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2015.06.30

【ライブイベント】「女王陛下のシークレット・サーヴィス」ツリメラ

2015.6.24 21:00 [公式サイト]

会費制の支援会員のみを対象にした公演。プロデューサーの小林タクシーの原点ともいえる「覗き穴演劇」ZOKKYのスタイルを受け継ぎながらも、ツリメラのライブパフォーマンス。10分ほど。

ツリメラへの奴隷を志願する男、しかしそれは即座に却下され、ミンチ肉とされてしまう。

pit北区域、という場所を贅沢に使います。そこそこ広い空間に観客は一人。のぞき穴、というよりは宙に浮かぶドーナツ状の物体。もはやのぞきじゃないよね、とは思いつつ。それは新しい地平を開きます。

後ろからあるいは横からの音、穴の向こう側の風景など、サラウンドかというぐらいにあれこれ。 たとえば3Dの映画だって、平面のスクリーンで行う限りは幾ら頑張っても自分の目の前までしか出てこないのだけれど、視界を覆うように半球状のスクリーンならば身体を突き抜ける(つくば博の富士通館のあれ (1, 2) です)ように、今作は壁の穴から覗いていたところから、穴だけ残して壁を取っ払うことで、もっと別の空間を作り出しているのです。 ライブが目前で観られる楽しさ。ええ、でもライブは一人で観るんじゃなくてがっつり盛り上がりたいなぁ。とも。

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2015.06.27

【芝居】「やぶれた虹のなおしかた」こゆび侍

2015.6.20 19:00 [CoRich]

130分。21日まで駅前劇場。

高校生の頃、偶然心が入れ替わってしまった男女は、それを受け入れ会わないまま25年が経った。女は結婚し娘ができて、喫茶店を開いている。男は職場の女性と付き合っているが妊娠を告げられ動揺し仕事を辞めてしまう。男は高校の用務員として働くことになるが、そこで出会ったのは、かつての自分の身体を持った女の娘だった。

発端となる物語は「転校生」★だけれど、そのまま大人になって、家族が出来たり出来てなかったり、という長い時間を経ての物語。戻ってみようかと試してみたりもするけれど正直、元に戻ることが幸せなのか、もう長い時間つき合ってきた身体より、元の自分の身体がどうなってるかだってわからないし。長い時間を経て、なじむ、という感覚だけれど、それは身体と心だけじゃなくて、周りの人々やその人々への想いがいくつもの層に重なるのです。

頑なにあわなかった二人が再会し、かといって何があるでもなく。それまでの気持ちや経験の言葉を交わして。ある意味自分の家族たちよりもずっと切実に近い人ではあるけれど、それは恋とか愛とかとは違う関係なのです。

喫茶店主(背乃じゅん)の友人(小園茉奈)が物語というか着地点の要だと思います。女子高生の親友だったからこそ、相手の身体の中身があの時の親友じゃないことに気づいているし、あるいはもう一度会った親友の中身にほどける気持ちというのもあって。借りっぱなしになっていたものを返す、というのは象徴的で巧くて、この長い時間、再会するのを待っていた、という時間の流れ。

喫茶店を営む女を演じた背乃じゅんは、ある種おばちゃんぽく、日々をきちんと暮らしてきた女の造形をしっかり。男の彼女を演じた宮本奈津美はびっくりするぐらいにショートカット、可愛らしく、美しく。特筆すべきは女の女子高生以来の親友を演じた小園茉奈なのです。正直、42歳という設定に対してはあまりに若いけれど、ちゃんと落ち着いていること、説得力をもって語れるスキルががいい方向に働いているのです。

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【芝居】「新・冒険王」青年団

2015.6.20 15:00 [CoRich]

青年団の人気作1980年を舞台にした「冒険王」(1)との交互上演になる新作は2002年、同じイスタンブールの日本人の多い宿を舞台にした130分。城崎をスタートしたツアーは、29日まで吉祥寺シアター。このあとソウル、来年の国内ツアーでは長野県上田市・三重県津市・兵庫県伊丹市・香川県高松市の4都市が予定されています。

2002年のイスタンブール、日本人、韓国人の多い安宿。サッカーワールドカップ、日本はすでに敗退していて韓国・イタリア戦が始まっている。向こうの部屋で中継をみんな観ているが、興味が無かったり、寝てたり、あるいは興味を失ったりの人々。
次の場所に旅立つ人、祖国に戻ろうかと考えている人、徴兵の通知が来ている韓国人、日本人の恋人。

今の日本の望ましくない空気を濃厚に反映しつつ、韓国人、日本人という隣国の友情を一瞬にしろ信じられたワールドカップを遠く離れた異国で観ている人々。もちろん、全てを許せている人ばかりではないし、そこには微妙な距離感があります。いわゆる在日三世の旅行者を登場させてさまざまな距離を持たせた語り口、あるいはその二者だけではなくて、アルメニア系アメリカ人に、アルメニア人の虐殺(wikipedia)を語らせて、必ずしも日韓の関係が特別なものではない、という視点を置いていて、どこでも起こりうることと描くのが巧いと思うのです。

日韓のワールドカップの2002年という時代の設定の絶妙さはもうひとつ。 1980の頃とはずいぶん時代が変わっていることも特徴です。韓国人のバックパッカーが増えて居たり、日本には阪神の大震災があったり。あるいはもう日本の経済がそれまでのような高度成長の望めなくなっていたり。あるいは、日本のアニメが大好きな韓国人、なんてキャラクタもこの時代っぽい。

「冒険王」が若き日の平田オリザがみていたある風景を切り取っていたのに対して、今作は俯瞰した視点で、日本と韓国、あるいは隣国同士の距離感を描いているな、と感じるのです。それはたぶん、今の日本のヤバさを感じた作家の危機感だと思うのです。

