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2015.03.31

【芝居】「再生ミセスフィクションズ」Mrs.fictions

2015.3.28 17:00 [CoRich]

短編のショーケース企画・15minutes madeの主宰団体が作りためてきた作品群をまとめて4本再演という企画。 30日までシアターミラクル。日曜午前中に追加公演が設定されました。

屑鉄のスクラップ工場で働く兄弟。女性型アンドロイドを拾ってきて密かに働かせてきたが、どうも最近調子が悪くて働く意欲が減退してかわりにお茶を飲むような普通の生活が好きで、おっちょこちょいでその笑顔の虜になっていて。 「ねじ式(未来篇)」( 1)
もう娘も大きくなっているが、六本木の交差点で妻に一目惚れしたバブルのあのころの記憶だけが強く残っていて、最近の記憶は覚束なくなってきていて。 「お父さんは若年性健忘症」( 1, 2, 3)
ホームレスの男が駅で電車を待っている。上京を知った元同級生の女が大きな荷物を抱えておいかけてくる。地元でずっと姿をみていたのに、卒業式で渡されたラブレターの返事を、男はまだしていなかった。 「東京へつれてって」( 1, 2)
夜、布団をしいて寝ている男たちだが、眠れない。知らない間に人が増えたり減ったりした怖い話を始める友達。 「まだ僕を寝かさない」( 1)

「ねじ式」はどこかこの4本の中ではもっとも古い一本。かつかつの生活をしている兄弟、一緒に暮らす妙齢の女性型アンドロイドと。働かせるために拾ってきたアンドロイドだったのに、働くことを放棄してるといってもいい状態になった彼女のことを抱えている余裕はないし、拾ってきたものだから直してもらうということもできないのだけれど、さりとて捨てたり壊したりということにどうしても踏み切れない兄弟。兄だって口では捨てなければと云ってるけれど、どうしてもその一歩が踏み出せない。ころころと笑い、すこしオッチョコチョイで可愛らしく、天真爛漫といってもいいような彼女だけれど、それは母親のようでもあるし妹のようでもあって、もうそれは家族、としかいえない感情が二人を支配するのです。唐突に配られたトランプのゲームにつきあっちゃう。抗うことのできない感覚はまさに家族のそれ。アンドロイドを演じた黒川深雪はほんとうに可愛らしくてその説得力。

「お父さん〜」 はこの半年の間にすでに2回も外部で再演されている人気作。記憶力のないアタシでもすっかり物語が頭に入って、それでも繰り返しみても楽しさを感じる一本。あのいかれた時代の空気がもしかしたらそういう人が居たるかもという説得力は現実に立脚したものだけれど、長く繰り返し上演できるかもしれない、という不思議なファンタジーに仕上がっています。何より岡野康弘が演じるバブルの亡霊に囚われながらしかし彼自身は幸せのただ中にある男の味わいはずば抜けていいのです。それにつきあう妻もあのときの幸せの残り香を楽しむかのようなすてきな一本なのです。

「東京〜」もつい最近の再演に続く上演。リアルにホームレス風だし、シンプルにどこかあか抜けないでやや莫迦っぽく大荷物を抱えたキャバ嬢という雰囲気になっていて、より上京という雰囲気が強くなっています。 確かに競泳水着・上野友之風味な物語で、演出が彼になっても本当に何の違和感もないのです。彼がとても好きだと当日パンフに引用した、初演の時の仕掛け、ラブレターの推敲っぽい文章はその幼さと、それを5年も繰り返していくことで小説家志望だった男の夢を破壊するほどには迫力がはったということの想いの強さを夢想して楽しくなってしまうアタシなのです。

「まだ僕を寝かさない」は原作から改訂したもののようでタイトルも少し変わっています。例によって記憶力がザルなアタシですが、きっと後半の別の男たちが現れたあたりを加えたのかなと思ったりもします。
不思議な味わいの一本で、何かの怖い話なのか、それとも男の頭のなかの走馬燈なのか。男たちがホモソーシャルよろしくきゃっきゃ騒ぎ馬鹿話しながらの夜中の情景。トークショーで彼ら自身が云うとおり、たしかにこれを続けていても大丈夫な年齢、みたいな賞味期限があって、そういう身ではこれも割とぎりぎりな感じではあります。
「いつの間にか増え、いつの間にか減り、またいつのまにか別の友達が」という友達のありよう、結婚したり事故に遭ったり音信不通になったりして疎遠になっていったかつての友の一人の夜、という雰囲気は深くて、ちょっとセンチメンタルに感じます。

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【芝居】「現役女子中学生アイドル連続失踪事件」池亀さん、他

2015.3.28 17:00 [CoRich]

こちらは新作。 29日までRAFT。65分。

中学生アイドルの解散コンサート、楽屋。リハーサルを控えて騒がしいが、当の本人たちはその感慨もあるのかないのか。弁当屋が弁当を届け、マネージャーと無駄話をする。メンバーの一人の知り合いが、田舎から上京してまで迎えにくる。
メンバーたちはマネージャーに何かを企んでいる。弁当を食べたメンバーはおなかが痛いと次々といいだす。

いままでの「池亀さん、他(いけがめさんた)」とはずいぶんテイストが異なる印象の一本。明確な物語はずっと後退して、それぞれがうちに秘めた想いはより内側に向いていて、正直に云えば多くの積み重なる雑談が積み重なって提示されたこの一本をどうやって扱えばいいのかわかりかねるアタシなのです。

中学生たち、に見えないのはご愛敬。当日パンフで作家の云う「地に足が付いてない」のが「いい意味」に作用したというのはどういうことなのか。謎は謎を呼ぶのですが、単に斬って捨てるにはおしい引っかかりもいくつか。

当日パンフに名前のない作演が序盤に弁当屋として現れ、楽屋で一人居たマネージャーとの無駄話。ヤクルトスワローズが勝ったことに盛り上がる弁当屋が野球がわからないマネージャーに執拗に野球ネタをねじ込もうとする会話。ヤクルトスワローズとサイドスローという単語ぐらいは知ってるというマネージャーにそこから無理矢理野球ネタを広げようという無茶ぶりの掛け合いが楽しい。

あるいは酔っ払いのリーダーとマネージャーのグダグダな会話。どこか惚れている女と、いなしてはいるけれど、どこかほだされそうな男と。もうちょっと大人な二人ならすごくいい密度と温度で進んでいる会話でみたい感じはあるけれど、なんぼなんでも中学生の設定としては少々無茶に思うし、物語全体や、あるいはせめてこのグループの解散からな想いにつながるような感じならばなぁと思ったりもします。 リーダーを演じた菊池真奈美の酔っぱらいはステロタイプではあるけれど可愛らしく。マネージャーを演じた安東信助の困り顔な中年男な雰囲気は味わいがあって楽しい。

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【芝居】「晴れ、ときどき束縛、のち解放」池亀さん、他

2015.3.28 15:00 [CoRich]

ぬいぐるみハンターの池亀三太による個人ユニット、2013年の作品の再演。 (1) 65分。29日までRAFT。 犯罪の加害者の家族と、被害者をめぐる物語。誰が被害者で誰が加害者かがわりと知れ渡ってしまう地方都市のある種の息苦しさ。わりと長い間その状況に甘んじできた姉妹がこの土地を出ると決めるに至ってわざわざこんな犯罪めいたことをする不思議に、着地点を決めないまま跳んでしまったこと。この土地を出て行くためには勉強ができて、ある程度余裕があるというのが、少なくとも彼らにおもいつく唯一の選択肢。いわゆる「マイルドヤンキー」を地で行く感覚は、の「池亀さん、他」のシリーズの真骨頂で、実は若い作家でもあまりこのテイストで描く作家は少ないように感じます。

