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2014.10.28

【芝居】「世界は嘘で出来ている」ONEOR8

2014.10.23 19:30 [CoRich]

評判が良く、空席が目立つと教えてもらってきてみれば、夜公演とはいえベンチ席までぎっしり満員の平日。 110分。29日までスズナリ。

発見が遅れて腐敗した死体の片づけを担う特殊清掃会社の社長が請け負ったのは、自分の弟の死体の片づけだった。
嘘がつけない性格の兄と、子供の頃から学校も仕事もさぼりがちでその場しのぎの嘘ばかりついてきた弟は一緒に上京し、弟は最近では恋人と住むようになっていたが、その恋人が喧嘩をして出て行ったあとの一人の死だった。

正直者の兄と嘘つきな弟を軸に、子供の頃、上京前後、少し前の同居時代、分かれて住むようになってからの恋人との関係、恋人が出て行ってから、死体の片づけといった断片を時間軸をばらばらに、フラッシュバックさせて描きます。この兄弟と母親、それぞれの恋人といったわりとシリアスなこの物語の軸に対して、空気を読む気すらない若い作業者、子沢山で嫁の尻にしかれがちな畳屋、強面だけれど義理と人情に篤い工務店社長、この部屋の借り主である女に下心めいっぱいの大家など、コミカルで愛すべき、しかし卑近だったり小物感漂う造型の人々が周りを固めて緩急のリズムをきちんと作り出すのが見やすいのです。

兄を演じた甲本雅裕は、顔はわりと身体大きくて強面なのに、優しく、まじめというキャラクタがあっています。弟を演じた恩田隆一はさすがに看板、ずっと顔を歪めるような芝居が続くけれど、カーテンコールの笑顔に安心します。母親を演じた異儀田夏葉はたぶん年上の役者たちを子供、として演じるけれど、それに違和感がないのがなんか嬉しくなってしまうぐらいに、お母さんという造型。恋人を演じた浅野千鶴はちゃんとダメ男だって養っちゃうけれど、見切りをつけるタイミングが正しかったんだろうな、という理知的な雰囲気が印象に残ります。大家と母の恋人を演じた野本光一郎は気持ち悪さ、かっこわるさも二色に鮮やか。伊藤俊輔はきっちり笑いを取りつつ、いわゆる大人からみて苛つく造型が絶妙。劇団員の女優ふたり、和田ひろこ、冨田直美は客演に対して一歩引きつつ、恋人だったり有能な右腕に説得力。コミックリリーフ的な三人、山口森広、古屋治男、矢部太郎は結果としてそれぞれに物語の鍵だったり、兄のまわりの風景を補強します。

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2014.10.24

【芝居】「火宅の後」猫の会

2014.10.23 15:00 [CoRich]

26日まで「劇」小劇場。85分。

作家の家。若い女と二人で住んでいて妻や長男たちが守るこの家には滅多によりつかず、食うにも困るありさま。作家は久しぶりに戻ってくる。新しく担当になった女性の編集者が挨拶に訪れ、作家に心酔していることを知り、連作となる「火宅の後」を始めることを約束する。作家自身の体験を元に描かれ、スキャンダラスな内容もあって評判になるが、連載の途中でぱたりと書けなくなってしまう。見慣れない男が訪れて、作家の「火宅の後」が売れると断言する。

私は未読ですが、云わずとしれた「火宅の人」によく似たモチーフ。無頼派というよりは、奔放に暮らす作家、その妻、あるいは囲った若い女、長男、書生の男などを中心に物語が進みます。火宅の人のモチーフで天才ではない男が作家であり続ける物語という風情。自分より先に亡くなった作家や若き天才のことは一発で見抜けてしまうのに、自分はどう逆立ちしても追いつけない、という悔しさ。そういう生き方に対しての憧れか、それともあくまで面白い人という素材として描いているのかはわからないけれど、いままでのこの劇団の作家が描いてきたものとはずいぶん毛色が異なります。

娘が居なかったりと、別れた後からの話を描いているなど、火宅の人そのままというわけではないけれど、病床の息子の存在など似ているモチーフもたくさん。 あきらかに異なるのは、「未来からの編集者」という特異な存在です。主人公の節目節目に現れて、時に状況をかき回し、時に気持ちを後押しする不思議な存在で、それはまるで読み手である私たちが主人公を応援しているかのようでもあります。

自分ばかりか周囲のプライベートも切り売りし、戦友ともいうべき編集者が伴走し、自分より先に亡くなってしまった友人の天才作家の年齢を越えてもまだことを成し遂げておらず、そればかりか後進に天才を見いだしたり。成し遂げてないのに追い抜かれる焦りを内包しつつ、あくまでも無頼というテイで居続けるということだったり。年齢を重ねることへの恐れのようなものがかいま見えたりもします。

女中を演じた徳本直子が可愛らしく。書生と仲がいいけれど、やはり同郷の作家志望を応援してしまうあたり切ない。終幕で大人になった彼女もちょっといい。編集者を演じた杉山薫の成長も素敵に描かれます。わかく酒も飲めない編集者として登場する序盤、次のシーンではもう編集者として、声も心なしか低く大人に。終盤で ビールがのみたい、という序盤とのコントラストも成長を描きます。妻を演じた川崎桜はこういう役はちょっと珍しい気がするけれど、昭和の物静かで強い妻、という説得力。

円形の八百屋舞台に砂を敷いた美しい抽象的な舞台ですが、反面、斜めのところに砂で、その上でたち続けるにしても座るにしても滑りやすく見えて、役者には相当の負荷がかかっていると思います。千秋楽まで事故がないように願うばかりです。

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【芝居】「ペチュニア・ランデブー」或る夜の出来事

2014.10.19 19:00 [CoRich]

くろいぬパレードの長谷川恵一郎が立ち上げたユニット、アタシはこのユニット初見です。 26日までギャラリールデコ4。70分ほど。

仕事も何もかも手に入れていたはずの男が突然倒れた。次に目を覚ました時には、ベッドに横たわる自分の姿を目にした。声をかけてきた若い女は、若くして亡くなった男の母親だと名乗る。身体を離れさまよう魂は、恋人が別の男の浮気を目にしてしまい、かつての恋人たちとの日々を思い出したりもする。
再び身体に戻り目を覚ますことも可能だと判明するが、母親を名乗る女は離れがたい。

恋人たちと母親とが分化していない男を描いていると思うのです。楽につき合えていたと思っていた女が実は自分に合わせていてくれたとか、自分のことばかりだったりとか。自覚はないけれど、自分のことばかり、というのはどこかこの歳に至ってもどこか思い当たることばかりで、いまさら成長してない自分を思い知ることになったりするのです。

正直に云えば、なんで母親の若い頃の写真、というセリフが後半であるのに若い母親に出会った時に誰かわからない、しばらく信じないというあたりなど、いくつか綻びのようなものが残ったりはしていますが、基本的にはあくまでも優しい人々で構成された物語はどこまでも優しさが勝っていて、それはそう悪い話ではありません。

役者を欲張った結果かどうか、たいそう手間をかけて映像出演で昔の恋人たち、というシーンがあります。何人かの恋人たちとのデート、同じ場所に行ったかもしれないし、もしかしたら記憶が混濁しているかもしれない。走馬燈という役割なのか、と後から気付きます。