徴兵される韓国人の母親を演じたチョン・ジョンハは中盤、圧倒的なテンションで笑わせ、緊張をほぐす感じ。アルメニア系アメリカ人を演じたブライアリー・ロングの、ちょっと神経質に見える感じもなぜか印象的。韓国人の彼氏と付き合う日本人を演じた木引優子はフェイスペイントがまあ可愛らしい。在日三世の男を演じた佐藤誠は背の高さの説得力、とても微妙にどこにも立脚できない立ち位置の難しさをしっかりと。

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2015.06.24

【芝居】「Fight Alone 5th」(Dチーム) エムキチビート

2015.6.17 21:00 [CoRich]

15分程度の一人芝居のショーケース企画。60分。

独身のアラフォー女、バーのバイトをしつつ会ってくれる男に金をつぎ込んでいる。とめてくれるのは「あたしがふたり」(中谷真由美 脚本:保坂萌  演出:佐藤貴也)
バーで待っている男、相手はもう5時間も来ないけれど金もなく携帯の電池も切れて出るに出られない。待ち合わせ相手は必死でやってきた。二人はずっと一緒なのだ「福井さんの話。」(福井将太 演出:大谷朗 脚本:國吉咲貴)
ネット契約の新聞を読むのを日課にしている意識高い系の男。普段はみない三面記事に目がとまる、女が殺された良くある事件だったがどうにも気になって「ニュースと遠い声」(大石憲 脚本・演出:詩森ろば)
文字が使われなくなった時代。卒業式で卒業生は筆を取り出して文字を書く「失われた言語を求めて」(鈴木朝代 作・演出:松澤くれは)

長期間の公演でしかも一日に何度も上演され、遅い時間の上演もあったりして観る都合は付けやすい企画。アタシは初めて拝見します。一人芝居、短編というフォーマットはシンプルでわかりやすい反面、実は芝居としてはなかなか、一人語りだったりト書きだったりとのやや不自然なものになりがちではあって、難しいところ。落語のようなものを避けようとしてるのかもしれませんが。

「あたし〜」は二人の会話、という体裁。最初は片方の一人の台詞だけですすみ、途中で最初からもう一度同じ会話をもう一人の台詞だけで進みます。一人の女の頭の中での脳内会議よろしく、ダメだと判っていてそれでいいのかと自問自答している感じ。対話部分の前半と後半で観客が得られる情報が大差ないのは折角のこの形式なのに勿体ない。でも、金を払って幸せになってもいいじゃないか、という切実さから、終幕近くで読み上げられる「意見書」は、手を10秒繋いでほしいとか、LINEの返事がスタンプばかりなのが寂しいとか、 ほんとに小さなことが満たされない女の向こう側に見える可愛らしさ。しかも紹介会社を介して会ってるというずぶずぶとか、その金額のあまりの些細さ、それぐらいの金銭感覚が楽しい。

「福井さん〜」は待っている男、待たせている男、二人があってからの三つのパートで構成。最初のパートで恋人を待っているのに酒が飲めないままケーキを渡そうと5時間も待ってるというゆるく情けない感じを作り、二つ目のパートで、その相手が若くイケメン男で、でもいわゆるホモセクシャルとは違う仲の良さ、長い関係だということを示し、三つ目のパートで実は待っていた男が聾唖だという話を足すという具合に、時間が経つにつれて観客が想像してる関係がくるくると変わっていく感じが巧い。なにより、待たせている男に変わったときのイケメン感が凄くて、ちょっと声にでてしまうぐらいにビックリするのです。二人の関係が互いの敬意で保たれているという気持ちよさ。ゆるやかに時間が流れている感じが楽しいのです。

「ニュース」は男の一人語りだけれど、客に話しかけるというスタイルをとることでスタンドアップコメディ風(コメディじゃないけど)の形にして見た目の目新しさ。ネットニュース、Facebook、画像検索とスマホを使いまくって、ふと興味のあることに拘泥して調べてしまうという偶然を描く導入と、終盤に至って明かされる関係のコントラストは短編だから生きるという気がします。

「失われた〜」は、正直にいえばよく分からない話でした。タイトルは「〜言語」ですが、台詞は喋っているので言語はあるので、失われてない。まあ「〜文字」という意味でつけたのでしょう。それを書道で、というアイディアは面白いけれど、あの客席の構成では書いているシーンが見えないのはストレスになりがちです。何かの決意を持ってい卒業していく、という力強さは、少し眩しいぐらいに嬉しい。

<-- Team【D】 福井将太(エムキチビート) 演出:大谷 朗(演劇集団円) 脚本:國吉咲貴(くによし組) 『福井さんの話。』 とあるバーにて。福井さんと僕は年が三つ離れていて、10年くらい一緒にいる。他の人だと成立しないような、二人の、面白い関係の話。 鈴木朝代 作・演出:松澤くれは(<火遊び>) 『失われた言語を求めて』 卒業式。私は武器を手に入れた。その筆はコトバを残す。三年間の思い出を胸に、女子高生だった私はいま、あなたに伝えてみたい。はるか昔に滅んだ文字を使って。青春の刹那を、未来永劫、忘れたくないから。 中谷真由美 脚本:保坂萌(ムシラセ) 演出:佐藤貴也 『あたしがふたり』 彼氏いない歴18年。彼氏がいた時の振る舞い方は忘れたっていうか、彼氏がいる状態の蓄積がほぼ皆無に 等しい。 マズイのはわかってるのに、もう一人の自分が「おまえそれでいいのかよ」と説教を垂れてくる。 自我と自分の戦いのお話。 佐野功・大石憲 脚本・演出:詩森ろば(風琴工房) 『ニュースと遠い声』 コーヒーを淹れて、毎日、ネットで契約してる新聞を読む。社会人のたしなみ。 気になる記事だけナナメ読み。 いつもなら見向きもしない三面記事を、気まぐれに開ける。 そこからとつぜん声が聞こえた。そこに、いたんだ。 -->

