2018.06.18

【芝居】「無伴奏ソナタ」キャラメルボックス

2018.6.2 14:00 [CoRich]

2014年の再演と同様の、観客に会いにいく、というグリーティングシアター。 120分。東京、栃木、愛知を経て、長野県・中信地区での高校に向けての芸術鑑賞公演の合間に、まつもと市民芸術館の1ステージ。このあと大阪(地震がちょっと心配ではあります)。

ワタシがいっとき住んでいた長野県・松本市での上演に勝手に盛り上がるあたしです。移動と上演を繰り返すこのスタイルは座組にはつらいかもしれないけれど、芸術鑑賞という形態で初めて舞台に触れる高校生や大人たち、というスタイルはたとえば四季や青年座が巡回の演目を持っているのと同様です。 とはいえ、テレビドラマやアニメで普通に彼らが触れるのとは別の種類の物語で演劇というスタイルの上演に触れられるのは、そのときはつまらなくても体験するということの重要さ。

長野県での唯一の一般向けステージは、1800席のメインホールが満員とはもちろんいかなくて、一階席の半分という感じだけれど、かつて観ていたけれど移住してきたなどの小さな同窓会がロビーのそこかしこである楽しさ。若者だけではなくて、かつての観客へ逢いに行くというグリーティングシアターの姿。ちょっと住んでたワタシが偉そうに言うのはアレだけど、ここの土地柄、知らないモノに対する最初の警戒感みたいなものはけっこう高いけれど、定期的に触れることで良いものが受け入れられていく土地なので、スパンはあっても定期的に繋がるといいなと思うのです。

劇団員が町を歩き、twitterやblogを通じてその土地の事を語るのを眺めるのも楽しいのです。

物語の印象は前回の上演とそう大きくは変わりません。 誕生直後の父親と母親の前段、芸術家たるメイカーたちの森で他の音楽から断絶して暮らしている中で禁断のバッハに触れて転落してしまうまでの第一楽章までは物語の枠組み、それは実に静かで「クリーン」な環境として描かれます。このSFとして描かれる世界がどういうものか、という説明ですが、ここが重く、長く、テンポも良くはないので舞台の流れとしてはなかなか厳しいところ。

猥雑でコミカルで軽快な第二楽章、ダイナーのシーンはにぎやかなカントリー風でコミカルでもあって、見やすい。そのなかで諦められない人間の業によって繰り返されるある種の悲劇の序章で物語が転がります。 その悲劇を経ての第三楽章、工事現場は軽快というよりは人々が生きるための音楽。それはこの場所で生きる人々でもあるし、指を失ってもなお、それを諦められない業でもあって。その場も失ってしまうけれど、作り出した歌は残り、人々が歌い、それを目にするのはクリエイターにしかなし得ない救済なのです。

それぞれの場面の音楽は人類と音楽の歴史という流れというのはワタシには新しい発見。自然の音からクラシック、カントリーミュージックを経てフォークソングというかロック、小説とは異なる、音楽の付いた体験はなるほど、舞台だから、の魅力なのです。 ウォッチャーを演じた石橋徹郎が冷徹な美しさ、カーテンコールの笑顔のギャップ。アメリカに憬れる移民を演じたオレノグラフィ(なんせ大河ドラマ俳優だ)が軽やかで楽しい。ダイナーの主人を演じた岡田達也のコミカルさ、それまでの重苦しさから物語を転がし始める原動力。 現場主任を演じた岡田さつき、なかなか観られない役なのが楽しい。

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2018.06.06

【芝居】「ケレン・ヘラー」くによし組

2018.6.1 19:00 [CoRich]

90分。3日まで王子小劇場。

母親が好きだったヘレンケラーコントをしていた女二人だが、不謹慎だとして謹慎を命じられ、解散してしまう。二人は一緒に暮らすようになるが、お笑いをあきらめられないアフロ女は相方にしようとお喋りロボットを買う。アルバイトをしながらの日々、神様と名乗る女が出てきて勇気づけられ、で身の回りの人々をネタに動画サイトで人気が出るが、やがて使っていた香水が実はドラッグで視力や聴覚を失っていく。

