2018.09.21

【芝居】「きっぽ」ぱぷりか

2018.9.8 19:00 [CoRich]

三鷹市芸術文化センターがmitaka nextと題して若手を招聘する企画のひとつ。17日まで。

バツイチどうしで再婚した男女、それぞれに子供を連れて妻の家に住む。妻の側は息子が会社を辞めて無職のまま同居していて、娘と妻の姉も同居しているが、入院している母親の面倒を見ているのはほぼ妻ひとりで。夫の側は一人娘、近所にできた友達は妻の子供たちの幼なじみでもある。近所でゴミ集めのボランティアをしているおじさんとも仲がいい。妻の息子は夫の娘に恋心を抱いていていちゃついている。

東京で何かに破れておそらくは金銭的な意味で女の家に結婚という形で転がり込んだ男とその娘。カメラマンではあるけれどこちらでは仕事なく、そのくせ東京からというプライドゆえかこの土地を見下しているところはあって、カメラを担いで出勤し日雇いの日々なのに金も一銭も入れず、というのが全体の構図。

妻はこの家にずっと住み、一度は離婚を経験しながらも、子供たちや姉との同居に自分の新たな伴侶たちとの同居で自分が理想として描いていた朗らかな家族と暮らしがあって、しかし現実はそれとはほど遠く、肉親はともかく、幸せに欠かせない一つのピースであるはずの夫が、もっとも冷たいことでどれだけ妻が辛く感じるか。とりわけ、終盤母親が亡くなり姉が外食で焼肉に行こうといってるなかで夫がハンバーグを作れと要求する理不尽さはいかほどのものか、と思うのです。

妻が思い描く理想(空想)と、それとはほど遠い現実の境界線を曖昧にないまぜに描くスタイルです。現実の日常にあるわずかなきっかけで切り替わりながら、不満は蓄積していき。この息苦しさの行き着く先、どう収集をつけるかが結構難しいところだけれど、作家は(当日パンフに片鱗があるけれど)抱きしめるように物語を終幕します。つまり、同居する姉も自分の娘も日常として優しく朗らかというわけではないけれど、積み重ねていく不満や疲労をきちんと感じ取り妻を見守っているこの二人が居る、ということなのだと思うのです。

わりと広めに作った中心の舞台、ちゃぶ台が一つ、舞台の外側に、家の外を感じさせる領域。そこに住んでいる人、その少し外側の世界のふたつをするりと行き来し、ときになんの断りもなくふたつの領域をまたぐのも含め、思いのほか違和感がなくてミニマムな道具立てで舞台を広く使う面白さ。

夫を演じた瓜生和成は優しく見えて、終始フラットで居続けるのにヒールで居続ける力。妻を演じた川隅奈保子は脇にいながらきっちりと主役、確かな力。近所でゴミ拾いをするオッチャンを演じた安東信助は優しくぼんやりというイマドキの田舎の町の風景と思わせて、普通にまちなかにある恐怖という振り幅をきっちり。姉を演じた坊薗初菜のちょっと怖い雰囲気だけれど、全体を見渡している全能感がとてもいいのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.09.12

【芝居】「大脱走」おのまさしあたあ

2018.9.7 19;30 [CoRich]

3時間近くの名作映画「大脱走」(wikipedia)を独り芝居でぎゅっと圧縮した90分。ワタシは映画未見です。90分。9日まで絵空箱。

百均で買いそろえたという、ちりとりと突っ張り棒で自立させて似顔絵をつけて舞台上に立たせ、それぞれの横に近づいてその役を演じるというフォーマット、なるほど。舞台中央にはこれまた百均のワイヤーラックで二つの塔や塀をつくり、タミヤのドイツ兵やミニカーを並べてジオラマ的に収容所をつくり、サーチライトはLEDの懐中電灯。芝居の一つの方法である見立てを存分に生かした楽しさ。