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2015.06.21

【芝居】「マインドファクトリー~丸める者たち~」かわいいコンビニ店員 飯田さん

2015.6.14 17:30 [CoRich]

小さな町の高校分校の野球部。弱小校だったが、数年前からの指導者によって、県大会の上位になったが、それは理不尽で暴力によって支配されていて、些細なきっかけでさらに酷さを増す。まわりの教師たちもみてみぬふりをしている。女子マネージャーを抱いたりもしている。その理不尽さに耐えかねた三年生は反旗を翻そうと部を辞めるが、次々と監督に取り込まれてしまう。

暴力のさなかに居ること、頭では逃げられるとわかっているのに、逃れるという選択肢を撮ることが出来ないこと。理不尽な目に遭っていることに麻痺してしまう感覚。鶏小屋の鶏たちと、ケージのようなネットが印象的。とりわけ終幕に囲まれる一人の男。

正直にいえば、少々長い。役者を多くしてしまったことで物語の骨格に対して効果としては少々薄い役があることと、ケージやスタジアムをつくるための装置の組み替えを多様するわりにあまり舞台の印象が変わらないこと、そもそも映像のカット割りのように極端に短いシーンが多くて、そのたびに組み替えが発せ居ることが原因ではないかと思います。90分とはいかなくても大幅に削れそうな印象があります。 監督が唯一強気に出られない生徒というのが登場しつつも、物語の中では理由も語られないし効果的でないのも惜しいところ。 ではあります。 それでも 絶望しかないような暴力と圧倒的な圧力という理不尽に対して打ち勝てない失望を冷静に描く視線は物語を骨太につくりあげていて、見応えがある一本なのです。 とりわけ、監督を演じた山森信太郎は強大な絶対悪は観客をも絶望的な気持ちにさせる圧巻。 少々エロい養護教師を演じた百花亜希の大人の女も魅力的だけれど、鶏小屋のシーンでのハクビシンはちょっとすごい。被り物でとびまわり、表情が実にいたずらっぽくて、彼女の持つ目力の強さを堪能できるのです。

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【芝居】「ラフカット2015」プラチナ・ペーパーズ

2015.6.14 14:00 [CoRich]

ベテランの作家・演出家と、若い役者が出会う企画。 10分の休憩を挟み130分。14日まで、スペースゼロ。

ステーキハウスのバックヤード。アメリカ風味の元気な接客が売りの店で長年つとめているリーダー格の女の少しから周りする元気をうざったく思っているバイトも多い。 「カウボーイ、道に迷う」(作・演出 堤泰之)
終電の風景。後輩に説教気味なキャリア女、夫に三行半を突きつけて出てきたものの小さな子供を抱えて途方にくれる女、就活に行き詰まっているがみかけた面接官に話しかける必死な女、客から急に突きつけられた変更に苦慮する広告代理店男、帰宅途中のキャバ嬢をみつけて口説こうと考える客、★、時々鋭いことを云う酔っぱらい、目つきの鋭いヤンキー風。子供。 それぞれの事情、時折交わりかけるけれどそれ以上は接近しない人々。気持ちはやがて一つの列車になり、空を飛ぶ「終電座」(原案・谷山浩子 脚本・演出 工藤千夏)
地方都市の喫茶店。姉は出戻ってきているが、顔見知りばかりの小さな町で出られずにいる。高校の同窓生たちが久々に集まったりしている。東京に出てお笑いをめざす女が相方を連れて地元を訪れた。産科の息子に折り入って頼みがあるという。厳しくちょっととっつきにくい教師は、この喫茶店の妹の添削を受けに通う。教師は沈んだ気持ちがもりあがったのは、学校でみかけたあるものがきっかけだった。果たして姉はあの時の。「踊り場のハイソックス」(脚本 塩田泰造)
デリヘル業者の事務所。半裸の男が二人縛られている。しかもその一人は女装下着をつけていて、しかもこの店のチンピラ男の父親だという。厳格な父親で、プロ野球の審判としてもかたくなな判定ゆえの世間からのバッシングで妻を亡くしているほどの、真面目な男だった。 この事務所の社長は敵が多く、命が狙われているという。「愚かなる人」(脚本・演出 太田善也)

「カウボーイ〜」は堤泰之の得意技、若い人々の交錯、ままならないこと、理不尽なことの物語。ステーキハウスのホール係とキッチン、辞めた女、辞める人、辞めることになる人。 この店をずっと支えてきたベテランバイトをうざったく思ってるバイトも多い。普通はそれだけだけれど、もう一歩踏み込んでそのベテランを辞めさせるにはどうしたら、という悪意。ネットの噂を使うというのも、それに反撃するためにフォロアーの多いバイトが応援を頼むというのも今っぽい。しかも、店長が辞めた女と、という色恋が絡むというのも重層感があって見応えがあります。物語の語り口はあくまで軽く。辞めていた女を演じた蓮菜貴子はまあ色っぽいこと。不思議なバイトを演じた星耕介はどれを理不尽と感じるところがずれているのが楽しいし、正論をいうのもそれっぽい。 アンラッキー、と呼ばれている女を演じた小宮山未奈は高いテンションを前半維持しつつ、しかし終幕でちょっと店を忘れられない未練もいい。