ヘレンケラーを題材にいわゆる「危ないネタ」をやるコントをする芸人を物語の核に。実際のところ、ブレずにやりたいことを続けている芸人の周りで変化していく人々、という描き方。やりたいことが売れないし不謹慎だといわれているけれど、それを続けていくためにお喋りロボットを相方にしてまで、信じ込んだ方向に傾倒しストイックを通り越してまさにのめり込んでいくアフロ女の姿。視力を失い聴覚を失いながらも自閉していってもなお、ロボットを目と耳にして作り続け。受け入れられるいいものがあるはずと信じ応援する人に対してまでもあまのじゃくに素っ気なかったり、ネタにされ避けられながらも人気が出れば戻ってくる周囲の人々と。変わらないクリエータを中心に、実は周りの人々が廻り灯籠のように変化していくという感じ。

その中心に居るクリエイターの姿は時に軽薄だったり時に追い込まれ自閉し、時に作り出したモノに乗っ取られるような感覚に戸惑ったりしながらも、創作を続けます。受け入れられなくても、それを作り続けていくしかない、まさに業とも呼ぶべき姿。同様にその作り出す力を失いたくないためにドラッグを手放せず視覚も聴覚も失いいます。が、やや唐突に視覚には治療がされる終盤。一度は決別したけれどそこに居たのはかつての相方。彼女は視覚を失っていて、物語ではストーカーの硫酸だからとなっているが、彼女がアフロ女に視覚を提供すべく移植提供をしたと勝手に誤読するワタシです。終盤では二人を貫く愛情が描かれ、異なる障碍を分け合い、補い合いながら生きていく、という雰囲気があるのです。

正直に云うと、序盤でヘレンケラーコントに固執するのは、母親と笑い合えた唯一の記憶、というのは物語そのものには実はあまり位置を占めるわけではありません。がそれは作家の優しい視線を感じるようでもあります。 のめり込みに荷担し半ば唆す存在であるロボットは終盤、放置され、初期化されています。アフロ女が生き続けているのに対して、次々と人の人生を消費していく、野次馬な私たちを見るようともおもうし、人生を暮らす本人の周りに現れて消える人々、という雰囲気でもあります。

アフロ女を三澤さき、津枝新平、ロボットとしての國吉咲貴が入れ替わりながら演じるのだけれど、男性俳優に乗っ取られるのはある種のゲスさの強化か、ロボットはイキオイがついて止まらない感じか、といろいろ考えるけれど、物語に対して、どういう意味づけなのかは今ひとつ腑に落ちないワタシです。

アフロ女を演じた三澤さきは明るく気丈に振る舞うけれど寂しさを抱える造型を細やかに。アフロ女を演じたり語り部だったりする津枝新平はゲスっぽい迫力。ロボットを演じた國吉咲貴はフラットなたたずまいがそれっぽい。相方を演じた中野智恵梨はいわば「普通の人」としての存在に説得力。

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2018.06.05

【芝居】「人の気も知らないで」iaku

2018.5.27 19:00 [CoRich]

他劇団でも繰り返し上演される (1, 2) 人気作、本家の見応え60分。

二つのテーブル、いすが4つ、カフェというよりはファストフード風の簡素な場所で繰り広げられる濃密な短編は変わらず。OLのうわさ話から立場で知っていること、知らないこと、隠していること、言い出せないこと、同情と非難がくるくると切り替わります。オリジナルの関西弁らしい会話のキャッチボールという軽快な会話だけれど、それぞれに重い話しを描くのです。きちんと力のある戯曲だからか、印象はいままでとびっくりするほど変わりません。俳優たちにも違和感がなく、きっといそうな人々なリアリティ。

繰り返しみて、同じ作家のさまざまな芝居を並べてみると、やはりちょっと若い荒削りというか力わざな感じはあって、登場人部たちの、時に観客に対しての後出しじゃんけんの繰り返しで押している感じはあったりもします。もちろんそれでもコンパクトに濃密な芝居の魅力が褪せるわけではありません。いわば「演劇祭」として並べてみるから判ることだったりするのです。

