2012.05.23

速報→「EXPO」乞局

2012.5.21 19:30 [CoRich]

奇譚集という名の短編集。今作は奇譚というよりは、この劇団には珍しく、アタシの友人の云う「メジャー(表舞台の市井の姿)を描く」90分で、企画公演という趣、これもまたうれしい。いくつかの回に短編の再演が設定されています。23日まで神保町スタジオイワト(神楽坂のiwatoとは別の劇場です)

私の生まれる前の大阪万博のこと、想像して、浮き立つような気持ち。あのときの日本の姿「'70」
海洋博に行きたい妻、食事の時の会話にうんざりとしている夫がつっかかる。沖縄に行きたいのだという妻に勝手にすればいいと言い放つ夫だが、突然チャイムが鳴り、夫の知らない男が入ってくる「'75」
マスコットキャラクターに応募しようとする中学生、同級生の美術部の男が家に訪れる。なんか気になってしょうがない。高校生の兄貴はやけに色っぽい女を連れ込んでいて。「'85」
あちこちに立体映像、東芝と埼玉銀行と東京電力。女連れの男、金ならいくらでもある、コンパニオンたちの頬を札束でひっぱたくようにして 「'88」
お台場の夢のあと。その土地にやってきたヲタクの男たち、そこにも新しい恋があったりするがバカにされたりもして「'96」

「70」は大阪万博の話だけれど、それよりずっと若い一人の女の一人語り、私の知らない高揚する時代の感じ、がんばればがんばるほど、実際のところ空回りにも見えて、あの時代が本当に遠くに行ってしまったのだということを実感させます。アタシだって生まれてことすれ、3歳とかそんなものだから大差がなく、今から見た、あの時代ということの落差という見方をしてしまいます。このあとずっと舞台の中央におかれるレゴで作られた(昭和60年代生まれとしてはダイヤブロックを推したいところですが、こちらが正解でしょう)

「75」(と聞くとGメン、と前につけたくなる)は夫婦の会話、時代の何かというよりは、わりと普遍的な夫婦の姿。途中で現れる謎の男が本当に不気味に描かれているけれど、このラインの中ではびっくりするほど安心のオチ。そのあとの夫婦の姿がむしろ怖いんじゃないか、と思ってみると、まさかの大団円みたいになる、というのはむしろ企画公演っぽくて楽しい。

「80」はマスコットキャラクターに応募する中学生、これも時代(途中で登場する大人の女のこの頃っぽさはすごい)よりは、中学生、性への目覚め、愛情というよりも、性欲よりももっと浅い、御しがたい衝動の頃を描く感じ。そのワンアイディアを無理矢理ではありながら、キャラクターの話に押さえ込む感じが可笑しい。
アタシは高校生の頃でしたから、なんかグループデートっぽい感じで行ったよなぁというのが、遠い日の花火で甘酸っぱくかってに自分の思い出に重なったり。まあ、実はよく覚えてないんですが。

「88」はバブルな時代の背景、うなるほどの金、大企業や銀行、電力会社といったものが圧倒的であって、日本が世界一の経済大国だったころのこと。アタシにとってはこのあたりがもっとも実感はある感じ(恩恵は残渣だけを少しばかり受けてはいますが)。銀行は潰れないし、電気はいつまででも安定して供給されるという罵り合いは、今のアタシたちから見ればもちろん後出しじゃんけんですからフェアではないけれど、いつまでも続くと思っていたものがそうではなくなるのだということをアタシたちは知っているのだということは「人類の進歩と調和」(いいコピーだなぁ)なのだな。と思ったりします。

