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2018.02.22

【芝居】「天はすべて許し給う」鵺的 (鵺的トライアル)

2018.2.11 14:30 [CoRich]

13日までサコフレリオ新宿シアター。120分。

毎朝見かける女を一方的に見初めた既婚の男、結婚が決まっている会社の同僚の女に断られても言い寄りつづけている男、知り合いの芝居見に行って女優を見初めて、恋仲になりたい男。ネットで知り合った三人の男は、うち一人の工場の敷地内に作られた小屋に三人の女を拉致し監禁する。敷地内につくられた溶鉱炉で何でも消せるとまで豪語する。
鎖が切られぼや騒ぎが起きたすきに逃げ出した三人の女は一人の友人の弁護士の女に相談する。裁判でも勝てるといわれたが、結婚相手に知られたりキャリアに傷がつくと思い踏み切れない女たちは訴えを起こさない。

序盤こそところどころコミカルなシーンもあるしその背景や関係は様々だけれど、基本的に描かれるのは自分の想いを根拠なく肯定し、好きだとはいいながら相手がどう感じているかについては想像力の及ばない男たちの暴走。自分の想いは正しいし理解されなければいけないし、理解されないのは相手が悪いという一方的な気持ちが女たちを傷つけます。助ける男がいたり、女を傷つけることに躊躇のない女も居たりするけれど、基本的には女たちが男に対して戦う、という構図で描きます。

日常生活を普通に送れていたはずの男たちの暴走のキッカケはネットを介しての知り合い、それぞれの生活の中では世間体とか社会の目が直接的な暴力を押しとどめていたけれど、絶対にバレないブラックホールこと秘密の溶鉱炉(人間を入れても証拠なく燃え尽きる)に人気のない私有地の工場という強力な武器を持った知人を手に入れたこと、その持ち主が背中を押して始まる悲劇なのです。

監禁された女たちは偶然と多少の好意(とはいえこちらもストーカー案件だったりするのだけれど)が巧くいって監禁からは抜け出します。これがハッピーエンドというわけではありません。その先の困難が物語の本領。それは、 被害にあった女たちは酷い目にあって、弁護士の後押しがあっても警察への届け出に躊躇します。一人はそうしたいと思っても他の二人の女たちが止めるのです。それはキャリアや結婚、あるいは女優という仕事だからというそれぞれの理由だけれども、結果としては男たちが犯した罪を女たちが隠蔽することになるのです。

もちろん、それで終わりというわけではありません。一人の男は偶然に容赦なく悲劇的に命を落とします。ストーカー相手には贖罪にもならない自分の想いを綴った手紙を送り、妻との生活に戻り何事もなく生活を再開しようとしていた男の元には弁護士とその女が訪れ。妻をも巻き込み、男への反撃を成し遂げるのです。まったく意味合いは違うけれど、アタシが子どもの頃に桃太郎が鬼を倒したような、勝てそうもない相手を倒す喝采と、その血みどろの戦いでも勝ち取らなければならないことの大変さに、絶望的な気持ちにすらなるのです。

終幕は、もう女たちは隠すことはしないで声を上げよう、行動しよう、というこれからも長い道のりだけれど、光明が差す希望なのです。弁護士が女たちを助けた理由は単に正義感だけではない、というのもちょっと人間臭くて説得力を持ちますが、もしかしたらこれも新たな監禁かもしれないとも思うのです。

小劇場の終演後、いわゆる出待ちはよくある風景ですし、ワタシだってそれを全くしないわけではありません。 そのご挨拶でみせる俳優たちの笑顔や嬉しさを表す言葉、営業のためのスマイルだとしても自分への好意だと勘違いすること。演出家の権力みたいな話が世の中にはあったりするけれど、観客だって一歩間違えば、互いの距離感の齟齬が犯罪の境界を越えてしまうことに思い及び、ちょっと自分に絶望を抱える気持ちにもなるのです。そう知り合いという座組ではなかったからだけれど、この芝居をみて俳優女優の出待ち挨拶はできないぐらいに気持ちをえぐられるのです。

前半では所々の笑い。ワタシは女優の出待ち男たちのシーンで自分を観るようで笑ってしまうけれど、後半のかなり陰惨なシーンで起こる笑いは違和感を持ちます。おそらく作家の意図ではなくて、観客の何人かが自分の内面に照らしてのものだろうけれど、自分の中で生じた違和感の正体はちょっと知りたいような怖いような気がします。

