2018.11.13

【芝居】「虹をみたかい?」文月堂

2018.11.3 19:00 [CoRich]

4日までMOMO。110分。

子供から高校生ぐらいまで子供を預かり家族のように育てる保育施設だった家。園長は妻を亡くし、自分の娘も施設の子供たちと一緒に同じように育て、いつでもみんなが帰ってこれる実家のような場所だといって育てていた。秋祭りを目指してお芝居を作って上演したり、タイムカプセルに大切なものをいれたりしていた昭和最後の年。
30年が経ち、園長からの手紙で「30年目の誕生日」を兼ねて集まる誘いを受けた入所者だった人々は成長しそれぞれの生活を送っている。手紙を出した後に園長は急逝し、その娘も家を出ていて空き家となっているこの家を売りたいということが伝えられる。

親と離れて暮らすざるを得ない子供たちのそれぞれの事情。ネグレクトや経済的な理由などそれぞれだけれど、その子供たちが30年を経て大人になった姿。子どもの頃の一生懸命さと純真な感じ。養子などの形でこの場所から羽ばたいても、それぞれに成長する過程での生きづらさを経験しています。実の親を反面教師に、「普通の家庭でいい母親になりたい」とか「結婚して幸せになりたい」、あるいは「技術を手にして仕事できちんと生きていきたい」と真剣に考えれば考えるほど、なかなかそうなれない焦りも一方ではあったりするのです。それでもそれぞれに成長して、大人になっていわば里帰りのように集う人々の姿。

物語はこの「里帰り」の人々を軸。それは、この施設でかつて育っていった子供たちが、成長し大人になって、苦労はしたし大出世とはいえないまでも、それぞれの生活を営んでいる人々と、それと対比するように、あの頃はいわゆる「普通で何もかも持っている」人々が、成長して結婚離婚を経験して何物かになろうともがいたり、金持ちだったのに踏み外して這い上がれないままホームレスになったりという人々のコントラスト、ちょっとほろ苦く。

何者かになろうともがく女はまた、この施設のオーナーの娘でもあって、実の娘と施設で預かっている子供たちが同じに扱われることの不満、いえなかった言葉を30年ぶりに発することで溶けていく気持ちでもあって。

昭和最後の年と平成最後の年、30年を経た二つの時間軸を舞台に交互に語られます。髪型や服での幼さの演出はあるにせよ、実際のところいい歳をしたおじさん、おばさんといった世代の役者たちが演じる子供の頃の姿は、最初は出落ち的な笑いが起きたりもしながらも、やがてどちらの時間でも自然に行き来するのです。それは自分が子供の頃の幼なじみが大人になっても変わらない姿に「見えている」ような、そんな感覚が蘇ったりもするのです。それは目一杯のテンションで年齢を重ねた役者たちが子供を演じることの楽しさでもあるのです。

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2018.11.05

【芝居】「ライク・ア・ファーザー」自転車キンクリートSTORE

2018.10.28 14;00 [CoRich]

自転車キンクリート、ワタシは4年振り。120分。31日までOFF OFFシアター。

就活がうまくいかず踏切で飛び込もうとしていた初老の男を中年の男女が止めた。お礼にとさそわれたのは酒屋のバックヤード。近所の顔見知りが集まり角打ちしている場所だった。酒屋の夫婦はまもなく子供が生まれるため、妻の幼なじみが店を手伝っている。近所のお茶屋の息子はアラフォー独身だが、その幼なじみの美しさに一目惚れするが、シングルマザーと聞いてショックを受ける。
飛び込みを止めた男女の姿は、飛び込もうとした男以外には見えていないようだ。二人は亡くなっていて漂っているといい、普段は見えないが触ると見えるようになるのだという。

恋と仕事と結婚に思い悩む30代という感じだったじてキンが描く物語は初老のくたびれたオジサンだったり、親に結婚をせっつかれる中年男だったりを軸にしながらも、これから生まれてくる子供を待ち不安と親になりきれない男女と、年齢を重ねてからのぎこちない親と子の関係を並べて見せる、実は親子をめぐるさまざまな物語。中年の男女の「幽霊的なもの」というファンタジー要素が物語全体を包みながらも、それぞれの不器用さが時に滑稽にだったり、時に情愛の深さを王道に描くようだったりと、ああなるほど観客も出演者も間違いなく年齢を重ねているのだ、ということを実感する物語になっているのです。