浮気してるはずの男のことを健気に待ち続ける女を演じた福永理未は可愛らしく、恋人を演じた両角葉は仕事もしっかりしつつ酔っぱらいのイキオイもありつつ、一夜を伴にするというのはまあ(ワタシにとっては(泣))ファンタジーだけれどこのシーンの酔っぱらいにやけに色気があって説得力を持つのです。若き母親を演じた奥野亮子はまっすぐで凛々しく、しかもふわりと優しい造型が素敵です。浅倉洋介が演じる馬鹿キャラは時々目にしますが、難しいバランスの綱渡りという気も。主役の男を演じた長谷川恵一郎は闘病生活をしている、という実体験に近い役でことさらにデフォルメしたりせずフラットにきっちりと。

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2014.10.23

【芝居】「迷走クレオパトラ」柿喰う客

2014.10.19 17:00 [CoRich]

アントニーとクレオパトラ(wikipedia)を 『暴走ジュリエット」と交互上演で26日まであうるすぽっと。85分。

舞台は「暴走〜」と同じだけれど、物語の印象はずいぶん異なります。現代的だった「暴走」に対して、こちらは浪花節めいっぱいな男たちの物語をベースに、美しいクレオパトラを巡る物語に。

今作も、やや役者が多すぎる印象はあります。もちろん元々の戯曲に登場する人物だけれど、端折ってるシーンもあるわけなので、端折っても物語に対しては人物を端折ったとしても大丈夫な感じは否めません。もちろんもう一本と役者を共通にするという制約ゆえかなとも思います。

クレオパトラを演じた高部あいは美しく気高い造型がしっかり。アントニーを演じた七味まゆ味は女に溺れるという感じに見えないのはやや残念だけれど、ほんとにカッコイイ。立ち姿などほれぼれ。 浮気というよりは目の前に居る女を全力で愛する一途さもしっかり。 その腹心の部下であったイノバーバスを演じた深谷由梨香の男気溢れる雰囲気が好きです。 とりわけ、主君を裏切ったけれど主君がきちんと語ってくれたというシーンはちょっといいのです。シーザーを演じた佃井皆美もまた格好良く、勝ち気な感じもいいのです。

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【芝居】「暴走ジュリエット」柿喰う客

2014.10.19 13:00 [CoRich]

シェイクスピア劇をコンパクトに編集して女優だけで見せる人気のシリーズ。 26日まであうるすぽっと。85分。全く同じキャストによる「迷走クレオパトラ」と交互上演。アタシの観た回では出番の無い男性の役者が客席でパンフ売ったり、あれこれ喋ったりというのも嬉しい。

ロミオとジュリエット(wikipedia) をほぼそのままに。 舞台中央に円筒状のステージ、そのまわりに斜めに円周。物語はジュリエットを中心の視点で描いている感じがします。ジュリエットという特異点があったからこその、この悲劇。 今作ではジュリエットをちょっと勝ち気で魅力的に描きつつ、対するロミオを気弱に造型しています。イマドキな感じかなぁとワタシは思います。対立する二つの家をヤンキー風とナード風に造型するのも面白い。

いかんせん、役者の力の差は感じます。もちろん柿の役者の安定はあるけれど、見慣れないということを差し引いて、可愛い女優は大好きなアタシですが、ちょっと力不足を感じる場面も少なくありません。それでも幹となる役者を適切に配置したことで、物語の表現としての骨格は強固です。

ジュリエットを演じた佃井皆美が本当に魅力的で役に説得力。 乳母の存在はコミックリリーフな色づけですが、時に物語の背景を説明したり、コンパクトに端折って物語を進めたりと、今作においては、特に中盤で重要な位置づけを担います。演じた葉丸あすかはおばちゃんキャラ全開だけれど、実に楽しくて物語を転がします。求婚する男・パリスを演じた高部あいは格好良く。

正直にいえば、ingressなるスマホゲームにはまっているアタシとしては、ゲーム音楽風のチープな音や、青とか緑とかという色合いのシーンの多さゆえに、対立する青と緑の陣取り合戦だと見えたりする瞬間があったりするけれど、まあこれはアタシがそう思っちゃうだけですね、そうですね。

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【芝居】「社長吸血記」ナイロン100℃

2014.10.18 14:00 [CoRich]

東京の千穐楽前の昼公演はキャンセル待ちでなんとか立ち見(割引して¥5,000)で潜り込みました。 19日まで本多劇場。そのあと福岡、大阪、新潟。休憩無し150分。

会社のビルの屋上、屋上より高いマンションやビルが間近に迫っている。昔は綺麗だったらしい屋上は、半分ゴミ捨て場のようになっている。 社長の行方がわからなくなって3ヶ月、金庫のあけかたすらわからず、会社の綻びがあちこちに。 実はその会社、老人を騙したり色仕掛けで会員を募るような会社だけれど、久しぶりにOB/OG達が集まったりもしている。

予告通り、屋上の昼休み、昭和のサラリーマン喜劇の枠組みで始まる物語は、わりと早い段階で雲行きが怪しくなり、(当日パンフの参考文献にある)豊田商事風の顔が見えることが明かされます。さらには刑事はその会社が怪しいことは重々承知の上で、ズブズブの関係だったり、色仕掛けを働く女たちは男性社員の妹だったり彼女だったり。解約を求める客をどうあしらうかなどをロールプレイしたり、あるいは男性社員を殴る室長が居たり。警備員すら自分の職務に忠実というよりは、会社についての何かのニュースがあるというと、自分のことではないかと心配するばかりだったり。

という枠組みの上に、もう一組(二役の役者が多いのですが)の社員たち、が登場します。年齢を重ねておだやかで、昔話に花を咲かせるような、笑顔が多い人物たち。社長は昏睡状態に陥っているけれど、その状態で頭の中で見えている風景。それは今は酷いことになってるこの会社の社長の自分だけれど、まだ若い頃先代の社長の頃の会社も社員も幸せだった時代の走馬燈だと思うのです。二つの時代を同じ場面で対比することで、時間の流れ、さらには(はっきりとは語られないけれど)時代が悪くなっている感じを昭和生まれのワタシには実感できるような時間軸の取り方なのです。

もう一つの魅力は、不条理溢れる会話の緻密さ。毎度のことながら具体的には覚えてないアタシですが、確かな力の役者が2,3人で語る不条理は、12月に控えた青山円形の別役実作品(だけどSillywalk.comのリンクが切れてる..)への期待も膨らもうというものだけれど、うあ、平日しか残ってない(無念)。

ナイロンのプロジェクションマッピングを初めて見たのは何時のことだったか。世間で評判になるよりずっと前から使っている気がします。今作においてはもちろんオープニングの精度の高さもさることながら、我慢ならない兄が犯行に及ぶ大雨のシーンの雨の美しさ、闇の怖さ、そこにスローモーで重なる訓練された役者たちがあいまって、恐ろしく、しかも強い印象を残すシーンをプロジェクションマッピングをきっちり使って創り出すのです。

大倉孝二の兄は物静かな役、二役で演じる老人は優しさととぼけ具合が印象的。妹を演じた鈴木杏は、可愛らしく色っぽくだけれど本当のことは話せず秘めるニュアンスもいいのです。大きな目が印象的な妹を演じた小園茉奈も可愛らしい。犬山イヌコ、峯村リエの二人のからむ不条理なセリフは圧巻の安定。探偵を演じた山内圭哉は、そのとぼけ具合だったり、あるシーンではパシリな造型もなぜか印象に残ってしまいます。