「96」は都市博の中止をバブルの崩壊に重ね合わせ、戦争ならぬ万博を知らない子供たちの時代。その焼け跡のようなお台場の荒野に芽吹いたヲタ文化、そのコミュニケーションのぎこちなさを笑うけれど、確かにそれもまた芽吹き。そこには恋心や出会いもあるし、その時代を写すような感覚がぎゅっと詰まっていて濃密なのです。絵に描いたヲタク男三人の造形から所作、発声に至るまで強烈なデフォルメだけれどその境界線上をうろついたアタシにはこれもまた切なく。 墨井鯨子は、一人芝居のぎこちない空回り感、96でのオドオドしたコスプレイヤーの猫背な感じが絶妙に楽しい。田中のり子はまさかの中学生、無邪気で少し大人っぽくて、でも性のことそんなに知らないって雰囲気がちょっといい。中島佳子をバブル期な女という役割というのは、少年役ばかりだったかつてを思えば信じられない気もしますが、醸し出すあのころな感じが実に出ていてちょっとすごい。 さいたま博でのコンパニオン、残った二人を演じた岩本えり・田中のり子の罵り合いが圧巻。もちろん、台詞が「後出しじゃんけん」ゆえということはもちろんあるのだけれど、役者のちからが圧巻です。

終演後、いくつかの回に設定された短編再演企画、アタシの見た月曜夜は19:30開演と組み合わされた唯一の回だったこともあって超満員で「」。毎度のことながら観たのにすっかり記憶から抜け落ちてるアタシです。これもまた迫力があるけれど、この、わりとメジャーな現代日本の流れを描く本編に組み合わせるのはどちらにとっても少々もったいない気もします。

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速報→「容疑者χの献身」キャラメルボックス

2012.5.20 14:00 [CoRich]

キャラメルボックス、2009年初演作の再演。主役の★が替わったことで今までとは別の人物造形が楽しい135分。6月3日までまでサンシャイン劇場。そのあと大阪を経て、もういちど東京(シアター1010)公演あり。 初演時にもあった、劇中のインスタントコーヒーが終演後に(有料ながら)飲めるというあたりも(ホスピタリティとして)楽しい。

毎度のことながら、見た芝居をblogにあげたら綺麗さっぱり忘れてしまうアタシです。弁当屋、数学者の対峙、ふたりのギャップということぐらいは覚えていても、流れをすっかり忘れていました。

初演の時もだいぶ泣いた気がしますが、今作での近江谷太朗の造形は初演の西川浩幸とはずいぶん印象が違います。数学を信じて迷いがない、という雰囲気だった初演とは一新していて、むしろ衰えていく自分の現実の姿と、紙・鉛筆や頭の中で続けていけることのギャップを印象づけていきます。たとえば大学勤めとは違って、自分一人で(研究の)旅を続けなければいけない、市井の研究者の埋もれた日常。年老いていくこと、表舞台に出ないのだという決心。想いが美しい世界なのです。

アタシはもちろん自分ひとりで成し遂げられる力がもはやないことは自覚している(大学生の頃や新入社員のころのあの万能感は何だったのだろう)けれども、それができると信じる世界の眩しさの記憶はあるのです。それが薄れて日常に埋没しているところに全く別の(女性という)光が差し込む瞬間のきらめきの嬉しさ。

実際のところ、自分お想いには全く気づかない相手、気づかないふりかとおもうと、おそらくそうではないという説得力。が、自分の幸せを願ってくれたひとの想いに気付いた時、その想いに気付いてしまった男の決壊。

わりと淡々と、しかし緻密に追い込んでいく原作に対して、初演と同様、舞台ではもうすこし笑いの要素が混じります。130分ほどの舞台ですから、観客に対しての緩急というかリズムを作り出すというのは劇作というよりは演出の領分ですが、これが効を奏しています。この妙味のバランスこそがキャラメルボックスの見やすさで、真骨頂だと思うのです。

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速報→「どうしても地味」箱庭円舞曲

2012.5.19 19:30 [CoRich]

箱庭円舞曲の新作。27日まで駅前劇場。そのあと大阪。125分。

花火が名産だが過疎になった町、純国産を旗印に中国との国交断絶を商機に大幅に売り上げを伸ばした線香花火、その二年目。寺に隣接した集会所に「仲間」と呼ぶ寄り合いに集まる人々。花火職人は今年は別の何かを考えている、妻との距離。その妻の弟は東京から嫁を連れて戻ってきたが、奇行が近所の噂になっている。嫁は距離の縮め方がわからない。web担当の若者は夜ごと迫る妻から逃げることを考えてばかりいる。独身の運送担当は花火を続けて本気で考えている。寺には住職のほかに、居候の女が居る。ある日、その集会所に謎の女が訪れて。

