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2018.07.30

【芝居】「土砂降りボードビル」TCアルプ

2018.7.16 14:00 [CoRich]

小さな物語を大道芸風だったりとつないでいく80分。22日まで松本・mm(ミリメートル)。そのあと上田公演は10月。

古い商店をリノベというよりスケルトンにした小さな空間での長期間公演。穴の中から役者たちが飛び出してくるようなオープニングに引き続いて、2人ないし4人程度で演じられる小さな物語はコミカルだったりSF風味だったり、切ない話などバラエティにあふれています。軽快なボードビル、切ない物語があるにせよ、祝祭感がたっぷり。今回の公演のセットリストということになるのでしょうが、おそらくは公演によって、入れ替えていくレパートリーを数多くストックしてるんじゃないかと想像します。

少々ネタバレチックではありますが。

娘が勤める銀行に若い頃の父親が訪ねて来るはなし、若い頃のチンピラな父親は子供ができてまっとうな仕事をしたいからと金を借りに来るワンアイディア。父親はまっとうに育った娘だと云うことをわかっているけれど、娘は厳しく育てられ、父親が若い頃にそんなだったなんて知らない、という非対称な感じがうまい隠し味。チンピラ風情なのに娘への愛情がめいっぱいという造形が現実のヤンキー気質そのものだったりして、やけに説得力を生むのです。

歌を終わらせるメロディーの大発明は、まあ無茶ぶりっぽいけれどあらゆるものを終わらせるワンアイディア。

亡き夫の弟子が妻の面倒をみている話は、よろめきドラマかと思いきや、学者である弟子が地球が明日消えることを告白してさて、という感じ。感謝はすれど愛情には結びつかない妻の想いと、片思いにすぎる男のすれ違い、しかし表だっては愛情も断りも云わないすれ違いの楽しさ。

麦わら帽子の男が排泄は無駄ではないかと力説する話、みんなよりは一段上のステージにいると豪語するけれどどうにもそうは思えない、むしろヤバい人で、ちょっとそれを気の毒に思ったり微妙に下に見たりする気持ち、駅でちょっと騒がしい人を見たときのような気まずさがポイント。

ケーブルテレビを売り込みに来る男と断る男の話、あの手この手、時には取っ組み合いになりながらケーブルテレビがあれば夢の生活をと売り込むけれどけんもほろろ★。テレビそのものはじゃんキーなほど好きっぽいし、それが映画の一場面になりきるようにスターウォーズよろしくチャンバラになり、ジャックインされる感じが退廃的なサイバーパンクっぽく妙にかっこいい。

すべてを知っている男ホラッチョは、カードを引かせり思い浮かばせたりして組み合わせた無関係な単語のつなげて、小話っぽく無理矢理こじつけながらもオチを付ける無茶ぶりトークは、ハプニング性の楽しさ。

ストリップ劇場の楽屋に逃げ込んだ怪盗をストリッパーが匿う話は、ちょっとした駆け引きの大人の会話から、雨の日だからという憂鬱さが語らせる過去の子どもの頃の話、何か過去のその人を知った、ということで繋がる瞬間だけど次の刹那に別れるのもまた大人の物語。かっこいい。

口八丁手八丁の男の話は、八本の手の男が恋をして子供が生まれ。カードを巧みに操りラブレターを模して、ちょっとしたマジックも交えた洒落た話。

急な雨降り、困った女に傘さしかける男の話は、そこで恋が始まる、というお決まりかと思いきや、恋の相手は後からやってきた別の男、最初のおとこそっちのけで勝手に話しが進んで行き、なんかありそうな切なさ。

夜道で車に轢かれる瞬間のストップモーション、運転手と轢かれる男の会話、このまま轢いて逃げてしまえ自分は自殺したいと言い出して唆すけれど、その裏側、二人の間の隠れた関係が見えてくる少々ホラーめいた話。

喫茶店で待ち合わせる男女、遅れてやってきた女に対して男、最初は「シャツが突然喋りだし、シャツは着られているんじゃなくて着せているんだと自己主張する」という絵本の話で、男はシャツを着ているんじゃなくて着させられているんだと思い、あらゆる行動が「させられている」と気付いてしまう男。「俺は待っているんじゃない、待たせられている」てな具合だけれど、女を責めているんじゃないくて、その主体と受動の気付きにヒートアップする男なんだけど、責められてると感じる女との言葉をめぐるギャップの楽しさ。役者の訳判らない熱量でまくし立てるというあたりがライブな醍醐味。ワタシこれ好きだわぁ。

かと思えば、化粧室の女三人、鏡に向かって粉をはたいたりというのがリズムになっていく一本はエンタメ。STOMP!(懐かしいね)的な楽しさだけど、ごくコンパクトにやるのもまた楽しい。

チンピラ男三人のたわいもない会話と、親分の雨傘係でずっと横に控える男の一人語りは対比的に交互に。これもまた雨の日の物語。雨傘係は親分が町に出かけるのに同行して、ピアノの音に、その窓辺の女に恋をして、どうしても弾いて欲しい曲のレコードをプレゼントするがあいにくの雨でレコードをぬらすまいと普段は自分ではささない傘を差したがために。もっともそのレコードだってそもそも、という切なさ。

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2018.07.28

【芝居】「ROBOTA」serial number (ex. 風琴工房)

2018.7.15 18:00 [CoRich]

2017年4月にシークレット公演として港区のマンションの一室で上演された兄弟の物語。初演と同様、カレーの匂いが溢れる舞台も嬉しい。60分。18時開演ですが、少し時間を稼ぐトークショーを序盤に入れて遅らせての上演。