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【芝居】「梨の礫の梨」iaku

2018.5.27 15:00 [CoRich]

ワタシは初見の女性二人芝居は濃厚な仕上がり。60分。

行きつけのバーで話す40過ぎの女。バーテンダーと話しているが、いつの間にか知り合いのような若い女が隣に現れる。

立ちのみのカウンターを模した二人幅のテーブル、客席側にバーテンダーが居て、二人の役者はバーテンダー、つまり客席に向かい合って話すスタイル。マッカラン10年のボトル、グラス。 40過ぎの常連らしい女、電車での座り方のマナーに我慢がならず意地の張り合いとなっている、いわゆる関西のおばちゃんの日常会話風で始まりながら、隣に現れた知り合いらしく何か確執のある女との会話に徐々に落とし込まれていきます。若い「永遠の27歳」はスキップして35歳になりたいといい、独り身の40女は唯一恋人と暮らした30代に戻りたいけれど、その恋人は自殺したらしいことが語られ、それから恋をできなくなっていて。

ネタバレです。

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2018.05.31

【芝居】「害虫」劇団普通

2018.5.25 19:30 [CoRich]

27日までルデコ5。90分。

一軒家に暮らす男女は一人の母親の三人の夫たちの子供や連れ子と、新たな交際相手の子供たち。冷蔵庫に入れた食べ物が消える日々、朝起きてくる、あるいは学校や仕事から戻ってきたダイニングに集う。

父親の違う三人の兄弟や連れ子。入れ替わりながら、朝食に何を食べるか、冷蔵庫の食べ物が消える話だったりとか。けだるい日常の雰囲気だったり、喋らなかったりとテーブルについている構成によって変化する関係。無視のようにこっそり食べ物を食べていると云われている長男が来ると明確に雰囲気が変わったり。

小学生前後のころだったり、もうすこし大きくなってからだったりを自在に行き来して、ほとんど帰らないらしい母親で繋がり一緒に暮らす子供たちの風景をさまざまに切り取って見せるのです。

さまざまな関係は提示されそれがくるくると変わる面白さはあるし、終幕で明確に成長した姿には成長というかこの監獄のような家を出て行こうという意思という変化はあるのだけれど、どういう物語なのか、ということ上手く言葉にできなくて戸惑うアタシです。そういう人々を描く事こそが目的だろうとは思いつつ。

作家の主題ではないような気がするけれど、子供だったり奔放だったりで自由に振る舞う男たちと、距離感の差こそあれいちおう生活していこうという雰囲気の女たちという構図。おだやかな筈の長女が疲れ切って帰宅したのに食べ物を要求するばかりの三女と次男にキレるあたりは、長女ばかりが気を揉み働かされているような苛立ちがちょっと見えて面白い。

全体にテーブルを囲む椅子での芝居で、正直にいえば三人居るシーンで二人の表情が全く見えなかったりするのは小さい会場ゆえとはいえちょっとしんどい。 終盤、成長した長女、次男、長男のシーンは一面のガラス張りに回想されたルデコ5の窓際、渋谷の町のビルを借景にした喫茶店という雰囲気で印象的。

長男を演じた澤原剛生が奔放という役柄かどうか、居るだけで圧倒的な存在感があったりするのも新たな発見なのです。

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2018.05.30

【芝居】「堀が濡れそぼつ」MCR

2018.5.19 19:00 [CoRich]

22日までザ・スズナリ

昔は派手だった妻は入れ墨に刻むほど好きだった恋人を亡くし、恋人の友人のちょっと地味な男と結婚した。妊娠しいて夫婦の関係はないが、妻が自慰をしているところを夫がみてしまう。 夫は会社で部下の女性のことが好きだと噂される、相手もまんざらではないがなにがあるわけではないし結婚している手前否定する。 家に押しかける隣人は怪しい霊媒師を連れてきて、妻をマルチに引き込もうとする。出所してきたばかりの夫の幼なじみはほんとうに友達思いだが、連れてきている女はどこかに売られるようで人殺しもなんとも思わない。