箱庭円舞曲のラインナップは「仕事する男たち」ともいうシリーズと「家族の話」を主に据えたシリーズを交互に上演。今作は「家族」のシリーズです。

斜めにしつらえた集会所、六畳間。舞台の奥には玄関があって奥行きを感じさせるいい空間。六畳間には縁側と庭がついているけれど、客席上手側と下手側では、たとえば線香花火の場面でも縁側の外側から眺めるのと内側から(背中をみるように)眺めるという具合に印象が異なりそうです。引き戸・障子をうまくつかって間取りの割には玄関の見え方が場所によって大きく替わらないように工夫しているというのは、しっかりと空間が隅々まで演出が把握し作り込んでいるという印象を受けます。

タバコの違法化、中国との国交断絶という近未来っぽい舞台背景、当日パンフにあるように田舎の過疎地だとしても国が決めたことの影響とは無関係では居られないのです。

今作で物語の軸に据えられるのは、たとえば夫婦で居ること、小さなコミュニティの中で暮らしていくということ、あるいは夫婦の性も含めた生活のこと、その絶望的な溝や追すがろうという気持ち。兄弟の確執や心配する気持ち。

あるいはここで生計を立てるということのギャップ、それでも関係を切ることができないというコミュニティの狭さのさまざま。作家は何かを悟ったのではないかというぐらいに描かれることはほんとうに「地味」なのです。それはその土地のもつ味、しきたりのようなものということも含めた、土地のことを描くという意味にもつながります。

女三人の会話のシーンが好きだというのは、アタシの偏った好み。終盤にあるシーンは静かで他愛もない感じではあるけれど、何かを守るゆえの軋轢、バランス、という三人の会話ということのおもしろさが濃密なシーソーゲームのよう。

正直にいえば、「集会所」と「各家庭」といわれても、新興住宅地にあるような同じ間取りの家、という感じにみえてしまうというのはちょっともったいない感じ。もっとも、これだけ作り込んだセットゆえなわけで、この質感もまた捨てがたくて悩ましいところ。

迫る嫁を演じた神戸アキコはコミカルであんまりといえばあんまりな描かれ方だけれど、そうせずには居られないという気持ちはやがて切なさを感じます。 花火職人を演じた爺隠才蔵はニュートラルかと思わせつつも当日パンフにある「飽きる」ということについてブレずにしっかりと。妻を演じた木下祐子は時にヒール。時にピシャリと凛としてかっこいい。 菊池明明はすらりと美しく、なびいちゃう男の気持ちに説得力。住職を演じた小野哲史は静かで落ち着いていて印象に残りますが、そこかしこに出てくる飛んだ生臭坊主っぽさもまた「らしく」てちょっといいのです。笹野 鈴々音は正体不明な感じがちょっと妖しく、雰囲気を作ります

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速報→「ローザ」時間堂

2012.5.19 15:00 [CoRich]

時間堂の新作はローザ・ルクセンブルクを巡る4人芝居。90分。29日まで王子スタジオ1。7月下旬から静岡、仙台、福岡、大阪、津でのツアー公演を予定。

墓参りに訪れた人々、眠るのはドイツ革命の指導者、ローザ・ルクセンブルクだった。激動の時代、敵対したり盟友だったりという人々が墓前でローザの姿、あのときの自分との関係を思い起こす。

当日パンフの折り込みで、わりとライトな語り口で読みやすいローザを巡る言葉、時代背景を解説が一枚。お恥ずかしながら、ローザ・ルクセンブルクという人物が実在したことも、その時代背景もほとんど知らなかった(世界史と世界地理、ついでに云うと日本の地理も実は苦手です)アタシです。共産主義の革命家をめぐる人物、本人を登場させず、四人がかわるがわるローザ役を演じ、他の人との場面を作り出すことで人物が浮かび上がるのです。現実を背景にとりながらも、劇中では役者でない人々が芝居を演じるという枠組みは違和感が残ります。(ローザの急進的な考え方付いていけない、と思う人だったり、教え子でありながら弾圧する側に回ることになる人だったり。革命と理想と現実、あるいは恋人を巡るさまざまが演じられます。)