基本的な物語は再演になっても変わらず。しかし、印象はどこか異なります。女優たちの声質がどこかころころした似た感じゆえなのか、あるいは初演では屈強だった男の造型と華奢な女たちのコントラストが一つの形をつくっていたのが、バランスがかわったゆえか。切実さが薄れたように感じちゃうのは、もしかしたら、地方に住まなくなったあたし自身の変化なのかもしれません。

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2015.03.29

【芝居】「紅白旗合戦」Aga-risk Entertainment

2015.3.22 18:30 [CoRich]

29日までサンモールスタジオ。115分。

自由が校風の高校。生徒のアンケートによって作られ一度は職員会議も通った卒業式の式次第が、式の1週間前になり校長から新たな式次第が示された。校長が要求しているのは、国歌斉唱を卒業式全員で行うこと、国旗を講堂正面に掲げることだった。納得のいかない生徒側は、眠っていた取り決めである教師・生徒の代表者による連絡協議会の開催で合意を探ろうとする。

国旗と国家と卒業式を巡るものがたり。演劇ではイデオロギーを強く匂わせる二兎社・「歌わせたい男たち」 (1) が広く知られますが、同じ問題を扱いつつも、印象はずいぶんことなります。命じてる校長だってその理不尽を感じているけれど、誰に対してもずっとその立場(ロール、といってもいいいかもしれません)崩すことなく居続けているという二面性をもっている、という不思議な雰囲気を感じたアタシです。

意見は対立してるけれど、人々のありかたはシンプルでは無く、裏表というか個人と立場というか、かなり複雑に感じます。大人たちも生徒たちもイデオロギーをそれぞれに持っていても、主張することはそれとは違ったりもするです。生徒たちの自由すぎるところを苦々しく思っているし勝つためにあれこれ画策したりしても筋を通すべきところは通す教師だったり、あるいは「落としどころ」を探すために少々無理筋だって探そうとする人々。理不尽かもしれないレギュレーションの中でできることを探してなんとか合意点をみつけるというプロセス、ほんとうに民主主義のプロセスを見ているようなのです。

そうなのです。イデオロギーの主張の話ではありません。 生徒たちも国旗国家に対しての反対をしているわけではなくて、生徒たちのアンケートによって作られ、一度は生徒教師双方が合意した式次第を、プロセスを無視して頭ごなしに替えられてしまうことへの怒りなのです。声高に非難することはないけれど、「プロセスが否定される」という、法治国家のありかたの根本が否定されることの怒りやその向こうに透けて見える怖さが描かれているように思うのです。 だからこそ、 何かの一点を対立という構造の中で探していく人々、ゲームのようであるけれど、そこにはきちんと互いの敬意があって、そのプロセスがするすると合意に至ると、アタシ不覚にも泣いてしまうのです。

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2015.03.27

【芝居】「クズになれない」小西耕一ひとり芝居

2015.3.22 15:00 [CoRich]

一人芝居を銘打ちつつ、一人芝居じゃなくなってたけれど、きちんと一人芝居で描く90分。22日までRAFT。

公演が終わって、珍しく主演もしていて盛り上がる男、打ち上げてうっかり寝てしまって気になっていた相手女優はろくに話もできないまま、終電で帰ってしまう。記憶は無いけれど翌朝目覚めたのは別の共演女優の家だったが、男には女優でもある恋人も居る。次の一人芝居の台本がまったくかけないまま、再び一夜を伴にした女優の家に入り浸る男だが、芝居のネタにと思って軽い気持ちで訪ねた家族の話は思いの外重く、男は自分の父親に離婚して以来会ってないことを思い出す。

久々の一人芝居のようです。前回客演していた公演(1)の打ち上げを思わせる宴席で始まる物語。王子小劇場を思わせるJRと南北線とか、主役級の扱いのことだったり。座組の中にいいと思う女優が居ること、あるいはまったくそんな気はないはずで彼女も居るのにつまみ食いされちゃう感じとか。愛がどうとかよりは、30過ぎなのに女の子とやりたい気持ち、彼女が居ても別の娘とやっちゃいたい感じ、まだこの感じから抜けきれないヤバさを自覚しつつ、でも、その気持ちに流されちゃうというあたりが前半。

一方で作家としてあるいは役者としていい役を演じられた舞台を観て欲しい自己顕示の気持ち、それは母親に対しても恋人に対しても隠すことなくめいっぱいなのに、それが満たされないことの小さな不満。 つまみ食いされたような関係なのに、女のアンタッチャブルな部分に触れてしまったことによって物語は大きく旋回します。リストカットした女を切迫して描きながらも、物語の着地点は、自分と母親と兄弟たちを捨てて浮気に走って離婚した父親の現在に向かうのです。今では独り身で幸せになれないままに居ること、どこか浮気っぽい性癖、20年も会っていない父親に似てきた自分の未来が透け見えるような終盤。

自分の不十分なところ、あるいはままならないところの責任というか理由を理不尽に親になすりつけたい気持ち。彼よりはずいぶん年齢を重ねたアタシだけれど、ままならなさ、なにも成し遂げられていない感覚はその分あたしにはもっと深刻で切実なんだけど、まあそれはアタシの話ですね。

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【芝居】「はてしないものがたり」キシノカワモト

2015.3.21 18:30 [CoRich]

アタシは未見2005年のピチチ5上演作を上演。90分。22日まで王子小劇場。

男たち、一人の女性を囲み追い込むようにしてくる。女には惚れた男が居て告白するが、その男は女性に告白されたりするわけはないと言い出す「三人の開拓者」
終電を逃し自転車盗もうとする男たちに持ち主のロッカーが声をかける。そのうちの一人がファンだといいだす「嘘だと言ってよ、ハリー!」
百均のバイト、店長。店長より仕事ができるバイトはもう辞めて正社員で採用されるが、やけに長い研修が待っている。公園で殺された男が云うには「吉崎、かく語りき」
引っ越しバイトの男たちは休憩ばかりで仕事なんてしたくない。美女が通りかかれば目を奪われる。あれは実在するのか。「ほんとだよ」

一人の女優と、ほかは男性の俳優たちによる構成。モテなかったり金が無かったり、使えない社員とバイトだったり、輝いていたはずのパンクロッカーのくすぶりだったり。鬱々とした気持ちで暮らす日々だけれど、どこか中二的というか良くも悪くも幼くて、なんか部分的にはあたし自身を観ているよう。

「三人〜」はおそらくは職場の紅一点、すごくかわいいわけでもないけれど、みんなぼんやりとその女性に憧れているという前段。酔った勢いなのか、肩に触れただけとか、胸が強調されるようなバッグの斜めがけという些細なきっかけでそれこそ暴発するように女に迫る男たち。恋愛よりもセックスだとはっきり云いきってしまう切実さ、他人事ではありません。これっぽっちも恋愛の対象として見てない女との落差。後段ではその女が憧れる唯一の男が同じ職場に、となるけれど、非モテを拗らせすぎたあまりに、女が告白してくるわけなどない、という急展開は、やがて素人女性(つまり風俗嬢は居る、というのがやけにリアル)などいない国を作るという無茶な着地点に。この跳躍力と勢いは客席の爆笑を誘います。