三人のストーカーを演じた男たち、溶鉱炉の持ち主を演じた江原大介は犯罪への後押し、がさつさをもって物語を転がす重要な役が巧い。同僚の女に言い寄る男を演じた小平伸一郎、言い寄っても成し遂げられない想い、断られている言葉は聞こえているのに変わらないことの怖さ。近所の顔を合わせている女に想いを寄せる男を演じた 酒巻誉洋、静かな狂気、とりわけ後半の本当に身勝手な手紙をフラットに読む怖さ。

襲われた女を演じた女優たち。それぞれのシーンのストレスは演じているのだとしても(舞台ではそれを何ステージも)相当なものだろうと想像します。顔を合わせていただけの女を演じた奥野亮子は何事が起こったか判らないなかの恐怖という前半の骨格をしっかり、キャリアを取る女を演じた川添美和は前半の凛とした力強さ、終幕のもう次を殺しに行く思いきりの力強さの対比の迫力。女優を演じた堤千穂は営業スマイルの可愛らしさ、勘違いされかねない、という説得力。金を払えば何でもする探偵社の女を演じた湯舟すぴかのフラットさも怖い、がこれを演じるのもストレスだろうと思うのです。

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【芝居】「目頭を押さえた」 サンモールスタジオ(iaku+小松台東)

2018.2.4 13:00 [CoRich]

2012年初演作、ワタシは2013年のアゴラでの再演から。4日までサンモールスタジオ。

遺影をとり続け、コンテストで全国一になる高校生。モデルの幼なじみ。近くの短大じゃなくて、東京に行きたいという。幼なじみはそれが面白くない。 父親は葬儀屋、亡き妻の住んでいたこの町で仕事をしているが、林業のオジサンは、喪屋を持ち地元の葬儀の形を守っているが、普通の葬儀を持ち込んだことで二人の間はぎくしゃくしている。

語られる方言を宮崎弁に変えたものの、林業による落下事故と死者を安置する喪屋という独特の因習をもつ地域を背景に、この地域出身の妻を亡くして伝手をたどって住むようになった一般的な葬儀屋と地元の因習の微妙な距離感、この土地で育った従姉妹同士の女子高生ふたりの進路と友情をめぐる関係、 あるいは、田舎特有の狭いコミュニティだったりをごく細やかに、役者の人数も実にぴったりで濃密な空間を描くのです。

初演で感じたワタシ自身の熱い感想、役者も言葉もわりと違うのに、今読み直してみても実はあまり変わりません。力のある物語が細やかな登場人物たちを通してきちんと描かれること、その役に過不足のない人数であること、美しさすら感じるこの世界なのです。

初演でも出演したものの違う役である葬儀屋を演じた緒方晋、娘のためこの土地に溶け込みたい一心の腰の低さがちょっと珍しい感じで新たな魅力。林業をいとなむ喪屋を持つ男を演じた松本哲也は不機嫌が勝る造型、この土地で暮らし続けてきた自信と責任が滲む奥行き。妻を演じた森谷ふみはひたすらに明るく快活な、あるいは周りに対して不機嫌な夫の緩衝材になるよう気を遣ってるのだろうなという造形。

教師を演じた村上誠基はコミカルな感じは封印、まっすぐな、しかし若くはないが生徒を想う教師像。家庭教師を演じた斎藤ナツ子は絵に描いたような都会の女性をしっかり。大学生の役だけれど、彼女自身が大学生だった舞台を目にしたのは何年前だ。変わらないことに驚きます。

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2018.02.18

【イベント】「ナンチャテおちゃめ宇宙」(月いちリーディング / 18年2月)

2018.2.3 18:00 [CoRich]

劇作家協会のブラッシュアップリーディング。本編120分、そのあと休憩を挟んで観客を交え90分弱のブラッシュアップの議論。

足に障害を持つ女の子は母親とともに帰ってこない父親を待っているが、それを見かけたテレビ局のADが父親を見つけるために広く呼びかけるべきだという誘いから、上京し障害者バラエティで人気を博すがすぐに降板の憂き目にあう。
原発事故をきっかけに富山一県に原発を集中する国策は、天皇の「お気持ち」を利用してはじまり、農協連の反対にもかかわらず、県民の目立った反対もなく20年の歳月をかけて成し遂げられた。前の原発事故は係員が「宇宙の姿を見たい」と意図的に冷却を止めたことで起き、逮捕収監された。 20年経って脱獄し、再び富山に戻ってきた。あのときに作っていた爆弾はそのままに、再び宇宙を見たい、と行動を起こす。