カレーを作る男、訪ねてくる男は弟だ。二人とも災害救援ロボットの研究者だが、ロボットを使って場所も生存も確認出来たにもかかわらず、兄は自分の妻と娘を災害で亡くして行方をくらましていた。

キッチンがあるスタジオ、開場時間からカレーを作りながら暮らしている風景。この三回のシリーズで唯一、面のシャッターを開けず天井まで届くガラスを通して外を通る人々や風景を借景として描かれます。

小型のロボットでガレキの中に入っていき、人間の生体反応を確認し音や映像を送り届けるロボットの研究。ほぼオモチャのラジコンカーをデコレーションした初演から大幅にパワーアップして、基板むき出し、タブレットで操作、小さなLEDランプがチカチカしたりして、それっぽい造型に。もっとも災害用だけど基板むき出しなのは研究実験用だからか。

妻と娘を亡くしたにもかかわらず、実稼働したロボットがきちんと動作していることに少しワクワクしてしまったという研究者の性のもまた、兄が研究から逃げた一因なんだけど、そのままではいけない、前に進むべきだと粘り強く説得を続け、これからまた二人で研究を再開できると感じさせる終盤は力強い。

エンジニアが考えがちな、カメラを装備するということはしないのは上手くて、生々しさとはちょっと違う、センサーによって生存を確認するという距離感が、グロテスクを回避しているのです。

窓の外へロボットが進んで行きガラスの外に出て行く終幕、日暮れ時間にあわせているのは偶然から発見されたという演出だけれど、実に効果的。ロボットの小さなランプがチカチカするのもカッコイイ。

三本立ての連続公演、最終日を除いて全ての夜公演にカフェとして解放するのも嬉しく毎回のおつまみも嬉しい。カレーがまた旨いんだ、はまあ全体としての体験を補強して思い出させるのです。

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【芝居】「お蘭、登場」シスカンパニー

2018.7.15 14:30 [CoRich]

シスカンパニーと北村想が日本文学へのリスペクトを込めてオリジナル戯曲を創作するシリーズの第五回。16日までシアタートラム。90分。

滝を目前に謎めいた女の怪盗を追いつめた探偵と警部が追ってきたこれまでの事件。富豪の家の地下で殺され行李の中に発見された男に怪盗の陰。かと思えば科学捜査研究室に送られた生首は見せ物で蝋化している。倉庫には椅子が二つ、探偵の妻がどちらかに閉じこめられているが探偵は一つを迷わず撃つ。怪盗が狙っているのは数々の冤罪で死んだ兄弟の敵討ち。

江戸川乱歩への敬意を基本に描いた第五作、なるほど小泉今日子が演じる怪盗は江戸川蘭子、明智小五郎ならぬアキチ小五郎(堤真一)とメグロ警部(高橋克実)。そういえばタイトルだって、乱歩の短編「お勢登場」(未見)からか。

作家が持つ多くの知識、検索ではなく、頭の中にあるさまざまな知識の体系と断片をぐるぐるとかき混ぜてつなぎ合わせるおもしろさ。アタシは正直ちょいとそのスノップな雰囲気が苦手なところがあったりするのですが、全体はエンタメ、そこに細かく混ぜていくという方法は口上がりが良く、人気の役者で演じられるステージは楽しいのです。

単にエンタメ、というにとどまらず、カノン進行と同様に江戸川乱歩にはランポコードともいうべきひとつのカタチがあるのだという軽快な、あるいは独自な視点も楽しいのです。あるいは役者に任されたアドリブパート、全体としては椅子カンパニーならぬ主催するシスカンパニーの北村社長とその所属俳優の駆け引きというか関係を、パワハラギリギリ、みたいな説明で爆笑を誘います。

怪盗・お蘭の動機になっているのは、冤罪で殺され、その敵討ちなのです。日本の冤罪率も事件数についてのデータを混ぜながら、社会に対する視線も忘れない作家なのです。

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【芝居】「遠吠えの、コマーシャル」遠吠え

2018.7.14 20:00 [CoRich]

上演予定の15分ほどの短編または芝居のサワリを上演し投票する企画公演。全体で70分ほど。16日までSCOOL。

工場。男たち、社長の娘はお茶を出したりしている。年上の男に金を無心されている。年下の男は優しい。「コントロール・アン・ア・アン・アン・コントロール」
四人の女子高生。進路希望を書くアンケートが書けずにいる一人を三人が待っている。一人は一緒にライブに行きたい。ほかの二人は早くかえって大判焼きでも食べたい。世界平和、とアンケートに書く。「ギャル」
彼氏が猫になってしまったといい、トリマーの友人を呼びだした女。確かに猫になっているし砂をトイレにしているらしい「猫の呪い」
姉妹が部屋にいる。父親が居るはずだが、ホームランバーを買いにいきたいという妹は抜け出せるといって窓から出て行く。「朝子さんと夕子さん」

15分の短編を上演する企画はほかにもあれど、起承転結や物語として成立しないシーンを並べる、というちょっと珍しい企画。ブラッシュアップのためのリーディング公演などと同様で、どこに観客がヒットするかというのを試演し、(とりあえずとはいえ)レイティングするのはいいアイディアだと思います。

「コントロール〜」は何かの弱みを握られたかと思うほど従順に金を渡す女、その金で遊んでいる男、若い優しげな男の三人の芝居。工場の休憩所で男二人の関係、年上がキャバクラ好きだという説明、そこにお茶を持ってくる女のある種の立場の弱さ。そして二人きりになり金の無心、短い時間の中で関係性もこの場の問題点もきっちりと説明する確かな力。コーヒーの甘さがどうとかというちょっとしたフックが、この三人のなかにあるもう一つの気持ちのつながりを露わにしていく終幕も見事なのです。