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2014.10.19

【芝居】「柚木朋子の結婚」(10月)studio salt

2014.10.13 17:00 [CoRich]

スタジオソルトとしては2年半ぶりの公演。 10月バージョンは土日祝日のみ19日まで鎌倉/古民家スタジオ・イシワタリ。85分。そのあとキャストを替えた11月バージョンも予定されています。

古い家に痴呆の始まった母親と暮らす四十代後半の女。父の居ないなか、生活を支え、弟と妹を学校に通わせ母親の面倒をみているうちに婚期を逃してしまっている。弟と妹はすでに結婚して家を出ていてあまり実家には寄りつかない。妹は妊娠している。
近所の作業所でパンを売る知的障害の男が家に出入りするようになっている。女は彼と結婚するのだと言い出し、弟と妹はそれを受け入れられない。 子供を授かるためのという意味合いが大幅に後退して、結婚というものの位置づけが、(親のことを含めて)どう歳を重ね老いていくのかという生き方、死に方と無縁ではいられない年代。結婚できなかった女の話が大好物だという悪趣味を公言してはばからないアタシですが、今作は笑い飛ばせる軽さよりは、たとえば介護という現実を重ね合わせてシリアスさを強く感じる一本。

いくつか気になることがないではありません。せっぱ詰まった状況で写真を眺めるのは少々違和感があるというアタシの友人の言はそのとおりだし、 母親に対して微妙な距離感を持った呼び方をするなど、思わせぶりなことがあるのにあまり語られている感じがしない(見逃しているだけかもしれない)とか、ちょっと勿体ない感じでもあります。

二人がどうして知り合い、どうして結婚すると言い出すに至ったのか、明確には語られません。見終えた瞬間にはそれが物足りなく感じたのも事実なのですが、時間が経つとワタシの気持ちは少し変わってくるのえす。家族を支え続けるために気を張って生きてきた長女という立場が、母親にすら甘えることができなくなったときに糸が切れたようになってしまう、ということかなと思いはじめるのです。

きっと幼さの残る男との世間話をしていたのでしょう、きっと男は女の頭をゆっくり静かに撫でたのでしょう。それまで誰にも甘えられなかった感情の重なりが堰を切ったようにようにあふれ出した、ということは物語では語られないけれど、終幕近くでその断片をみせることで、あるいは「泣き虫だから」という台詞を効果的に挟むことで、そんな明確な語られないシーンが、私の頭のなかには現れるのです。

あるいは母親と二人縁側で語るシーンはほとんどの席からは背中の二人を観ているだけになりますが、きっと昼ならば風景として切り取られたような美しさがあるように思います。 母親が長女誕生の時の話をする瞬間は間違いなくそこでは母親と娘という関係が現れるのに、それは蜃気楼のようにはかなく消えてしまう哀しさ。

松岡洋子が本当に可愛らしい。泣き虫の、という設定をけっして若くない女が、なのだけれど、このキャラクタの作り方は強い。11月の役者がどう見せてくるかが楽しみになってしまうのです。結婚する相手の男を演じた浅生礼司はこういう素朴さを意識させる役は巧い。妹を演じた萩原美智子の姉への手厳しさ、子供を失ってからの姉妹という関係の暖かさをしっかり。この家で店をやっている男を演じた東享司はスカートのシーンがあったりして中性的な位置付けか、暖かく見守る視座が嬉しい。

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【芝居】衝突と分裂、あるいは融合」(プレビュー) 時間堂

2014.10.12 16:00 [CoRich]

13日までtoiroan 十色庵。 そのあと、大阪、仙台、札幌、福岡を経て東京でもう一度上演が予定されています。100分。

祖母の葬式に集まった人々。祖父はかつて原子力発電の開発を行っていた。「日本を救った」と繰り返し云っているようだが、孫は初めて聞くというと、少し得意げに話し始めた。
商業原発の開発の研究所、不注意と事故から加熱した炉心を守るため放射性物質を大気中に放出したことがあったが、リーダーも、労働組合の男も、研究者一途な女も、研究のため、保身のため、この国のエネルギーを確保するため、それぞれの立場で、結局その事故を公表しないことに同意した。訪れていた教師も議員もそれを知っていたが公表には至らなかった。ひとり公表を主張していた男は研究所を去った。当時若かった祖父はそれにあらがえなかった。
あの時点で核分裂炉から核融合炉に研究の方針を変えていれば、311は起きなかったはずではないか、と祖父はずっと心の中で考えていた。もしそうしていたら。

ツアーメンバーとよばれるコアの役者たちが研究所の研究員や教師、議員といった原発開発をしていた昔の小さな事故をめぐる出来事を描き、その外側に地の文のような形で地域ごとの役者たちが喪服姿で311以降の現在と思われる葬儀のシーンを描くという構成。プロローグのような形で葬儀の一コマを見せた後、序盤から語られるのは原発開発の現場で起きたかも知れない事故。小規模とはいえ圧力の上昇と放射性物質を含んだ気体を大気に放出した、という事故の場面を描きます。更にもしかしたらあったかもしれない事故の隠蔽という出来事。311以降、水素爆発とかベントという言葉にすっかり詳しくなってしまったアタシたちには刺激的といえば刺激的、慣れてしまったといえば慣れてしまった言葉が並びます。 が、物語が描くのはその糾弾とかあるいは許しというものではありません。

中盤で描かれるのは、なぜ隠蔽したか、という人々のこと。あるものは研究が出来ることこそが最優先だし、あるものは雇用が確保されること、あるものはエネルギーの無い日本で暮らしを向上させていくために必要な手段として考えます。隠蔽をした人々には決して悪意はありません。彼らなりにそれぞれの正義を貫いた結果の結論としての隠蔽です。事故の公表こそが正義というのは正論だし、そう叫び続ける一人は居るのだけれど、彼はその場を去ることを余儀なくされるのです。

公表することが正義を貫くとどうなったのか、というのが後半で描かれます。エネルギーはなんとかしなければならないという前提で、20年研究を続ければできたかもしれない核融合による原発。事故を告発し、核分裂での原発開発を止め、核融合に注力するという選択肢。その結果は(もちろんifの話しではあるのだけれど)、核融合は出来ずエネルギー問題は解決できず。あるいは化石燃料に頼りづづける選択、再生エネルギーに傾倒する選択などさまざまの選択肢を並べて見せても、すくなくとも311前のあのバランスでエネルギーが供給できたのか、エネルギーが無い生活を受け入れられるのかということを含めて私たちに突きつけるのです。芝居見てるアタシには照明や空調やもうこれでもかとエネルギーを使いまくってるわけで、そこに対してじゃあ、要りません、とはなかなか言いづらいのです。

今作に問題があるとすれば、 この事故とそれに続く隠蔽の場面まだ生々しい現実として感じている私たちが、それをどう乗り越えて後半を冷静に見られるかが今作の評価を分けるように思われます。私もどちらかというと原発怖い、なタイプですから前半でやや冷静さを失いつつ見ていました。とりわけ前半に「エンゲキ」で原発の広報をというシーンが、その乗り越えるべきシーンの量を増やしていて、決してプラスに働いているとはおもえないのです。