リーディングとしては少々長くがっつり120分。役も多く、複数の役を演じての上演。 放射線障害の娘、父親を捜すためにその身体を晒して東京でバラエティに出ることで始まる物語。原発事故が起こった場所だからこそ、そこに原発を集中させてエネルギー問題を解決しようという思惑が政府にあるということを物語の下敷きにしています。物語の骨格としては、かつて原発事故を起こした男が20年の時を経て再びその先を見たい、という突き進む衝動が後半を駆動します。

童貞天皇とかそれを利用しようとする思惑とか、バリバラ、レイプ、原発事故とそれを望む男などさまざまな要素を詰め込み、ところどころ露悪的な物言いをしたりもします。 それなのにところどころで、そうせざるを得ない人間の衝動や翻弄される人々を細やかに描くところもあって、ありていにいえば荒削りでアンバランスなのだけど、人を傷つけるであろうことも含めて作家が自分で背負う覚悟を持ち、意図的にこの世界を描いているのだとしたら、それはたいしたもので、背負い続ける意味があるのかなと思ったりもします。

たとえば、バラエティ降板やレイプなど酷い目にあった娘が帰郷の段に至り酷い目に遭ったことを自覚し、その瞬間はその感情に気づけなかったけれど、自分が怒っているのだということに気づくシーンはちょっと凄みがあると思います。あるいはきらきらと輝く光を見たいと原発事故を意図的に起こし、その気持ちを捨てきれずにもう一度同じことを起こしてしまう男の存在も、難しいバランスの、しかし魅力的な人物ではあるのです。

初演時点ではかなり酷評を受けたのだといいます。確かに露悪的な題材をわりと軽く扱う語り口でそれが大量に詰め込まれている時点で受け入れがたい観客がいそうなことも理解できます。対してこのリーディングでは、枠組みとして「いいところを挙げる」から始まる枠組みと決めていることもあって、酷評があからさまにされることはなくて、むしろ面白いという意見が多くなるのはこのイベントのバイアスではあります。あるいは身体の障害もリーディングでは形としては見えないというのもプラスに働いた可能性はあります。 確かに露悪的だけれど、その中で描かれている細やかで臆病な感情にプラスを見いだすことができるのはこのリーディングの美点。正直に言えば、もう少し登場人物が整理されてコンパクトになればな、とは思います。

父親を演じた武子太郎は時にニヒルだったりするからか、物語は違うのに「太陽を盗んだ男」を感じてしまうアタシです。かっこいい。 娘を演じた藤本紗也香は力強くしかし不器用に生きる人物が透け見えるよう。 天皇などを演じた小林至は年齢を重ねるにつれての奥行き。思えば彼が大学生の頃から観ていて、そりゃワタシも歳をとるはずです。

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【芝居】「俺を縛れ!」柿喰う客

2018.2.3 14:00 [CoRich]

2008年初演作を 4日まで本多劇場。120分。初演再演の比較表を載せているサイトがあります(ありがたい)

大名に対して将軍が命じた各々のキャラ居続けることを義務づける命令。幕府に忠義を尽くす貧乏大名に命じられたのは、「将軍家に対する裏切り」で、1ヶ月以内に幕府への反抗を命じられた。矛盾に悩む貧乏侍だが、従うことを決める。

初演を観ているのにすっかり記憶がないのはワタシのいつもの通りですが、初めて柿を観たときのような、人数が多く、軽い台詞を大量に重ねるというスタイル、ちょっと懐かしいぐらいでエンタテインメントとしての楽しさを思い出します。ハシゴ状の高い壁で舞台を囲み、空中に留まり忍者や「顔も名前も明かさない女」が監視し続ける中でのさまざまな話し。