「ギャル」はワタシがもっとも好きな一本。ギャルメイクばりばりの二人と、ロック好き×ちょいダサな二人という明確に違う二組。地味めな一人が信じてるという世界平和、見た目にもっとも派手なギャルがそれを信じ切っているのに、もう一人のギャルは冷笑し、ロック好きはそれは叶わぬ夢と信じていたい。パワーバランスというよりは二人×二人という枠組みがぐっと変化していくダイナミズムにわくわくするのです。そこにちょっと嫉妬が混じったり、心はもうライブハウスなのにチケット無くしてテンパるなど、ちょっと若くてまぶしくて、しかし私たちの年代からみても地続きな感じもあるダイナミックレンジの広さも見事なのです。

「猫〜」、ホラーと銘打つ一本。彼氏が猫になっちゃったというある種のファンタジーの枠組みのおもしろさ、猫まねがどれだけ笑いをとれるかみたいな側面もあるけれど、物語としての芯があるのは、その猫の呪いがどうして起きたかの一点。この短い芝居なので、それは最後の二言、三言と終幕直前の一瞬に集約しているのでちょっと油断するとわけわからなくなる危険性はあるけれど。

「朝子さんと夕子さん」は、ワタシ的には物語がちょっとピンとこない感じではあります。が、おそらくは妹が実は存在していない、という話なのかな、と創造するワタシです。15分の範囲の中では、だからどうなのか、あるいはどうしてそうなのか、と言うところまでは、ワタシ読み取れず。物語として成立させるためにはもう少し時間が必要だと感じます。

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2018.07.27

【芝居】「エンジェルボール」キャラメルボックス

2018.7.14 16:30 [CoRich]

飛騨俊吾の四巻からなる小説の前半部分をまずは舞台化。来演夏に後半の舞台化も発表されています。 16日までサンシャイン劇場。そのあと京都、広島。120分。

建設会社が倒産し地元因島に子供と戻った夫と子供、広島に勤める妻、野球が好きで、広島のチームが好きだったが、選手にはなれないまま歳を取り42歳になっている。野球部の同窓会の帰り、車にはねられて海に落ちるが、海底で天使に出会う。

ハマの番長こと三浦大輔の弟・三浦剛はキャラメルボックスのバイプレイヤーだけれど、意外にも初めての初演。木訥で、不器用な男を好演。 野球へのあこがれはあっても、生活のために働き家族の居る男。稼いでいる妻への引け目は、妻が別の男との方が幸せになると考えているかもしれないという疑心暗鬼。その中で起きる、奇跡の物語を演じます。

くすんだ生活を送る男が、天使からの授かり物・エンジェルボールで圧倒的な力を得るも、その使い方というかコンディションでその力の発揮も不安定なまま不慣れなプロ野球のマウンドを経験する、というながれ。前半とはいいながら、エンジェルボールが持つ闇を匂わせて来年夏の後半に繋げます。

今作だけに限って云えば、人物の造型を描き、ペナントレースのように多くの試合を走り続けるという男の骨格を描く事で終わってしまった印象。着地点を暗示しつつではあるので、その見えている着地点に向かって次をどう作るかは(原作未読ですが)、なかなかのハードル、という気がします。

謎めいた登場をした選手への取材をする女性記者、女性だからで近づけて言葉をとり、しかし出て行く記事はどちらの意図とも違う煽るような記事という取材者を描くのはもう一つの視点。女性だから近づけるとか、書いた記事が組み替えられても抗えないというのは、すこしばかりイマドキの現実に接している気はします。わりと敏感に反応してしまいがちな今のワタシですが、物語としてはそこを描くものではないので、意図的ではないにせよ、ちょっと肩すかしな感じは残ります。

42歳の剛速球投手を演じた三浦剛は人の良さがにじみ出るような造型が暖かい。大きな身体で振りかぶる投球のシーンもカッコイイ。その天使を演じた木村玲衣との身長差は結果としてはいい対比になっていて、ちょっとおしゃまで可愛らしい魅力。悪魔と契約したバッターを演じた鍛治本大樹のクールさ、しかし実況アナウンサー役のコミカルさとのコントラスト。その悪魔を演じた石森美咲はちょっとコミカルが勝るのはご愛敬。

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2018.07.24

【芝居】「日本文学盛衰史」青年団

2018.7.8 18:00 [CoRich]

四人の文学者(北村透谷・正岡子規・二葉亭四迷・夏目漱石)の通夜、葬式。遺族や若い文学者が参列している。

明治後期から大正にかけて、戦争に至る国の礎を作った時代、文学もその一部を担ったということを起点にし、四人の文学者の葬儀に集った文学者たちという体裁で物語を進めます。 原作となった同名の書籍(まだ読み終わってないけれど)は、現代の視点を巧みに織り交ぜながら文学者たちの文学との格闘を描くという想像力にあふれたパロディで、描いてるいくつかの断片は同じだけれど、見え方の風景はずいぶん異なります。が、敬意に裏打ちされた物語はどちらも確かに通底するのです。

当日パンフで作家は国で共通の言葉を持たなければならないという時代と文学の関係を背景として説明して始めます。物語全体から俯瞰すると、人は文学で死ねるかという序盤の問いかけは、牧歌的に感じられるのです。 物語は進み、人間の内面を表現する手段を手に入れた人々が内面を共有し広がり、それは大逆事件の引き金にもなって、その力が文学にあることを国が気づいて国民を怖がる時代への変遷を描いてみせる巧さ。

