2019.08.22

【芝居】「カミグセ短編集 vol.2」関係舎とカミグセ

2019.8.9 19:30 [CoRich]

短編二つで80分。11日までSTスポット。

死神が訪れるが、目当ての男は出かけていて恋人らしい女が具合悪いらしく伏せっている。薬を買いに出かけているというが、女は男が何をしているかは気付いている。「Re:タナトスのガールフレンド」
田舎の絵画教室、締めることになって息子が片付けをしている。昔からの生徒は母親になっていたり、高校生で通っていた女は上京し美大に通っている。甲斐甲斐しく手伝う女も生徒で恋仲になっているが、皆には伝えていない。片付けるうち、もうここには居ない一人のことを皆が思い出す「思い出にニスを塗れ」

「タナトス~」は以前の短編集(1) に含まれていた一本を改訂。死神を名乗る女が死期迫る男を迎えに来るが、恋人の女に出逢ってしまう話。以前とどう変わったか詳細には覚えてないけれど、浮気にギャンブル、ダメな男のことが客観的にはわかっているのに、好きだという女。友達も居らず、自分という存在に真剣に向き合ってくれる死神に心を許し、友達になる、この二人のバディ感がより強く打ち出されているように思います。対比して男の存在は希薄で、ドアのチェーンロックがかかって入れないまま玄関で四苦八苦している男を二人の女が眺めている、というラストシーンも、女二人が主軸、男が希薄という印象を強くします。たしかにこの方が今っぽいかも、という感じ。

「思い出~」は、自殺した女を巡る人々の物語。この教室の先生だった母親は登場せず、その息子は自殺した女と元は恋人。この自殺した女とそれぞれの人々の関係を描く序盤。それは母親となった古株の生徒の子供可愛さと育児の中で数少ない自由を求めるエゴを叱ることだったり、何もないこの土地を出て美大に進むことを後押ししてくれたことだったり、あるいは二人で出かけるほど仲が良かったのに今は先生の息子と恋仲になっていることだったり。

物語の核となるのは自殺した女、親友だった女、二人を巡る男の三人にはなっています。自殺の原因は明確には語られませんが、別れ話をして指輪を外して女が出て行くシーンだったり、女二人きりのドライブ旅行が描かれたりと、なんとなく略奪愛だか男の浮気だかといった三角関係がその原因になっているような感じではあります。恋に破れての自殺というのが、母親のエゴをたしなめたり、高校生を力強く後押ししたりと前半では自立して力強い女として描かれているのとギャップというかコントラストが強い人物を浮かび上がらせるのです。皆が思い出した一人の人物が徐々に造形されていくさまが今作の魅力なのです。

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2019.08.21

【芝居】「ファン」ゆうめい

2019.8.4. 18:30 [CoRich]

ビル一棟をまるまるシェアアトリエとしているビルの屋上で60分ほどの「自分語り」な芝居。4日まで、インストールの途中だビル・屋上。

僕の話をします。高校生のとき初恋の人に振られて石を渡しに行こうと思ったり、上京して演劇を始めて今の仲間と出会ったり、なかなかうまくいかない歯がゆさがあったり、男性アイドルのコンサートに一人で行ってもの凄く感激したり。

酷暑の中、昼公演を避けて夜公演に。団扇に帽子、凍らせたペットボトルや冷却剤など至れり尽くせり。かなり開けた視界で空も大きく見える中、ワタシの観た夜公演は時間とともに徐々にくれていく空を借景に。屋上に並べられた丸椅子を観客席にして、コントのようなシンプルな仕立てで、ナイーブな語り口で自分を語ります。

一時期のチェルフィッチュの風味を感じるワタシですが、意識的にそのスタイルというよりは、ゆるい自分語りのスタイルとして行き着いたという感じ。屋上と開けた視界という場所を生かしてテレビ番組「学校へ行こう」ので屋上で叫ぶを目にする序盤のように、観客がちょっとドキドキしたり笑ったりを物語に絡めるのがうまい。実際のこの場所で大声で台詞を叫ぶ、という現実の生活と物語の境界を曖昧にする感じが、イベント感になっていて楽しいのです。普通の街頭劇では街中の人々の反応をも物語の中に取り込むこことになりますが、高いビルの屋上では、町の雑音は聞こえていても叫んだ台詞に対する町の反応は観客から見えることはありません。そもそも聞こえているのかどうかもわからないけれど、こういうシチュエーションなのに反応を前提としない場所、というのは新鮮なのです。