身体が不自由で奇行も多かったという徳川家重(wikipedia)をモデルに(スタイルは全く違うけれど、「治天の君」を思い出すアタシです)、突然言い出した奇妙な「キャラ縛り」の命。戸惑う人々、落ち着き処をみつけようとする右往左往をコメディとして描きます。

背景のハシゴに登り続け監視しつづけている七味まゆ味、葉丸あすか体力もさることながら、その見栄えの美しさも効果的。貧乏侍の娘をパワフルに演じた宮下雄也、初演の村上誠基が見え隠れはするものの、しっかりと印象的。その父親を演じた永島敬三は思えばしっかりと主役を背負うちから。

【ねたばれかも】

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2018.02.17

【芝居】「三文オペラ」神奈川芸術劇場P

2018.2.2 19:00 [CoRich]

20分休憩込みの3時間、4日までKAATのあと札幌。ワタシはタイトルだけは知っていたけど粗筋すら初見です。

乞食を束ね縄張りを調整する男ピーチャム商会を名乗る。娘には玉の輿を夢見る夫婦だが、娘は結婚相手を見つけてきたという。金持ちではあるが泥棒の親玉、警察にも手をまわして謳歌している。 結婚を潰したい娘の親、警察に訴えるもなかなか動かず、しかし刑務所には入れて快適な日々を送るが、 人々の訴え、民衆がこれだけ動けば警察長官は友人とはいえ動かざるを得ない。果たして絞首刑になる。

元々が音楽劇で、オペラとしてもミュージカルとしても上演されることがあるということすら知らずにみたアタシです。wikipediaを信じると、大幅に再構成しつつも、物語どころか、思想の根幹まできっちりパッケージしつつ、結果として今の生活をするワタシに地続きに感じることも多くて、なるほど、時代が変わっても、権力が絡めばおなじように酷かったり愚かだったりすることを描くという、古びない物語の力を感じるのです。

とりわけ印象的なのは、舞台両袖でスタンディングのP席なる観客、(開場1時間前に集合というハードルが超えられず行けなくて無念)、キッカケにあわせて歌ったりという緩い演出家と高をくくっていたけれど、この役割は、「民衆」を具現化して(P席以外の)観客が敵対者として目の当たりにする、ということの効果に心の底から驚き、その波動にワタシの心が動くのです。

それは 今のワタシの気持ちにつながります。金持ちとか政治家だけが肥え太るというような。ワタシだって今のところPチャム商会(=貧民)側ではないと思うし、そこそこの金額のチケットを買ったP席の観客だって貧民ではありません。それは初演からきっと変わりません。ある種のロールプレイではあって、それはもちろん現実にそうある人々とは違うけれど、せめてそういう人々の存在を認識し、想像力を働かせること。生の舞台の迫力だから呼び起こされる、エンゲキの力を感じるのです。

元々の三文オペラがどうかはわからないけれど、いくつかの整理はされているようで見やすく、しかも民衆と権力のせめぎ合いという、おそらくは演出家の意図がきちんと体現されていて見事な舞台なのです。

乞食の首領を演じた白井晃が実に見事、ときに狂言回しっぽいけれど、娘を思い突き進む人物の説得力、その妻を演じた村岡希美、こちらもコミカルが楽しくしかも美しく。 警察署長を演じた高橋和也、権力であるく中年男、悲哀も背負いつつの厚み。 娼婦を演じた貴城けい、重厚な歌、神々しいのです。

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2018.02.10

【芝居】「OLと課長さん」関村と浅野

2018.1.28 17:00 [CoRich]

2014年初演を4年ぶり再演。

初演に比べると中年男の課長を女性に変えたということが変化点。たったそれだけで、ちょっとがさつで哀愁さえ漂わせていた課長の造形も台詞のひとつひとつもこんなに難しくなると思い知るのです。 パワフルな後輩、アイドルになりたい先輩というOLたちはわりと粗雑かつ確信的に言いたい放題だけれど、課長が女性というだけで、その言葉の強さでは、と危惧する場面は少なくありません。 その課長を演じた異儀田夏葉は絶妙のバランスで、凄みすら感じるのです。

ターミネータのような無敵ではなく、傷つきながらも役割と敬意をもってそれを人に見せずに接すること。いつしかワタシは彼女を応援する気持ちに。男性が演じた初演では感じなかったのに、こんなにワタシの気持ちが変化することの発見にびっくりするのです。笑いに来て、もちろん笑ったのだけれど。