初めて触れた物語の印象は前半はチームがさまざまな苦労の末成功する、という明るい物語。後半は「俺たちに明日はない」をちょっと思い出すような、無常観なのです。

映画のテレビ放送では前後編に別れて放送されたという長い物語は、前半は脱走を成功させるまで、後半は脱走したあとの物語。史実をベースにつくられたゆえにハッピーエンドではないけれど、時に重く、時に軽快に描きます。圧縮したとはいえ、若くない役者が全編90分を汗だくで息を切らしながら(とりわけバイクシーンは無茶がすぎる)一人で演じきることはちょっと見世物感もあって、それもまたコミカルな雰囲気でもあって観客としては気楽に楽しめる一本なのです。

物語としては全編を演じていますから、ネタバレではあるけれど、たとえば町山智浩のの映画紹介(TBSラジオの書き起こし)に近い感覚で、それでもちゃんと観たいと思うワタシです。あるいは身体での見立てという意味では劇団・惑星ピスタチオも思い出すワタシです。

来年は映画「ゴッドファーザー」を同じような一人芝居で上演予定、というのも楽しみ。今度はちゃんと元の映画観てから行くかなぁ。

続きを読む "【芝居】「大脱走」おのまさしあたあ"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「ペストと交霊術」Ne`yanka

2018.9.1 19:00 [CoRich]

3日まで、APOCシアター。105分。

交霊術を使う姉と同居する妹。ペストの流行に怯えていて神から長生きの呪術のために死体が必要だと告げられる。元妻の交霊を求める男と友人の男、死体は手に入れたいが自分で手を下したくない姉妹は自殺しそうな一人として、喧嘩して家を出てきた姪っ子を追いかけてきた夫を選び、遺書を代筆させる。

一つの部屋で起こる一晩のホラーな物語。謎がいくつも示されつつ、それが解決されるというよりは、ゴシックテイストの少し耽美な世界を美しく描き出すのです。何が起こっているかはわかるし、 人々の恐怖や欲や愛をさまざまなバリエーションでショーケースしている、ということは分かるのだけれど、正直に云えば物語の何をヨスガに読んでいけばいいのかに戸惑うアタシです。 物語の起点はペストへの怯えと呪術によって延命を企てる姉妹で、客としてやってくる男性二人、姪っ子夫婦、その使用人たちそれぞれの愛情のありかたへと転調していくのです。男性の二人客は妻と離婚した男と、妻が次に恋人とした男の二人なのにゲイの関係になっているとか、姪っ子夫婦のヤキモチな感じとか、使用人たちは主人たちから隠れて乳繰り合うかんじなど、わりとやりたい放題ではあります。 姪っ子を追いかけてきた夫の死体を手に入れることに決め、なぜかわからないけれど自殺して貰えて、もっと生きていけると思った姉妹なのに、姉があっさり心不全で死んでしまうという無常観が物語全体の雰囲気かなと思ったりもします。

映画「カメラを止めるな」で妻を演じたしゅはまはるみ( 1, 2)は、主役となる姉、きっちりと新劇のような重厚さと時々軽やかに。姪っ子を演じた福永理未は夫が気を揉むことの説得力のある可愛らしさ、メイドを演じた河南由良は意外にフラットでいつづけて、でもいちゃつく感じも楽しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.09.10

【芝居】「LOVE Chapter4」シンクロ少女

2018.9.1 15:00 [CoRich]

ドラマのように共通の登場人物で一話完結の物語を連続して上演していくLOVEの第四章。ワタシはchapter1の再放送のみ観ています。

恋人になった武田とユミはまだ浮かれている。恋人の陳さんを追って中国に渡った大岡は結婚し子供ができ、久々に日本に帰国しているが、中国で生活を続けるのがいいのか疑問を感じ始めている。たんちゃんは恋人のはずのヨシノが会ってくれないと気をもんでいる。 ユミの姉のサクラは離婚したが、八戸に住む元夫にどうしてもいいたいことがある。息子・ミサオは八戸に行くのがいやだというので、ユミに預けにくる。が、ミサオは愛は馬鹿馬鹿しいと思って信じていない。

軸となるカップルばかりでなく、複数のカップルの物語を並行して描きます。登場人物は少なくても、複数の人々それぞれのストーリーラインを持ち、それぞれを縫い合わせるように違いを関係させていく、かなり複雑な物語。なるほど、海外テレビドラマのようという形容が凄く腑に落ちるのです。