シングルマザーの女は少し不器用でクールな感じ、ギャンブル狂いだった父親のことを許せないままにずっと生きてきたけれど、いじめられっ子で一人見ていたアニメの「魔法の壺」を探していたのだということが見えてきたり、シングルマザーが事故にあうところをその見えなくなった父親に助けられたりと父親に対して許していくのです。あるいはちょっとがさつな独身男は同居する母親が疎ましく感じるけれど、突然倒れ、やはり大切な人なのだと再発見するなど、年齢を重ねたら重ねたなりに親の見え方が変わってくる、ということ。それは決して他人事ではなく自分に迫っていることなのだけれど、まだそれでも実感を伴って、というところまでは育ってないアタシなのですが、それでもずっとそういうことに近い歳になったなぁと感慨も深いのです。

この世のものではない中年の女を演じた歌川椎子はコミカルで楽しく、人に見えないのをいいことにビールケース押さえつけたりハマったりする細かいイタズラが楽しい。中年の男を演じた樋渡真司もコミカルにスタートしちょっといい加減なおやじっぽさの絶妙、終幕に向かってしっかりと背負う父親の物語。踏切に飛び込もうとする男を演じた久松信美はどこまでもいい人、ちょっと巻き込まれる感じも楽しく、「休むに似たり」ついつい思い出しちゃうワタシです。この三人いるとジテきんだなぁとほんとうに嬉しくて。アラフォーの独身男を演じた三浦剛はちょっとがさつだけど親思い不器用さ勝る造型の細やかさ。シングルマザーを演じた内田亜希子は一目惚れされる美しさの説得力と凛とした格好良さ。酒屋の夫婦を演じた渡邉とかげ、花戸祐介はクロムモリブデンの役者ですが、ラブラブな普通に可愛らしい夫婦、そこにちょっと差し入れられる影もちゃんと。

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2018.11.02

【芝居】「土砂降りボードビル」TCアルプ

2018.10.27 14:30 [CoRich]

去年上田で初演され、今年の夏・松本で2週間の上演を行っての凱旋的公演。105分。上田・犀の角。

短いスケッチ風の短編で構成されたさまざまな物語。殆どは松本公演と同じですが、「女三人の化粧室でのリズム」を「縄抜け芸をする男女、幕が開閉するたびさまざま」に入れ替えています。

松本は古い洋服屋をスケルトンに使ったごくコンパクトな空間。今回の上田の上演はゲストハウスの一階ロビーにあたるところ、普段はカフェ営業で利用している空間ですが劇場としての利用も多く高い天井、固定されたバトンもあったりして、空間としてはゆったり。出演者もほとんど同じ、ほとんどのスケッチも同じですが受ける印象は随分異なります。松本は狭い空間で濃密、それぞれのシーンの入れ替わりが全体の空気ごとがらりと入れ替わる感じだったのですが、広い空間の上田での上演は一つの固定された空気の中でシーンが並んで溶け変わっていくという印象。最初に観たせいか、松本での強烈な印象が残るワタシです。

飲食可能でもあって高い天井に広い空間。実は松本にはあまりないほどよい広さのいわゆる「小劇場」演劇のための空間としてはこの犀の角、よい場所だなぁと思うのです。高い天井から降りてくる階段も巧く使われていて知り尽くした空間を生かす楽しさ。

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2018.11.01

【芝居】「絶望的観測」なゆた屋

2018.10.20 18:00 [CoRich]

女優・ほりすみこが定期的に公演を行うユニットの新作。100分。21日までOFF OFFシアター。

希望する気持ちがあればもしかしたらいける場所。そこに居る占い師に相談すれば願いが叶うという。スーパーで働き、周囲からは地味といわれている女は、そこに偶然たどりつく。波の音のする場所で何をするでもなく、のんびりと過ごしている人々。夫婦らしき男女が中心に、ギターを持った男も横に居てなんとはなしに過ごしている。 偶然訪れた女、そんな女に恋したけれど声をかけられない男、その男の力になりたいと考える幼なじみの便利屋。女の職場の同僚もまた何かを抱えている。

