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2015.11.21

【芝居】「我が猥褻、罪なき罪」MCR

2015.11.14 15:00 [CoRich]

15日まで駅前劇場100分。

男は莫大な借金を背負いヤクザに追い込まれている。ある夫婦の連帯保証人の債務を理不尽に背負わされているが、それを腹を立てるでもない。幼い頃にその夫婦の赤ん坊を殺してしまった、という十字架を背負いその夫婦もそれを当然のこととして、身勝手な要求をしつづけている。死んだ赤ん坊の姉は刑務所に入ってばかりだし、妹は殺された姉のことをまったく知らないのに、この男の家を頻繁に訪れて、立派に生きているかということを確かめ続けている。
かといって男も働く気などさらさない。かつてやっていた格闘技を生かして文字通りの死闘をかけた地下格闘技に出ないかと誘われている。

三歳の時点で殺してしまったことは法では裁かれないとしても、殺された側の親には遺恨として残ること。その要求はどこまでも際限なく広げていいものなのか。死んだ娘への偏った愛情を一身に背負うよう育てられた妹のゆがんだ価値観と、その中で生まれてしまった愛情といったものを枠組みにして進む物語。

が、それがいわゆる社会派の語り口かというとちょっと違うのです。幼い頃の殺人は取り返しがつかないけれど責任の持ちようがないこと、それに口答え出来ずに金をむしり取られ、生活も監視されているようだったり、ヤクザが追い込み殺されかけたり攻められたり、金を借りようにも友人も冷たい。全ての方位がぜんぶどん詰まりでどちらの方向にも進めないがんじがらめ。こんな状況でも主人公、少なくとも外見は全てをフラットに受け流して、しかも働く気もみじんもないというクズっぷりで、背景には少々同情できてもなかなか共感できない造形。でも、その諦める間隔には共感してしまうのです。

被害者の妹、通い詰めたあげくにその殺したかも知れない男の子供を宿していることも、羽交い締めにされた全体を更に締め上げるよう。生まれてきた子供を「バツがついたまま育てる」というのは形は違えど、彼女自身がいなくなった姉の幻影にベンチマークされながら育てられたことにもつながる負の連鎖を思わせます。

終盤近く、舞台には現れない被害者の姉が殺したのではないか、つまりこの舞台で語られている罪とか拘泥などすべてがそもそも違うのではないのか、ということが短いながら、一人っ子の男児がおかあさんごっこをするかどうか、と結構な説得力を持って語られたりして、すべてがどこか宙に浮いたような、何もかも無に帰するような感覚に包まれるのです。

子供を宿した女、男にとってはその女でしかないとはいうけれど、他の誰でもなく、誰かにベンチマークされる対象ではなく、フラットに彼女自身のものとして見つめてくれた男の存在、男が姉を殺す前の三歳に戻ってくれたらという感覚の繊細さ。作家の確かな力ですし、 男にとってはがんじがらめの中から、頼りないけれど明確な意志を持って踏み出す一歩

いろんな役の人々、 わめき立てるというよりは、閉塞感の中で全員が少しずつ狂っているようだけれど、少しずつのずれが組み合わさり、美しいほどにかっちりと、しかもはずれないほどに組み合わさっているのです。

ここ数作登場するベレー帽の三人組、今作においてはわりとまっとうなことをいう友人、というような位置づけ。正直にいえば三人で出続ける理由はあまりない気もしますが、正論をいわせるがために、存在はおかしなものでないとバランスがとれない、みたいな感覚で位置づけられているのおかもしれません。

借金を背負っていた男を演じる諌山幸治は、クズ男を実にフラットに。攻め続けていた女を演じた金沢涼恵もまた誠実でフラットに見えているのに見えない姉にとらわれ狂う人物をしっかりと。 ヤクザを演じた澤唯はインテリ温情派みたいな存在感がいい。 その手下、元同級生のヤクザを演じた堀靖明は、知ってるが故のいらだち感が現れるようで説得力。母親を演じた伊達香苗はまじめにまっすぐ狂ってしまったという存在感。どちらかというと軽薄を前面にした本井博之ともいい対照感があるのです。

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