「〜ハリー」は現行犯でつかまりそうな自転車泥棒をなんとか舌先三寸で逃げ切ろうという前半。時に会話をそらし、時に哀れを誘おうとしてなんとか逃れようという無茶さ。自転車が膝蹴りでまっぷたつに分かれてはじまる後半は、持ち主の男はかつてはかっこよかったのに、音楽で芽がでないまま、いい歳になってしまった鬱屈。自転車が女神のように生まれ変わってバイクに降臨するというのもなんかいい。

「吉崎〜」は、百均とか居酒屋とかあるいは明らかにブラックな弁当工場といった将来の希望が見いだしづらい職場、そこになじんでるバイトもいるけれど、優秀で仕事をたくさんしているバイトよりも、おそらくは使えない社員の方がたくさんもらってるという不条理ばかりの世界。がんばって働けば上をめざせる、というのは幻想なのだとあっさり描くのは身も蓋もない感じ。かと思えば正社員で採用されたのに3年の研修期間という搾取の現場。希望がもてない世界の中で、自分を肯定して生きていくのが、オナニーなのだという発想は中二的なんだけどなんか他人事じゃなく感じちゃうあたしもどうなんだ。

「ほんと〜」もまた、将来が見いだせなくて、労働なんてことにこれっぽちも興味がない男たち。もちろん非モテ、もちろん金もない。通りかかる美女で動きが止まり目が釘付けというのだけはみな共通していて、でもそこに見えてるように感じる美女なんてのは実は居ない、幻なんだという着地点も拗らせ方が楽しい。

紅一点・工藤さやは時にパワフル時に可愛らしく、時に怪しい外国人とさまざまな見え方が楽しい。特に一本め、ほどよく大人で、なんかやけに色っぽい。 モテなんか信じないと云いきる男を演じた松本D輔がなんか神々しく。

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2015.03.26

【芝居】「パスファインダー」キャラメルボックス

2015.3.21 13:00 [CoRich]

キャラメルボックスの人気シリーズ、クロノスジョウンターをめぐる物語はの6つめの新作は初めて成井豊のオリジナルの物語に。本編115分、恒例の撮影タイムは中盤に挟まる印象的なダンスシーン、もうひとつ、オリジナルの「クロノス」の予告編を加えて全体で135分。サンシャイン劇場の21日公演が千秋楽。

研究者の男、もういい年齢にはなっているが仕事でこれといった成果を出してはいない。ある日、人事に呼び出され新たな研究室への異動を打診される。その研究室は秘密裏に続けてきた時間遡航には成功したものの、致命的な欠陥の改良の目処がたたないままの開発を続けてきた。
男に課せられたのは、その機械に乗って記録を残すことだった。男は死んだ兄に自分が研究者になったことを報告する希望を叶える。
兄に会うことはできたが、同時に記憶を失ったと云う少女にも出会う。

時間を遡る一つの機械を巡るいくつかの短編を経て作られた新作は、これまでの上演の隙間を埋めたり、あるいはキャラメル自身の上演の記録(1992年「また逢おうと竜馬はいった」初演 (四演))、あるいは役者たちの生き様の断片を組み合わせてつくりあげています。 92年の調布、というとアタシが調布の学校をでて就職した年、同じときに聖蹟桜ヶ丘アウラホールで(アタシが未見の)キャラメルボックスが上演した、ということにアタシには気持ちがシンクロします。

同時上演の「クロノス」は一作めのせいかシンプルにこの物語世界のルールを説明していましたが、それに比べると登場人物が少ない割に奥行きのある物語だと感じます。出会いたい一人だけではなく、その周囲の人々、その時代に出会った人のことなどが幾重にも重なるのです。なにより、これまでは一人で時間を行き来する孤独が先立つ雰囲気のシリーズに比べると、時間を超えて追いかけてくる人だったり、終幕が二人で旅立つ雰囲気なのは新しく感じます。

旅立つ二人を見送る兄を演じた客演・陳内将を目当てという観客も多そう。若いながら兄という微妙なポジションが巧い。兄の恋人を演じた渡邉安理が、かきまわし、可愛らしく、大人にもなって。しっかりと時間の流れを。 出身地など、主役のモデルにもなっている岡田達也は圧倒的な安定。コミカルもシリアルもこなす力が確かで凄い。その恋人を演じた岡内美喜子は美人かつ可愛らしく、きっちりとヒロイン。

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2015.03.23

【芝居】「忠臣蔵・OL編 /中山くんの縁談」渡辺源四郎商店

2015.3.15 15:00 [CoRich]

毎週日曜昼の上演と東京ではやらない公演という条件をもつ企画公演。 青年団の爆笑編な「忠臣蔵・OL編」( 1, 2) に組み合わせ前提で工藤千夏が書き下ろした「中山くんの縁談」の二本立て、75分。渡辺源四郎商店しんまち本店2階稽古場。3月の22日まで、
夜行バスで行って、新幹線で戻ってくる(もちろん往復新幹線、往復夜行バスという手も)のが定着してしまいそう。

女性との宴席に誘われた男。それは高田馬場での十八人斬りという噂ゆえにもてるし、仕官もいくらでもあるし、斬られたといって訳わからない敵討ちの標的になってたりする。実際には三人しか斬ってないのに、その噂先行に戸惑う。「中山くんの縁談」
江戸で殿がはたらいた狼藉でお家取り潰しの報が届く。このあとどうするかを相談する。仕官できるか、浪人か。おとなしく城を明け渡すべきか、憎っくき敵を倒すか、いっそ切腹か。「忠臣蔵・OL編」

「中山〜」は堀部安兵衛の若いころ、堀部家に入るかどうかのきっかけっぽく創作。実際は三人しか斬ってないのに、噂が噂を呼んで高田馬場の十八人斬り(wikipedia)ということになって戸惑う気持ち、だけれどそのおかげで取り立てたいという声もかかるようになる分岐点。その後の活躍とを心にプロットしながら、素朴で実直さがあふれる造型がいい。演じた工藤良平はそいういう実直さが似合っています。友達を演じた佐藤宏之はちょっと軽い雰囲気が楽しい。仇討ちの娘を演じた工藤由佳子と従者を演じた宮越昭司のどこかマンガのような造型も楽しい。

「〜OL編」は、青森中央高校演劇部OGが多くて女優が多いゆえに生きる一本。現在の津軽弁という現代口語演劇で上演していて、赤穂浪士という設定はどうなったんだと云う向きもありましょうが、もはや、少なくとも日本での意志決定というプロセスはきっとどこでもそうは変わらない、ということを体現していて、これをこの形で上演する奥深さを感じるのです。これ、日本のあちこちでやってほしいなあ。高校生なら高校生なりの上演の方法もあると思うのですが、かつてキャラメルボックスを上演しようとした女子高生たちが悉く失敗したのと同じように、俳優や演出の力が如実に出てしまう意味で怖いなとも思うのです。映画「幕があがる」(原作の小説と異なり、女子校が舞台になっています)で彼女たちが上演するのがこれだったらなぁとか夢想するのも楽しい。 よくわからなくなってしまっている武士道、を形式的にこうでなければとか思うのは今の私たちの気持ちに重なります。この国が伝統的にこうだった、みたいなことを盲目的に信じてしまえば、「江戸しぐさ」のような偽物が付け入る隙を与えて教科書にまで載ってしまうみたいな怖さがあるかもしれない、ということに想いが至るのです。