どうしても忘れられない元カレのことだったり、恋人でちょっと浮かれていたり、子供ができて生活が変化したり、あるいは別れそうになったりということがさまざま。口調が激しいところがあったりしても、それぞれの人物は若くないなりの恋愛の不器用さがそれぞれのキャラクターで造型されていて、シャイだったりどこか頑固だったり、云いたいことが云えなかったり、一時の気の迷いで浮気したり後悔したりという「大人」を描き出す重厚な物語は連続して観てこそ。見逃しているワタシ、Netflixよろしく一気観したい気がするのです。

武田を演じた櫻井智也はMCRにあるような切れ気味とか悪ふざけキャラがなくフラットで居続ける男を丁寧に。恋人・ユミもちょっと体温低い感じなのがリアリティ。その姉を演じた川崎桜はちょっとエキセントリックだけど、どうにもコントロールできない女のちょっと哀しさ。その息子を演じた加藤美佐江は得意な男児キャラだけど、愛を信じていなくて時々鋭い言葉もあったりして印象に残るのです。

一話完結とはいえ、それぞれの関係の積み重ねが必要な物語。当日パンフにはこれまでの三つの物語のあらすじが書かれています。真っ黒になるほどの分量で、とても参考になるし、嬉しい気配りなのです。劇団webにもちゃんとアーカイブしていてとてもよいのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.09.08

【芝居】「吐く」aibook

2018.8.31 19:30 [CoRich]

笹峯愛率いるaibookの新作。105分。9月4日まで駅前劇場。

地方都市、アトリエを共有している3人。3人で作った作品が認められて駅前に置かれたりしている。役場や自営業でそれぞれに仕事を持っていて、地元のイベントのポスターを請け負ったり定期的に集まったりしているが、作品にはなっていない。リーダー格の女は作品を作れないことに焦っているが、役場で働く女や理髪店で親と働く男はあまり気乗りしていない。
東京で華々しい活動をしていた芸術家が引っ越してきて絵画用品店で働き生活を始める。リーダー格その作家のファンで、アトリエを共有しようと持ちかける。その母親は一度小説を出版しているが、最近はそれほどぱっとしない。女を使いがちな母親に対しては嫌悪感を持っている。
地元にはセメント工場の建設が計画されていて、雇用が期待出来るが環境を破壊すると反対するものもいる。セメント工場の会社は先行して養護施設をつくっている。そこの所長は会社の御曹司でリーダー格に好意を寄せている。セメント工場の建設を働きかける女性社員は地元の出身で、理髪店の男は何度も告白してはふられている。理髪店を営む親はセメント工場の建設に反対している。

地方都市と暮らしと若くはなくなった人々がアーティストとして生きることはどういうことか、という濃密な物語。東京という憬れがあって、若い頃はその衝動ゆえに楽しく活動することができて、小さな成功があったとしても、コミュニティの中でそれなりに生活をしていくことのしがらみだったり、現実を感じることだったりという温度差が生まれてくること。小さなコミュニティゆえに、一つの工場ができるということの影響が大きく、賛否のポジションをそれぞれがとらなくては生きていけないという現実。

普通の日常、アートをなんとかできるかどうかのもがき、そんな中に現れた東京で人気だった芸術家が現れることで希望を取り戻すリーダー。地元に戻ったゆえに何もかもが珍しく、少しばかりの余裕もあって住民運動に参加したりそれがうまくいかないとワークショップを楽しいと思ったり。彼自身のあらたな拠り所ではあるのだけど、かならずしも巧くいかないことはあからさまで。