ワタシの観た回ではやや大きな揺れが上演中に。芝居は一時中断し様子を見ながらの再開。ビルの屋上だから揺れが激しいのかそれともそもそも大きかったのかは今ひとつ判りませんが。結果無事だったので、これはこれで、特別な体験として記憶されるのです。

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2019.08.20

【芝居】「ダブルダブルチョコレートパイ(ビター)」肋骨蜜柑同好会

2019.8.3 19:30 [CoRich]

緩やかに繋がる男性だけ、女性だけの二つのバージョンを交互上演。ワタシは女性版だけ。90分。APOCシアター。

地球を失い宇宙船で人々が宇宙を彷徨っている。大富豪が持ってる宇宙船に運良く乗れた人々は食料どころか娯楽まで不安がない。離婚した夫婦が二つの棟を分け男女別々に暮らしており行き来はない。

危機的状況ではあるけれど、生命の危険も無くむしろヒマだけれど抜けられない日常を送る人々。男女が隔離された区画になっていて行き来ができないようになっているという状況で、恋愛とか性愛といった要素がそぎ落とされ、女だけのなかでカリスマ主婦や起業家のマウント合戦、母娘の確執だったり、すこし距離を置いている哲学者や占い師だったり、あるいは甲斐甲斐しく腰低く立ち回るマネージャーだったり。

一人事のような哲学のような考えがあちこちに顔を覗かせ、それはもう地球が崩壊してるのに地震保険を売ろうとしてることだったり、怒ってるか見た目で判断できない人は嫌いだとか、女だけなのにモテOLっぽい造形だったり、男装の麗人といった立ち振る舞いや、こまっしゃくれた幼さを残す哲学者だったり、なかなかに個性的です。

いっぽうで向こう側の男たち、たとえば元夫、上司、恋人などがどうしているか、と気になる気持ち。会えないから会いたい、手が届かない人に隣り合う嬉しさ。 全体では、科学者が実験していたネズミが菌を保有したまま逃げだし、男たちのいる区画へ入り込んで何かが起きている、ということが物語のヤマではあるけれど、それよりもそういうシチュエーションの人々のありよう、それぞれが何を考えるかということを描く、群像劇なのです。

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2019.08.14

【芝居】「ゆらぎ、碧い鳥、」チリアクターズ

2019.7.31 19:30 [CoRich]

神奈川県・小田原市を拠点に活動する劇団の公演。100分。4日までSTスポット。

恋人が出て行き、左手が石になっていく女。
大学の絵本サークルで物語を作るはずだった先輩が逃げ、代わりを務めた親友は才能が花開き、劇団を持ち小説も書いて活躍していているが、親友であることには変わりなく接してくれている。SNSで高校生の頃の恋人を見つけ、会おうと盛り上がるが相手が既婚と知り踏み出せない。出て行った恋人が戻ってきて一夜を伴にするがもう何も感じないし、親友の恋人と夜通し歩いたりもする。同じように手が石になる症状を持つという女からの誘いで会うことにするが、一方的に運命的だと共感を押しつけられるようでなじめない。

コミカルなシーンをまじえつつも、全体の語り口は静か。一つの役が複数の役者で演じられたり、同じ役者が複数の役を演じたりという遷移を継ぎ目なくごく自然に重ねます。さらに主役であるユカリという女の高校生の頃と現在の二つの時間軸が細かく入れ替わったりもするので、正直にいえば、特に序盤では見やすいとはいえないつくりではあります。が、ユカリにフォーカスする形で、複数の役者が重なり合うように一人の女性を紡ぎ出すのはホログラムのよう。なるほど、芝居を通して一人の女が浮かび上がる面白さ。

普通に生きてきたはずなのに、ある日突然自覚してしまう自分のこと。 たとえば電車の中で恋人に肩を貸していた女は幸せな筈なのにその目の奥に何もない、それは自分なのだという中身の無さに気付いてしまう恐怖。それまではおそらく不満を感じても封じ込めてきたこと、先輩や親友たちはあの頃から前に進んでいろんな経験をしていろんなものを手に入れているのに、自分は高校生の頃も今も変わらず、しかも、男や親友という存在があって初めて存在できているのだ、ということを初めて自覚することだったりするのです。 一人の女を描いているけれど、きっと誰もがそういう「ホログラム」の一部の何かを持っているのだ、ということに思い至ると、芝居全体が一人の女を描くことの意味なのだと、勝手に腑に落ちるワタシなのです。