課長を演じた異儀田夏葉は悲哀ありつつ、惨めにならない強さという実に難しいバランスをきっちりと描き切る確かな力。アイドルになりたい先輩OLを演じた後藤飛鳥は、ありうるかもしれないという可愛らしさ、わりと理性的なのにアイドルになるところだけの評価軸がちょっと狂ってるかんじが楽しい。後輩OLを演じた伊達香苗、MCRでのパワフルさばかり観てる気がするけれど、ちゃんときゃっきゃというOL風味の説得力の厚み。芸達者の3人が演じる時間の濃密さなのです。

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【芝居】「アイドルスター☆トール!」関村と浅野

2018.1.28 15:00 [CoRich]

初演時に開演時間の勘違いで見られなかったワタシ的に痛恨の一本、待望の再演。50分。

アイドルスターを追いかける中年のおじさん。しかしファンは増えずライブもたいてい客はそのおじさんひとりだったりする。ある日、アイドルは卒業を発表する。

若くはないアイドルにハマった中年のおじさん、という構図。男同士でしかも(BL含めた)恋愛要素ゼロで描いて、ほんとうに純粋なアイドルとファンの距離感を実にストイックに描くのです。客が一人でも熱中し応援したいと思う熱意。幻想を信じようとする努力。会えばものすごく緊張するぐらいに好きなのに会うための出待ちという発想がそもそもないという描き方はたとえば小劇場のファンと役者にも通じたりして、多くのことを思い起こさせます。 アイドルに対してファン一人というのはコミカルではあるけれど、観客と演者は一対一、というのはどこかの芝居の前説のようだけれど、観客の姿勢としてもライブの見方としても実に正しくて、ストイックで気高くすらあって。 なるほど、関村俊介のアイドル論なのです。

スターを演じた佐藤達は出落ち感あれどきっちり一曲は踊りきって思いの外かっこよくて。ファンを演じた渡辺裕也は憬れる側のぱっとしない雰囲気とか、スターの事を考え過ぎちゃう造型が緻密。マネージャーを演じた関村俊介、昨今出ることは少なくなってるだけに、久々に観てもあまり良くも悪くもなってないのは、ワタシにとっての喜ばしいことなのです。

アンコール、という体裁で観客もきっちり巻き込むのも楽しいのです。

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2018.02.08

【芝居】「神奈川かもめ短編演劇祭」(Bブロック)

2018.1.27 19:00 [CoRich]

Aブロックから日をあけてBブロック。120分。

新宿紀ノ国屋書店で人を待つ女、万引きGメンが呼び止める。夫と子供を待っているという。子供のできない夫婦の旅行、ガラパゴス島で突然夫は卵を産み、子供を育てるという。女は一足先に帰国し夫と子供を待っているという「彗星たちのスケルツォ」架空畳(かくうじょう)(東京)
家族についての実験をしてみせる。父母と息子、その妻と子供、息子の弟が暮らしている。妻は家を出て、数年後息子も亡くした夫は、一人歳をとり、犬を息子のようにかわいがっている。 「代案家庭生態報告書」劇団同感(韓国ソウル)
路面に毎日タンスを引いてやってくる男。札付きの息子が初めてやりたいといった飲食の勉強のため、その旅費を工面するために亡き妻と思い出の詰まったタンスを質入れするが、それだけでは足りず自分自身をも質入れした男、質屋がつぶれその跡地のこの路面で律儀にタンスといる男が一人語る。「ヨコハマ箪笥事情」theater 045 syndicate(横浜)
結婚前夜の男女。女は震災で亡くなった姉の婚約者と結婚することに決めた。「前夜」Gin's Bar(宮城)

「彗星たちのスケルツォ」は 圧倒的な台詞の量をぎゅっと圧縮して早口で。野田秀樹から柿につながる雰囲気をまとっていて、そういう意味では独特とか新しさということにはなりづらいところ、フォロアーというよりはむしろ作家が表現したいことをともかく詰め込んでいった結果たどりついたものだと感じるのです。 子供ができないこと、それをいまどき石女(うずめ)と呼ぶところにちょっと引っかかるアタシだけれど、夫が卵を産み子を育てるという強烈なファンタジーの振り幅の中で女の立ち位置を際立たせるには必要な強い印象の言葉ということかもしれません。