自分の意見が無くて右往左往する侍Bを演じた三上晴佳はほんとうに安定した役者に育ち、実はもっとも難しいポジションをしっかり。ほっぺたにナルトを付けて立てこもりを主張する侍Cを演じた夏井澪菜は可愛らしく、しかし意志の強さが見えるよう。大石を演じた音喜多咲子はどこかぽわんとした雰囲気の中で意見をまとめ上げていくという日本型のリーダーの姿をしっかり。

週末だけ、噂を翌週に、という手はfringeの提案と同じ効果が狙えるのは自前のアトリエがあるからですが、 毎週末をレパートリーシアターとして上演し続ける、というやりかたはたとえば飲食店の上演など、地方でも東京でも成立させられるありかたの一つだと思うのです。

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【芝居】「ここにある真空」浮世企画

2015.3.14 18:00 [CoRich]

15日まで駅前劇場。115分。

父親の精神科医院を引き継ぎ忙しい日々を送る女医。 同じく医者である夫と娘がいるが、家事はひとりでがんばっていて疲れ気味でもある。ある日、父親の不倫で生まれた腹違いの弟だと名乗る男が現れる。毅然とした態度をとりつつも、どこかひっかかっている。

当日パンフによれば、叔母である精神科医の実体験や心境を一つの核にして物語をつくりあげたようです。 アタシはどこか理不尽な境遇でも生きる女を巡るものがたり、と読みました。きっちり仕事をしていて忙しいのに、夫も娘も手伝ってくれるどころか、その想いを理解してくれそうにない家庭。仕事場は慕ってくれて支えてくれるスタッフたちがいるし、先代からの患者も居たりしてうまく回っている日々なのに、 ある日やってきた男は尊敬していた父親を、浮気とか腹違いという単語によってかき回される波乱。

理不尽な境遇の女たちという意味ではもうひとつ、家族とか育児にまつわる悩みを吐露する女性の患者が登場します。やたらにポジティブな夫、もう治ってるとか勝手に医者に行かないようにしてしまうなどおもしろそうなネタがたくさんなのだけれど、ここだけが物語の中で孤立してしまってる感じはあってもったいない。

正直に言うと、女たちを核に描きながらも、作家のねらった着地点がどこなのか、いまひとつぴんとこなくて戸惑うアタシです。家族たちにキレている女医だけれど、ワタシにも悪いことがあったとつぶやくようにして、折れてしまうあたり、理不尽とも思える現状を諦め、受け入れてしまうように読みとれて、作家の意図を今一つつかみかねるのです。それが現実なのだ、諦めるということなのかな、とも思うのですが。

男気あふれる女医を演じた片岡礼子は実にかっこいいい。女性の患者を演じた四浦麻希は少女っぽさが印象を残す役者だったけれど、すっかり大人になった女性を好演。夫を演じた竹内健史のうざったい高テンションは嫌悪感めいっぱいだけれど、印象は強烈。 先代からの患者を演じた鈴木歩己も、物語を背負うという意味では父親のことだけなのは確かにもったいないけれど、中華料理を食べたという思い出語りのシーンの味わいがいい。

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2015.03.19

【芝居】「「紙風船」から90年。岸田國士の今」カトリ企画&iaku 合同企画

2015.3.14 15:00 [CoRich]

岸田國士の代表作「紙風船」の発表から90年という立ち位置で2本立て。 15日まで古民家asagoro。そのあと21日まで大阪、22日と23日は金沢の2カ所での公演を予定しています。 10分の休憩を挟み全体で90分ほど。青空文庫に載っているようなパブリックドメインの作品の上演はもっと活発になっていい切り口だと思います。

結婚してずいぶんな時間が経った夫婦。新婚当時4年のフランス留学をしていた夫だったが、2年目に渡仏しようとした妻を夫は諦めさせていた。久しぶりに留学の時の友人が日本を訪れた。妻はあのとき夫には女がいたことを確信していたことを、再び思うようになる。「ある夫婦」( 原案:岸田國士「ある夫婦の歴史」(青空文庫)より)(カトリ企画)
逃げ込んだゴキブリ退治を部屋をぐるぐるまわりながらする母娘。娘の恋人はドイツに行くことが決まっていて、娘は一緒に行くか迷っている。母親にも相談しているが、娘の幸せは願っているが、全面的な賛成をできないのは、ただ遠くに行くという不安ばかりではなくて。 「あたしら葉桜」(岸田國士「葉桜」(青空文庫)より)(iaku)

「ある夫婦」は少し長めの小説から、夫の隠していたこと、その行き場のない妻の想いという関係を中心に再構成。話にあがるフランス人や妻の友人を巡るさまざまが小説ではもう少し描き込まれているのだけれど、今作は夫婦の話にフォーカスしています。何か内に秘めたこと、証拠はないけれど確信していること、あるいはふと目にした配偶者の浮気心にみえる証拠。結婚して一緒に暮らしていても、その二人に確固たるものがないのだ、という絶望的な気持ちがあるということがリアルなモノか、というのは独り者のアタシには正直わかりませんが(泣)。

元々それなりのボリューム(中編なのかなぁ...基準が判らなくなってる)がある原作をある視点で編集というか再構成するという方針は見えるし、メリハリをつけるという作戦は正しいと思いますが、終演後に青空文庫で読んだアタシにとって、正直に云えば舞台に現れない二人を噂話としてしか描くしかないならばいっそばっさり切り捨ててしまってもいいんじゃないか、と無責任な感想。

「葉桜」は煮え切らない見合い相手に断るかどうかを迷っている娘と母をめぐるごく短い戯曲を全面的にリライト。なんか、濃密な凄い一本に仕上がっています。

序盤は、ゴキブリ(をドイツ語で云ってたりしますが)が和室の真ん中に伏せてある雑誌の中にいるかもしれない、にヤキモキする母娘の関西弁の会話。徐々に友達っぽい関係な母娘とか、ドイツに渡航するかどうかの目下の悩み、あるいは恋人に対する母親の想いなどが徐々に、しかし効果的に開示される時間の流れで観ているということの観客の幸せ。

正直に云えば、元々の「葉桜」がなんか唐突な感じでまだ消化切れていないアタシです。が、あの時代の結婚を巡る母と娘のままならないことに対する会話を、まったく別の現代のシチュエーションに切り替えて、 結婚とか恋人ということについて、ままならないことをきっちり描き出しているのです。

iakuはアタシが観たものについては今のところ (1, 2, 3) ハズレが無いというのは、iakuが凄いのか、あるいはアタシがたまたまアタリをひいてるのか。

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【芝居】「クロノス」キャラメルボックス

2015.3.8 18:00 [CoRich]

劇団の人気SFシリーズの第一作の10年ぶり、初の再演 (1, 2, 3, 4, 5)。 新作と交互上演で22日までサンシャイン劇場。本編120分、スマホ・携帯での撮影・拡散可のカーテンコールが10分ほど。

おもえば新作込みで6本のレパートリー。一つの機械をめぐるサーガを作ってきた結果、まるでグランドホテル形式で映画が作れそうなさまざまなエピソードがつくれた10年だったのです。

メインとなる二人を一新。この莫迦げた一途さを背負う男を演じた畑中智行は、一途さはともかく、もうすこしクレバーな印象が勝ってしまうのは痛し痒し。ヒロインを演じた実川喜美子は、実はちょっと珍しい (1)大人の女性がじつにぴったりとはまり新たな魅力が引き出されています。

初演の感想でもその効果にあたしが熱狂した、「消える」表現は今作でも健在。ちょっとスチームパンクな時代がかったクロノスジョウンターという「機械」の派手さと、この演出の静けさの対比が物語のリズムをつくります。