この絶望の物語の中で終始軽くいる立場であるリーダを演じた鈴木浩司が重苦しくなるところを救う感じ。事故の公表を訴え続ける男を演じた菅野貴夫の正義感なキャラクタ造型。東北弁の研究者を演じた阿波屋鮎美はちょっと恋多きという感じでもあって可愛らしく、単に東北弁というだけでなく、エネルギーとの関わりということをきちんと語れるポジションで。研究至上を主張した研究者を演じた田嶋真弓はまっすぐどこか冷たい感じも凛としてカッコイイ。

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2014.10.16

【芝居】「御ゑん祭」バンダ・ラ・コンチャン

 

2014.10.12 13:00 [CoRich]

近藤芳正が若い劇団や歌い手、美術家とコラボする130分。 13日まで青山円形劇場、そのあと水戸。

男はそういえばちゃんとサヨナラを云ったことがないと思い出す。団地に引っ越すときに持っていけない犬を山に捨てに行くように云われたのに防空壕跡にたてこもった時も、ストリップ小屋にバイトした夏に楽屋で再会した同級生の女の子にも、あるいはあの別れの日にも「お月様で逢いましょう」(青☆組、作・演出 吉田小夏)
まだ童貞の後輩を連れて森にやってきた会社の先輩。取り締まりが厳しくなり売春婦たちは森に隠れているのだという。果たして現れた女たちは口にマスクをした口裂け女で、先輩は彼女たちの餌食となり生首になってしまう。後輩は一人立ち向かう。「森」(ナカゴー、作・演出 鎌田順也)
詰め襟の中学生男子と同級生の女子、夕暮れの教室。幼なじみに別の同級生への告白の練習につきあって貰っている。その同級生女子は明日引っ越す。学校の上にはUFOが出現している「甘じょっぱいのぱい」(ぬいぐるみハンター、作・演出 池上三太)
夫は妻を六本木の素敵なレストランに誘う。が、もう夕食は食べているし、その店はバブルの時代にとうに潰れていて、大きくなった娘だっているのだ「お父さんは若年性健忘症」(Mrs.fictions、作・演出 中嶋康太)
近藤芳正の楽屋見舞いに訪れた二人の男、もう歳を取って人の名前や台詞を忘れちゃうどころか、どうして舞台に立っているかだって。「オールド」

上演順は秘密にしろというのが当日パンフやらCoRichやらでしつこく謳われています。どこに拘りがあるのかせっかくオムニバス形式の流れの面白さのようなものがあるとも思うけれど、それは忘れろという指示と理解しました。各々がどうだったかだけを当パン順に書くことにします。

青組は、さようならを言えなかったという男の走馬燈。団地という響きが憧れを感じさせた時代、となれば吉田小夏の得意な方向。短編オムニバスという形では笑いを志向しない方法は埋もれがちだけれどなんとか流れには乗っていると思います。この作家の笑いが多い軽い語り口のものも結構好きなんだけれど。犬を匿い防空壕跡に立てこもって出てこない、というのは遊◎機械/全自動シアターでいくつか出てくる胎内に立てこもって出てこない子供の話にどこか重なって見えた気がしたのは、青山円形劇場繋がりで、というのは考えすぎか。久々に再会した同級生の女の子(大西玲子)がストリップ嬢になっていた、という男の気まずさと、まだ開き直るには若すぎる女のぎこちない会話のシーンが好きです。短編の中ではどうしても犬の部分の比重が大きくなってこのシーンが短めなのは残念といえば残念。

ナカゴーは、物語を語ると云うよりも、役者の激しい動きだったり延々と続く繰り返しを見せるというこの劇団の最近の傾向のままに新作を。娼婦がゾンビ化した口裂け女と童貞男の死闘という一点突破という設定の面白さはあるのに、短編ゆえに結果的に物語としての動きはほとんどなく体力という点では敬服しますが、物語としてどこを見たいか戸惑うのです。
ただ、Mrs.fictionsの演目で出演を果たせなかった二人の役者(後述)を端役とはいえ組み込んだのは男気か、そこは応援したい。

ぬいはんは、夕暮れの教室、中学生という設定の甘酸っぱい気持ちを目一杯に組み込んだ一本。転校しちゃう女子に告白したい男子とその男子を想い続けてるのに言い出せない幼なじみの女子という、まあ少女漫画か(少年漫画にもありそうだけど)と思うぐらいに王道な設定を舞台にしつらえつつ、じつは転校する少女(片桐はづき)はかぐや姫よろしくUFOに乗り天に戻っていくのだというひとひねりがけっこう好き。もっと破壊力を持って作れそうな気もするけれど意識的に抑えて作ったんじゃないかという気もします。近藤芳正と対等に渡り合う神戸アキコのパワフルさと女心の細やかさ、わりと久しぶりな感じもしますが、確かなちから。

Mrs.fictionsは唯一の再演。 (1) もともと新作で構成されるはずだったのだけれど事情 があって、再演という形になったようです。そもそも短編に強い劇団の、しかも評価の定まった一本ですから、もちろん完成度も高く安心な一本。テレビタレントという印象の強い小川菜摘だけれど、ちまちましたコントっぽさよりもバブルな時代の雰囲気のある種の馬鹿馬鹿しさをちゃんとゴージャスに。失礼なことですが、役者の経験があるとはつゆ知らず。たいしたもんです。正直に云えば、近藤芳正にあんまり若い頃にバブルで浮ついていた感じが薄くて、少々勿体ない感じではあります。

オールドは、楽屋を尋ねる二人という体裁で。作り込んだのか即興なのかいまひとつわからないけれど、これぐらいなら枠組みだけで自然にやっちゃう役者たちですからそれを眺めて楽しむのが吉。

公演の成り立ちとしては、若い役者を年上の近藤芳正が支えるという形ではあるのだけれど、どちらかというと外部の大きな力に巻き込まれまくって大汗かいて乗り切るというのがこの役者の強み。という意味では物語として個人的に興味はもてないけれど、近藤芳正という役者を生かし切った、という意味ではナカゴーに軍配があがります。もっとも意図的に生かそうとした、というわけじゃないんじゃないか、とわたしは思っていますが、どうなんだろう。

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2014.10.12

【芝居】「勇気出してよ」小松台東

2014.10.6 15:00 [CoRich]

地方の中年の恋の物語はほろ苦くて、しかし力強い100分。平日のみの公演は正直厳しかったけれど、 なんとか観ることができました。8日までOFF OFFシアター。

宮崎の喫茶店、元スナックのママが営む喫茶店。スナックの方は後輩に託している。元ママは妻子ある男と恋仲にあったが、5年前に亡くなっている。その息子が会社の跡を継いでいて、喫茶店にも顔を出しているが、妻はその関係を許してない。スナックを託した後輩も同じような不倫の泥沼に足を踏み入れているのを諭すが聞き入れない。喫茶店常連の中学からの同級生のなじみ客は何度もママに告白してはフラれている。
店を訪れる男。かつてスナックの時に店を一度訪れた男が、住んでいた川崎を離れ地元・宮崎に戻ってきたが、ママは店を畳んで川崎に帰ろうと思っている。店が開店してから2年、周年のパーティを開こう、ということになる。

ママを中心に、客たちが「星状につながる」の関係。常連同士はまあ顔なじみではあるけれど、直接繋がってる感じとは違う雰囲気で、店主がいるから皆が集うといういい店の雰囲気が味わいがあって、物語を土台を固めます。