白を基調にしたシンプルな空間、少し緑。椅子がいくつかで広場風の場所。どうやったらたどり着けるかわからないけれど、たどり着ける人にはたどり着ける不思議な空間。そこに居るはずの占い師という噂。何とはなしに集まってお茶を飲んで、お弁当を食べてという緩やかな場所に集う人々。

外からはのんびりとした暮らしに見えるようだけれど、そこに集う人々それぞれに望みがあるのです。しかしその望みにガツガツと向かって進んでいるわけではなくて、それを内に秘めている人々。記憶を無くした夫を見守るためにずっと一緒に過ごしている妻、スーパーで見かける女に恋をしたけどそれをずっと伝えられずにストーカーめいた気持ちを抱えている男。それを応援したいと思っているけれど、ちょっと極端に行きすぎる幼なじみ。あるいは、兄に会いたくてずっと寂しい気持ちを抱えている女。

決して若くはなくて、もう叶わないかも知れないとも考えながら、しかし諦めきれない気持ちを抱えた人々それぞれを温かく、しかし近づきすぎない距離感で見つめるような視線は実に優しいのです。 一つの区切り、次に進んで行こうという気持ちも明るくて、ちょっと切ない感じもして。でもちゃんと前に進んで行くのです。

便利屋を演じた佐藤達は純朴で真っ直ぐだけれど限度を知らず友人を助けるためなら何でもやってしまいそうな危うさ、実はそれがちょっと怖いぐらいでもあって。恋をする男を演じた渡辺裕也は思い煩うところはちょっと可愛いけれど、こちらも一歩間違えればストーカー案件、その危うさとバランス。ずっと見つめている女を演じたほりすみこ、自分のコトがわからなくなった夫をそれでも見守り続ける姿の切なさ。

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2018.10.31

【芝居】「中年の歩み『Comings and Goings』」第0楽章

2018.10.20 15:30 [CoRich]

中年を迎えた人々を巡る短編をつないだ4編。80分。21日までSPACE EDGE。

電車に飛び込もうとした女を止めたのは30年ぶりの女友達。幼なじみで仲がよかったが、下校途中で男にレイプされていたことを止められなかったことを悔やんでいる「いくよ。くるよ。」。 温泉地のホテルの一室。女が倒れていて男が焦って電話する。電話の相手が部屋にやってきて、それは自殺を止められた女だった。男は先生と呼ばれ、女は委員長と呼ばれ、二人とも怪しげなセミナーの主宰で呼ばれた女が両方を追いかけていて。「ニュー松島」。 女が長く別居している夫。何度も離婚を望んでいた女だが男はのらりくらりと向き合わない。勝手に会社をやめ借金ばかりで暮らしている。AIを作って、妻が手に入れたいものを入れられるようにしたいと思い続けて。しかし妻は帰ることに決めるが、そとは大雨と激しい雷で「クドゥ」。 30年が経ち内戦などがあって荒れ果てた町。一人で暮らしている老女。カップヌードルを一人ですする生活は悪くないが、一緒にいた人々はみな居なくなってしまった「シチリア」。

一人の中年女の幼なじみと心のよりどころとなる何人か、そして老後の一人、という時代を通して描く物語。何かの傷があったり、怪しげなスピリチュアルにはまりこんだりと、もしかしたら中年にさしかかり年齢を重ね独りになるかもしれないという恐怖と、過去にあったショックを受けた出来事を繰り返し思い出すのは、暮らしを重ね微妙な年齢にさしかかる女性たちにとって(もしかしたら男性でも)あるある、という話題をぎゅっと詰め込んだ物語の数々。作家の実感なのかはともかく切実に描かれた物語の数々は誰にでもどれか一つはフックしそうなパーツでもあるのです。

中年という枠組みとはいえイマドキの感覚からすると昭和な香りすらするぐらいに枯れすぎてるという感じですが、コミカルでご愛嬌な感じではあります。もっとも、それもまた肉体の元気さと内側の自分の心持ちの差、ということなのかもしれません。

そういう生々しさいっぱいな話だったりするけれど終盤に向かって時間を超えて再開するというファンタジーがくるりと全体を包み込むよう(このあたりの選曲がSF好きにはたまらない)。「芝居屋坂道ストア」の瑞々しくファンタジーな雰囲気はしっかりと残り、ロマンティックで素敵なのです。