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2015.03.18

【芝居】「土に寝ころぶ女たち」タテヨコ企画

2015.3.8 15:00 [CoRich]

8日まで雑遊。105分。

週末だけ農業に訪れて採れた野菜を分ける会。雪も降っている寒い季節、近くの寺の修行僧が手伝いに来ている。夫婦が多いけれど、乗り気じゃない夫も多く、妻だけというところも多い。この農業の会を取り仕切る男にまつわる怪文書が出回る。立ち上げメンバーの夫もその男に対して急に批判的な態度を取り始めている。

週末だけ、しかし長い期間にわたって一緒の時間を過ごす人々。住んでいるわけではないので、自然に消えていく人も居てその関わり方はさまざまに。安全でおいしい野菜みたいな考えかたをする人々という意味である種の意識の高さみたいなバイアスがかかっている人々ともいえるけれど、それは夫婦の意識がそろっていることもあるし、二人のバイアスのかかり具合に差があるということもある、というのがこの設定の絶妙さなのです。

この週末農業のグループの先生ともいうべき還暦の男じたいはストーブを持ってくるといわれ続けているのだけれど、ついに舞台には現れません。この土地の元々の人々とは隔絶した存在だということ、妻を亡くし娘がいることを背景にしつつ、彼をめぐる怪文書が出回っていたり、グループのメンバーの中に反抗する人が居たり。それはこの家に週末以外にも通っているメンバーの主婦が居るということがこの物語の核になっています。

タテヨコ企画の物語でよく語られる修行僧たち。まだ修行中で、学生のようなキャッキャとした雰囲気だけれど、隔絶した存在であるこのサークルの中で、知り合いではあるけれどそれほど近いわけではない存在、話を聞く人としての存在として現れます。

一つの共同体。その立ち上げメンバー二人の片方が不本意ながら明確に離脱することを表明する幕切れ。来年の次回作からは「新体制」になると謳うこの劇団の姿が重なるのです。

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【芝居】「走るおじさん」あひるなんちゃら

2015.3.7 19:00 [CoRich]

9日まで駅前劇場。70分。MP3音声の販売を毎度買ってしまうけれど、ワタシの観た回は何人も同じ人が居て嬉しくなっちゃうあたしです。500円。

公園。走っているおじさん。妹や弟は呼び出されて気乗りしないけれどつき合ってタイムを測ったり測らなかったりしている。それを少し離れてベンチから眺めている男女3人は仕事をさぼってるような気分転換してるような。おじさんには娘が居て、友達も訪ねてきて。

駅前劇場の客席まで人工芝を敷き詰め、公園のいくつかの場所のすぐ近くで観ているような感覚。 地味に見えてるけれど、この敷き詰め、そうとうにお金もかかりそう。このやり方は成功していて、客席後方からの出捌けは、この劇団の上演ではダイナミックな新鮮な感覚があります。ものすごく精度が高いのに、ゆるゆるな会話劇に見える芝居を外れなく作り続ける確かなちからなのはいつものとおり。 いつものあひる節目一杯。かみ合うようなかみ合わないような会話が心地いいのだけれど、それを言葉で説明しづらいのがすごく歯がゆいのです。

何のためにおじさん、働きもしないで兄弟や娘まで巻き込んで公園でのどかに走るのか。なにを目指しているかも判らないという空虚。娘はぶん殴ってやろうかと考えていてというのが物語の軸だけれど、描いているのは物語と云うよりは関係とか雰囲気だということを再確認。同じ公園に居る男女三人、何か「クリエイティブ」に近い仕事っぽいけれど、バンドだと思われてるよね、とか、おじさんには石をぶつけて追いかけられてアイスおごってもらえるとか、ボケまくる女二人、 劇団員の篠本美帆の安定はもちろん、初登場の志水衿子も違和感なくぶっ飛んでぼけまくります。わりとシリアスな少年、みたいな役の印象が強いあたしなのだけれど、きっちり。 ひとりで一身に背負って突っ込みまくる男は堀靖明が演じていて、この三人の会話、この部分だけ取り出しても一本のコントになりそうな楽しさ。

ストップウオッチの一秒ゲーム、劇中でも言及される「なにもない表情」というのがちょっといい。パンダの物真似、という例えももむちゃくちゃだけれど、納得してしまうあたしです。どこがどうすごいのか言葉にできないのがもどかしいけれど、強烈な印象。演じた石澤美和はなにをどうしたらこういう表情ができるのだか、どうやって引き出したのだか。

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2015.03.13

【芝居】「セイムタイム・ネクストイヤー」

2015.3.7 15:00

バーナード・スレイドの原作を大西一郎の演出で。 8日まで鶴川の古民家・可喜庵。140分。

1951年、ホテルの一室。会計士として毎年訪れる地で、一夜を伴にした女と迎えた朝。それぞれの配偶者を裏切った気持ちはあるけれど、何でも話せて嬉しいきもちは離れがたい。家族の写真を見せ合ったりしながら約束をする。
それから毎年一度だけの逢瀬を続けて5周年。女は本を読むようになり、男は引っ越し娘への罪悪感。10年後には女は妊娠していて、男はEDに悩む。14年後は女は大学に進みヒッピーのムーブメントにかぶれてていて、19年後、女は社長になり成功していて離婚を考えていて、男は精神科の勉強を始めている。24年後、男は妻を亡くしていて、プロポーズする。

ずいぶん前に加藤健一事務所の公演で観た気はしますが、ずいぶんと時間が経っています。それぞれにパートナーがありつつも、毎年の逢瀬を繰り返していく、という男女の不倫な性愛を核に観ていた若い頃だったのだけれど今作を観たアタシの印象はずいぶん異なります。男は木訥だけれどマッチョだった序盤から、EDという悩みを抱え、あるいは若く新しい考え方を強く排除しようとしたり、精神的な分析に没頭したり優しげだったりという男、あるいはヒッピームーブメントにかぶれて反体制だったり、実業家として成功したり、整形をしてみたりという女。アメリカという国の、あるいは男と女の社会的な位置づけの変化を早送りで、という社会派な一面の方を強く感じる一本になっています。

小さな古民家の一室にベッド、ソファ。いわゆる洋モノですが、どこかのホテルのコテージという雰囲気で不思議なほど違和感はありません。 客席はぎゅっと超満員。この環境にしてはわりと長尺な一本だけれど、それでも飽きることなく観られるのです。

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2015.03.10

【芝居】「ゲジゲジ」散歩道楽

2015.3.4 19:30 [CoRich]

17年の活動に終止符を打つ散歩道楽の最終公演。10日まで楽園。85分。

早朝の新聞販売店。朝刊が届くのを待つ眠れない男。理不尽に扱ってくる先輩には女の子を紹介されるが、馬鹿にされぞんざいに扱われる。理不尽に何かしてやりたい、という脳内の会議。立ち寄った女はあれこれあって酔っていて、でもそれからも時々訪れて。

女が去って行くという別れはあるものの、ことさらに別れを意識させるわけでもなく、最終公演だというのにびっくりするほど淡々と描きます。もっとも、作演の太田善也にしても、今回は出ていないけれど劇団から派生した川原万季が率いるドリームダンなど、これからもこのユニットの人々の多くが演劇のどこかで進んでいくのだから、一つのマイルストーンに過ぎないという意識のあらわれかもしれません。