一方でその広がりは、貧乏人は文学を読めるようになるのか、という問いかけから、ベストセラーが人々に読まれるバブルを経て、携帯小説が広がり、人工知能が完璧な文学作品を作り出しベストセラーとなるがその完璧故にその後には誰も文学を読まない時代が来るという未来へ。しかし、人工知能が読む小説、という流れはまた、人間が文学を手に入れてきた時代をなぞるようでもあって、少しの希望を見せるのです。

もっとも、背骨はずいぶんの硬派に思うけれど、語り口は軽快でコミカルなのです。それぞれの時代の文学者たちを少々戯画的、世俗的に人間くさく描きながら、そこにチェルフィッチュ風の現代口語演劇(で演じられる「おおつごもり」が凄い)、スズキメソッドとか、あるいは朝日舞台芸術賞を8年でをすぐ休止しちゃうこと、あるいは蜷川幸雄から相撲協会、はては LINEスタンプやTwitter、#MeTooムーブメントなど、文学と世間とコミュニケーションにまつわるコネタを現代のものも巧妙に織り交ぜながら警戒に、時に爆笑を生みながら描くのです。 かみ砕いた軽い語り口、それにしても文学と国家、文学と戦争、あるいは文学と私たちという視点を盛衰史として俯瞰して描く今作、再演が実に楽しみなのです。

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2018.07.21

【芝居】「明日、つぐもの」シアターTRIBEプラス

2018.7.7 14:00 [CoRich]

シアターTRIBEプラス、と銘打ち客演も加えて。115分。8日まで上土劇場(ex. ピカデリーホール)。

異星人が降臨し島を占拠し、シールドで覆われていて政府も手出しができないまま3年が経っている。国民の不安は高まり、侵略を目論んでいるという人々が増えている。アメリカの新兵器で抑止の目処が立ち、攻撃開始まで数時間が迫っている。
地方の小さな劇団の事務所、主宰が姿を消して公演しないまま数年が経ちっている。ある日重大発表だとして劇団員に召集がかかる。久々に再会しそれぞれの暮らしも少しずつ変わっている。この事務所に主宰に客演に呼ばれた、という若い女が現れる。

序盤は公演をしないまま数年がたった劇団の人々の久々の再会でそれぞれのキャラクタを。前説で異星人の排斥を無邪気に訴える女の位置づけ、 最初にロッカーから現れる謎めいた女の存在は後半から明らかになっていきます。突然現れた異星人、災害のように現れたために不運な犠牲者も居て、知らない相手だから追い出すべきだという世論が普通になりつつある時代という背景。描かれるのはその中の一筋の希望なのです。

母星を失い宇宙をさまよい続ける人々、高度な科学技術を持ち、行くさきざきで戦争になってしまう反省を経て、地球人に対しては圧倒できるにも関わらず、共存を目指したいという異星人。地球を訪れてもやはり排斥の流れになりつつあって、しかし共存の道を探り種を蒔く物語。それは壮大で、理性を信じる力にあふれているのです。

それは現実の私たちから見える難民とその受け入れの話にも繋がることだけれど、現在はそれが排斥に向かいがちな現実。そういう意味ではこの物語は古きよき、そして余裕のあったアメリがの「宇宙大作戦」のテイストともいえるのです。もっとも、「宇宙大作戦」は地球人がさまざまな星を探検に訪れて時に摩擦を生みながらという話だけれど、今作はさかさまに、未開の地・地球を訪れた高度な文明人という視点なのです。そう、私たちは決して先進的ではないということは今の日本にも繋がるのです。

という小難しい話はあるにせよ、おじさん世代のSF好きにはフックするポイントも盛りだくさん。劇団名のMATは帰ってきたウルトラマンのアレっぽいマークだし、ワンダバな曲だったり、ロッカーから煙とともに出てくるのは蠅男(というか The Flyか)だったり。

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2018.07.20

【芝居】「nursery」serial number(ex. 風琴工房)

2018.7.1 18:00 [CoRich]

風琴工房改めserial numberでの連続上演の二本目。 前日譚を挟み90分。The Fleming Houseで7日まで。

タブロイド紙の記者が精神病院のスタッフに取材を申し込む。それには応じないが、亡くなった医師に関しての写真があるといい、スタッフに渡す。(前日譚・Secret of nursery)
自ら死を選んだ友人精神科医の患者を引き継ぐためにやってきた精神科医。そこに現れる あどけない天使のような患者だがある瞬間に別人格が現れる。父親からの虐待、年上の男を誘惑したあとの苦痛や殺人の苦痛を背負ってきたのはこの別人格だった。

前の週とはうってかわって、高い天井まで届く大きな棚、立派なデスクやソファなど、重厚で優秀な精神科医師の執務室といった雰囲気。クローズドの初演は赤羽橋近くだったと思うけれど、セレクトショップ地下にある本当に謎めいた地下の一室でそれも魅力的だった場所でした。まったく違う雰囲気だけれど、きちんとした執務の場所の雰囲気を全く違うテイストで細やかに作り出しています。なるほど、この場所で連続上演する、という作演の企み。場が鮮やかに変わっていく驚きと楽しさを久々に感じるのです。終演後にちょっと残って同行者や友人と乾杯してほろ酔いで駅まで向かう道の雰囲気もまた変わる帰路の楽しささえ。