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2018.10.25

【イベント】「菜ノ獣 –sai no kemono–』」(月いちリーディング 2018/10)劇作家協会

2018.10.13 18:00 [CoRich]

劇作家協会の月いちリーディング企画。本編120分ほど。戯曲冒頭部が公開されています。

農務局の施設「ファーム」で行方不明になった同僚を探す特命を受けた職員の男は、上司が指定した謎めいた男を率いてファームに研修と称して訪れる。そこは人間型の植物・食用のベジタブルマンの栽培が実用化さていれるが、問題がある個体を是正するために集められる研究施設だった。

行方不明になった同僚、それを探す謎めいた男などミステリめいた道具立て。人間型の食用植物というSFの設定のもと、実はその奥に隠された機密が、という物語。ぱっと見には人間そのもので、動くし話もするし、セックスだって人間並、という設定は、コミカルに描かれていて、食用から性的な目的、あるいは臓器提供や兵士など、つぎから次へと人型であるがために隠されている用途が明らかになる仕掛けなのですが、じっさいのところ、最初の食用が相当にグロテスクなので、そのあとに明らかになることが相対的にビックリ度合いが少ないのは痛し痒し。

生きることに疑問を感じたり、食用であることに疑問を感じたり、あるいは歌や詩を考えたり歌ったりということを厳しく制限すること、その行き着く先が兵士であること、あるいは人間を改造してベジタブルマンに仕立てるなど、ちょっとSFめいてはいるけれど、私たちの現実からの地続きに子供たちに対する教育の怖さみたいなものにも繋がるように描かれていて、風刺の雰囲気を纏います。

いっぽうで、女性型のベジタブルマンが男と見ると「ご奉仕」をしようとするというつくりは、確かにコミカルだけれどそれが作られた「ベジタブルマン」という設定だということを割り引いても、実はそうとうに危ういバランスのところ。終演後のディスカッションにおいて、「人間ではないが女性型のモノであるなら、男はそれを性的に陵辱するもので当然だ」という感想をなんの疑問も感じずに述べる観客に強い衝撃とショックを受けるワタシです。それぐらいに危ういところのバランスだと思うのです。

これも終演後のディスカッション、終盤で議論になったのですが、人工的に作り出したものなのに、食用のものを人間型に作り出す世界観に説得力が欲しいところ、というのはワタシも同感で、そういう形にしか作れなかった技術的な限界とか、実は全て人間を改造して作っているとか、実は最初が兵器として作ったものを食用に転用しているなど、違和感の逃げ道があるとすんなりこのSF的な世界に溶け込めるかなとも思うのです。

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【芝居】「パパは死刑囚」チャリT企画

2018.10.13 14:00 [CoRich]

125分。14日まで座・高円寺1。

結婚を決めた男女。新郎は18歳で本当の親は別で交通事故で亡くなったと聞かされていたが、実は実父は実母と祖父を殺したとして死刑が確定していたことを後で知る。新婦はそれを聞かされるが、自分の母親が交通事故で亡くなったあとに男手ひとつで育てた父親に告げられないまま結婚式当日を迎える。

死刑囚の家族が世間からどう見られるか、ということを巡る物語をチャリT企画っぽくコメディ仕立てに。結婚式当日の列席者たちのわちゃわちゃした雰囲気と、そのなかで隠していた「死刑囚の家族」ということが徐々に広まっていくさまはシチュエーションコメディになっていて確かにコミカルに。並行して、死刑囚として収監されている実父への面会、そこには再審請求の余地があると見る支援者たちの存在を描きます。

頑なに娘を箱入りに育てた父親も最後には折れて娘の幸せを願う、という大団円な流れは思いのほかいい話。ドタバタの中に紛れ込むブルゾンネタはイマドキっぽく楽しい。このドタバタの結婚式の話と死刑囚の刑務所の話、二つの時間軸は上下に分けられた舞台で進むけれど、その時間軸の差は徐々に縮まっていき、やがてそれは結婚式当日、ほぼリアルタイムで並行して起こっていること、だということがわかります。 結婚式の紙吹雪舞う中、同じ舞台の上では絞首が行われているということのコントラストは強烈な印象を残します。同時に一般的に死刑は執行後に遺族や社会に公表されるものだ、という前提を描くことで、執行前からヒートアップした今年の報道の異様さも浮かび上がるのです。