「終電座」は谷山浩子の曲を舞台で創り出します。沢山の人々、それぞれの背景や想い。映像ならばカットバックで次々と見せるところ、正直、舞台で繰り返すのは効率はよくありません。電車の車内で皆が何か聞こえたような気がする、という奇跡が起これば、電車だって空を飛ぶのです。それを銀河鉄道の夜に繋げたのは工藤千夏の手腕でしょう。そこに死ぬこと生きることといえば大げさだけど、暮らしていくことがきちんと根ざしてる舞台なのです。キャリアの女を演じた天明留理子はラフカットのレベルじゃない役者だけれど、最初にそこにアンカーがある安心。就活生を演じた中込里菜はうざったいぐらいの一生懸命さ、これから生きていく、というバイタルが溢れていて。

休憩を挟んで「踊り場〜」は久々に逢う人々、東京に出て行った女が戻ってきて、助けてと言われたら助けちゃう男心を外してみたり、出戻りだから外に行けないまま実家の喫茶店に居るけれど、が、そこに再会出来るのは高校の教師で。高校の男性教諭が踊り場で女子生徒のハイソックスをみてしまって、学校に毎日いくモチベーションになる、というのはオジサン的にはいい話だなーとおもうし、単にそれで終わらず、その女子高生が出戻ってきて、またここで出会って、しかもセーラー服で階段を降りてくる、という奇跡はまあ、ハッピーエンドなんでしょう。見やすい物語の運び。高校の同窓生たちの物語上の役者の人数が役に対してやや過剰な感じはあるのはやや残念だけれど、あまり大きな問題ではありません。

「愚か〜」は出落ち感満載の半裸で縛られる男たちがまず楽しい。前半で語られる野球の審判、そこからカタブツに見えてた父親の隠された性癖の落差、くるくると殺し屋の疑いがかけられる終盤など緩急のリズムが抜群で、客席が沸き立つのです。終幕、そう、真面目でなければならない、という外面と愚かに感じる性癖の落差で苦しむことなどない、というのをコメディでなく優しい作家の視線と感じてしまうアタシはどうなんだ。父親を演じた西本泰輔はカッコイイのにブラ姿の落差からきちんと父親でもあって。息子を演じた藤村直樹は若いチンピラ感が目一杯。父親と会話をぎこちなく交わす距離感がいい。スカウトされてきた女を演じた宍戸レオナの不思議ちゃん目一杯、しかもやけに手慣れてるのも楽しいし、終盤に至ってクールにカッコイイ、これも落差。

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【芝居】「カレッジ・オブ・ザ・ウィンド」キャラメルボックス

2015.6.13 18:00 [CoRich]

2007年に続いての四演め。わたしは初演は観ていなくて、三回目です。

伝説の、といってもいいキャラメルボックス初期の人気作。それを支えた看板女優・町田久美子を知らないアタシです。その時々の若手女優が羽ばたくターニングポイント。演じる経験のないアタシだけれど、演じるのはあまりにキツい気はするヒロインの物語ゆえに揺さぶられる瞬間。 理不尽に一人で生きていくことを強いられる若い女、それを支えるはずだったものが追われる側になっていたりして、さらに厳しい現実。

ヒロインを演じた原田樹里は心は悲しくてもはち切れるような笑顔をしっかり。 二人の男に好かれる女を演じた渡邊安理は本当に大人の女性という役に。どちらかというと元気さが勝る印象の女優ですが、気持ちが揺れ動き美しくなった、と思うのはもう中堅というポジションになったということか。 祖母を演じた真柴あずきは、毒を吐きつつパワフルにかき回して楽しい。 追われる男を演じた畑中智行は終幕で明かされる(が、相変わらずアタシは覚えてない)事実はありながら、時に軽く、時に優しく。DJの夫を演じた多田直人は今は幸せを掴んでいてもどこか臆病にみえるキャラクタをしっかり。

正直に云えば、ヒロインの物語と、DJの女の物語のバランスは基本的にはとてもきわどい構成だとおもうのです。片方のシーンの間はもう一つの物語がほったらかしになりがち、と感じるアタシです。が、終幕に至り、その二つの物語の接点がしっかりとつなぎ合わさることで奇跡的に物語がバラバラにならずに繋がるという構成はつまり、物語のなかで家族をつなぎ止めていた唯一の存在が生き残ったということの相似形だ、なんてことに今頃気付くアタシなのです。

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2015.06.19

【芝居】「ちょぼくれ花咲男」文月堂

2015.6.13 14:00 [CoRich]

2011年初演作の再演。 14日まで座・高円寺1。

130分に目一杯詰め込まれた物語は サンモールスタジオだった初演から座・高円寺1へ。広い舞台を手に入れおそらくは人数も増やしたことで、にぎわう町角の雰囲気、さらにはダイナミックな軽業もどきな芸も足して見た目にも豪華に。 商業演劇にそのまま持って行けそう、というのは初演の時に聞かれた感想だけれど、それは今作でボリュームアップしても変わらない印象なのです。

相変わらず記憶が怪しいアタシですが、物語の骨格は変わってないよう。それでもワタシの印象では花咲男の造形がずいぶん変わっています。初演の牧野耕治はひたすら腰が低くて誰にでも人なつっこい男だった印象なのだけれど、本作では、野心を持ち何かを企んでいるようないっぽう、弟を守ろうという想い、あるいは恋仲だった女を想いながらも距離をとる感じの表向きにはクールで内面が熱い感じにも。それは演じた中野英樹のもつキャラクタによるところが大きい気がします。