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【芝居】「『仮面夫婦の鑑』『リボン・ルーム』」吉田見本市

2019.7.28 19:00 [CoRich]

俳優・吉田電話と女優・中野あきによる夫婦公演と銘打った二人芝居二本立て。7月29日まで新宿眼科画廊地下。65分。「仮面夫婦~」の方は金沢や上田劇作家大会での上演も予定されています。

夫の長期出張中に無断で美容整形した妻、腹を立てた夫は仕返しに自分の顔を不細工に整形して「仮面夫婦の鑑」(作・演出 横山拓也)(1)
首に包丁が刺さった男と、後頭部が砕けた女、死んでいる二人だが、生まれ直して元の世界に戻りたいか、このまま永遠の眠りに就くか「リボン・ルーム」(作 池田美樹 / 演出 國吉咲貴)

「仮面夫婦~」は前半はすれ違いながらも歩み寄ろうとして整形して行き過ぎちゃう二人、「賢者の贈り物」を二ひねりしたようなすれ違いの物語。違和感を解消しようとしたら違和感が増える二人、整形前の美しすぎない妻が好きだった、ということに拘るあまりイケメンの夫が不細工にする行動が斜め上すぎるコミカルさが原動力。話していることは互いのいいことの認め合いなのに。
後半は実際のところ整形の問題はそれほどには関係なくて、妻が家計を支えるためにしたヌードモデルにもやもやする無職となった夫、という構図。男が養うべきというマッチョイズムゆえの負い目と、ヌードモデルにもあんまり気にしていない妻のフラット、どこか家族のありかたのすれ違いのようでもあるのです。

オープニング、クラフト袋でいわゆるイケメン俳優とそうでもないタレントの写真をかぶって出てきて整形前、という感じなるほど。この作品、今までの上演はiaku本体もハイリンドでも「~鏡」だったけど、変わったのかしら。

「リボン~」は生まれ変わりの物語。人に生まれ変わるかさえわからないという設定でもなお、すぐに戻りたいか、あるいはもう戻りたくなくて永遠のねむりにつきたいか。まあただごとじゃない状態でいわば心の準備無しに死を迎えた二人だけれど、この後どうするかの平行線。じっさいのところ互いの意見を変えさせようとしてる、という感じでもないし対立するなら自分は自分で進んでしまえばよさそうなものなのだけど、なんとも離れがたい絶妙な感情の発露、みたいなものが漂う感じがまさに「夫婦公演」らしい。

いちどはつかみ取った次の人生だけど、破って二人で走り出すというのも清々しくてちょっといい。

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2019.08.13

【芝居】「空中キャバレー 2019」まつもと市民芸術館

2019.7.21 16:00 [CoRich]

二年に一回( 1, 2, 3, 4) 、松本でしか見られない祝祭に溢れた一本もいよいよ5回目。休憩20分を挟み180分。7月28日までまつもと市民芸術館 特設会場

開場後のマルシェでは大道芸やサーカス、やがたハメルンの笛吹きのように行列になって入場。いつものようにブランコ乗り・風に恋してハシゴを上がり空中を歩く兵士、それを見ながら空中を歩く許可証云々と揶揄するビスケット兄弟、火吹き男や吠えるライオン、人々の祭り。あるいは白いピエロたちは紙袋を片手にケロケロとうずくまり。やがて、ろうそくの火は空中を逆さに歩く女、ゴムチューブのブランコ、一本の高いしなる棒の上のフラフープや、綱渡りで行きつ戻りつな男女、「怪力男のオクタゴン」の歌。ゲスト・チャラン・ポ・ランタンのアコーディオンと歌で「空中キャバレーのテーマ」。バチカンアミーゴの物語はサボテンがジパングに行く話。スカート姿の大男のバランスボール、カラーコーンのジャグリング、自転車の曲芸など。

マルシェで行われる小さな劇場「シアターGURIGURI」は、仰向けになった男二人が鼻の下あたりに目玉をはりつけ、人形劇よろしくなパフォーマンスの爆笑編、たのしい。