花嫁の父を演じた丸尾聡は実直で頑なな、しかし娘思いの父親をきっちり。

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【芝居】「蛇と天秤」パラドックス定数

2018.10.12 19:30 [CoRich]

2010年初演作を、常連メンバーではなくオーディションによる新たな役者たちと作り上げる90分。15日までシアター風姿花伝。

大学病院で現代の結核と題したセミナー前日、会場で機材のチェックなどをしようとする准教授の医師。その医師に会いたいと製薬会社の営業や研究者が日参するがなかなか会えない。取り次いでいる講師の医師が会わせないようにせき止めているのだ。
新薬の投与で続けざまに8人の子供の患者が亡くなっているが、病院はそれを隠しているばかりか、論文で効能への疑問を呈している。小さな製薬会社が発売した会社はこの薬に命運をかけていて、そんなはずはないとデータの提供を求めてきているが医師たちは取り合わないのだ。

新薬をめぐる死亡事故を隠蔽するしないだけの話かと思えばさにあらず、物語はいくつもの底を抜けながら製薬会社と大学病院の持ちつ持たれつなドロドロとした関係を描きます。製薬会社の一人から見れば、大成功となり多くの患者たちを救う新薬に対して付けられたいちゃもんと向き合うこと、製薬会社のもう一人から見れば、芽が出ないままいい歳になってしまった自分が一発逆転を狙って新たな結核治療薬を開発したいという名誉と達成感のためのあがき。医者から見れば、研究や名声に役立つものは手にしたいしそれを阻害するものは全て闇に葬り、教授、准教授、学生という一連の連なりを維持することが生き残り階段を昇るために必要なこと、など、それぞれの思惑は複雑に絡み合っていることが示されます。そこに描かれるのは、研究への情熱と名誉への固執、そこで置き去りにされる倫理の観点、という恐ろしさ。それは戦時中の人体実験とかあるいはもしかしたら使命感を帯びたテロといたものもこういうったバランスの欠如から起こることなのだということが見えてきてぞっとするのです。

物語の深刻さに比べて、この語り口の軽さや人物たちの温度感の低さもまたパラ定っぽさ。観ている最中にわらってしまうことも多くて、チェーホフのような味わい、と感じるワタシです。

劇団常連のメンバーを一人も入れずすべてオーディションでの役者陣。きっちりパラ定節の物語ではあっても、風合いというか肌触りに役者の色が出てきて、これはこれで魅力的なのです。准教授を演じた横道毅の老害と云ってもいい大人のいやらしさ。講師を演じたアフリカン寺越のはっきり自分の感情を捨てて上意下達の歯車に徹する姿の造形。年上の研究員を演じた宮崎吐夢の好々爺風に見えてなかなか汚らしく足掻く人間臭さの迫力も凄いのです。

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2018.10.24

【芝居】「はしらない」劇団スポーツ

2018.10.6 19:00 [CoRich]

105分。8日まで王子。

メンバーの一人の結婚をきっかけに集まる学生時代の人々。バンドを作ったが一度もライブをしなかった彼らで、余興で一度だけ演奏しようともちかける。そこに呼んでないもう一人が訪ねてくる。

軽音楽部を結成しても部室は茶道部の茶室に間借り、向こうはおだやかにむしろ軽音のメンバーを取り込む気満々。放送部も弱小で茶道部との掛け持ちだったり、何でもできる万能感あふれる一年生は乗り越えるべき壁を探して放送部にいたりする。力はあったのにバスケ部をやめた男、能力いまいちだけけどがんばるバスケ部のキャプテン、風紀委員のちょっと不器用な男、怪しい水を高額で売りつけることを学校中で行ってる男など。 まるでアメリカのドラマのようにさまざまな人々を描き、さまざまな対立軸や共感軸を作りながら、面として学校という場所を描くのです。

