無駄とも思えるほどクオリティーの高いミュージカル風の歌声とダンス。「敷板が高い」の誤用をめぐる蘊蓄だったり、 分厚いハードめなSF小説を指して、「薄い本」は読まなないのかといわれてドギマギしたり、(薄い本=いわゆる二次創作同人誌) 実習で馬が逃げた話など、脈略なく語られる、しかし一つ一つはやけに面白かったりする前半。

時折挟まる不穏な秒針の音はあるけれど、もうすぐ夏のはずなのに「外は真っ白」になっているということで、不穏さは決定的に。 終演後挨拶によれば、2010年の宮崎県での口蹄疫をめぐる牛や豚の殺処分がモデルなのだといいます。 ワクチンも打っていて、症状は出ていないのに全数殺処分にしなければならないこと、家畜なのだから結局は殺すにしても、人間なら殺処分にはしないのにという人間のエゴなど。 畜産の作業者だからこその気持ちの持ちよう。役所からの指示、それにノーと言えないこと。「殺した意味は、ソトのやつが決めてくれる」の一言が重いのです。

ごく短いものがたりなのに、軽い語り口の前半、男たちの大真面目な馬鹿騒ぎから、命をめぐる実にシリアスな物語に、シンプルに一直線に語る真摯さがとても印象的なのです。

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【芝居】「座敷オトコ」蒼天の猫標識

2024.10.12 18:30 [CoRich]

名古屋の劇団・蒼天の猫標識、まつもと演劇祭参加の60分。10月13日まで下馬出しホール。

次男が久しぶりに戻った実家にはその姉妹が住んでいる。姉と口論になって出た実家。 母を亡くし、兄弟の面倒をみていた長男も交通事故で亡くなったあと、進学させるために家を支えようとする想いがすれ違い、口論ですれ違ったりしていた。段ラック 姉が稼ぎ支え、妹が学生で二人暮らしの実家に、家を出ていた次男が戻るが仲違い、殺伐とした関係というところから物語を始めます。 場が進むにつれて、時間を遡り、誰が支えるかの口論、長男の死亡、母の死亡、けっして裕福ではないけれど手に入れたギターをつまびく長男といった具合に かつて思い合って笑い合っていた時間から、残酷な試練を経てすれ違ってしまった兄弟たちの想いを答え合わせのように紡ぐ物語は、60分と決して長くはないけれど、 きちんと物語を織り、積み重ねていくのです。

ずっと鳴っているギターを弾いている男は、この場所を見守っているけれど、ここには居ない「座敷オトコ」なのだということは徐々に語られ、それはこの家を支えていた長男であり、過去の幸せな時間の象徴として、長兄が不器用にキラキラ星を弾いていた、という最も過去の場面につながるのです。

終盤、過去に遡って語られた物語は、一転、最初の場面より未来、姉妹もこの家を出るために荷物を運び出し、取り壊そう、という場面に繋がります。 それぞれの子供たちが実家を出てそれぞれの人生を暮らし始める、という未来に開いた終幕は陰鬱としていたこの狭い空間に開いた扉なのです。

去年の演劇祭から会場になっている「下馬出しホール」は、 元は琴などの和楽器を扱う店が移転した後の小さなイベントスペース。 客席としている大きな土間と舞台にしている小上がり、実は奥にキッチンと上手側に階段があるという構造で、 今作は土間以外の部分を実家の二間に見立てていて、終幕、土間部分に置かれていた家具を片付ける過程は、野外劇の終幕のように綺麗で美しい。

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2024.11.02

【芝居】「百万年ピクニック」月灯り

2024.10.12 17:00 [CoRich]

まつもと演劇祭の一本、キャラメルボックスの初期作品(未見)を高校演劇向けに60分バージョンとして書き換えて公開されているものの上演。10月13日まで上土ふれあいホール。

紙芝居屋が街角で紙芝居を始める。観客は、西風という名の少年一人。紙芝居のタイトルは「百万年ピクニック」。物語は、まりなという名の少女が青猫天文台を訪れてミナミという名の作家を探して十年も旅してきたのだという。天文台職員がみなみを呼ぶ。が、みなみは小説など書いたことはないと言う。

ワタシがキャラメルボックスを観始めたのは、シアターアプルで上演された10周年記念の「スケッチブックボイジャー」と「ヒトミ」だと思うのだけど、それよりだいぶ前の作品で、おそらく初演は120分ぐらいだったのだろうと思います。SF好きの若い作家が若い頃に書いた物語、もとの火星年代記は読んでなくて、それとつながりがあるかは判らないのだけれど。wikipedia では、同名のタイトルを持つ終章は2026年と気付いて、あらら、その年はもう再来年。

紙芝居屋が一人で芝居を組み立てるというノスタルジーを入口の序盤、大人たちが子供を大騒ぎに演じてコミカルに。その紙芝居の中の物語という体裁で少女が好きな物語(それは紙芝居屋と少年の話という入れ子になってるのが後から明かされる)の作家を探してたどり着いたけどそこの同じ姓の職員は別人で、そこに少女を探す人々が集まってきて(ここも入れ子)、自分が魔法使いなので作家を探せるのだと冒険の旅に、 少年と少女が交錯するという具合にだいぶ入れ子を作りまくり、望遠鏡を覗いていれば、向こうもこっちを覗いているみたいな構造が多すぎて、理解しづらいと思うのは、年老いワタシが、作家が若い頃に書いたものを観たから、ということなのかもしれません。

長野県佐久市のダンスクラブが母体という劇団。ダンスで見せるシーンがそう多い訳ではない今作をおそらくはわざわざ選んだのがちょっと凄い。 初演から40年弱が経っているこの芝居を恐らく生まれてない役者たち、旗揚げしてまだ半年も経たないうちにこのクオリティ。色んな芝居のバリエーションで観たい気はするのです。(そういう意味でも演劇祭で多彩な劇団が集う意味は確かにあるのだとワタシは思うのです)

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