弟を演じた椎名茸ノ介は軽業で芸人だという説得力、ちょっとクールにみせてしかしまっすぐに恋もかっこいい。 あるいは夜の女を演じた四條久美子は色っぽさ、かわいらしさ。医者を演じた石塚義髙の真っ直ぐさ。 芸人の一人を演じた山口雅義が実にいいのです。力のあるものに従順な裏表、あるいは女一般を憎んでいて娘すら男として育てようとしていたねじれたキャラクタをベースにしながらも、芸人らしく声が大きく一癖もふた癖もある造形。娘を演じた岩見美映の、素朴な男の子っぽさも実は可愛らしい。

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2015.06.12

【芝居】「豊の午後~萩原伸次戯曲選~」コマイぬ

2015.6.7 16:30 [CoRich]

2006年に他界した萩原伸次の作品4編を上演する企画公演。ワタシは初見です。110分。7日まで 古民家ギャラリー・Gallery & Space しあん。

友達という関係の男女。市民楽団の練習をサボって海辺にやってきた。友達、という関係から一歩進みたい女、あくまでそれを拒む男。「恋愛恐怖病 2005」
久々に実家に顔を出した男。仕事も何も長続きしない。友達とネオ屋台を始めようとその資金を無心に来たが、母親は断るし息子名義の通帳もどこかに隠してしまった「豊の午後」
長女が恋人の両親に初めて挨拶をする前の日、実家に戻ってきている。明日のことも気になるけれど、未亡人となった母を出会い系のしかし真面目そうな男に会わせようという目論見はうまくいかない「お母さんは大丈夫」
女は部屋に閉じこもっていて、リストカットしたくなったら同郷の男を呼ぶという約束をしていて、今日も男は呼び出された。そういえば郷里の同級生結婚するって。オレと。「YODAKA」

元は4つの別々の物語。豊という男を物語の軸にして書き換えて緩やかにつなげる構成になっています。

「恋愛〜」は友達以上恋人未満(ってことばもずいぶん古いけれど)の男女の駆け引き、時に折れ、時にすがり、時に受け入れる。微妙な距離感をきっちり。この骨格が著作権がとっくに切れている作家によってあの時代に書かれていることに驚くのです。古びない物語あるいはシーンの強みを感じるのです。女を演じた石井舞は強く出たり、弱く追いすがったり、この小さな空間のダイナミックレンジ。男を演じた芝原弘は、気になっているけれど、でもまだ踏み切れない臆病な感じも透けてみえてよい。

「豊〜」は実家に甘え金を無心する息子、ぴしゃりと断りながらもやはり息子は心配で生きててくれればいいのだから、という母親の距離感は普遍的に納得できるのです。高校生ぐらいまでなら当たり前、もういい歳なのにそのまま、というのは母親のある種の焦りが見えるよう。

「お母さん〜」は母のこれからを心配する娘、私だけ幸せになっていいのかしら、というある種マリッジブルーな娘。ずいぶんとひねくれた設定だけれど、全員が幸せになろう、という気持ちが素敵な一本。妹の存在はかき回す存在で実は物語に対して希薄だけれど、この会話は三人居ないと成立しない、という緻密さがあるのです。母親、というにはあまりに若い田中千佳子だけれど、笑顔もいいし、慌てる表情もいい。

「YODAKA」は閉塞し閉じこもる女、そこに時折吹いていた風のような男。結婚を告げ、そうかもう鳥かごには居られない、というラストシーンが美しい。肩を出したり、尺取り虫のようにごろごろしたり。なんか妙に色っぽいのです。一本目と同じキャストで、あの時に女は男のことを欲していて、長い時間を経て、好きな男が訪ねてくれるから閉じこもっていられたけれど、男が結婚する、と聞いてやっと諦めて、次に踏み出す、という終幕が美しい。これは昼公演だからワタシには良かった気がします。

2015.06.11

【芝居】「ひとよ」KAKUTA

2015.6.6 18:00 [CoRich]

2011年初演作の再演。 スズナリのあと、7日までKAAT。120分。

スズナリでの上演だけれど、わたしはKAATで。舞台の広さはどちらかというと初演のトラムに似てる感じかもしれません。でも、その空間をうまく「狭くみせるように」使っているのはたいしたもので、すごく濃密な空間が生まれるのです。

物語の骨格をなすのは、流れ者でも仕事が始められる、というのはタクシー会社という舞台、15年という年月を経ての再会、それぞれのいろいろは変わっているけれど、人の根っことか性分はそうは変わらないこと、あるいは変えようと思う気持ち。

ほとんどのキャストが初演からそのままにスライド。微妙にそれぞれの属性を変えているところもあるようだけれど、印象は変わらないのです。 その中で、今回から参加しているキャストも実によくて、異儀田夏葉は登場がほんとうに可愛らしい。序盤の素敵な奥さん風もいいし、中盤の普通に年齢を重ねた女の日常感もいい。社長を演じた久保貫太郎は軽く見せているけれど、人情派、しっかり15年支えてきたのだろうなという雰囲気が男の背中を語ります。

岡まゆみのお母ちゃんっぷりは健在で圧巻の安定。若い男におぼれる中年女を演じた磯西真喜はどこか恰好わるく、一歩間違えばひどく醜くなりそうなところをしっかりと踏ん張り、可愛らしい女の造型。高山奈央子のクールビューティなシーンは久々な気もして、いや、ほんとにかっこいい。離婚を突きつけられる長男を演じた若狭勝也は真面目さの造形を基本に、舞台でわりと長い時間、どもる、という実は役者の生理に会わない気がする役をしっかりと。

しかし、やはり本作を本作たらしめているのはルンペン風情の怪しい男を演じた、成清正紀でしょう。少々卑怯な感じはありますが、笑いもしっかりとり、ほろりともさせ、舞台をかき回すようで物語を推進する力。圧倒的な印象を残します。