ヒザイミズキは長いこと拝見してますが、実力がきっちり現出。直江里美は表情の可愛らしさが印象的。窪田優は現段階では未知数な気がしますが、(こいけけいこ、という前例がありますから)伸び伸びとした雰囲気に期待。黒一点の菅野貴夫が座組にいることで、舞台が締まる印象があります。

正直に云うと、現代の日本でこの題材を、こういう形式で上演することの意味はいまひとつ腑に落ちない感はあります。ドイツ革命という時代は背景なのだ、と考え、魅力的なローザという人物を「間接的」に浮かび上がらせるということが表現として、作演が考える上演の目的なのだ、と考えるとこういうスタイルを取ることの意図はなんとなく理解できる気もします。

小劇場の芝居を全国ツアーに持って行くために、ほぼ素舞台で上演できる4人芝居という作り方はちょっと面白い気がします。たぶんクルマでの移動でしょうから、運転できる人が何人居るかということはちょっと気になりますが、なにとぞご無事で。

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2012.05.15

速報→「恋に生きる人」月刊『根本宗子』

2012.5.13 19:00 [CoRich]

本公演を拝見するのは実は初めてです。16日までゴールデン街劇場。80分は気楽に笑えて、しかも面倒くささも満載な会話が楽しいラブコメ。たった5人、(客が入らないといわれる)日曜の夜だというのにきっちり満員。大したものです。

バイト先の調子のいい先輩に口説かれてつき合うことにした女。なんか腑に落ちないことがたくさんあるけれど、それでも彼のことがものすごく好きになっていて。喧嘩別れした女友達とも仲直りすることにしたけれど、彼が帰ってきたら急に帰ってしまう。部屋にはなぜかほかに住んでる人がいて。

なんかもの凄く狭い世界の人々の会話。それを散らすようにさまざまなスパイスをまぶしつつ、情報を小出しにして、最初は漠然としていたパズルが組み上がっていくような楽しさがあります。バイト先の先輩、つきあう女、謎の男、喧嘩別れした親友、怪しい女が徐々に登場し、そことそこが繋がるか、ということが次々と出てきたりするのは確かによくできすぎているといえばそうなんだけど、それも突き詰めていったのはたいしたもの。

物語は物語として、登場する人物たちだって、デフォルメがすごくて、キャラがものすごくたっているのが、気楽に観られて楽しい感じ。恋愛に関するさまざま、完全に依存症の人だったり、ふらふらと誘われればつきあっちゃう人だったり、浮気癖、元カレとか元カノとか、女友達の友情ってものの儚さと勘違いと、ごった煮にで、ものすごく濃ゆいのです。

この魅力的(知り合いにはなりたくない感もあるけど)それぞれの人物に対して非対称に情報があるということを効果的に使います。写真を見ている女が部屋に居た初対面の女に出会い頭の表情、親友なのに隠していることがあるなんてのがそこかしこに効果的です。

気にしないというかオープンすぎる男を演じた西山宏幸、いいひとだから人が寄ってくるのに彼女に対してそうでもなかったりというのがリアルな感じ(いや、そんな嬉しいシチュエーションなんて経験ありませんが(泣))若い男を演じた宮下雄也、かき回すのをしっかりと。

恋人になった女を演じた大竹沙絵子が本当に可愛らしいのはトープレの公演イベント(をUSTREAMで観たのですが)以来な感じ。ビックリするぐらいに、表情も声もダイナミックレンジが幅広くて楽しい。色っぽい女を演じた梨木智香は見た目にきっちり説得力、捻挫した女を演じた新谷真弓は、この広さの劇場に出る役者としては破格に格が違います。色っぽさ、ふてぶてしさ、可愛らしさのふれ幅も圧倒的です。この三人の女優が会話する三つ目のシーン、パワーゲームというかシーソーゲームな感じで楽しい。全体の枠組みがわかってからという構成も巧いのです。

後半のブートキャンプっぽいあたりはもはやコメディというかコントという体裁もまた楽しくて、しかもなんか恋に生きている人々という説得力。

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2012.05.14

速報→「insalata matta」

2012.5.12 19:00 [CoRich]

