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2011.09.25

速報→「ホットパーティクル」ミナモザ

2011.9.24 15:00 [CoRich]

瀬戸山美咲の新作。311の後の原発と、作家自身の物語をドキュメンタリーとして描くのだという120分。27日まで雑遊。

311のあと、9月に上演する芝居に頭を悩ませる作家。もうフィクションを描いても無力と感じ、何を書いていいのかほんとうにわからなくなっている。古典をやるべきだというドラマターグの助言はあるが、どうしても今を描きたくてしかたがない。友人たちを誘い、原発に「会いに」いこうと車に乗るが、結局たどり着くことはできない。題材ゆえに出演者のオファーも難航し、脚本も進まない。

社会派を謳う劇団が原発を題材にしないのはどうにも許しがたい、という作家の言葉があったりするけれど、今作に原発にまつわるいわゆる社会派な芝居を期待して見に行くと大きく肩すかしを食らうことになります。どちらかというと社会につながってる「私」の物語であって、原発はそれを引き出す舞台に過ぎません。今も現在進行で深刻な現実を、「私」を語る手として使うのは両刃の剣で、賛否両論どころか、袋たたきにあっても仕方ないとすらおもうのです。

子供産めなくなるかも、それは捨てるものがなく、頼る男もいないからの自暴自棄だけど本当に子供が産めなくてもいいのか、という文脈。でも、現在進行の原発を理由にこれを語る台詞はあまりに雑ではあります。が、その荒っぽさは彼女が逡巡するなかで一瞬頭をよぎっただけかもしれないほんとうの想いなのだなと思うのです。

あたしの友人は今作での作家のことを「西原理恵子のようだ」と云います。毎日かあさんからこっちはあまり知らないけれど、「できるかな」路線のような、体当たり破滅型のクリエーターだなと思うのです。そこに男運の無さという倉田真由美をトッピング。出版ならば編集や会社というものが作家を守ったり、あるいは世間に受け入れられるように整えるわけですが、小劇場の現場では作家自身の(一瞬雑になってしまう)想いは観客によってはひどくショックを受けたり、あるいはバッシングの対象になってしまうはずですが、それをなんとか踏ん張って形にしているのは今作においてはドラマターグというポジション(いや、越えているな)の中田顕史郎なのです。小劇場ならば影響範囲は限られますが、もしこの路線を続けるならば(終盤でもう自分を語らなくてもいい、という台詞がありますが)、ドラマターグの存在以外にも受け入れられる形を助言してくれる人間が絶対に必要だと思うのです。

何かの主張を載せるというのとは違う、膨大に膨れ上がる思い、その一つ一つは間違いも無知も恥ずかしいこともあるけれど、それをそのままさらけ出すというプロセスを提示するという方向を選ぶのも、サイバラっぽいのです。

前半は舞台奥に設えられた車を中心に話が進みます。取材というにはあまりに物見遊山に見えてしまうし、雑な感じすら受ける最初の福島への旅。ことさらに露悪的で、物語にもつながらない単発の言葉は大臣が云えば一発で辞任になってしまいそう。一瞬頭をかすめるようなことがあっても、ふつうだったら発言したり舞台に載せたりはしないようなところもさらけだしてしまうのは誠実と云えば誠実だけれど、序盤のその違和感は、相当損をしている感じがするのです。登場人物たちも実在だと当日パンフにはあります。

ネタバレかも。

震災後に東北生まれの別の女と交際ゼロ日で発作的に結婚した元カレとの往復書簡のようなメールのやりとり。どこか離れがたいような味わいを持ちながら、作家の気持ちにはきっと大きな位置を占めているのだろうけれど、物語として大きいわけではなくて、そこは少しバランスが悪い感じ。

この原発に対する作家の気持ちを「男が怖いのだ」ということになぞって描く終盤。それは制御しきれないほどの強い力が怖いのだと。私たちが原発を怖いと思う気持ちと同様に、女性である作家には、制御しきれないものとしての男を恐怖として描き、あるいは将来の自分が産む子供という妄想を奪ってしまうという原発事故の存在はなるほど、瀬戸山美咲に語られる母性ってことなのかなともおもいつつ、そこにとどまらず、まるで絵空事のような原発の無い未来を、なんと云われても自分は語り続けるということの決意の堅さ。もっとも、それでも怖いけれど好きなのだという男に対する着地と原発にたいして同じラインで描くのは少々無理がある感じではあります。

男あるいは原発に懇願し、殴りかかり、あるいは怖がりながら対峙し続ける作家を演じた佐藤みゆきは圧巻。大きな物語を等身大に引き寄せるだけのパワーを感じます。本当にドラマターグでもあり、その役として登場する中田顕史郎は、作家を叱咤し、時に空気をゆるめながらも、しっかりと物語をリードしていく姿はほんとうに頼もしい。

正直に言うと、前半部分の物見遊山、もしかしたらそれが現実の書き起こしなのかもしれないけれど、そのもやもやした収まらない気持ちの迷走というには少々時間も長くて、役者も多くがここを演じるということで終盤の彼女の思いが薄まってしまうようなところがあるのは少々もったいない感じも。そういう気持ち、一瞬頭をかすめることがないとはいいきれないわけだけど、それを台詞として書いてしまうと、現実の前の観客の感情を逆撫でするわけで、リスクが高すぎる気がするのです。

終幕、唐突に出てくるジョン・レノン。なるほど、そういう世界を考えてみるか、というのはちょっと響いてきます。

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