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2015.06.08

【芝居】「死んだらさすがに愛しく思え」MCR

2015.6.1 19:30 [CoRich] 2日まで、ザ・スズナリ。110分。

売春婦の母親に幼い頃から繰り返し虐待をうけるうち、殺人を繰り返すようになった男。やがて母親をも殺すが、幼いころからの友達一人だけは殺そうと思わない。出会った男とともに殺人を繰り返す旅をするようになる。その逃避行には女が一緒で、やがて深く愛し合うようになる。ある街で出会った施設で女を預かってもらうが、しばらくしてあった時には女は神を信じるようになっていた。
そんな男の夢を見るようになった男。女に手痛くフられ、呪いをかけられた自分がその殺人狂に近づいている気がしてならない。やがて、その夢の中には現実の自分の周りの人間も現れるようになっている。

当日パンフによれば、連続殺人犯・ヘンリー・リー・ルーカス(wikipedia)の話を下敷きにしたのだといいます。夢の中で語られる犯罪者の姿は、その実話を丁寧になぞっていて、少しばかりの笑いを挟みながらも、緊張感と迫力のある一種の評伝劇として見応えがあります。その外側にどこか作家を匂わせる形で、女にだらしなくてクズと呼ばれる男を配して、その夢の中に現れた物語として描きます。周りの人も巻き込まれていく様もちょっと怖い。

内側の物語は、 暴力を振るう母、その罵倒に耐え、添うことだけが生存戦略。やりたいことなんかなくて、殺人という恍惚だけが自分を突き動かすことに気づいた絶望、殺してしまった母のことはあんなに怖くて嫌いだったのに、そこで染み着かせられたことから逃れられない。 クールな殺人狂はどこまでもフラットであり続けていて怖いけれど、激高型の母親の狂った笑顔も怖い。いっぽうで、ただ一人殺すことが出来ない男が存在していること、あるいは天使とまで言い放つ恋人の存在。完全無欠な悪になりきれない人間っぽさ、という不完全さを少しばかり残していることがリアリティを生みます。

正直にいえば、その 世界的な犯罪者の深い闇に比べると、それを夢に見ている男の存在は、少々物足りない感じではあります。でも夢の話としてそれを並べて見せられると、不思議と違和感を感じないのです。得体の知れないなにものか、にとらえられて逃げられない気持ち、という意味では当事者にとってはそれが闇ととらえられれている、ということなのかと思ったり思わなかったり。

殺人狂を演じた川島潤哉、フラットに狂い続けている男にみえる凄み。時折見せる笑顔は対照的に心底優しい感じそのコントラストも印象に残ります。夢に悩まされる男を演じた有川マコトは、人なつっこい感じで巻き込まれ困り果てている、という役をしっかりと。その男にさらに巻き込まれる男を演じた澤唯は冷静に見えて内心慌ててる雰囲気がちょっと珍しい。恋人を演じた後藤飛鳥は拝見するようになってずいぶん時間が経つけれど、天使と呼ばれて違和感がないという意味で怪物感たっぷり。殺されない男を演じた堀靖明は笑いをとりつつのどこか暖かに見える雰囲気が殺されない説得力。 。元カノを演じた田中のり子は真面目に向き合いながら、しかしきっぱりと別れを告げるのがかっこいい。なにより強い印象を残すのが母親を演じた伊達香苗で、優しい母親風情の見かけなのに、下世話で心底腐っていて、それにも関わらず満面の笑顔という人物の向こう側に、そうしてしか生きてこられなかったのだ、という背景が透け見えるよう。

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【芝居】「リチャード・ロウは旅に出た」劇団山麓線

2015.5.30 19:30 [CoRich]

さまざまな劇団からの客演で構成する公演の旗揚げ。 31日までピカデリーホール。95分。

その街は演劇が盛んだった。作家や作品は評議会と呼ばれる面々を頂点にした人々による厳しい批評にさらされながらも、そこで成功すれば名声が得られるものの、酷評となれば復活は難しい。
書けずに行き詰まっていたところに現れた現れた男に渡された薬を飲んだ作家は見違えるように書けるようになり、次々と傑作を創り出すようになる。

世にも不思議な、ミステリー仕立ての一本だけれど、笑いも織り交ぜていてこの間聞いたばかりの落語・「死神」(wikipedia)っぽくも感じる枠組み。ナイロンぽい、という感じもします。 演劇が盛んで評議会まで存在している「演劇狂の街」という設定。誰もが演劇のことを知っていて、それで生死が決まるほど、という極端な設定。芝居がマイナーだという前提で逆張りした設定なのかとも思いますが、むしろ劇作家を題材にしないほうが、こういう芝居の場合は身の周りだけで書いてるように見えなくていいんじゃないかと思ったりもしますが、まあそれほど大きな問題ではありません。

苦しむ中、ふとしたことで「悪魔」から手に入れた能力でのし上がる男。が、もっと強い力がほしくて禁忌禁忌を破ってしまい手痛いしっぺ返しを食らうこと、という大きな枠組みは、じっさいのところすごく突飛というわけではなくて、手堅くしっかりとした物語。 くるりと世界が、あるいは人物が入れ替わる終幕を大きくしつらえた窓に消えていき、あまり長く引っ張らずにすとんと落とすような見せ方も も含め、スタイリッシュで印象に残るのです。

終演後に調べてみれば「リチャード・ロウ」は被告を表す仮想的な名前、つまり匿名のだれか、という名前でああ、そうか、そこに居る作家が、あるいはそこにいる誰かは、本当にその人なのか、という余韻を残すのもかっこいい。

今作の魅力は、それをしっかりと支える役者たちにあるのではないかと思うのです。 とりわけ、 なぞめいた男を演じたウィリィが圧倒的な存在感。声も独特で印象的。劇作家の男を演じたそうめいは真面目さと、時折虚勢を張るような感じが身の丈に合わず売れてしまった作家、という造形によくあっています。