端的に云えば、 もう若いとは云えない男女たちの淡かったり、ままならない恋の物語。こういうことから離れて久しいあたしだけれど(泣)、それでもああ、そう、ままならない、ああ、好意を寄せる、というイチイチに納得感があるのです。地元である宮崎に戻ってきた男は店主が居るからこそ戻りたいと思えたわけだし、店主をずっと一途に想い続けている男もまた、何度フラれても諦めきれない気持ち。それなのに当の店主は不倫相手だった男に想いを残していて、でもその男はこの世に居なくて。さらにその外側に、同じ事を繰り返す後輩の女、また想いが届かない若い男、という無限に続く恋のままならなさ、といった風情で、それぞれがその想いに費やした時間軸方向の奥行きが実にいい味になっているのです。

格好悪い中年男女の恋物語というと、たとえばラッパ屋 (1, 2, ) だったりジテキン(1)が頭に浮かびますが、それよりは下の世代の作家は、これらのバブルな浮かれ具合を経験した人々の話よりまもう少し、地味といえば地味な、しかしどこか身につまされるような今のリアリティがあります。もしかしたら、 こういう物語、基本的には男女ならあり得る話しなのだけれど、人の少ない濃いコミュニティという意味で東京よりは地方でこそリアリティだと感じるのはアタシが少しの間地方に居たからかもしれないし、 あるいは渡辺源四郎商店の「A面・B面」( 1, 2) の風味を感じたからかもしれません。

パーティの準備のために常連の男たちがぎこちなく会話を始める終幕。店主ははきっと川崎に向かうのでしょう。彼女が居なくなった後の人々の関係の変化を予兆するようなこのシーンの男たちの心情は切ないけれど、時間がさらに前に進んでいく、という幕切れは巧いなぁと思うのです。 元ママである喫茶店店主を演じた 森谷ふみ、若い役者だと思っていたけれど、年齢を重ねた雰囲気のリアリティの凄さを感じてググってみれば、それなりに実年齢に近い役だと知って、となればその可愛らしさに驚くアタシです。冒頭の殺虫剤に「ふみきらー」とラベルが貼ってあるのもちょっと可愛らしい。瓜生和成のなかなか想いを言い出せずじまいの人見知り感はさすがの安定、想い続ける男を演じた松本哲也はがさつっぽさをみせつつも、フラれても挑戦し続けるのがかっこいい。

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【芝居】「ことぶきの唄(後日譚)」エビス駅前バーP

2014.10.5 21:00 [CoRich]

しこたま酔っ払った挙げ句、遅い時間からの上演だと思い出して、 タイムテーブルを確認しないで当日券で行ってみれば、本編に続く後日談という特別回(5日、11日、13日の三回設定)。本来は回数券購入客のみの設定だったようですが、入れていただきました。40分。

あれから数年後。葬式のために久々に集まった人々。 告白したい相手がいる男、目当ての女は外国から戻るが遅れている。男は童貞、大事な話があると呼んだ。なんか練習してるところをみられたりする。 かつて、結婚式の三次会でさまざまな作戦会議、 ここで起きた出来事を書いて、作家となった男がいる。ポーションなる謎の液体がある。

正直に云えば、やはり本編あっての後日譚で、確認しないでいってしまったのはアタシのミスです。きっとそれぞれのキャラクタが、年を経てもあまり変わらない性格と、年を経たから変わった仕事や場所といった立ち位置。久しぶりに集うから変わること変わらないことそれぞれが嬉しいということなのだろうと思います。本編、観られるかなぁ。21時開演があるので、平日会社帰りでも無理せず行ける日を見つけられそうなのが嬉しいのです。

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2014.10.10

【芝居】「アリはフリスクを食べない」青年団若手自主企画(伊藤企画)

2014.10.5 14:00 [CoRIch]

青年団の役者・伊藤毅の初戯曲は笑いを生みつつも、解決出来ない問題を静かに語る110分。5日まで春風舎。

工場に通いながら法律家の道を目指していた弟は、両親を亡くし障がい者をである兄を引き取って同居し始めた。結果法律家の道は諦めるざるをえなくなっている。恋人と結婚の話がでているが、兄との同居について恋人の両親が反対していて婚約に至らない。近所の幼なじみの女は兄が一人で居るときは面倒を見に来てくれている。兄は弟がつとめる工場で働くことになり、工場の若い社長もこの兄弟のことは気にかけている。同じアパートに住む男は時々勝手に上がり込んで、兄に薬を飲むのを止めさせて、弟と恋人の内緒話を聴いてみるようにすすめている。
兄の誕生日を迎え、家で人を集めてパーティをすることになるが、弟を施設に預けようとしていることが明るみになってしまう。

序盤の二人の会話は兄と近所の女。恋人のように見えて実はそうじゃない静かな始まり。身体を触ろうとすると女がやんわり断るリアリティ。女は実は弟のことが好きで、恋人が居るのはわかっているから告白は出来ない。終盤に至り、弟への告白を諦めて兄と結婚するか、と半分冗談めかして話す女の気持ちの動きが本当に切ないのです。

誰も悪くない物語を丁寧に描くというのはアタシの友人の言ですが、まったくそのとおりなのです。それぞれの正義をそれぞれに優先して、ずれてしまうことの哀しさ。障がい者を可哀想だと思うのは偽善かもしれないし、結婚を考えた時に兄を邪魔だと思うことだって正直な気持ち。両親を説得できないけれど互いに諦めきれないこと、じゃあ、施設に預けるしか無いということだって正直なことなののです。恋人は近所の女がよく家を訪れることを快く思わないし、親分肌の社長だって、兄の給料は正直安くしてるけれど、心配してるのも偽らざる気持ちだと思うのです。

誕生日、サプライズのケーキのぐだぐたな感じが楽しい。その気持ちの高揚感から言葉が巧くない男が実は介護施設の職員だという落差も巧いと思うのです。

近所の女を演じた舘そらみの微妙な笑顔が切ない。恋人を演じた長野海は結果的にヒールな役回りだけれど説得力。兄を演じた石松太一はわりと出ずっぱりのままちゃんとリアルな感じに居続けます。職員を演じた朝比奈竜生は何を云ってるか判らない登場が凄い。板挟みになる弟を演じた海老根理は主役をきっちり。

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2014.10.09

【芝居】「日々是闘笑!- 広目屋日記」文月堂

2014.10.4 19:00 [CoRich]

5日までサンモールスタジオ。130分。

昭和8年、チンドン屋を営む一家。妻を亡くして後妻を迎え、その弟のテキ屋が出入りするようになっている。テキ屋に身請けされた女はテキ屋が東京を離れている間に生活のために三味線弾きとして一座に加わるが愛想が東京愛想一座。一座の男は妻とともに土地持ちに強く憧れていて大陸移民への応募を考えている。一家の息子は亡き母や恩師から勧められた教員の道に進むことができなくなっていて、恩師の同人に加わり、絵を描いたり評論文を書くことに喜びを感じている。恩師はその息子を応援するが、元軍人の大家から戦争に反対して居るとして目を付けられる。