しなる棒のパフォーマンス、高く渡されたワイヤーの綱渡り、自転車の曲乗りや空中ブランコなど圧巻のサーカスパフォーマンスは今年も健在。新たに加わった大男のバランスボールはごくシンプルだけどボールと一緒にバウンドしていくスピード感が楽しい。空中を逆さまに歩く女もちょっと凄い。

ブランコ乗りは少女というよりは大人の女という雰囲気に、全体をこの物語が包むという感じではなくなっていますが、ステージの序章でもあり、雰囲気の背骨であることにはかわりなく。

サボテンがジパングを目指す話は流れ流され、フラメンコ女や、手がかからないサボテン女を自嘲する女海賊に出逢ったりな冒険譚。落ち続けてきた男二人と後から現れたルンペン風の男が繰り広げるおかしな会話はかみ合うようでかみ合わず、それなのに何か楽しそうにきゃっきゃしてるかと思えばこの世には筋書きがあるのに書き換えられたとか哲学的だったりもして、スラップスティックな感じが、永遠に続くようで楽しい。

イベントとしての安定感はもう揺るぎないモノになっていると思います。全編を貫く祝祭感が徹底しています。とりわけ開場中休憩時間にマルシェで販売される酒・つまみが味も素っ気も無いビールと揚げ物、という感じから何歩も格段に進歩したのが嬉しい。同じ劇場内の食堂の提供なのだけど、その場で調理するおにぎりやラップサンドなど、ライブ感で提供するというひと手間は、そのパフォーマンスの世界のひとつに組み入れられて更に祝祭的になるのです。開場中に背負ってビール売ってくれるのも◎(酒のことばかり。すみません)

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2019.08.12

【芝居】「けむりの軍団」新感線

2019.7.20 18:00 [CoRich]

20分の休憩、180分。8月24日まで赤坂ACTシアター、そのあと博多、大阪。

賭場でテラ銭を盗んだ男が逃げ、賭場に連れてきた浪人はヤクザに子分を人質にとられ逃げた男を捕らえてくるように脅される。その国の大名へ政略結婚でなかば幽閉されていた正室だが、同盟を反故にされ家臣たちが姫を救い出す。
木賃宿で浪人は追っていた泥棒を見つけるがそこに居合わせた姫と家臣が大名の追手との悶着に巻き込まれ、機転を利かせて追手を追い払う。姫は城まで送り届けてほしいといい道中を一緒にする。
拡大を続ける大名に目をつけられている寺は政略結婚の姫をだしていた武家との中間にあり新たな疑いを恐れ姫をなきものにすることで戦を起こそうと画策する。

倉持裕脚本、いのうえひでのり演出のタッグマッチの新作。 仕官先を探している浪人の男と、軽口をたたくなよっとした男が出会い、その元軍師や元殿様という背景が徐々に浮かび上がる大人たち。あるいは政略結婚で幽閉されていた姫や救い出した家臣などの若者たち。偶然出会った大人と若者たちが、領地拡大やさまざまな思惑に混乱する中で生き抜いていく姿を描きます。

大小2つの国の争いとその狭間で揺れ動く僧兵たちという背景も生き抜いていくために全力で考え抜いていくこと。物語を通して浮かび上がるのは、「居もしない敵におびえ武力を使う」と「怯えない強さ」という現在の私たちにつながる物語でもあるのです。

古田新太演じる元軍師、池田成志演じる民思う名君という大人たちの力まないバディ感。清野菜名演じる姫、須賀健太演じる忠臣の若者たちの目一杯さ、あるいは国を支えつつ次の世代に託せない母親を演じた高田聖子、脇腹と言われ技はあるのに思うように生きられない早乙女太一など、登場人物たちの厚みがこの芝居の魅力で、39(サンキュー)興行らしく、劇団員たちがその多くを支えているというのもファン感謝な雰囲気なのです。

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2019.08.07

【芝居】「しゃべる機械と逃走犯の男/ピサロ改」サマカト

2019.7.19 20:00 [CoRich]

新作と再演を組み合わせて70分。21日までanima。

やってきた男、そこに居た女。「しゃべる機械と逃走犯の男」
死刑囚、友達ひとり選んで二人で話す時間、ジグゾーパズルとしりとりとか。「ピサロ改」

「しゃべる機械〜」は主をなくした家に居る女性型のロボット、そこにやってきた逃走犯の男のふたりきり。女は感情を理解しようと言葉を辞書的に網羅して概念をつかもうとしている。男はそこにやってきたいきさつをぽつりぽつりと話してみたりする。妻、娘と、殺してないが死んでいた母親を置いて逃げてきたことを振り返るうち、自分を見つめ直すよう。SFっぽいシチュエーションで少しばかり哲学的な会話のラリー、徐々に互いの背景が見えてくる台詞が見事なのです。 女性型のロボットを演じた後藤飛鳥も、やってきた男を演じた内山清人も その台詞をきちんと、という安定感。