土谷朋子・徳元直子・中野架奈の女優三人で立ち上げたユニット、tarassaco(タラッサーコ)の旗揚げ公演。13日まで新生館シアター。75分。

大木の地下で同居している女四人。妻だった女と、愛人だったらしい女たち。一年前にここに集まった女たちはその男が死んでいて、その犯人がここに来ると聞いてきて「うめる」(作・澤唯(サマカト))
子供たちが遊んでいる。じゃんけん列車、は衝突してじゃんけんして負けたら後につく。でも、一人で遊んでいる女の子はルールも名前も知ってるのに、それに正面から向き合わない。ほかの友達は「種類が違うのでつきあうのやめよう」という。予言めいた彼女に興味があって。年齢が進んでも、彼女は一人で、私もなぜかずっと一人で。「ガリバー」(作・ヤベメグミ(ex. カブ))

「うめる」は、現在と一年前の話を織り交ぜながらこの四人が暮らすに至った経緯と、いま新たに起きた「事件」を対比しながらみせていきます。緊張感とも違うし、クラフトっぽいというか生成りというかな不思議な同居生活の今と、一年前のなんかちょっとすごい「OUT」のような事件との落差こそが楽しいのだけれど、正直に云えばもうすこし落差、特に一年前、初対面ゆえの緊迫感がもうすこし欲しいところ。でないと1年前と現在の時間の差が感じづらいかんじがします。

終演直後はなんか難解だったりチェーホフか、と思ってしまったのはなぜだろうとも思うのです。作家がこういう話を書くのはちょっと意外な感じはありますが、女性ばかりの芝居、という制約ゆえという気がしないでもありません。

妻を演じた徳本直子のゆるい感じ、夫が殺されても憎くないのだ、というのはなんかロハスに見えてしまうのだけれど説得力があります。田辺麻美を芝居で拝見するのは実に久しぶりなのだけれど、可愛らしく、勝ち気な感じがそのままで嬉しい。

それにしても一年前は人間を埋めたのに、現在は地面に落ちていた(というか埋めてあった)巨大な魚をということがオチというか、え、これは不条理劇かと思って、腑に落ちるのにしばらくかかるのです。ずっと続けてきた思い出を語る女たちというのはちょっと怖いようでも。

「ガリバー」は、作家がもと主宰していた劇団・カブな風味、つまり童話の中の真実のような味わいが久々に。子供の頃はすべてメスなのに、ペアになれれば片方がオス(ヒゲが生えるらしい)になるという世界の設定(そういう生物が居た気もするけれど)、それがものを考え、先を見通す誰かとの会話ができて、それゆえにペアになれないことが実に。誰かのママでないおばさん、という言葉の無邪気な残酷さ。誰かにハグすることの久しぶりの嬉しさ、でも、アタシはひとりきりでということがむしろアタシの気持ちに近いのです。居場所のない私は戦士になることを選ぶことしかない、というのも近いのです。一人で生き続けている人は未来がないという母親の言葉が、身に沁みるのです。そのあとに再びの予言が、ちょっと怖くてちょっと悲しくて、もしかしたらアタシがそうなりそうな。

冴えた台詞がいくつも。序盤の「不満をお団子にして、親切の振りをして出す」とか「なりたくない大人が居ることの絶望」なんて言葉の切っ先の鋭さが印象に残ります。

「種類の違う」オラクルを演じた土谷朋子、不思議でもあって一人で居ても意に介さないという、私たちとは違うものゆえの神々しさすら、その説得力が。ペアになりたいのに恐らくなれなかったラリーを演じた古川直美も、望んではいない人生だけれど、きちんと向かい合うという力強さに説得力があります。それにしてもエルザを演じた中野架奈が可愛らしい。

当日パンフの演出は、この団体の成り立ちに対して少しばかり厳しい書き方をしているけれど、役者に対しても戯曲にたいしてもきちんと向き合っていることがよくわかります。なるほど、役者や作家たちとのつながりゆえの信頼感。正直に云ってわかりやすくはありませんし心底面白かったのかといわれると少々怪しいところではあるのですが、絵本と雑誌が組み合わさったような不思議な空間なのです。