東京音頭が流行り、日本が戦争に突入していく時代を背景に、頑固な親や時代との確執を拗らせた青年と親を軸に物語を勧めます。当日パンフで作家が語る、自衛隊、事務員、共産党員、タクシー運転手と生きてきた父親だったり、あるいは生業としてのチンドン屋だったりと語り口にある種のバイアスがかかっていて、作家の想いの強さが出過ぎている感じではあって、語り口には正直、少々癖があります。にぎやかな音楽を何カ所にも入れた祝祭感も、時代の雰囲気を増すことには寄与しているものの、物語を分断してしまったり上演時間を長くしがちで効果としては難しいところではあるのです。

頑固で頭の堅い父親は、ふらふらしている息子のことを叱咤するけれど、終幕に至り、息子が自分の足で歩み始めて選び取った絵の道に対しては応援するし、進歩的な女教師が少々煙たく思うけれど、踏み込んできた刑事からはきっちり匿うという形で、古い人間なりの、しかし筋の通った男の像を丁寧に描きます。

何か良くない方向に時代が動いている感じなのに、東京音頭という明るい曲が流行っていること。あるいは教員赤化事件や不況を脱せられない感じなのに、皇太子生誕と、相反する事象がないまぜになっている時代の空気。ヨーヨーの流行、大陸移民などの時代のキーワードを織り込みつつ、何か起きているかもしれない、ということ。きっと作家が感じているのは、今の私たちが暮らしているこの時代だって、じつはあんまり変わらないんじゃないか、という危機感かなとも思うのです。

父親を演じた有馬自由は頑固オヤジで強い男、という造型をしっかり。女教師を演じた椿真由美は時代に一人抗う闘士、という風情がカッコイイ。後妻を演じた辻川幸代はポジションとしてはヒールだけれど、ちゃんと筋は通って居てそれを徹頭徹尾維持する力。

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【芝居】「不謹慎な家」PANDA JOCKEY

2014.10.4 15:00 [CoRich]

やけに書いたり出演したりが集中して多く感じるMCR・櫻井智也作にシンクロ少女の名嘉友美の演出という、意外に思いつかないタッグの95分はキレッキレの台詞が飛び交う95分。5日までシアター711。

殺人を犯し刑務所に入った男が出てくるまで、待ち続けると決めた恋人。彼女に淡い恋心を抱く幼なじみの男を管理人として同じような境遇の女たちを集めて、一軒家を借りて共同生活をする。待っている女たちの想いは少しずつずれていて。

サイコパスかと思うほどに自分勝手さをデフォルメした女を主役に据えます。徳橋みのりのためのように描かれた(や、実際の彼女がどうかは知らないけれど)物語は、時折お茶の間シーンっぽいものを挟みつつ、彼女の頭の中のある種の狂い具合、あるいは他の女たちとのズレ。 連れ戻しにくる兄との会話も印象的で、家族の想いは理解できるが、自分のことを理解してくれない肉親の元へは戻れないという、彼女なりのルールの理解しがたさも人物を造型します。

あるいは想いを寄せているのに想いの届かなさ具合という登場人物たちの距離感が絶妙なのは作家の確かな力。昨今、若くなくなった男を描いたときのペーソスというか、情けなさを描くという意味で現在の(少なくとも首都圏の)日本人の男の感覚にはすごくあっています。ロシアやあちこちの芝居で繰り返し上演される名作の強さはもちろんあるけれど、今の私たちの腑に落ちる言葉で今の私たちに寄り添うようにかかれた物語の方が、私にとってはとても大切に感じるのです。

そこに女性の演出は新鮮で、かつ奥行きを加えます。 アメリカ映画風味の音楽が、とてもシンクロ(少女)節だったり、脚本の指定か、演出の成果かはわからないけれど、待ち続ける女性たちのそれぞれの事情のリアリティを感じます。 あるいは、あからさまにおかしなシチュエーションなのに、待ってるはずなのに連れ込んだ男(つまり、飼ってる、ということだとおもうのだけれど)とか、あるいは妹を大切に思う兄のポジションの絶妙さなど、いろんな要素がからみあいが楽しい。

スタンス、デリカシー、ルール、モラルを問題にしてるという台詞はあえて日本語にしないことでそれぞれに思う余地から生まれるズレを作り出す装置として巧い。あるいは、刑期が3年か10年かの想いをどちらの立場で語るかによるズレを明確にするために、ラーメン屋の行列で3番目から10番目に頑張ろうというのと、10番目から3番目へ、という方向の違いで説明するというのも絶妙。連れ込んだ男も実は刑務所にいたことがあって、出てきたら待っているはずの女が待っていなかった、というのを語るシーンは、待っている女たちにとってホラーに感じるけれど、それは手紙が月に1枚じゃ少ないじゃん、とひっくり返って着地するとか。アタシが本当に好きだった頃のじてキン・飯島早苗×鈴木裕美にも似た切れ味。

ヒロインを演じた徳橋みのりはキレッキレの高いテンションを始終維持するという役をきっちり演じきります。 想いを寄せる男を演じた有川マコトは、若くない若く見えない男というポジションのおかしみ、哀しみをきっちり体現。アタシにもっとも近い存在に感じるけれど、同居、というのはアタシにとってはファンタジー(泣)。兄を演じた堀靖明はキレキャラではなくてきっちり普通の人だって巧く演じられるのはもちろん当たり前なんだけど、認識を新たにしました。

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2014.10.04

【ライブ】「一億年の歳の差を見せつけてあげましょうか?」ツリメラ

2014.9.30 19:30 [CoRich]

写真付きの詳細なレポートがAllaboutにあります。CoRichに登録されてリンクも置きますが、これはどうひいき目にみても、「舞台芸術」とはちょっと違う気がします。ええ、もちろんアタシはアリーナで楽しみました。

前々回、前回と客席をコントロールしきれなかったという感じはなくなっています。ハコが大きくて段差もちゃんとあってもれなく見やすい劇場ということはプラス。反面、演出に凝りすぎたか、お色直しこと着替えを2回入れた三部構成はややその衣装の凝り方ゆえにちょっと間延びしちゃう感じがあって勿体ない。映画の予告編(クラウドファンディングに応募してDVD届いたのはさっき見終えたので、また改めて。)も、単なる予告編としては少々長くて残念ではあります。その結果かどうか、客席の盛り上がりがややフラットで、アリーナはともかく、後列に対して距離が出てるような感じになってるのも無念。

音楽を使ってどこで稼ぐか、というのはかつてのCDや音楽配信から、楽曲だけなら月極定額で聴き放題の時代に入りつつあります。一方で(演劇を含む)ライブ体験は場所の制約があるものの、イマドキはたいてい、ライブで稼ぐようになってきているようです。ツリメラの強みは一億歳の三人という虚構を観客も信じてどれだけ乗っていくか、という意味でプロレスに近い感覚のライブ体験だと思うのです。楽曲のクオリティはそのままだし、PVなど映像のクオリティも高くなっていますが、ライブ体験でこそ、という気持ちが強くなります。

(追記 2014/10/06) ライブを通して、「愚かな人間どもは豚だけれど、ツリメの女の子は救われる」というコンセプトが明確に。DVDというか映画の方は女たちの抑圧されたことの切っ先鋭い噴出がツリメラの体現ということに。映画の方は一億歳云々はいわない、普通の女の子たちの成長譚になっています。ライブを物語に、映画を物語と現実の中継ぎという位置付けかと思います。プロレス的に楽しむという意味で補強されるのです。