「代案家庭生態報告書」は どの部分が現実に近くてどの部分がファンタジーとして描いているところかわからないのは、韓国で生活をしていないアタシにはもちろん仕方のないところ。自分の乏しい知識を総動員してどういう社会の中で描かれていたか、ということを想像しながら観ることは、距離は近くても意外に知らない隣国に想いを馳せることで、普段と違う脳の領域を使って観る感じ。頭では儒教が強く、家庭の中で親や年上を敬いほぼ服従が当たり前という嫁(妻ではなく)への負担が極端に高いのだろうということが描かれる前半、嫁が出て行くということは相当なことだろう、というところまでは想像がつくのですが、後年、息子も若くして亡くし一人で年齢を重ねた男に押し寄せる孤独の描き方はちょっと独特で、どう読み解けばいいか戸惑いますが、それが楽しいアタシなのです。妻が居なければこういう老後が待っているという自業自得という感じなのかなぁ。

「ヨコハマ箪笥事情」は、10年演じ続けている演目だそうで、ずいぶん前に観たつもりだったけど、ワタシにはたったの7年前。 息子の為に妻との思い出の詰まった箪笥と共に自分自身も質入れするというぶっ飛んだ設定の割に、質屋が無くなってもその場所に居続ける男の律儀さ、そりゃ札付きだった息子だけれど、不器用に思い続けてきた7年、戻ってくる息子を本当に楽しみに待つ男の気持ちの奥行きなのです。 この演目、あちこち行って欲しいなぁ。路上でも観たいのも変わらないあたしの気持ちです。

「前夜」は宮城からの一本。若い役者に交替した新バージョンのようです。 震災とはいえ、本当は姉と結婚するはずだった男と添い遂げることに決めた女、本当に自分でいいのかと悩み、しかし姉が愛した男と離れがたい気持ち。改めて若い役者が演じるのは荒削りかもしれないけれど、こういう物語を世代を超えて伝え続けていくという心意気を感じるのです。ケーキの中からのサプライズ、なるほど前に進むための一歩、その結婚というキレイな結末なのです。

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2018.02.06

【芝居】「それ以上の何がある?」艶∞ポリス

2018.1.27 16:30 [CoRich]

宇宙人だがなぜか地球に生まれた男女たち、地球になじめないまま共同生活をしている。が、仲間は次々に地球人に洗脳され離脱していく。宇宙に帰ろうと誓い合う。一人の女を巡る男二人の駆け引き、一人の男をめぐる女二人の駆け引き。

白で統一された衣装、地球になじめない宇宙人たちの共同生活というSF風味で始まって、リアリティショーよろしくそれぞれの特徴だったりコンプレックスだったりを盛り込んだ男女の駆け引きを賑やかに描きますが、後半になって、このコミュニティにそれぞれが参加するようになった風景を点描するに至り、それはそれぞれが直視したくない現実から逃げるためにここに集まっているということがわかってきます。

成績が振るわない営業だったり、好きな男には好かれないわりにそうでもない男からはモテて金を右から左に貢ぐ女だったり、実家暮らしのYouTuberだったり、ホストに入れあげた女だったり、アクション女優を目指すが空回りばかりの女だったり。

SFという設定を存分に遊び、遊びたっぷり、メンバーの素をみせるような楽しさ。料理したり、ダンスしたり、歌ったりが短い時間に盛りだくさん、なるほど特別公演ということも納得なのです。

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【芝居】「源八橋西詰」T-works

2018.1.27 14:00 [CoRich]

女優・丹下真寿美のユニットの旗揚げ。 98年初演作を後藤ひろひとの出演も嬉しくて。95分。大阪の後、28日までBONBON。

きちがい屋を名乗り詐病によって無罪にするのだという刑務所に接見に来た男。 座長から命ぜられて看板女優からお笑い女優に転校させられそうになっている女。 見舞いに訪れた病院のロビーで子供に求められて童話を話す男。 三人はその交差点で人を待っている。