眠れないゲジゲジ眉の男、夜と朝の狭間の静かな時間、新聞が届く前、空っぽの広い作業テーブルを見つめる男。そこに見えているのは葛藤だったり欲望だったりが別々の人格として現れ脳内会議を繰り広げます。中央に王女、グラマラスな女、セーラー服姿の初恋のあの娘、喧嘩っ早い男、冷静であり続ける男、へらへらと仲良くありたい男。自分の行動を決める男たちと、自分の性欲の出口としての二人の女。なんか 作家の脳内じゃないかと思うのにあけすけだし、脳内だし。たしかにこういう無茶な人物を中心において物語を描くというのは、自分の劇団でしかできないわけで、ああ、なるほどこれもまた正しい解散公演なのだなぁと思ったりします。

が、いつまでもそういうファンタジーは続かないのです。女は記者でシリアに向かうことになり、脳内の人々は刺され、消えていきます。それは決して悪いことではなくて、ファンタジーに浸っていてずっと寝ていなかった男が最後に大あくび、眠る、というのはファンタジーを終え、現実に向かい合っていく描写と読みました。「同志」で固められた劇団というある種のファンタジーを終えて、他の劇団への書き下ろしや演出など、仕事という現実いっぽんでやっていこうという決意。もっとも観ている最中はそういうい決意とか劇団とのリンクなんてことを感じて観ていたわけではなくて、書きあぐねて1週間経って、ああ、そいうか、と勝手に合点がいったのですが。

ああ、そうか、11年も観ていれば、勝手にアタシも作家に対して同志になった気になって、何を考えていそうか、ということが判っちゃった気になるのか、と思い至るのです。もっとも芝居をみて、たまには呑んだりもする、ぐらいの緩いつながりでそれはおこがましいのですが。

もう一つ、劇団で作るという強さ。この公演のあたり、川崎の少年の事件だったり、そのまえのシリアの事件だったり。「ひどいニュース」という台詞に代表される、社会に繋がる新聞読み(しんもんよみ)の新しい話題を台詞に入れられる、ということ。話題としては相当に微妙で芝居に組み込みづらいことだけれど、それをなんとか編み込みたいという決意も嬉しい。

主役を演じた上松コナンはついこの前の芝居ではサブキャラながら作演の雰囲気。今作ではがっちりメインをしっかりと背負います。その作演はヤクザっぽく怪しい新聞店の販売員(拡販員)というズルい役で、やりたい放題で、楽しい。初恋の娘を演じた鉄炮塚雅よは可愛らしくエッチで、色っぽい女を演じたヒルタ街はぶれない色気、酔って訪れる女を演じた珠乃、落ち着いている女王を演じた川原安紀子は久しぶりで嬉しく、あるいは45点の女という酷い役だけれど、あからさまに豹変する女を演じた竹原千恵のコントラスト、暴れん坊な脳内の男を演じたキムユスの暴れっぷり、理性的な男を演じた植木まなぶのキャラ芝居楽しく、理不尽な先輩を演じた椎名茸ノ介はヒールだけれど、垣間見の優しさのコントラストも印象的。へらへらしている脳内男を演じた安東桂吾、最近短パンとかパンツとかの役ばかり観てるきもするけれど、楽しく居ようとするという造型がいい。

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2015.03.09

【芝居】「うさぎとシーラカンス。」SCARLET LABEL

2015.3.1 18:00 [CoRich]

3日まで駅前劇場。90分。

年上の立派な男から求婚されている女は電子書籍で小説を出している。古書店主の初老の男が片思いしていた女が一方的に預けて去ってしまった娘を、自分の子供のように育ててきた。女は年上の立派な男から求婚されていて、置き手紙をして家をでたものの、かわいがっていたウサギの手術の報を聞き、家に戻る。

古本屋の店主、その娘として育てられた女、女を娶ろうとする男の物語を外側の骨格にして、女が書く同話めいた小説はその相似形になっていて、水の中で出会ったシーラカンス、やってきた兎、結婚する相手の物語。

もう初老の域に達する父親代わりの男を慕い、抱いて欲しいとすら思うインモラル。 身体を欲しがらず、ずっとそばに居てくれる男。娶ろうとする男は立派ではあるけれど、 身体を欲しがるしという対比。 それはどうにもゲスくていけ好かないわかりやすさ。年下の娘が父親に恋してしまうファザコンに作家はもうひと味を加えます。それは父親代わりが片思いしていた女が置いていった一粒種で、子供が育って行くにつれ滲むようにあの女に似てくるという恋心。その嬉しさ、その苦悩。女の側にも男の人生を自分を育ててくれたために奪ってしまったというある種の負い目。さまざまな想いが交差する二人。

作家・葛木英の何を知ってる訳ではないけれど、どこかそういうファザコンぽさを持っているのではないかと、勝手に想像するアタシです。作家としての彼女の姿がみえるもう一つのシーン、書くことは解にたどり着くための過程、書かないと人生が進まない、という台詞がとても好きなのです。

この物語を受け取った演出・堀越涼はこの物語を傾くように、外連味を昭和歌謡という手を使って加えます。妙なテンポだったり、緩急が激しすぎたりする使い方で、静かに沈むような物語を意図的にかき混ぜているのは面白い。大泣きするシーンに、たいやきくんだったり、なんてのもわけわからなくて楽しい。

結婚式、バージンロード、父親から娘を男に渡す、というシーンをゆっくり。この背景をこの「普通の」結婚式に集約する終盤もいいシーンなのです。

娘を演じた秋山莉奈はずっと可愛らしく、しかし強い意志を秘めたヒロインをきっちり。父親を演じた伊藤ヨタロウは静かに暮らす日々、内に秘める気持ちのコントラスト。終幕の鼻唄もいい。パートの女を演じる傳田うにはあちこちに激しく揺れる物語のなかでずっとフラットで居続けるちから。ゲスい男を演じた加藤啓はほぼヒールの強さ。その妹を演じた大竹沙絵子もいけ好かない造型をきっちり。

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2015.03.08

【芝居】「渦中の人」セロリの会

2015.3.1 14:00 [CoRich]

1日まで「劇」小劇場。110分。

民宿を切り盛りする妻は教師の夫はこの土地にも民宿のことにも興味がなく、鬱積した不満を爆発させた妻は離婚届を突きつける。 この島は盛り上がらない観光地だったが、宝くじの当選者が続けて出たことから観光客が増えている。 東京に行っていた夫の弟が突然ふらりと現れる。センスの良さで、パワースポットや開運グッズをからめたネットの宣伝を通して土地の人気を盛り上げていくが弟は何か後ろめたさがある。 同じ民宿で働く妻の姉は娘には島の男と結婚してほしいと願い島外の恋人と別れさせるが娘はあきらめきれない。
民宿は今日も盛況で、彼のための事業資金を宝くじで当てたいと願う女や詐欺に遭い無一文となった崖っぷち女、あるいは整形をしてまで恋人を追ってきた女が泊まっている。最初は思いつきだった開運グッズもなぜか小さな当たりが続くようになってきた。

離島という場所、外から人は来るけれど、それを有効に生かせなくて、なんとか生きては居るけれど、経済的には苦しい日々。 夫はこの土地の小学校の教師なのに、この土地の伝説を15年も住んでいて知らないということが序盤の象徴です。妻の実家のあるこの土地に住んでいても、伝説も知らないし、妻の悩みも見えてないし、民宿だって手伝いもしない。妻から切り出された離婚を機に変わりたいと思う気持ちが渦巻きます。