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速報→「 ま ○ る 」miel(ミエル)

2012.5.12 15:00 [CoRich]

「ま○る」という三文字の平仮名をタイトルにして人気作家の短編を6本+ダンスという構成の85分。14日までザ☆キッチンNAKANO(Studio VAD 6F)

開演前に配られる当日パンフにはどの作家がどの話を書いたかということは書かれていません。どれがどの作家の話かを想像するのも楽しいので、ネタバレに本文を書くことにします。

私は最後の一本以外全部外れてしまいましたが(笑)。オープニングとエンディングをはじめ、何カ所かには○を題材にしたダンスや、パフォーマンスが挟まります。

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2012.05.07

速報→「八◯◯中心(ハチマルマルチュウシン)」studio salt

2012.5.5 19:00 [CoRich]

スタジオソルトの新作。前回に引き続き週末だけで4週間の公演。中華街の中、散歩がてらにも嬉しい感じの105分。27日まで八〇〇中心 (1, 2, facebook, )。完売の回もあるようです。開場時刻とされる20分前から芝居は少しずつはじまっています。アタシはどちらかというと奥の方の席が見やすかった気がします。

芸能事務所「ハチマルマル・エンタテインメント」の休憩室。あまり仕事がないような感じだけれど仲が良さそうな人々。7名が集められる。先代の社長が亡くなり引き継いだ息子。この事務所は人気のあった一人が移籍してしまい、収益が悪化している。彼らを神7(かみセブン)ならぬ「ゴミ7」な不良債権だといい、この人々をリストラしようかという勢い。そこに新社長が提示したのは、人気映画監督の新作映画のオーディションにこの事務所から「無名でポテンシャルもなさそうな役者」をたった一人、送り込めるという条件だった。

シニア部門だったり、若くはないモデルあがり、再現ドラマの女王、大道芸、一発だけの人気俳優、子役上がり、養成所から本科にあがれなかった新人。それぞれいちどは役者を志したにもかかわらず、それでは喰っていけていない人々。当日パンフのあいさつよろしく、もうだめだと思われた人々の頑張る姿を丁寧に描きます。成功しているとはいえない人々の腑に落ちる何かがソルトの持ち味だと思うのです。

タレント事務所の話ですから、会社員であるアタシの感覚に決して近いわけではありません。が、若い頃には仕事がうまくいっていたとか、子供の頃にうまくいっていたのを仕事にしたとか、年老いた母親のこととか、自分自身が若くなくなっていくことの恐怖、さいしょから躓いてしまった、もうこれはあきらめて別の収入の道(当日に挟み込まれたチラシはネタかとおもえばリアルなのだそうですが)を考えるなど、人気商売固有に見えて、なかなか普通の会社員にとっても引き寄せられるポイントがあります。それは、ほとんどの問題が「年齢を重ねていくこと、時間が過ぎていくこと」に恐怖する気持ちを物語の根幹に置いているからではないかと思うのです。作家も決して若くはなく、アタシの年齢に近いですから、男女の差はあれど、その感覚は腑に落ちる感じがします。

問題がないわけではありません。それぞれの人生を順番に一人語りするようなフォーマットなので、3人目ぐらいになるとこれが順番に7人続くのか、というように思ってしまうのはあんまり巧くない感じがします。それぞれが会話というよりは一人語りに近いので、どうしても全体に単調になってしまいがちです。背負うネタがアタシの腑に落ちない感じなものも混じるのは7人という人数が少し多いとも言えますが、老若男女とわずさまざまにフックするようなつくりにするために作家が必要と感じた人数、という気もします。

元モデルを演じる環ゆらの色っぽさに靡いてしまいそうなオヤジなアタシです。唯一それなりに稼いでいる女を演じた森由果は美しく、この二人、40歳とか38歳に見えないのが難点といえば難点(夜公演終演後に設定された劇場での呑み会(実費。誰でも参加可能)で聞いてみれば、それほど年齢が違うわけではないというのでまたびっくりしつつ。新社長を演じる東俊樹は、(書かれた)台詞があまりにきついけれど、それに負けない力強さは序盤からヒールを一身に背負う説得力があります。