初演は久保田浩、山本忠、楠見薫という遊気舎の看板俳優三人によって上演された名作、ですが、例によって記憶がほぼないアタシです(笑)。

ねたばれするかもしれません。

収監された男と接見する男。多重人格を緻密に詐称することで罪を逃れようと巧みに持ちかける男だけれど、その実は、本物の多重人格者に「緻密にしかし隙のある詐称のふりさせる」ことで確実に有罪に導くという手の込んだ構成のおもしろさ。落ち着いて時折おかしい男となれば、久保田浩のかつての十八番、「羽曳野の伊藤」を欲しがってしまうアタシですが、そうはせずに緻密に人物を積み上げます。坂田聡が演じた「きちがい屋」もまた、ちょっと怪しく、フラットなまま怖い感じの迫力なのです。

女優の物語が少々弱い感じなのも初演と同じ印象。やる気満々なのに劇団としてはお笑いへの転向の無茶ぶり、しかしテレビ局のバラエティ的なオファーに乗る、という構図なのだけれど、お笑いの転向とバラエティ出演というアイテムが「悪魔に魂を売る」という全体の構図にはまらない気がして違和感を感じるアタシなのです。 もっとも女優を演じた丹下真寿美の若々しい潑剌とした感じは悪くありません。

「人間風車」や「ダブリンの鐘突きカビ人間」の原型が見え隠れする、童話作家の話。醜いカッパが女の子に好かれたい一心で自分を傷つけ続け、涙できれいな姿になって抱きしめられようとしても「醜いままでなければ意味がない」と断るストイックを通り越したあまりに悲しい童話と、その童話を話す(子供に見える)女から物語を搾取しようという汚さが絶妙に濃密に。純真無垢と汚さの対比が、ごく短い芝居の中で相似形をなして二つある見事さなのです。子供を演じた丹下真寿美の子供っぽさ、童話作家を演じた久保田浩の木訥に見えて腹黒さも印象的。

何より、動いている大王・後藤ひろひとを舞台で拝見するのは何年ぶり、何云ってるかわからなかったりと、ごくカメオっぽい出演だけれどリバイバル上演とあわせて嬉しくなってしまうアタシです。

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2018.02.04

【芝居】「神奈川かもめ短編演劇祭」(Aブロック)

2018.1.25 19:00 [CoRich]

公募した日本全国・海外の団体の20分の短編を上演し投票・審査を行う短編演劇祭。第三回ですが、ワタシは初めて拝見します。28日までKAAT・神奈川芸術劇場。120分。

肉を焼く3人の「おかまの仲間」はとりとめない会話を続ける。「大好きなものを食べる」(シャカ力(高知))
蕎麦屋を訪ねる侍。主人の蕎麦はいまいちだが、盲目の女房が切るネギが絶品だとほめる。どこかで殺人を犯した男を追いかける侍だが、殺されたことによって救われた男も居るという。「酒とお蕎麦と男と女」(亀二藤(島根))
口述筆記の音声データを再生する男。結局、作家は書けず、口述筆記者が書いていた小説を持っていた編集者が、作家に渡して手直ししながら読み上げさせる。探偵と依頼者の話がスーパーの店長とパートにつとめる女の話に変化する「机上の空論」(戯曲選抜)
人間界の中で妖怪と共存して生活するエリア。町の活性化のための祭りを盛り上げようと考えるスタッフの妖怪たちだが、人間たちとの関係はいまひとつ。「くよくよ、迂回」(チリアクターズ(神奈川))

「大好きなものを食べる」は、 ホットプレートで実際に肉を焼き匂いまき散らしながらのとりとめない会話。「おかま」の人々は少しばかり戯画的に恋い多き人々の話を描こうと選んだシチュエーションなのかと思います。何かの物語を紡ぐかと思うと実際にはそれらしい話はほとんどなくて戸惑いますが、冒頭に切り取られた腕を抱きしめた一人のシーンが一瞬あることを思い出すと、なるほどと思うのです。人を殺しひときわ大きな肉=「大好きなもの」を焼くのは、腕を抱きしめていた一人。ほかの二人はその事情を知っているのか知らないのかはわからないけれど、何かを失った友人を慰め、食べれば元気になる、という物語を共有している、その場が実にいとおしく悲しいのです。

「酒とお蕎麦と男と女」は、 蕎麦屋の主人、盲目の女房がネギを刻むリズム。殺した男を追いかけているが、それゆえに救われた男もいる。その犯人とおぼしき男の名前は出るけれど、それが入れ替わった瞬間があって、ぼんやり観ていたワタシは少々混乱するのです。殺された男の娘がこの盲目の女房、ほぼ全編ネギを刻むリズムをつくっていた包丁は結末に繋がる道具立ての妙で洒落ています。