例によって初演の時の記憶が途中まですっぽり抜け落ちていたアタシです。医師の謎めいた死、病院の信用を失墜させるようなスキャンダルを通した謎解き。あくまで純真で幼さすら感じさせる青年はしかし、中盤で現れた成長した青年であるもう一つの人格との対比で描かれます。

嫌なものは何一つ目にしないで生きてきから残っている純真さと、その嫌な部分をすべて背負ってきたがために大人にならざるを得なかったもう一つの人格。わりと早い段階でわかる過去の肉親の殺人ばかりではなく、その治療していたはずの医師が死を迎えることになったきっかけ、それを誘惑によって呼び込んだのが無自覚なイノセントで、それが一つの身体を共有しているということを自覚し押し殺し、誰にもそれを話せない苦しさ。人格が二つあるという経験はないワタシですが、そうなったら、そうだったらという未だ知らないことを想像することを強く後押しする力強いホンなのです。

新たに主治医となった意思を演じた酒巻誉洋の誠実なキャラクタ、亡くなった友人とその妻の為にも滞りなく患者を治療しようとするけれど、翻弄されそうになるパワーゲームの緻密さ。二重の人格を持つ男を演じた田島亮はその純真無垢な感じと大人な別人格のスイッチが切り替わる瞬間のわくわくする感じ。前日譚を演じた二人、作演を兼ねる詩森ろばを役者で拝見するのは珍しく、役者として決して上手いわけではないけれど、演じることでこの物語を舞台を作り出したのだという心意気を見せるよう。ワタシの観た回で記者を演じた杉木隆幸はちょっと粘着質で嫌な人物造型、翌週の期待も高まるのです。

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2018.07.14

【芝居】「ブロウクン・コンソート」パラドックス定数

2018.7.1 14:00 [CoRich]

2010年初演作。 7月1日までシアター風姿花伝。

知恵遅れの兄(小野)を支え、町工場で拳銃を密造する弟。出入りしていたヤクザが逮捕されて13年が経ち、出所してきた。13年を支えてきたのは弟分、警察とうまくやってきた。殺し屋だという非常勤講師(生津=素人)も出入りしている。

何人かでまわしていた工場も今は兄弟二人、一人にはしておけず面倒をみなければいけない状態の兄との二人暮らし。精度の高い加工技術を持つ職人が生きていくため、しかしそれが面白くて銃の加工をする。兄も手伝うが主導する弟は銃の精度を左右する銃身を削る加工は自分でやっていて。ヤクザ社会の兄貴と弟分のシノギの考え方の違いが混乱を持ち込んでいて。警察もこの工場で何が起きているかは分かっていて時に利己として、時にもっと大きなヤマのために利用している。この小さな工場に出入りする男たちの濃密な物語なのです。

それもこれも、この場所にある圧倒的な職人の技術が人を集め、それは時に良くないことを起こしつつ、暮らしていくこと。

二人の刑事の正義に対する姿勢、二人のヤクザのパワーバランス、二人の兄弟の葛藤。それぞれの関係が変化しながら、死と隣り合わせで、その生き方しかないこと、そのバランスの中で追い越されることの恐れが見え隠れするのです。いわゆる知恵遅れ、止められていたけれど銃身を削ってしまうこと、その精度の高さ。あるいは兄貴分が一挙に広げ大儲けしようとするのに対して弟は目立たずに続けることを選んでいたり、13年前も何かを企んでいたり。ヤクザに繋がる刑事たちの正義と腐敗のせめぎ合い。何かの大きな物語と云うよりは、そういって生きている人々を濃密に描き出すことが本当に居るかもしれない人が立ち現れるのです。

そういえば初演は渋谷、青山学院の大学生という設定で少々チャラい感じだった自称殺し屋は、再演の場所に合わせてか、目白駅前の大学の教員と変化。少々地味に見えて冷静でフラットにあり続ける造型に変化しているなんてのも、再演の楽しみ。

兄貴分を演じた渡辺芳博は粗雑さを、弟分を演じた今里真はサラリーマンのような細やかさの二面、年上の刑事を演じた森田ガンツは裏も表も知り尽くしたタヌキ、若い刑事を演じた加藤敦は正義が悪貨に駆逐されていくさまを絶妙に。大学教員を演じた生津徹はしゅっとしてカッコイイ。弟を演じた井内勇希は全てを背負って懸命に生きる男、いわゆる知恵遅れの兄を演じた小野ゆたかは一歩間違えればかなりよくない演出になりかねないところを、きちんと踏みとどまる確かな力。

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2018.07.13

【芝居】「D51-651」ウォーキング・スタッフP

2018.6.30 17:00 [CoRich]

2012年初演作をプロデュース公演として上演。 7月1日までシアター711。

初演は観ているのですが、パイプ組のイントラに組まれた舞台、という印象が強烈で、下山事件だとは記憶していても物語を殆ど覚えてない(まあ、たいていの芝居がそう、な)ワタシです。今作は、きっちりD51、正面からのいわばファザード、あるいは回転する機関室などという形で、具象的に作りました。これはこれで印象的。

改めて噛みしめてみると、国鉄のリストラ、謎めいた総裁の死。共産主義の脅威がいわれるようになった時代を背景に、雲の上のトップの悪口を仲間内で言い合う、あるいは職場の環境を改善したいという要求を口にすることすらも、反社会的だととらわれる息苦しさ。戦時中のそれとは違う、また一つの時代の閉塞感。今とは違うけれど、決して良くはない時代な雰囲気に共通点を見いだすワタシです。