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2012.05.05

速報→「翔べ!原子力ロボむつ」渡辺源四郎商店

2012.5.4 19:00 [CoRich]

青森の今と未来の話。豊かな想像力で描く今の私たちがこうしてしまったものの深刻さ。(40代の人々にはおなじみな)海外SF風味で描きつつ、笑いも多くてきっちりエンタメ。おすすめです。90分。6日昼まで、スズナリ。

コールドスリープから目覚めた男。チョウチョウと呼ばれている。青森のある町長に当選した男、核中間処理施設(というふれこみだった)を誘致した。男は百年先のこの町の行く末を目撃すると云ってコールドスリープをしたのだ。が、目覚めたのは千年後で。

トークショーによれば、東北というひとくくりにされつつも青森市内は被災してないという状況のなかで、作り出された物語だといいます。確かに津波や地震よりも、彼らにとっては30km圏内である六ヶ所村にガラス封入されたあれをどうするのだという話。もっとも語り口はもっと軽やかです。自ら「アトミック人情喜劇」と名乗り、ドタバタだったり家族が出てきたりと実に軽い。70年代風のかわいいロボット姉妹やら、青森がりんご王国(しかも人物の役名がリンゴの品種という小技)として独立していたりとさまざまに気楽に楽しめます。

時にコミカルに、時に哀しさをしっかりと描き、物語の中心に立ち続ける男を演じた山田百次が見事。吹っ飛ぶシーンの迫力はまるでワイヤーアクションのよう、とはいいすぎか。女を演じた工藤由佳子は伏し目がちに陰のある女を演じると実に濃厚な色気で目が離せません。ロボットを演じた三上晴佳・音喜多咲子のユニゾンが見事で、音の点での深み。ラッパ状に広がったスカートが回った時の慣性でねじれる感じも可愛らしい。物販でモノを買うと二人に見事なリエゾンで名前を読んで貰える、という遊び心も楽しい。兄弟を演じた工藤良平、山上由美子や技師や医師を演じた高坂明生や柿崎彩香のコミカルさも実に楽しいのです。

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速報→「THE BEE Japanese Version」NODA MAP

2012.5.3 19:00 [CoRich]

2007年日本初演の4人芝居 (1, 2) のキャストを一部入れ替えての再演。東京では20日まで水天宮ピット。このあと大阪、北九州、松本、静岡。80分。

筒井康隆らしい、日常からちょっと踏み出してしまった狂気の非日常とその際限ないエスカレート。物語の救いのなさは、やっぱりデート向きじゃない、というのは初演と同じ。 書かれた時代というのを良くも悪くも感じさせるというのも、初演のときの感想と変わりません。それは古くなったりつまらなくなった、というのではなくて、こんなにも現代の話なのに、書かれた時代背景というのは感じるし、それを敢えて今風のアレンジを加えないと云うことの意味は何だろう、ということをぐるぐると考えてしまうのです。

あくまで男視点、狂気が日常のルーチンになっていくこと、そこに女が従っていくということの。あるいは今の作家だっらやっぱり子供の指を折ったり切断したりということを書いたり、それをあんな日常の小道具一つで淡々とは描けないのではないかと思うのです。というよりは、今の作家がこれを書いたら、どうにもならないズレを感じて、アタシにはとても受け入れられないんじゃないかと思うのです。その距離感が残ることがこの描き方の意味かなと思ったりするのです。

席がよかったこともあって、宮沢りえの至近。とりたてて好きという役者ではないのだけれど、中盤で横たわる肢体から開いた胸元に至るまで、ずっと視界の隅にいれて追いかけてしまう感じ。本当に生々しく艶めかしく、「いきているもの」を感じさせます。物語の怖さは怖さで感じつつも、なんか気持ちの上では7割ぐらい彼女をずっとずっと観てたというのはオヤジだからですかそうですか。

もう一つ強い印象を残したのは、指を切り落とし、送りつけ、送りつけられてくるという日常のルーチンでの野田秀樹。表情と云うよりは、上まぶたが半分閉じかかったような、あるいは三白眼のような温度の低い眼球の怖さったらないのです。そのうち夢に出てきてうなされそうなほど、強烈な印象です。

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