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2015.06.05

【芝居】「女と幸せ」辻川ストロベリー

2015.5.27 19:30  [CoRich]

辻川幸代の生誕50周年を記念して、3人の作家による5本の短編と間をつなぐ映像で構成する125分。 31日まで駅前劇場。

普通がイヤだと思って自分を変えるためにえいやと選んだ高校は個性派スケバンの巣窟だった。「私立毒蜘蛛女学院」(作・演出 太田善也)
気軽な間柄の友人たち。家呑みも楽しい。実は私には奇跡が起きていて、これから先、平穏な人生か刺激的な人生かを選ぶことが出来るが、選ぶともう女友達を手放さなければいけないという。「50歳の奇跡」(作・演出 辻川幸代)
精密検査の結果を告げられる。肺ガンで、もって半年なのだという。患者を送り出し、同級生の医者は泣く。「辻川幸代の、もっとも長い日 パート1」(作・演出 大野敏哉)
喫茶店の女、待ち合わせに現れた夫は離婚を告げる。君が悪いんじゃない、若い女が好きで君は歳をとったからだという。刀を抜いて、ゾンビ化して。[かわいそうじゃない」(作・演出 太田善也)
親友のバーを訪ねる女は余命を告げられているが言い出せない。店にいるカップルの女は彼氏に詰られている。ベビーカーを押してきた女はストレスがたまっていて苛ついている。女たちを励ます、うざったいぐらいに。「辻川幸代の、もっとも長い日 パート2」(作・演出 大野敏哉)

3人の作家による5つの短編と、リアルな辻川幸代のまわりの人々を描くドキュメンタリービデオで構成。 物語の中では割と結婚できない独身、みたいな描かれ方をしていても、リアルはきちんと支え合うパートナーが居たり、という具合の、表と裏。

正直にいって、辻川幸代は味わいはあってぴったりはまる役、というのはあっても、決して器用な役者ではありません。その周りにいる人々、役者や作家がこれだけ集い、あるいはプライベートの恩師、両親、夫、という人々に支えられている、ということが見えてきます。それは確かに生誕半世紀を迎えた彼女という存在そのものに面白さを感じる観客(アタシですがw)にとってはパーティーで祝うような気持ちにはなるのです。

しかし、これが芝居として面白かったかといえば、少々厳しいのです。 「私立〜」は出落ち感満載で華やかだけれど、コントほどにも突き抜け損ねていて残念。「50歳〜」は最もフラットな一本で、夢の中に出てきた男たちが現実に現れるという不思議風味の物語。女子たちの会話のシーンは結構好きだったりしますし、二つの未来があって一つを選ぶという枠組みはいいけれど、もう一押し欲しい。「〜もっとも長い日」というもう一人の作家の名作(実は未見)に似たタイトルを冠する「〜パート1」は男が女に対して抱く熱い想いをどう濃密に創り出すかという役者の芝居の勝負だけれど、物語としては平板な印象が勝ります。終盤で看護婦かと思っていた女性が医師が夫婦だと明かされるのはコントラストでもあるし、男が想っている女の存在すらも受け入れてしまう妻の造型は説得力があります。「かわいそう〜」は、独身で年嵩の女の存在、それは可哀想ではなくて、人々に関わりあう、いわゆる「おばちゃん」力という賛美だけれど、この作家ならもっともっと、と思ってしまいます。これで一本行けそう。「〜パート2」は続編の体裁だけれど、実は繋がっていないし、一つ前のどこか似たシチュエーションなのが惜しい。戦友とも呼べそうな女友達がいる前向きな感じは好きです。

一本目で教師を演じた 安東桂吾が落ち着き、ちょっとかっこいい。おなじ一本目の舘智子はそういえば肉感的なのを再認識してしまうのです。二本目の座組では若い側の菊池美里のアラフォー後輩っぽい感じも楽しい。役者として拝見するのはアタシには久しぶりの川原安紀子のフラットさも懐かしく。

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2015.06.03

【芝居】「七人のふたり」クロムモリブデン

2015.5.24 19:00 [CoRich]

6月2日までRED/THEATER。95分。

ヒマでしょうがない高校生、使われてない部室を見つけ、ヒマな教師を顧問に引き込んで何かの部活を始めようとするときに現れた男は元は演劇部だったが閉じこめられ死に至った動画の再生回数が一番になっていて、それを上回る再生回数の動画を作ってほしいのだという。
それを承諾した高校生は、人の興味を引くため、人が殺されるところを撮ろうとヤクザの事務所に乗り込む。警官たちは拳銃をおもちゃにし、外科医は手術を動画にして人気を競おうとしていきエスカレートして。

暇を埋めるための動画投稿だけれど、再生回数という承認欲求はどんどんエスカレートしていき、インモラルでも何でも過激ならば面白いという昨今。いわゆる生主だったり、ドローンだったりでより過激に走る今どきの雰囲気そのまま。一方で、いじめられたのか、過去に演劇部の部員だったらしいなぞめいた存在の男がの怨念がまるで人々を操るかのように、くるくると人々を回していきます。

暇だから日陰な演劇部でも、それを動画投稿で埋めていったり、プロが助っ人に来ようとしたり(でも阻まれるのだけれど)というのは、どことなく暗黒風味な「幕があがる」と感じてしまったアタシです。もちろんそういう芝居ではありませんが。