1949年の下山事件、さらには国鉄がなくなり何十年も経っていて、その時代もかなり昔のこと。リストラや慢性的な赤字などの背景を実に丁寧に。戦後、満州鉄道から帰還してきた人々で人数が増え、機関士など職種の多様さゆえに転換も容易ではなく、戦後すぐで稼がなければいけない人々。膨れ上がった人員ではもう乗り切れず、リストラを断行しなければいけない背景が、事件に関わった機関士、機関助手、車掌、あるいは刑事や弁護士、役人という人々の会話を通して描き出されます。

一度姿を消し行方不明となったあとの礫死という事件なのに捜査が打ち切られ未解決事件となっているミステリー。国鉄トップの怪死。行き詰まる捜査と閉塞感の中から「犯人を仕立て上げる」ように矛先を共産主義の弾圧に梶を切るのもまた時代の背景なのです。組合員とトップの間での攻防はあっても、葬儀で弔辞というのはある種の人間のつながり、しかしその中身が体制批判が書かれていて読まれなかった、というあたりもぴりりと辛いのです。

帰らぬ人となっている筈の下山総裁本人を思わせる人物は、役人とクレジットされた福本伸一が二役で演じます。心穏やかな人間とそこにかかる重責を細やかに描きます。機関士を演じた俵木藤汰は実によくて、職人気質で情に篤く、社会の裏表も観てきた年輪をしっかり。若い機関助手を演じた大薮丘は木訥さが混じるようにイノセント。車掌を演じた伊達暁はインテリっぽさ、労働組合に入ってるようなインテリっぽさ。警官を演じた石田佳央は権力を自覚しつつもエキセントリックで短気な人物像★、 弁護士を演じた谷山知宏は木訥に見えて内にたぎる正義の想いがちょっとかっこいい。

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2018.07.11

【芝居】「ザ・空気 ver.2 誰も書いてはならぬ」二兎社

2018.6.30 14:00  [CoRich]

政治と既存メディアの距離感を描く105分。9月2日まで東京芸術劇場シアターイースト。そのあと全国ツアー(埼玉・三重・愛知・長野・岩手・山形・山口・福岡・兵庫・愛知・滋賀)へ。

国会議事堂を望む、国会記者会館の屋上。本来は加盟社以外には許されないが、ネットメディアの記者がデモの撮影のために忍び込むことに成功する。
総理が答えられるよう会見の想定問答の原稿を共用コピー機で見つけた若い記者は保守寄りの自分の社では記事にできないと知人の他社の記者と屋上で相談しているところに居合わせる。

何かということは明らかにされないけれど、政権に不利な証拠が出てきて開くざるをえなくなった記者会見、ここを乗り切れば国民は忘れ政権のマイナスは無かったことになるだろうという正念場。 記者会見で国民に代わって追求する役割を持っているはずのマスコミが想定問答を提供し、無事に記者会見を乗り切り政権を積極的に支えよう、ということをしている事件。世間にそれがバレたらまずいという自覚はあるけれど、バレない限りはそうすること自体は悪いことだとみじんも感じてない人々と、それに取り込まれる若者、批判的な立場ではあるけれどこれも既存メディアで記者クラブ加盟の雑誌社、そこには入ることもできず明確に取材の機械を奪われる新進のメディア。

保守と革新、右と左といった立ち位置ばかりではなく、政治を監視するという役割を果たすべき報道が、記者クラブという既得権益と一種の利益供与ゆえに切っ先が鈍るどころが政権にすりよりなれ合う構図になっていること。今作は少々青臭い理想を抱くネットメディアを切り口に、しかし過去には既存のメディアもまた理想を体現していた筈なのだという時間軸を背景に。あるいは、海外のメディアならそれを突破してくれるかもしれないという外圧頼みの頼りなさもまた、#MeTooムーブメントとBBCの番組を想起させる絶妙のタイミングなのです。

背景こそ今の政治の誠意のない会見のあり方やマスコミの状況という少々深刻な話ではあるけれど、芝居という目で見ると芸達者の役者そろい、時にオーバーアクションでコミカルに進められる物語は軽快で、爆笑が続く気楽に観られる物語に仕上がっています。 が、それはかつてテレビの演芸やコントという形でも広く行われていたことで、そんなことはありえないコントであったり、あるいは直接的で鋭く軽快な「風刺」は今やテレビで目にすることはほとんどなくなっているという事実を明らかにすることでもあって、これもまたマスメディアの層の薄さを痛感させられ、絶望的な気持ちにすらなるのです。

とりわけ、政権とべったりの新聞・論説主幹を演じた松尾貴史は、モノマネの巧さが圧巻で、口調ばかりでなく皆が嘘だと判っていても認めない、あるいは質問に答えない今時の国会答弁を想起させて本当に腹立たしいほどのリアリティ(誉めています)で描き出します。

あるいは政権べったりな公共放送の女性記者、といえばの彼女を思い起こさせる馬渕英里何は、「首相を育て上げた」とまでいう痛々しいほどに激しく首相に思い入れたキャラクタを印象的に。 お花畑とまでいわれる青臭い理想に向かう弱小ネットメディアのカメラマン兼記者を演じる安田成美は、私たちの生活の延長線上のような雰囲気もまとい私たちの視線に寄り添います。

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2018.07.09

【芝居】「ワタナベの自伝」あひるなんちゃら関村個人企画

2018.6.24 17:00 [CoRich]