セットリスト

  • SUPERHELL
  • ハッピーサッド侯爵夫人
  • 女王陛下のシークレット・サーヴィス
  • オール・ヌード
  • 東京ハカイツリー
  • ノブレス・オブリージュ
  • ZOKKY Premier
  • セックスと嘘とビデオテープ
  • ピラミッド
  • 氷結
  • アイズワイドシャット
  • (アンコール)SUPERHELL

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【芝居】「騒音と闇 ドイツ凱旋ver.」革命アイドル暴走ちゃん

2014.9.28 16:00 [CoRich]

元、バナナ学園純情乙女組の新生ユニット。私が予定していた相鉄本多公演は雪に阻まれ松本から出られず観られなかった半年前の出来事を懐かしく思い出す45分。解散のきっかけとなったアゴラ劇場へリベンジを果たしました。劇場履き持参指定ですが、 私は裸足にサンダル履き、足ふきタオルを持参で荷物を減らして参戦。ドイツを経て30日までこまばアゴラ劇場。

バナ学の後半と同様、いわゆる「おはぎライブ」のみのライブ体験。モチーフとしてテラヤマなど演劇が使われることはあるけれど、ヲタ芸に代表されるアキバ系からポップスまでさまざまな要素をごった煮に。大人数を出して混乱してるようにみえていても、たとえば役者たちが自分たちで考えて観客に道具を渡して持って貰ったり、使い終わった道具はバックエンドでも客席でもかまわず投げたり、客席の間に割って入って通るときだって、足を踏まないように最新の注意を払っていたり。それは演出の精度なのか、役者たちへの(言葉は悪いけれど)教育の結果かはわからないけれど、ちゃんと考えて動いている人々を更に統率するという演出の圧倒的な力を再確認します。

アタシが観てるものといえば、 ともかくノイズと混乱、かろうじてバナ学時代の糸電話演出が残ってるのが嬉しくて。映像はだいぶグレードアップしていて、アゴラの狭さを生かして、前列ならばほぼ視角を覆う三方の映像。あるいは開場中のMCはプロデューサー自ら、ちょっとジャパネット的なあおり方をしつつ(が、やや期待値上げすぎなのはご愛嬌)も、必要な情報を聞こえやすく伝えるのはバナ学時代よりもホスピタリティが向上していると感じます。

当日パンフで批評家の言葉であるとおり、一見カオスに見えて、緻密とゆらぎがしっかり。今作では、精度は格段にあがり、確かに最前列の目前で行われるヲタ芸では役者は踏み込んできたりはするけれど、手のフリが観客に当たることは(私が二列目から観てる範囲では)決してなく、寸止めの美。 前回ここでやったときの反省が根っこにあるとは思うけれど、ものすごく近づいてきてくれているのに、薄皮一枚(まあ、コンドームですw)で踏み込んでこないと感じるのは洗練されたとも云えるし、正直に云えば寂しい気持ちになったりもしますが、精度は格段に高いのです。

もう一つ、海外公演をしているのだとすると、 スク水や小学生を模したランドセル、旭日旗(まあ、シンボルではありますが)がさまざまがもりこまれてるのをそのままやったのだとしたら、どういう評価が為されたかは訊いてみたい気はします。

アマンダ・ワデルは西洋人らしく色っぽいシーンだって、あるいは可愛らしいシーンだって圧倒的に。おじょーこと 高村枝里は目力が圧倒的でたまたま目があってしまうとクラクラと。加藤真砂美もセンターをきっちり、安定していて。アタシの座った場所の関係からか、鈴木ももの表情、目力が圧巻。

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2014.10.02

【芝居】「無伴奏ソナタ」キャラメルボックス

2014.9.28 13:00 [CoRich]

2012年5月初演で、グリーティングシアターと銘打ち、旅公演が出来る前提で作る 120分。ワタシは初見です。10月1日までサンシャイン劇場のあと、三重、名古屋。大阪、新潟、岐阜。

その時代、生まれた子供は二歳で適性試験を受け、その時点で適性の高い職業が決められる。その子供は天才的な音楽の才能を見いだされ、音楽を創り出すメイカーとして親から引き離され、既存の音楽から全て絶たれた状態に置かれて森の中の家で独自に創り出した楽器を操って音楽を創る仕事を行って三十歳になっている。独創的な多くの曲を生み出すようになったが、音楽を聴きリリースを判断するリスナーの一人が、接触を禁じられているにもかかわらず何かが決定的に欠けているといい、バッハが入ったレコーダーを手渡す。それが気になった男はついに聴いてしまう。曲はあきらかに変化し、それを監視するウォッチャーの知るところとなり、音楽を創ったり奏でたりすることを禁じられ、再教育プログラムを受ける。
トラックドライバーとなった男は立ち寄ったバーにあったピアノを初めて目にして、興味に負けて弾いてしまう。ドライバーたちのものだった店は音楽目当ての女性客が増え危機感を覚えた店長の連絡によってウオッチャーが現れ、二度と楽器を奏でられないように両手の全ての指を切り落とす。
更に再教育プログラムを受けた男はサトウキビ畑で道路の工事に携わる。休憩中にギターを弾き歌う同僚たちにあおられて歌を歌うようになり、やがて新たに曲を作り出す。その曲は労働者たちの心を捉える。男が再びウオッチャーにみつかることのないよう同僚たちは注意深く秘密を守ろうとするが、散らばっていく労働者たちはその先々でその歌を歌い、全米に広がっていく。ウォッチャーの知るところとなり、喉を焼かれた男は。

舞台を三方から囲むのは五線譜に見立てたようにパイプを吊ったもの。 旅公演を前提、というコンセプトに相応しく大きな物を建て込まないけれど、空間をきちんと埋めて、しかもスタイリッシュな見た目。なるほどパイプなら物量としては小さくて済むし、劇場の規模に合わせて調整しやすい。

「今とは違うシステムで動く社会」を背景として創作し、それいがいの部分は私たちの生活からそう遠くない地続きに作られたいわゆるSF仕立てに。もっとも尊敬されているメイカー、という職業があるという序盤。クリエイターではなくメイカーというちょっとクールな言葉がいいのかなと思ったりも。既存の音楽にも楽器にも触れないまま、自分の本能のままに音楽を作り出していくという序盤、既存のものを知っていればそれを知識として入れ、影響を受けながら自分の作品が変わっていくけれど、それを完全に断ち切ったときに、先人が行ったことと同じ事 を自力で「再発明」していくという「考え方」で作られた世界の奥深さ。

が、既存の音楽を聴いてしまったがために音楽を作ったり演奏したりすることを禁じられる中盤。そういう制約が課されて、身体を傷つけられることがわかっていても、音楽から離れることが出来ない、というのは一種の悲劇。もっとも、音楽を演奏することすら許さないかという背景はもう少し信憑性が欲しい気はします。

それでも何かを創り出さずにはいられない、というクリエイタの宿命というか業というのがわりと好きなアタシです。芝居を創り出す人々にしても、それを表現するしかないのだという少し追い詰められたような作家の顔が見えたりすると途端に印象がよくなるアタシです。そういう意味で今作のような表現することから逃れられない人の話、というのはワタシとはまったく異質な人物のことだけれど、面白く観てしまうのです。創ったものが人々の心を掴み沁みていくということこそが作り手の勲章という終幕が美しい。

メイカーだった男を演じた多田直人はしっかりと立ち歩む男の格好良さをしっかり。ウォッチャーを演じた石橋徹郎はどこまでもヒールだけれど圧巻の存在感。ウエイトレスを演じた原田樹里は可愛らしく人なつっこく、アカペラな曲も格好良くて印象に残ります。ハウスキーパーを演じた岡内美喜子も、工事主任を演じた岡田さつきもコミカルをいれつつ、主人公に向き合った人々、というカメラのような役をしっかり。

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【芝居】「ジェラシーいろいろ」(B)桃唄309+N.S.F.