客演多めで人数が増えてもクロムの雰囲気はしっかりと。テンポが徐々に上がり、人々の出来事がするすると編み上がっていく感じは楽しい。人数が居るがゆえに、クローンたちが暴れ回るシーンは迫力があります。反面、確かに客演の若い役者たちもきっちりクロムな感じではあっても、正直にいえば濃厚さという点では少々薄めで、普段この劇団の俳優たちがどれだけの精度で芝居を組み上げているのか、ということを思い知るのです。普段のこの劇団の役者中心で7割ぐらいの人数でやってみたら、と夢想してしまうのです。

怪しい男を演じた小林タクシーは、夢に出てきそうなインパクト。巻き込まれがちな女を演じたゆにばは、翻訳口調の外人キャラが楽しい。 土下座を強要する男を演じた小林義典は、物語にからむというよりは、要所要所のワンポイントでテンポに弾みをつけます。 元アイドルの女を演じた土井玲奈は、普通に可愛らしく、説得力があります。

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2015.06.01

【芝居】「爛れ、至る。」elePHANTMoon

2015.5.24 14:30 [CoRich]

31日までこまばアゴラ劇場。125分。

SMクラブに集う客の男たち。それぞれに贔屓の女王様がいて、時には野外でのプレイもあったりする。客の一人がSM嬢に刺される事件が起きるが、それはその男がまえからそうやって殺されたいと持ち続けてきた願望を成就させてもらった結果だった。

実は男たちの物語、と感じます。魅力的で人懐っこい男の秘めたる殺され願望、ここなら叶えてくれるかもしれないという切実さ。その男に心底惚れて心酔して、後を追おうとする男もまた切実ではあるけれど、それは殺されたいわけではなくて、憬れている先輩と同じ事をしたい、という気持ち。あるいはその自殺や殺されを止めようとする男のふわふわとした、しかしやけにある説得力。酷いことしまくりの軽い男。

終盤に挟まる回想シーン。殺されたい男、心酔してる男、止める男たちが、SM嬢のことを話すシーンがいいのです。リスペクトはもちろんしているし、プレイとして女王として崇めるけれど、プレイをはなれたこの空間で、ちょっとばかりそれぞれのSM嬢を品定めしあう、という空間はどことなく、芝居を観たあとに気心しれた観劇オジサンな友人たちと話す、女優たちの品定めにちょっと似ていて胸が痛むというかなんというか。

正直に云えば、2時間の上演時間は長く感じます。とりわけSM嬢たちのプレイのシーンは尋常な長さではありません。が、強く衝撃を感じた刺激ですら、上演時間の中であっという間に慣れ、飽きてしまう自分に驚くのです。もちろん男たちがそう感じるに至る何かを共有しようという意図は感じつつ、それはたとえば鞭打たれ続ける時間を共有したからといって観客が共有できるわけではないと思うのです。 そういう人が居る、ということのもう一歩先がほしいし、あるいはこの長さじゃなくて端折る、という「編集」でみたい。痛めつけられる肉体をそのまま見せる、という意味では「再生」にも似た印象がありす。

SM嬢たちのまあ、美しいこと。中村真沙海は後ろ姿の下着が美しいどころか、きっちりSMな女王様を演じきるけれど、むしろこれはこれでタフな役ではないかと思います。殺され願望の男に絆される表情がいい。 おそらくナンバーツーなSM嬢を演じた久保山智夏もまた、ナンバーツーゆえの哀しさを見せる後半が見どころ、ほんとにベッドシーン、というのも美しく、色っぽい。新人のSM嬢を演じた林奏絵は、可愛らしくみせて、プライベートだって同じ事やっちゃうあっけらかん、いわゆるペニバン付けさせられる戸惑いから快感というのはまあ、AV的な感じでよくあるように見えちゃうけれどこれは物語の責任でしょう。支え、普通の会話をする人々として機能する山口オン、菊池奈緒はそういう意味ではサポートに回って居るけれど、おそらくは年齢が上という立場としては正しく機能しています。死に向かいがちな男たちのなかで、ふわふわとしながらもそれをキッチリ止める関村俊介の演じた男がいい。これだけハードなプレイでもほんとうに喜んでるように見えちゃう永山智啓も凄いし、白い肌がみるみる赤くはれ上がる山田百次もちょっと凄い。

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【芝居】「『鱈。』の(に)」Hula-Hooper

2015.5.23 19:00 [CoRich]

23日まで渋谷gee-ge.。休憩10分を挟み85分。

海底で暮らす人魚の姉妹たちは人間の世界を垣間見て騒いでいる。そのうちの一人の婚約者は、一人は地上に出るための薬を開発しようとしているが、気になっているのは別の姉妹だった。ある日、嵐で溺れているところを救った王子に一目惚れした末娘は魔女に頼んで人間の姿にしてもらうが、引き換えに声を失ってしまう。

「人魚姫」を物語に引いて、姉妹たちの物語に。多くの曲を盛り込むのはこのシリーズの特徴だけれど、アカペラだったり、自分たちでの演奏が多めになっていて、ポータブルというかどこにでも持って行きやすい上演形態に進化。曲の迫力という点ではやや平板になっている感もあるけれど、結果的には女たちのそれぞれの切なさが前面に感じられるようになっていると思います。 人魚姫を複数にしたことで、恋すること、変わっていくこと、あるいは何かが人と違っていて、あるいは何かを待っていることなど、さまざまな女性の生き方の切り口、みたいな多彩さでています。 結果的に、いままではもう少し馬鹿馬鹿しくやっていた物語が不思議な深さを持つようになっていて、大爆笑とか、笑わせるというベクトルを抑えて、きちんと登場人物たちを描くようになっているのも興味深いのです。いままでの馬鹿馬鹿しさが愛おしいアタシにはちょっとばかり寂しくもあるのですが。

菊池ゆみこ、円山チカの歌がとてもいい。こうやってメンバーが集まっていくのだ、ということを目の当たりにするような嬉しさがあります。

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