55分。24日までlive space anima。

余命を宣告された男は思い立って自伝を書くことにする。妹は兄にセンスがないと知っていて懸念を抱くが兄の決心は変わらない。さらに本人が見つけてきた編集者は頼りない。

自伝を書くなんて恥ずかしいことをやりたくて行動に移す兄、余命限られるからそれを応援したい気持ちはあるけどつっこまずには居られない妹、本人がつれてきたけどどうにも使えないし自覚もない編集者の三人で描かれる、自伝をめぐる物語。

宇宙飛行士だった兄、打ち上げを見に行ったけど忘れているといった今までのシリーズ (1, 2, 3) の物語にゆるやかにつながりながら、宇宙飛行士だった男のちょっとネジが外れて抜けた感じに、輪を掛けてめちゃくちゃな編集者がかき混ぜていきます。余命幾ばくもないとか宇宙飛行士、自伝を書くといった非日常な話ではあるのだけれど、ダメ兄としっかり者の妹とか、やらなきゃ行けない原稿書きが一文字も進まないとか、仕事出来ないけど調子の良さだけで乗り切るような、日常の延長線上にありそうな小さな会話をデフォルメして描きます。

宇宙から地球を見ても美しいとは思わないし、かけがえのない、というわけでもないけれど、見たことないものを見ると広がる世界、というのは、あひるなんちゃら「ピッピピがいた宇宙」のテーマ曲(pdf)にある歌詞「宇宙の話をしよう、小さな僕を知る」が根幹で繋がっていて、一つのユニバースを作り出すのです。

兄が書いた自伝を読まないと言い張ってた妹が終幕でちょっとだけ読むというラストシーン、感動に落とし込まず軽く終わるのもよいのです。 このシリーズは今まで二人芝居だったけれど、この小さな空間での三人芝居。そういう意味ではシリーズの新しい局面だったりもします。

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【芝居】「Next Move」serial number(ex 風琴工房)

2018.6.23 18:00 [CoRich]

風琴工房(検索しやすい名前で有り難かったのだけれど)が名前をserial numberと変えての再出発。いちどクローズドで試演されたものを同じ役者で三本の連続上演。26日まで。60分。The Fleming House

子供の頃から頭角を現し、棋士になることを夢ではなく現実のゴールとしてとらえる若者。中学生になってプロの階段を上るべく入った奨励会からの日々、26歳までに四段に昇格しなければプロになれないという厳しい世界を舞台にして、奨励会に入った頃は天才と呼ばれスムーズに進むし未来は大きく広がっているけれど、それぞれが壁に突き当たり、ペースを崩しタイムリミットギリギリまでかかってしまうのです。

現実の世界ではハイペースで駆け上がる華やかな棋士が世間を沸かせているけれど、それとは対照的に血を吐くやっとの想いでたどりつく、「凡人」の姿。もっともそれは奨励会という場所に居るだけで相当にハイレベルなわけで、そこの中での順位に過ぎないのだけれど、中学生から将棋だけの人生を26歳まで続け、「26歳の無職を作り出す」ということの現実の残酷さという舞台でもがく若者二人の崖っぷちの攻防に手に汗を握るのです。

奔放で「うるさい」将棋を指す男を演じた田島亮は、ひたすらに明るく社交的、ブレザー姿のイケてる感じもらしい感じ。対照的に本当に将棋だけの人生という投資商品、だから荒れた生活で挫折を見せる男を演じた佐野功、冷静沈着な男が時折みせるほころびの可愛らしさが愛おしく。

短い時間の中にテンポ良く、友情と努力と勝利と挫折をぎゅっと詰め込んだ軽快な一本なのです。Next moveというタイトルがまた、この劇団の「次の一歩」とのダブルミーニングににもなって、船出を祝いたいと思うのです。

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2018.07.06

【芝居】「海越えの花たち」てがみ座

2018.6.23 14:00 [CoRich]

130分。6月26日まで紀伊國屋ホール。

太平洋戦争の終盤から戦後の長い時間、朝鮮と呼ばれていた南北分断前から半島の南側に取り残され、あるいは自分の意志で残った女たちの長い物語。朝鮮の名家に嫁いだ女、終戦とともに支配階級でなくなった日本人への風当たりは強くなっていても不在となった家長に変わり家を守る。あるいは恋人とともに大陸に渡ったが終戦とともに捨てられた女、終戦後に原爆被害に遭った夫とともに大陸に来たり、夫について大陸に渡ったが朝鮮戦争の混乱の中、夫や子供を離れていた女たちは、この家に偶然集うようになり、暮らしている。 朝鮮戦争は朝鮮の男たちを生活の場から奪うが、ナザレ園として教会の機能と女たちの生活の場であり続けたこの場所で女たちは暮らしている。

日本の敗戦、半島の独立の時代を通して、困難な状況の中でも力強く「暮らす」女たち。それは直接の戦闘ではないけれど、マッコリ作りや駅の物売りで稼ぎ、守り、生活を成り立たせていくこと。 現実にあるナザレ園をモチーフにしながら、生まれ育った国とは断絶された国交の中で生きていく人々、女性の立場を主眼に描くのです。

4人の女たちはみな同じ国の国民として朝鮮人と結婚し大陸に渡ります。あるものは自分の意志で残り、あるものは帰りたかったがその手段がなく、あるものは日本の敗戦後にそれぞれの考えて大陸に渡り、と、この場所にいる立場はそれぞれ。それまでは支配する側だった日本人の立場はくるりと変わり、マイノリティで見下される側に変化するなかで凛として生き抜く人々の美しさ。描き方として少々理想に過ぎる感はあるものの、大きな問題ではありません。 さらには被爆した外国人の立場を交えながら、朝鮮戦争、ベトナム戦争を経て朝鮮という半島のありかたも大きく変わってくるけれど、それでもなお彼らは共生しているのです。