2014.9.27 20:00 [CoRich]

短編二つを組み合わせたカフェ公演。28日までRAFT。70分。

密かに姫と結婚した男は身分の違いから待ちを追放され遠くに住んでいる。男の腹心が姫の近くにいるが、姫に恋心を抱く王子からの求婚とそれを後押しする王妃の要求は日に日にエスカレートする。「シンベリン」(N.S.F  戯曲 シェイクスピア  演出 伊藤馨  戯曲構成 村野玲子)
夏の夜、林を抜けたところで女が倒れていた。助けたのは彫刻家の男。弟の住む家の離れで暮らしている。男は美しい女に恋をして、離れに出入りするようになる。弟は兄のことが気がかりでしょうがない。「ヘビーサマー」(桃唄309 作・演出 長谷基弘)

「シンベリン」は原作からはずいぶんと削ったようで、たった5人の登場人物に絞っています。コミカルさを強く押し出して、サンバ風の曲も入れて祝祭感あふれ、賑やかな雰囲気に。 嫉妬する心は遠く離れた男が持つものか、あるいは目の前の女に振り向いて貰えない王子が感じるものか。嫉妬心を中心に物語をまとめ、枝葉を大胆に切り落とすという編集というか演出が巧い。 コンパクトに演じることができて、しかもこういう祝祭感がある芝居は地方の小さな店舗にワゴンひとつで上演に向かうようなことができて、まさにこのカフェ公演が目指すポータビリティのある芝居のレパートリーなのです。

正直にいえば、サンバ風の歌は、スピーカーからの音楽に対して少々声量という点で負けてる感があって勿体ない。これはマイクでいいんじゃないか、と思います。

「ヘビー〜」は今回の桃唄のシリーズの中では最もフラットに静かに演じられる一本。こういう公演形態で、しかもアルコールも入ってるとなると、丁寧にしかし静かに演じられる芝居はちょっと不利な感じは否めません。それでもこの静かな中できちんとジェラシーを描く大人の物語。

人でないものに魅入られてしまう兄を気遣う弟がしっかりとジェラシーを感じるというのが面白い。僕の家の離れに住んでいる芸術家だけど金は持ってない兄を取っていってしまう何者か。他のパートもそうだけれど、フォークロアには圧倒的に強い作家なのは折り紙付き。ここまでいろんな形で観られると嬉しくなってしまうのです。

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【芝居】「ジェラシーいろいろ」(C)桃唄309+東京オレンジ

2014.9.27 17:30 [CoRich]

桃唄309のカフェ公演企画。28日までRAFT。1時間ちょい。

(観客からお題を募集してシャッフルで決めた被害者像) 43才の主婦にして未婚、バレーボールが趣味、現場は佐賀・西の松原。 刑事たちの聞き込みによって浮かび上がった容疑者たち。 学校に行けない被害者の息子15歳、主婦ハケンなる怪し気な会社の社長、バレーボールのコーチ、若い恋人にしてコンビニ店長。「オレンジ色の憎い奴」(東京オレンジ/構成・演出 横山仁一)
男女四人のドライブ。それまでのさまざま。工場の同僚にやけに懐いた男は叔父が送ってきた木彫りの「守り神」の不思議な出来事を誰かに話したくてしょうがない。その同僚はミステリアスな女の営む店に行くのが楽しみ。不思議な出来事は、木彫りの人形を振ると少女が現れることだった。 「もっともっと噛みしめて」 

「オレンジ色〜」はいわゆるインプロ。何かの設定のなかで役者の想像力と瞬発力で物語を紡ぐという意味である種のアドリブ力だったり、大喜利的なものに近い感覚です。 今作では刑事たちと容疑者を兼ねる俳優が4人、被害者役の女優が一人。 最初の設定と、刑事と被害者を兼ねることなどの大枠だけを設定し、そこに人物を当てはめて、容疑者たちがそれぞれ怪しく、うちひとりに絞られるような背後関係を役者たちが役の台詞のなかで肉付けして いきます。未婚の主婦とか、東京在住なのに殺害現場が西の松原など設定に苦しめられたとはいえますが、そういう意味では役者のあくせくした感じの面白さはあるにせよ、物語の面白さは多分に担保 されない可能性があります。そういう意味で役者の訓練とか顔見世という以上にはどうしても足が向けづらいアタシです。そういう意味じゃ、スポーツ観戦に似ていて、奇跡を目撃する可能性は否定できませんが。

ワタシの観た回に関して云えば、被害者像だけを大枠で与える、というのがあんまり巧く機能しなかった気はします。死因をお題で与えるなり、あるいは役者たちの工夫の余地ででも最初に方向を示さないと、殺人事件ものじゃ、何も絞りきれないまま状況証拠だけを積み上げることになって、何回やってもぼんやりしたことになる危惧があります。鉛入りのバレーボールというあからさまな凶器が決め手にならないのもちょっと残念。

被害者を演じた三上奈穂は時に可愛らしく、時に母親、時に色気のある主婦をきっちり。デカ長と怪しげな社長を演じたBOBIは社長の怪しさが印象的。若い恋人を演じた金川周平はやや設定を思いつくのに苦労した感はありますが、誠実な造型。若いコーチを演じた柳田幸則は 爽やかだけれど、ママさんバレーのキャプテンならそりゃ女性だろ、というのが残念。

「もっと〜」はスピーディーな演出が身の上。 守り神を木彫りの人形の話、に実は仲良くなかった工場の同僚、彼が出入りするちょっと怪しげな店のミステリアスな店主を巡る物語。人形を振るとあらわれる、かわいらしい女の子、などなど。 小さな場面に切り刻み、時間軸を完全にシャッフルして目まぐるしくみせる物語はけっして見やすくはありません。が、こまかなパーツが組み上がってひとつのものがたりになるさまは、物語に登場する「クラウドハンドクラフト」っぽくてたのしい。

この作家は、世間で起きていることを多少の虚構を交えて物語に組み込むときに圧倒的な力があるとおもっているのだけれど、「クラウドハンドクラフト」はまさにそうなのです。「クラウド」はつまり相手の顔が見えないけれど大勢の人が何かを成し遂げるということが同時多発するという感じでしょうか。クラウドファンディングが近いかしらん。「ハンドクラフト」は文字通り手仕事とか工芸とか。つまり大勢の人が材料を交換したり渡したりして、それぞれが何かを作り上げていく、というのは3Dプリンタとか女子の手芸電子工作、ひいては「ハルロック」が近い感覚なのです。その中からピース缶爆弾が作られちゃうとか、でもUSB接続で設定したりハイテクで、それを何かのテロに使おうか迷いつつも、木彫りの人形を葬るためにつかう、という終幕も面白い。

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