旅行者の女たちもそれぞれの想い。男だったり現金だったりにすがりたいとおもってたり、半笑いだったりいっそ都市伝説信じちゃえだったり。でも、何かが当たれば嬉しいし、人が当たればワタシもと思ったり、というあたりまえの感情をことさらに強調せずに丁寧に描くのは、それぞれの人物の造型の深さに繋がります。

あるいは、近所の干物屋の女、「女の電源切っている、いれるタイミングを逃してて」なんて台詞は容赦ない。後半に居たり電源を切ってる理由も明かされるのも深み。どきどきしたくない、というのはワタシも心当たりがありがちだったりしますがそれはどうでもいいですね(笑)

あるいは母親と娘の確執というか。飛び立ちたい娘をつなぎ止めたい母親。言葉の端々、たとえば娘は老後の保険なのか、という娘の言葉を否定しない母親。娘はずっとこの島にいるとおもうとぞっとする。 出て行くなら母は死ぬと言い放つが、娘はここに居てもワタシは生きていたって死んだも同然なので同じだという。

中盤からは離婚を切り出した妻は実はもうこの世には居ないことが明確に語られます。朝食のシーンでそれを大声で、というのはどうかと思ったりもするけれど。幻覚がずっと見えていた夫だけれど、終盤に至り夫は妻の死を受け入れ、好きだということに向き合い、妻の幻が見えたって、幻だと自覚して生きていく、というのは前向きで素敵なのです。

干物屋の女を演じた遠藤友美賀、容赦ない台詞だけれど、がははと受け止める強さの造型。つなぎ止める母親を演じた辻川幸代は、理不尽を絵に描いたような存在きっちり。 パソコン弱い、という一人芝居はやややり過ぎな感じではあるけれど、そのあとの物語の深刻さに対してちょっと明るくしてる感じだと思ったりも。弟を演じた仲井真徹はほんとにかっこいいなぁ。終盤もいい。 連れてこられた旅行者を演じた天舞音さらは、終盤であっさり逃げるのが格好良く。 亡くなった妻を演じた勝平ともこはそれでも喜怒哀楽のコントラストが印象的。

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2015.03.06

【芝居】「劇王 天下統一大会2015」劇王

2015.2.28 19:00 [CoRich]

三人までの役者、20分以内、転換も短時間などいくつかのレギュレーションで本編120分ほど、そのあとの投票・講評・結果発表が60分ほど。

夏のウサギ小屋を掃除している男性教諭たち。ウサギの中も一羽だけメスであるのと同じように、この学校にも女性教諭は独りしかおらず、生物教師がつきあっているのではないかと疑っている。「いきものがたり」(INAGO-DX)
ガリ・姫・デブの三体の地蔵。ある雪の日に傘をかけてくれた老人にお礼をするかどうかを話し合うことにする。 「戯れ」(SOUTHERN COMFORT)
女が帰宅したら若い女が忍び込んでいた。取り押さえ縛り上げた女は、未来からやってきた自分の娘なのだという。若い男を酔っぱらわせてはかつぎ込んでできた子供だというが、その部屋の主は男の陰もまったくなくて。「都会の女」(もじゃもじゃ頭とへらへら眼鏡)
母親の葬式の翌日。東京に出ている次男は忙しく明日には戻る予定だ。長女は家をでているユタだが、この家に住んでいるのは、亡くなった長男の嫁とその息子だ。他県から嫁いできた長男の嫁は、統々銘★など、この土地のしきたりや親戚づきあいをするのはもう嫌だというし、次男も戻ってくる気はない。長女は、遺産の金はいらないが、浜辺の使われていない土地がほしいのだという。「@オキナワ」 (@沖縄向上委員会)

広島のINAGO-DXは、わりとコントの雰囲気。男三人が一人しかいない(が、登場しない)女性教師にむらむらしながら会話する、という体裁ですすみます。芝居の核となっているのは、ウサギ世話を進んでする生物教師、一匹しかいないメスをもってかえってるということを、女性教師とつき合ってると勘違いする流れ。互いに隠している元カレ、現カレという三角形も構造としては面白いけれど、この構造が出てくるのはほぼ終幕の段階で、ちょっともったいない。

東北のSOUTHERN COMFORT は、いわゆる「かさ地蔵」の物語を核にしつつ、お礼するかどうかを議論するという構造。いわゆる議論の芝居という意味で、たとえば青年団の忠臣蔵 (1, 2, 3, 4) のように、くるくると三人の意見が変わっていくということが期待されるというのが審査員の一致した意見。が、実際のところ、坂がいや、お礼を期待させるのはよくない、あるいは詐欺のターゲットになる、という意見で、それもわりと同じところをぐるぐると回るばかりで関係が変わらない物語。最初の発想のすごさがあるだけに、惜しいなと思うのです。

神奈川のもじゃもじゃ頭とへらへら眼鏡は、予選Cでは唯一の二人芝居。未来から来たと名乗る女を亀甲縛りに椅子に縛り上げたところ。なぜかヒョウ柄の部屋着というのは出落ち感。部屋のあちこちに酒と物騒なものばかり。ナイフだったりヤリだたり、はてはいわゆる電マ。女の一人暮らし、不倫していたりして、恨みをため込んでいる女の気持ちがその数々の道具になっている感じ。ほだされ信じるように見せて、終幕であっさり都会の女なめるな、という幕切れも見事です。

沖縄の@沖縄向上委員会は、母親の葬儀に集まった姉弟と、長男の嫁という構成の物語。いわゆる葬式の場の芝居として始まります。トートーメー(統々銘)を受け継ぐことであまりにも大変な日常になっていること、すぐ東京に戻らなきゃな次男だったり。それを中心に物語が進むかと思うけれど、この家と現金の遺産は二人でわけて、長女が浜辺近くのなにもない土地を貰いたい、というあたりからぐるりと物語の雰囲気がかわります。基地がある、基地が移転してくるという計画。基地が嫌だと思いながらも、莫大な収入が見込まれること。この土地ゆえのことをきっちりコンパクトに書き込むのもすごいし、前半と後半で物語の印象ががらりと変わるのも見事。

観客の投票と審査員の点数によって決勝進出を決めるというシステム。かならずしもアタシは好きなシステムではないけれど、お祭りな楽しさ。観客だけでなくて、審査員を置くというのはプラスで、丁々発止の会話が楽しい。アタシが投票したのは沖縄代表で、神奈川だって基地があるのだからここで選ばなくてどうする、という気持ちだったのです。このブロックで勝ち上がったのは神奈川代表。地元は当然観客も多いわけで、そういう意味で投票を選考基準にする難しさも感じるのです。

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【芝居】「ころころころ」遠吠え

2015.2.28 14:30 [CoRich]

1日まで荻窪小劇場。 卒業したくなかったら体育館の裏に集まることを呼びかけるチラシに応じて集まった女子高生たち。 ひとり、もう亡くなってしまった少女のことが見えている女子高生は、ほんとうに離れたくなくて、本気で卒業式をボイコットしようと思っているが、他はそれほどでもなく、卒業できなそうな崖っぷちだったり、卒業した先が楽しみだったり進学が決まっている。が、 ずっとみているもうひとり。

焼却炉が近くにある体育館裏。最近っぽく、ジャージだったりブレザーだったりとわりと自由な服装。卒業間近の彼女たちが別れること、未来へ進んでいくというそれぞれの分岐点直前の刹那というか一瞬を舞台に物語がすすみます。結果的にはどうしても卒業したくないのは張り紙をしたのとは別のただ独り。他の人々は同調してはいるけれど、卒業した先が楽しみだったり進学を楽しみにしてたり。あるいはまだ卒業の崖っぷちだったり。