ちょっと浮かれ気味のリーダーにちょっと距離を持って見守るメンバーたちや母親。ずっと見守ってきたけれど、終幕に至り、母親が宣告するのです。それは、キレイで純粋な理想ばかりでふわふわと生きている娘への対しての強い叱咤でもあって。芸術に憧れはあっても地元を出て行く勇気もなく、その場所でできることをしようとしている中途半端さだと指摘し、利用できる物を利用して自分をフックアップしていくことが大切と説くのです。同時に、東京からの芸術家はまさにそんな存在にうってつけに見えているだけで、せっかく目の前にその活動を支援し、好意を寄せてくれる余裕のある人間がいるのだから、そちらを取るべきだとも。 それまで娘から嫌われるぐらいの扱いだった母親のこのシーンの迫力は凄くて、目が離せません。演じた山像かおりの圧倒的な力。 芸術で生きていく、ということを現実とどう折り合いをつけていくかということはおそらくは役者や作家といった彼らそれぞれの生き方に直結していて、そのちょっと苦い結末もまた地に足の付いた物語で、それは序盤で語らえる「自分の置き場所」ということなのです。

アートグループのリーダを演じた長尾純子は理想に生きるちょっとふわっとした女性をきっちりと。メンバーを演じた今村裕次郎、菊池美里、セメント工場の社員を演じたもたい陽子はそれぞれの現実の着地点で生きるリアルな人物を。 御曹司の男を演じた若狭勝也はちょっと現実感がないような王子様像にやけに説得力。 東京から戻ってきた芸術家を演じた有馬自由は年齢を重ねて先が見えてきた男のかっこ悪さも含めた姿がちょっといい。  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.09.05

【芝居】「Nf3Nf6」パラドックス定数

2018.8.26 18:00 [CoRich]

2006年初演2007年の別団体での上演2011年の再演に続いて。

先週の公演とはうってかわって、L字型にくまれた客席、黒板となる壁、横長の舞台は初演を思い起こさせます。 捕虜収容所、ナチスの将校と捕虜の数学者。同窓で互いに才能を認め合う知り合いだと気づき、しかし今の立場はずいぶんと変わってしまっていて、しかし命は助けたいという窮余の一策の一部屋のものがたり。

強固と云われたドイツの暗号が筒抜け、その暗号を作ったものとそれを解読したものの対峙。しくみは二人の間で共有できていて、それはどうしてそんなことが思いついた、どうして解読に至ったといった人に対する興味。この戦争がどうなってしまうのかも薄々わかっていて、それなのにまだ捕虜の射殺は続いていて。

ドイツの暗号機械・エニグマ (wikipediacnetwebのシミュレーションは楽しい) を巡る史実に、もしかしたらその作者と解読者が知り合いで再会していたら、という作家の想像力を忍び込ませた物語は息詰まる二人芝居。大学では自分と同じレベルの友人が居たのに、戦場では狂ったキングを担ぎ、実際には自分一人が背負うしかないという気が狂いそうな状況の中、捕虜の中にかつての友人を見つけた将校は救われたのか。もう一つの物語、解読し、おそらく暗号を作り出したのは知人だと確信し、むしろ裏切る方向に解読を遅らせ、手加減していく捕虜の側の物語。解読は間違いなく正義だけれど、親友を助けたいと思うあまりのこと。

終幕近く、チェスや数学は美しい世界、人を殺さない、が人を生かしもしない残酷な学問だという台詞の実感はないけれど、厳しいゆえにできる人は少なくて、だからこその親友だという深さを感じるのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.09.04

【芝居】「万!万!歳!-2018ver.-」マグカル劇場 青少年のための芝居塾 / studio salt

2018.8.26 13:30 [CoRich]

2017年作を改訂し、新たなメンバーによる芝居塾の公演。90分。青少年センター・ホール改め青少年センター・紅葉坂ホール。

老人介護施設の日常、静かだけれど小さな諍いとか認知症に起因する無気力などの、老いた人々と介護する人々の現実の姿。職員たちの働き方の問題も混じえて。

何を云っているかわからないような老人たちにも考えていることはあって、内面にあるものを伝えられないだけで、つまりは普通に生きている人なのだというごく当たり前のことを起点に、彼らにもちからいっぱい弾けるような若い時代があるという事実と、戦争から戦後という時代が背景にあったのだということを編み込んだ構成なのは変わりません。 老人たちの妄想あるいは若い職員のうたた寝として表されるその時代は赤紙や空襲、千人針や出征、汽車は兵隊さんを乗せ、という明確に過去の戦争のことだけれど、どこかわたしたちの今やこれからに繋がりかねないきな臭さでもあるのです。 戦争に負けていないと信じていたり、赤紙を配達して回って多くの人を死に追いやったと後悔していたり。その時代を背景にかいくぐって生きてきた人の言葉の重さと、結果としての痛々しさと。