「机上の空論」は戯曲のみの応募を受けて選ばれたものを、演劇祭が推薦する劇団によって上演する企画チームで、劇団・平泳ぎ本店の手による上演。 人が喋ったものをテキストにする口述筆記、結局作家は書けなくて、編集者が持っていた、口述筆記者が書いて渡していた小説を読み上げさせるのです。作家が少し手直ししながらというのがミソで、手直しした設定がなぜか聴いている口述筆記者の妻とパート先の店長が、自分を殺しにくる、というサスペンスに。口述筆記者の冴えない現実、きっと不満を持っているだろう妻が浮気してるという妄想に鮮やかに変わっていく切れ味が見事。ごく短い上演時間なのに、きっちり分厚い物語になっていて、なるほど最優秀賞(かもめ賞)、戯曲賞、観客賞の三冠に輝くのも頷けるのです。

「くよくよ、迂回」は、 妖怪と人間が共存している町だけれど、必ずしもうまくはいっていなくて、妖怪側から歩み寄ろう、そのための祭りだという背景。ろくろ首と言い張る女は人間なのに妖怪の男に惚れ自分も妖怪と思いこもうとしていたり、吸血鬼なのに太っていていたって陽気だったりというそれぞれが何かを持っていて。この祭りを成功させなければ人間との共存などうまくいくわけがないという原動力。どちらかというと追い詰められ、差別すらされてるかもしれない虐げられる側の涙ぐましいまでの思い入れの悲壮感を描くのです。/P>

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2018.02.03

【芝居】「1万円の使いみち」monophonic orchestra

2018.1.21 17:00 [CoRich]

2013年初演作を大幅に改訂。21日までGeki地下Liberty。110分。

新宿駅で落ちた一万円札を拾った女、落とした男を探すことにする。 女はプロジェクトが頓挫したばかり。男は道行く人に一万円を渡しそれを使い切る過程のドキュメンタリーを撮っている。

元々は男二人のロードムービー風だった記憶で、今作は人数が増えたせいかかなり構造を変えた印象があります。特別な意味をもつ一万円札をつかったドキュメンタリーを撮影したい男をめぐる昔の恋人や気にかけている女性の知人の軸、拾った一万円の落とし主を探す女が仕事で挫折し、かつての恋人や断絶状態になっていた兄との再会とう軸、男が探した一万円を使い切る女は一方的な恋心を抱く男に会いに行く軸。一本の道ではなく、一万円札によってつながった人々がネットワークのように複雑に絡み、より合わされていく複雑な物語に進化した印象があります。

初演とそう変わらない上演時間に対してかなり複雑になっているわりに、見やすさは変わりません。むしろ「落とした側」と「拾った側」として人物の要素を分担させたのが新たな企みになっています。 それは、物語の時間軸のずれを巧妙に隠して語り始め、それが徐々にシンクロするようになっていくさまだったりして、見ていて気持ちよくなるのです。

時にコミカルに、時に重くシリアスな、それぞれの過去に残してきたこととそれぞれに向き合うのは初演からの物語の骨格。気になっていたけれど解決できなかったことが、一歩踏み出したりしばらくぶりに会う人によって解決に向かって、気持ちの折り合いをつけていくのです。
その問題に自発的に向き合ったというよりは、むしろ逃げていたぐらいの距離感の問題に偶然向き合うざるをえない状況に追い込まれ、そしてゆっくりと溶けるように解決していく様は登場人物に対して実に優しい視線が嬉しいアタシです。

初演から続投、ドキュメンタリーを撮る男を演じた大石憲、亡くなった恋人に囚われる素敵なシーンは初演のままに。全体としては物語を見守るように優しく変化した印象。一万円を拾った女を演じた渡邊安理、会社のプロジェクトリーダーという役を超えてその先の挫折まで違和感なく演じるようになった、と驚き感慨まで勝手に感じるアタシです。その同僚を演じた森崎健吾は登場人物たちのエモーショナルさからは距離を取り、いちばんフラットに観客のフラットな視点でいる役をしっかりと不安なく。

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