時代を経て国交が回復しても、かならずしも一筋縄とはいかない終盤。結果は望ましいとはいえないけれど、役人を含めた現場の誠意はあり、記録ゆえに祖国には戻れないけれど、残された記録で戻れる人もいて。当時の時代のすべてではないだろうけれど、時代のありかたの矜持のようなものは、地続きであるはずの私たちの時代では望めなくなってしまったかもしれない、と絶望な気持ちにもなるのです。

終幕、あのにぎやかな時代を駆け抜けた女の死、周りの学生運動の大きな音にかき消されながら孤独に亡くなっていくことのどうにもやりきれなさはワタシの気持ちを大きくかき乱すのです。

この家を守り続ける妻を演じた石村みかの凛とした美しさ。戻れずマッコリ作りで力強く生きる女を演じた桑原裕子のがらっぱちな雰囲気、しかし恋心もあったりする可愛らしさ。夫や子供と別れた女を演じた西山水木、原爆に遭った男に寄り添う女を演じた内田慈もまた、きちんと造型。使用人で笑いを取りながら、この場所を守り続けた男を演じた半海一晃は本当に格好良く印象に残るのです。

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2018.07.02

【芝居】「ボーダーリング」やみ・あがりシアター

2018.6.9 15:00 [CoRich]

婚活の現場デフォルメして悲喜こもごもに描く110分。10日まで高円寺ラビネスト。

忍者の跡取りの男は結婚して一人前になれと言われるが許嫁だったはずの女は断ってくる。結婚相談所に申し込み、婚活を始める。 ボーダー柄で声も大きくテンション高く一方的にしゃべりがちな男はパーティでもなかなかカップリングに成功しない。しのぶ、という名前の地味な女に惹かれる。式典会社に勤めているという女は、男の存在が薄いというが、それは鯨幕が見慣れているからで、むしろどんどん惹かれていく。
婚活パーティには何年もパーティに通い慣れた常連、高スペックを望もうありのままの自分を受け入れてほしいと思ってジャージ姿のすっぴんで現れる女が居たりする。
結婚を受けなかった許嫁の女もまた忍者で、この婚活パーティには、政治家の息子が出馬をねらい結婚相手を捜しにきていることを知り潜入している。

忍者などのファンタジーを交えつつも、婚活パーティの人々を点描するコメディ。恋愛よりも結婚のための相手を捜す場所、自分のスペックと望む相手のスペックのバランスの悲喜こもごも。そのために自分を変えることだったり、何に妥協しないかというこだわりことだったり。作家の経験から発せられたものかはわからないけれど、なるほどいわゆる適齢期の男女なら感じるかもしれないことを、いろんなタイプの人々を交え丁寧に描くのです。

同じ場面を何度か繰り返しますが、それは立場や視点が変わった描かれ方。慣れない婚活、慣れすぎて日常になっている婚活、政治家の息子、普通の人、化粧などで大きく変化して変わる周りの態度など、どの立場からその場を見ているかで微妙に印象が変わっていくおもしろさ。

収まるところに収まる雰囲気、ダンスホールな雰囲気は大団円ともいえますが、もしかしたら芝居と同様、婚活もまたたいていの人にとっては人生のほんの短い時間のから騒ぎでもあって、それは夢かもしれないことという印象をより強く感じさせるのです。

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【芝居】「ツヤマジケン」日本のラジオ

2018.6.8 20:00 [CoRich]

2014年の初演もそうでしたが、平日20時開演がありがたい。アゴラ劇場。100分。

初演と物語そのものは大きく変わらない印象で、合宿に訪れた女子校演劇部と、やる気のない顧問、何かを隠してる管理人と、ライフルと日本刀を携え隠れている男たちのリアルタイム。

教師に恋したり、他校の男子に恋したりはあっても、全体としては女子校の中、さらに演劇部の中だけの女子たちのないまぜな感情。モチーフとしての女子校、津山事件を借景にながらも、物語の中心となるのは、いろんな生徒たちが箱庭のように小さなコミュニティで関係をつくりながら、いろいろに感じ行動したことを「観察する」ようにゆるやかに描くこと。女子高生という属性で描くことである種の消費になってることは否めない、というのが昨今のワタシの感じ方だけれど、正直に白状すれば、まぶしくさえある彼女たちのさえずりが心地よく感じるのも本当のことで。

世界観という意味では今作は、制服をオリジナルで作るというスタイリッシュさは今回の特徴。

最初に気付く二年生を演じた藤本紗也香、イノセントで鋭くという重要なポジション、あくまでフラットにきっちりと造型。そとに恋人が居て携帯の電波を探し続ける二年生を演じた田中渚、スクールカースト上位っぽい感じ。おどおどした造型で部長を演じた鶴田理紗は美しく、きっちりとできる副部長を演じた久保瑠衣香の頼れる感じ。もう一人の三年生を演じた沈ゆうこは、楽しい筈の部活、何かを取られたようなちょっと息苦しい雰囲気が切ない。噂話が好きでしかし合コン的な交流会に呼んでもられえない二年生を演じた瀬戸ゆりかもまた、ある種のコミュニティにしがみつく必死さが印象的。隠れている男を演じた安東信助は異物感が凄くてしかし台詞から木訥な雰囲気もまた「現代的な」女子高生とのコントラストと狂気。何かを隠していた管理人を演じた野田慈伸はこの手の怪しい人物の説得力が抜群。

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