去年は無かった新しい要素は、同性に恋心を持つがそれを伝えられるか、成就できなくても対等な人間として友人として続けられるか、というもう一つの要素。昨今のLGBTQはとても大切な課題だけれど、この物語の骨格に対する要素としてはやや取って付けたように感じるアタシです。

足踏みならしSTOMP!よろしくリズムを刻む一連のシーケンスは今作の骨格となる魅力の一つ、かなりボリュームアップになってる気がするのだけれど、どうだろう。パフォーマンスをきっちり見せる、というのは若い役者のための芝居塾という枠組みの中では明確に見栄えがいい、というのは、モチベーションという意味でもとてもいいことだと思うのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.08.29

【芝居】「スマートコミュニティアンドメンタルヘルスケア」ホエイ

2018.8.25 18:00 [CoRich]

2014年初演作を再演。27日までアゴラ劇場。90分。

複式学級の中学校の教室、教師は中国かぶれ、中国にくれてやりましょう、国歌国旗反対、朝日新聞最高、政府最低、でも校長の失踪は隠蔽している。
教室ではオカルトめいた遊びが流行っていて、何かが見える、ということを言い出していたり、心の隙間に悪い物が取り憑いていると非難したりしている。

子供と大人の境界、遊びとコミュニティが曖昧に同居する複式学級。中国かぶれな若い女性教師に多少の違和感ありつつも、平穏な日々にみえる、ささいなキッカケが暴発する場面を描きます。 背後霊のような推しがそれぞれにという起点はありふれたごっこ遊びだけれど、そこから見えざるものが見えてしまう、ということが共有されて集団ヒステリーのような状態に。それはやがて一人を貶めるイジメの様相、そこから抜け出す方策を必死で考えるなど、まだまだ子供に思える中学生でもそれぞれの立場を必死で守ろうとするコミュニティの萌芽があるのです。

お化けのようなものがみえる、ということが実際に見えているのか、それともある種の同調圧力によってそう云っているだけなのかは台詞だけではわからないけれど、すくなくともこの集団においてはそれが真実として共有され、反論できない状態に。大人と子供の境界たる中学生の未分化さだといえばそうだけど、実際のところ私たちの日常に地続きに感じるワタシです。シーソーゲームよろしく、そっちに付くべきといえばあっというまにバランスが変化すること、残った一人を叩きのめすこと。そこから逃れることの難しさもまるで私たちの写し鏡のように感じるのです。

そういう集団ヒステリーのような危うさを見かけた教師、逆に子供たちの作り出した、「悪の子供」と「心の透き間」という物語に乗っかるのです。心を無くせば対抗できる、とあっさり子供たちを掌握して、催眠術やブレーメンの笛吹よろしく、心を操るのです。序盤では中国かぶれという半笑いに造型されたコミカルなものが、全員に行き渡ってしまう、そのスピードの速さを描く説得力なのです。

コミカルで荒唐無稽な物語と笑うのは簡単だけれど、あちらとこちらの両極端になりがちなわたしたちは、この女性教師のような扇動に、いつ乗ってしまうかもしれない、という恐怖にふるえるのです。

初演の記憶は相変わらず曖昧なワタシです。終演後にロビーで耳にしたのは、終幕の終わり方の変化。初演では、すんでの所で止まった暴走が再演では止まらず、より救いの無い物語に変化したようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.08.28

【芝居】「て」ハイバイ

2018.8.25 14:00 [CoRich]

2008年2009年の上演作。劇団10周年として、隣の劇場で「夫婦」を同時上演するという企画公演。9月2日まで東京芸術劇場シアターイースト。そのあと、高知、長崎、兵庫。