そういうおかしな人々がごちゃっと存在していた場所という描き方で、コメディ要素強め。正直、ドラマの要素は実際のところそうでもなくて、キャラクタの立った人物が存在することこそが愛おしい。 たとえば、ちょっとバンカラでがたいの大きい風紀委員が女子生徒に恋心を抱いているのに告白できず、元気がないと見るや誰がいじめたといきり立つ空回り感。あるいはただの水をぼったくり価格で学校中に手広く売りつけてる男の怪しさ。海外ドラマだったら麻薬とかそういうのでやりそうだけどそれが単に水という面白さとあいまって。放送部の部長が友達のバスケの試合で活躍できるようにかける音楽でチートな応援したり、意味も無く壁を見つけて乗り越えたい一年生がいたり。

前説も一癖も二癖も。異常に気を遣ったような体裁。開演遅れてごめんなさい、大きい音します、銃を構えたら、と微に入り細にわたり。どちらかというと慇懃無礼にしてそういう姿勢をおちょくるようなのも楽しい。

終幕はちょっと詩的というか、しんみりする感じ。あの学生時代からみなそれぞれに人生を進み、走りながら何年も経ち、仕事や結婚などそれぞれにちゃんと生きていて。その中で自分はどうだったろう、みんなみたいにここまで人生走ってきていないんじゃないかという危惧の気持ちがないまぜにかんじられるのです。

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2018.10.23

【芝居】「ミカンの花が咲く頃に」HOTSKY

2018.10.6 14:00 [CoRich]

105分。7日までアトリエファンファーレ。

高速道路の計画が進む九州のある町。立ち退きに応じない住人のために前後の区間は完成しているのに、着工すらできない部分がある。反対運動の先頭に立つ男は、かつては高速道路の工事のために全国を飛び回っていたが、退職して終の棲家に決めた。妻は家を開放して地元の子供たちが気楽に遊びに集まれる場所を作っていた。町は津波に襲われ、妻や何人かの若者が亡くなっている。
久々に地元に戻ってきた女。この家を中心に今までの暮らしを続けたいと考えて立ち退きに反対して居座っていることに違和感を覚える。

舞台の広さの割に出演者が多くて、出捌けもちょと特徴的で、隠れるように置いた衝立を袖に使うなど、かなり濃密に創られた舞台。客席もかなり満席でキャンセル待ち目一杯という感じ。

それまでの生活をそのまま過ごしていきたいだけ、という普通の生活を守るための人々。高速道路が出来れば確かに便利にはなるけれど、この土地に根ざしていたコミュニティが失われてしまうということの危機感。津波の影響やその結果出てきた廃棄物をどう取り扱うかという話題も取り込んで、イマドキの日本のあちこちで起きている「生活を守るための戦い」を地続きに凝縮したような物語。

実際のところ、モチーフというよりは明確に反対運動の映像を重ねたり琉球風の音楽を重ねたりと、じつはかなり特定の話題に明確にリンクさせようとさせています。作家や演出家の問題意識はわかるし、ワタシのイデオロギーもどちらかと言えば彼等に近いのだけれど、そこまで積み上げてきたこの物語の世界、普通に暮らす人々と、失った人への追憶という細やかな物語を終盤に至り、私たちの現実を描くための単なる例え話だということをあからさまにしてしまった、というのはわかりやすいけれども、語られる物語がどこかに行ってしまったような寂しい気持ちになったりもしたのです。

序盤、この工事に反旗を翻している男が、元は高速道路をむしろ創る側だったことがあっさりと語られます。現役の頃は妻とろくに向きあわなかったけれど、ここで妻と暮らした日々を大切に思い、だからこそかつての立場とは反対の立ち退き拒否に至った、ということは察することはできます。しかし、その男が過去への反省とか後悔とか、あるいは罰せられるようなことが描かれないので、芝居を観ているワタシの視点では、それまでこういう立場の人々を踏みにじってきた人間が反省しないまま、自分だけのために反対派寝返った、みたいなある種の自分勝手さが表に出てくる感じがするのは違和感だったりするのです。

とはいえ、手の動きを重要視するジェストダンスを交えたり、歌やダンスを交えることで楽しさも加わり、確かにいまの私たちから地続きの問題を箱庭のように描くことで人々の暮らしが安寧に続いて欲しいと力強く願う人々の存在をきっちり見せられる一本になっているのです。

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