再演の「ピサロ改」、すっかり忘れていた(今作に限らずたいてい観た芝居はそうなのだけど)けれど、初演 (1) を観ているワタシです。遊んでるものがジグソーパズルとしりとりに変わったりしているけれど、阿吽の呼吸で二人並んでなんとはなしの時間を過ごすけれど、べったりというわけでもない付かず離れずの距離感がとてもいい、劇団の二人、内山清人と澤唯だから(ワタシが)感じるバディ感とでもいうような雰囲気の楽しさなのです。

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2019.07.31

【芝居】「骨と十字架」新国立劇場

2019.7.15 13:00 [CoRich]

休憩15分を挟み全体で120分。28日まで新国立劇場小劇場。有料パンフの他、カウンターで配役だけを書いた無料の印刷物を配布というのは国立らしい心配り。(高額な公演で配役がパンフ買わないとわからないとか、ねぇ)

進化論を確信し、教えているイエズス会の牧師神父(ご指摘感謝)は問題になり、検邪聖省からの男から尋問されるが、それでも信仰と学問が両立すると信じている。北京への布教という名目で派遣され、調査の日々を過ごすうち、北京原人の頭蓋骨をチームで発見し、ミッシングリングを閉じ欧州に戻る。その発見は、信仰と学問のどちらが正しいかを追い詰めていくことになる。

史実の隙間を旺盛な想像力で埋めていく作家の最新作、新国立という大舞台にワクワクするワタシです。キリスト教の信徒がその教えと進化論という学問にどう折り合いをつけているのだろう、というワタシのわりと昔からの疑問、なるほど、折り合いをつける位置を調整したりはしつつも、その矛盾を内包し向き合っていたり、あるいはその事実を無いものとしていたりという人々のグラデーション。ワタシが疑問に感じていることなど、とっくに彼らは自分の中で真摯に長い時間向き合ってきたのだ、ということを思い知らされるのです。

正直にいえば、役者の交代もあり、プレビューよりもだいぶ短縮されているという話もあり、作家がもともと思い描いていた世界を100%描ききれているかというと、そうでもない気はします。とりわけ、欧州に戻り更に学問をその先にすすめる一歩を踏み出すところでおわる終幕はワタシはもう少しカタルシスでもその先の絶望でも観たかったという印象が残るのです。休憩が入る構成ということも後半への期待が高くなるせいもあるかもしれません。

とはいえ、信仰をどう見ているかを形容する言葉があふれる台詞の圧倒的な力とそれをきちんと描き出す役者の力で紡がれる世界の見え方に圧倒されるのです。たとえば、序盤では聖書は真実ではなく現実の例えなのでは、ということだったり、あるいは天上の神ではなく、水平線に向かって一方的に進化していく先に真実という神があり、神に人間が近づいていくことに対する恐れであったりと、本当の詳しいところは知らないけれど、この宗教を支える人々がどうやって現実の世界や科学と向き合ってきたのかという示唆に溢れていて、人々がまっすぐに世界について真摯に敬意を持って考え続けているという営みの尊さは同じでだということにやっと気づくアタシなのです。

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2019.07.29

【芝居】「サラバサヨナラヨカナーン」waqu:iraz

2019.7.13 18:30 [CoRich]

女性だけで演じられる、サロメをモチーフにして女であることを語る 90分。14日まで青少年センターHIKARI。横浜港の花火の時間帯、ちょっと音は聞こえましたが、終演のタイミングには間に合わず。