対面の客席の中央に舞台という構造は変わらず。二つのパートに分かれている物語の構造の切れ目で、ベッドやちゃぶ台あるいは柱や屋根を模したフレームを動かすことによって、客席から観た左右を入れ替えるように作られています。

ワタシの記憶(と今まで書いたワタシの文章を読み返した限り)では今までの上演では無かったこの工夫は、 実に効果的で見事。屋根の方向まで変えることで、おなじことを同じ時間軸で見せているけれど、視点を変えているということを物理的にも、物語の視座という点でも変えていることを明確でスマートにみせているのです。 物理的な視点が変わることは明確にメリットで、たとえ端の席に座っていたとしても、たとえばベッドの祖母、祖母に向かい合う人々の表情の両方がどの観客にもちゃんと見える、というのは地味だけれどほんとうに凄いことなのです。それは、何でもないシーンの、物語には何も寄与しない要素だとしても、見えないことそのものが初見の観客のストレスになるということはもっと知られていいことだと思います。

物語のほうは例によって今まで観たものをわりときれいさっぱりと忘れているワタシですが、二つのパートで視点を加え変えることでその場の出来事が違うように見えてくる、という鮮やかさは最近観た映画の、あのカタルシスにもちょっと近い感じがします。

初めて気がついたもう一つの点、たとえば部屋の外での会話が進行している最中に祖母と次女、次男、その友人や長女といった人々の関心のあり方が陰として示されていて、これもちょっとおもしろい。人畜無害に見える友人が実は次女も長女もなめ回すように関心を寄せていたり、次男ははしゃぐように見える表向きとは裏腹に、床に横たわり実は心が死んでいるような場面が象徴的。

浅野和之の母親は所作といいテンションのバランスといい見事。祖母を演じた能島瑞穂も声の弱々しさと所々踊るようなテンションの高さのコントラスト。父親を演じた猪股俊明はこういう理不尽で何をやり出すかわからない父親を演じさせると実に見事で、しかも時折見せる弱さすらもちょっと腹立たしく見えるのもリアルな造型。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.08.27

【芝居】「5seconds」パラドックス定数

2018.8.19 18:00 [CoRich]

羽田沖の日航機墜落事故(wikipedia) を題材にしたタイトな二人芝居。ワタシが初めてこの劇団に触れて大興奮した日を思い出します。 劇団としては四演め、ワタシは再演、三演と風琴工房による上演に続いての四回め。21日まで風姿花伝。 (1, 2, 3)

舞台上にはテーブルと向かい合いの椅子、電話。舞台奥にもう一組のテーブルとペアの椅子に水差しや小道具など。通常の階段状の客席のほかに舞台上左右端に対面の客席。二人の位置が一度切り替わるのは、席によってまったく片方の役者が見えなくなる、ということを防ぐいいアイディアです。

羽田空港、滑走路直前で墜落した飛行機の機長と弁護士。意図的な逆噴射などの墜落への操作が疑われ、心神喪失で責任能力がない線での弁護を考えていて。弁護団の中でもっとも下っ端、という弁護士の接見。 日本一の航空会社の機長という超エリート。丁寧ではあるけれどエリート丸出し、見下すよう。そのうえ、事故を認識していても、機長として復帰できると信じ切っていて、という、まばらな認知。 二人の信頼関係が作り上げられたかは微妙な感じだけれど、それでもあまりに二人は真っ直ぐに向き合うのです。

強烈なエリート意識に隠れた、心身の病に起因する弱気。それを悟られてはいけないという張りつめた気持ち。ちょっとしたミス操作を副操縦士に直され、自分が追い抜かれると思い詰める気持ちゆえ、一刻も早く着陸の次の動作を自分がなさなければならない、と思いこんだことを告白する終盤のシーンの迫力は変わらず。現場のレバーの状態とエンジンの状態が食い違っていたことを、想像力で補って説明する、というのも作家の一つの語り口。何度見ても、息を呑んでしまうワタシなのです。

ワタシの観た回の舞台上特設席には子供が二人。この行き詰まる芝居に大丈夫かと正直危惧しましたが、思いの外静かでしっかりと芝居見ていて、ちょっと感心したりも。関係者の知り合いかなぁ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