いわゆるセーラーの友達と別れたくないひとり。12年前に自殺した少女で、それが見えてしまってずっと友達で。 同じ日が永遠に続く繰り返しから抜けられないひとりを助け出すのはずっと見ていた同級生という終盤。さらにもう一つ、三人が出会ったシーンがあるのもいい感じ。

正直にいえば、物語に対して人数が多すぎる印象はあります。物語を駆動する三人はともあれ、ほかはそう多い人数でなくても語れそうに思ったりもするのです。

見続けている同級生を演じた田中渚はクールに、しかし優しい視線が格好良く。卒業したくない女子高生を演じた、るんげは可愛らしく、しかし内に閉じこもるような造型に説得力。

終演後のトークショーは作演と、新しい数字(という劇団)の佐々木琢で。なぜか彼らの手元には数枚の紙。なれそめだったり、どこがどうだったりの会話だけれど、観客の質問はしないで、「ごめんなさい、ここまでしか書けませんでした」というトークショーのプロレスな雰囲気が楽しい。

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2015.03.03

【芝居】「恋と蛍光灯とヤング」ハイブリットハイジ座

2014.2.27 19:30 [CoRich]

1日までSTスポット。100分。

一部ではカルトな人気を得ていた映画監督だったが、12年も作品を発表していない。若い頃にその映画をみてファンとなった男は父親の喫茶店でアルバイトしており、その映画監督がアルバイトに入ってきて、まだ映画をあきらめておらず、脚本を書きためていることを知り、親しく話すようになる。
ファンの男もまた自主映画を撮るようになっており、後輩とともにロケに出ることにする。難航していた女優も探すことができたが、ギャラが出ないことや自主映画をどこか下にみているが、結局は使うことにする。
抜けるアルバイトの代わりに新しいアルバイトがやってくる。女優だというが、アルバイトのためのサンドイッチの作り方を覚える気があるかも怪しい。金に困っていて、映画監督の男から借りようとするが、断られそうになり服を脱いだところに映画監督の彼女がやってきてしまう。

友人によれば、これまではもっと高いテンションの芝居のようだけれど、今作はがらりと変わりSTスポットには何かレギュレーションでもあるのではないかとおもわれるような不条理感めいっぱいの静かな会話劇に。監督は精一杯の虚勢を張って、撮ろうという努力(といっても彼女の父親に借りるという手段で)はしてはいるのだけれど、もう抜け殻となってしまっておそらくは新作は撮れなくなっているのではないかという絶望感。それなのに世界は彼にやさしくしてくれないというよりは、半笑いで馬鹿にされるし、金を貸してほしいと云われた女と懇ろになる寸前でその恋人にみつかって、壊したモノの濡れ衣まで。 こういうオジサンをみると過剰に自分を投影してしまうアタシです。演じた熊野善啓は見事なほどにコミカルで悲哀がある「オジサン」をしっかりと。

不条理に責め立ててくる「世界」を背負う二人も凄い。金がないから貸してくれ、と男を色仕掛けで誘いこむ女を演じた本間玲音、都合のいいことしかきかない、マイペース一辺倒でそのくせ弁が立つという造型で観ているアタシも苛つかされる凄さ。ブラ姿という脱ぎっぷりも嬉しいアタシですが、序盤でちらと見えるパンツは黒なのに、ブラは白なのは、こういうキャラクタの女性としてはそれで造型としてただしいのかどうなのか、はまあどうでもいいか。女優の卵を演じた南美櫻もまた一人前にギャラを強気一辺倒で要求するあたりも、小さな映画でくすぶってるのをあっさり一刀両断してしまうところもまあ苛つかされるみごとさ。

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【芝居】「必要とされている、と思う病気」箱庭円舞曲

2015.2.22 14:00 [CoRich]

作家・古川貴義が肺結核にかかり入院した経験を下敷きに、必要とされると感じること、あるいはなくても世界はまわるということを描く110分。2月23日まで駅前劇場。

結核病棟。完治するまで公費で隔離され病棟から出られないがクスリを飲むぐらいしかできない。 日々を暮らしている。看護師長は患者のために頑張ろうと思っているが新人の看護師はいまひとつまだ使えないし、中堅の派遣の看護師は仕事として割り切っている。
この入院でライブが延期になったお笑いトリオの男を看病しに毎日女が通ってくるが冷たくあたる。病室の主は金がなく治らないといって弱きだが時に傍若無人。退院間近と思われる男はやけにテンションが高く、若い男は通ってくる母親の干渉を煩わしく感じるが、若い看護師に恋心を抱く。毎日将棋に訪れる男は教師だが女生徒にうつしたとして退院するのが面倒になっている。

医師の控え室と病室という二つの場所。看護や医療という仕事の現場、母親と息子、恋人の想い、まだ芽のでないお笑いの中、社会にとっての存在意義、あるいは若い女であるということ。さまざまな切り口で「必要とされている」こと、つまり承認欲求をこれでもかと詰め込んでいます。必要は関係の中で起こることなのに、CoRichの紹介文にあるように「必要とされているか」という関係ではなく、個個人ひとりが「必要とされていると感じたいか」という視点なのが、もしかしたら入院中に一人で考え続けたことなのかと感じられて、ちょっと面白い。

隔離病棟という場所故に、いったん有期で社会から切り離された状態、という舞台設定と、自分が必要とされてるかどうかを感じ考え抜くという内容との組み合わせの妙が見事で、それがぎゅっと濃縮されて描かれる物語は実に濃厚なのです。

がさつで大声で騒ぐホームレス風の男のありようが、どこか私に近しく感じられるのです。今のところは仕事も住処もあるし、楽しく遊んでくれる友人も何人かはいるけれど、社会に私の居る場所はあるのだろうかと、もしかしたらごく近い将来の自分の孤独をみるよう。それはたとえばお笑いトリオという仕事に必要とされなかったり、恋人に必要とされてなくてなんてことも、それぞれにぐさぐさと突き刺さる感じ。

この作家が描く「仕事の現場での人々の姿勢」が結構好きです。今作では三人の看護師の立ち位置のコントラストがしっかりと。師長はいわゆる患者のための博愛のようなスタンスだけれど、だれにも頼まれてないのにチャイナドレスだって着ちゃう前のめりの空回りも微笑ましく、でもちょっと切実で。中堅で仕事が出来るけれど派遣という立ち位置ゆえに待遇で差があるし、それは食い扶持のためだと言い切るのも鮮やか。若い新人看護婦は仕事の自覚がない前半と未熟ゆえの事故や人の死によるショックを経て自分の中での落としどころを探るよう。

看護婦達にはもう一つの軸もあって、未婚でやや女としての賞味期限が近づくように描かれる師長と、若くてキレイで女として望まれているということを自覚している、という見事な対比をつくりだします。

師長を演じたザンヨウコはその近づく賞味期限を感じさせつつ(失礼)、それでもチャーミングで空回りの可愛らしさ、チャイナドレスの見た目の色っぽさ、そのどれもが落ち着いたテンションのままである種 フラットでありつづけるのに強い印象という希有な造型。若い看護師を演じた白勢未生は 可愛らしいというよりはどこか魅惑的という説得力。大声のホームレス風を演じた清水大将も、いわゆる オッサン感と垣間見える寂しさがいい雰囲気。

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