  • サロメ、若く美しく、父親にすら言い寄られ、それが嫌で預言者ヨカナーンに会い恋に落ち、しかし罵られフラれ、絶対にキスを奪うと誓い、父親が求める踊りと引き換えにヨカナーンの首を求め手に入れる。皿にのって出てきた首に口づけをする。「サロメって女って」
  • モテる女のさ・し・す・せ・そ「上手な女の作り方」
  • 女として存在したい女(関森絵美)と推してるアイドルと「女の幸せ、夢見る乙女」
  • 妊娠出産、職場の他の女たちの目線、ワンオペ育児に母乳絶対という無責任な他人「I am サロメ/専業主婦」(中谷弥生)
  • 「サンプリング case 12」
  • ひっつめ髪で白シャツ黒パンツスニーカーの女(植浦菜保子) vsインスタ映え第一なファッショナブルな女(竹内真里) 「女として優れているのは」
  • キャリア志向の女(宮﨑優里)、同期の男を超え、収入は夫よりも多く、男たちはプライドが傷つきやすい「I am サロメ / キャリア女子」
  • キャリアと子持ち専業主婦、二人の「女の人生すごろく」
  • かつては乱婚、一夫一妻は効率が悪いのにそうなったのは「Bar ボノボ / 酔いどれ女酒場」
  • 大学の准教授(土屋咲登子)、バツイチで男をつまみ食いする日々、なんでも手に入れたい「I am サロメ / 食卓」
  • 27歳平凡な女(中野志保実) 、上司が認めてくれて嬉しい vs 40歳(武井希未) 家族を知らない娘も母も経験していない興味のあることを手に入れる「I am サロメ / 居場所」
  • 編集者(小林真梨恵)、食事の席がつぎつぎ取られてしまう「椅子取りゲーム / 隣の芝生は青々あおい」
  • 幸せだが社会から必要とされていないかもと感じる専業主婦、子無しであることは不完全だと感じているが、時間は迫っている、とは限らない。モテていても特定の一人に求められたくもあって「Re: サンプリング case12/私たちは踊り踊る、7つぐらいのベールをまとって」
  • それぞれが欲しいものを手に入れたい、手に入れる「I need」
  • 短大生(松尾音音)と准教授、これからの未来、ここまでの過去。知って経験したから踏み出せなくなる、若い時の最強さ「私とワタシの会話」
  • 「curtain call / prologue」

嫌な目にも怖い目にも会いながら手に入れたいものを半ば意地になって手に入れようとした「サロメ」を女と物語に登場する食事、皿をモチーフに、19歳から40歳という設定の12人の女たちの、手にしたキャリアや生活と手に入れたいもののさまざまなせめぎあいのグラデーションを描きます。骨格となるのは「I am サロメ」と題された4本など、それぞれのキャラクタの背景を描く小品。それは見た目や結婚していないこと、子供がいないこと、男に勝っていること、奔放であることなど何かが欠けていると感じる女たちの姿。「ディバイジング」と呼ぶ長い集団創作の期間を経てつくられたものらしく、それはさまざまで実にステロタイプなものもあるし、今っぽいものもあるし、あるいは程度の差があってもみんなが持っているものだったりもして。

細かい物語をスムーズにつなぐ構成は美しく、ショーケースのようにさまざまな生き方と悩みが目の前を通り過ぎるのです。ときにコミカルで情けなかったり、ときに空回りしたり、あるいはやけにツンケンといけ好かない感じなどさまざまなテイストあれど、ダンスを交えていることもあって、その全てが眩しいぐらいに生き生きと繰り広げられるのです。現在の女性たちが感じるいろんな圧力へ耐えたり抗ったり打ち破ろうとする力の力強さゆえなのだけど、よく考えると、言っていること自体がそう斬新に新しいわけではなく、つまりは社会の変化があまりにも遅いという現実に愕然とするのです。

妊娠出産のタイムリミット感をジリジリと焦らせるリズムの緊迫感をまとう「〜7つぐらいのベールをまとって」はもちろん多くの芝居で描かれる感覚だけれど、その先、閉経に至っても女でありつづけそれは一生続くのだときちんと向き合って宣言まで言い切る力強さが実に格好いい。 「I need」は皿とライトで食事をモチーフにしたダンスというかインスタレーションというか。向き合う俳優たちが並び舞台を斜めに一列になるシーン、コの字型の客席の角にたまたま座ったワタシからはそれが一直線に見え、ライトが手前から消され、奥に残るというシーンが実に美しく強烈な印象なのです。あるいは皿と洋服で人形のような二人を演じる「女の人生すごろく」はステロタイプでコミカルで楽しい。

去年の二本立てのひとつ「Closet」(1)から地続きで女たちを描く今作、必ずしも対立の構造ではなくて、いろんな生き方をありのままに、という今作、現在の女性たちの感覚を瑞々しく切り取っていると感じるワタシです。

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