妻の自慰とか、最愛の男を亡くしたから結婚したとか、部下の女性からの好意とか、一筋縄ではいかないちょっとヒネた愛情のあり方を核に、ゲスに詮索する友人や同僚、こまっしゃくれた子供と遠慮のない隣人、怪しげな霊媒師などを周辺に配して。

普通いわないだろうゲスな言葉を悪意があったりなかったりなド速球で投げつけるような人物がとても多く、そのうえ盗聴器だったりだまして輪廻を信じさせようとする悪意など、もちろん笑うけれど、麻痺しながら疲弊していく感じもあってなかなかハードな観劇体験ではあります。もともと露悪的な語り口が得意な作家ではあるけれど、今作ではその、嫌な感じの人物が多め。とはいえ、ちょいと人間くさくて(他人である分には)憎みきれない部分があったりもして 総体としては観続けてしまうのです。

妻はインモラルな感じではあるし、台詞は決して少なくないけれど自分の奥底についてあまり多くを語らないように感じます。亡くした男の喪失感をきっと抱えたまま、別の男の子供を宿したことの戸惑いかもしれません。対比するように夫はともかく言葉を重ねています。好意を寄せる部下の女に対して、妻が居るからという世間体に加えて最初は魅力的に感じてないそぶりなのに、はやしたてられたからか、あるいは前から薄々思っていたけれど今更気づいたのか、匂いがという一致点を見つけていって惹かれてしまう人間くささ、妻へと回帰していくゆるやかな変化。物語全体では飛び道具ばかりなのに、その時間軸の中でゆるやかに変化していくこの人物を解像度高く描く作家のたくらみの楽しさなのです。

夫を演じた堀靖明は何事にも真っ直ぐ向き合う男、喋ることが全て正論という説得力。部下の女を演じた異儀田夏葉は、好意を寄せているのに報われないどころか、まわりからも不躾なはやし立てられ方や妻からの言いがかりのように責められたり。それなのに健気さときりりとした格好良さ。この二人が何かの一致をみる二人のシーンが実によいのです。不安につけ込む霊媒師を演じた澤唯は久々に見る怪しさ全開の造型が魅力的。出所してきた男を演じた櫻井智也、殺人を厭わない冷酷さと幼なじみへの愛着とのアンバランス、静かに狂った感じの深み。

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2018.05.28

【芝居】「あたしら葉桜」iaku

2018.5.19 15:00 [CoRich]

2015年作の再演「あたしら葉桜」と、原作となる岸田國士の「葉桜」(青空文庫)のリーディングを組み合わせて。22日までこまばアゴラ劇場。リーディング30分、本編45分。

時代を経て母娘のありかた、時代の背景、恋愛や結婚の異なることをえがきつつも、母と娘の想いの変わらないところを描く二本立て。

リーディングは お見合いをして一ヶ月、返事をよこさない相手に気を揉む母娘。母は相手がちょっと気にいらなかったりするが、娘はまんざらでもない。娘を手放すのも惜しい気持ちの揺れ動き。手を握ってされるままというところで唐突に吹っ切れるような母親。「嫁に行かなければ一人前ではない」という時代に動かされる気持ちと、しかしあまりにあけっぴろげに男を誘うのははしたなくて、男が誘わなければ前に進まないという云ったりきたりが短く濃密に。

本編の方は、時代は現代に設定され、畳の部屋の中央に伏せた雑誌にいるかもしれないムシを囲んだ母娘。そこに居るし仕留めたいけれど直接手を下すのははばかられる感じ、一刀両断にできずにぐるぐる周囲を回るふたり。 時代らしく名前で呼び合いきっと洋服だって貸しあうような感じをコミカルに交え、いろいろやっても出口も結論も出てこないぐるぐる。現代らしく単に嫁に行くかどうか、ということではありません。 娘の相手が同性であることは後半であかされ、母親はもちろんそれでも祝福するけれど、母親の考える「一般的な」プロポーズでないことや「お嬢さんをください」的な挨拶や孫に居たるラインにならないことの母親と戸惑いも同時に。

二つの時代、何がままならないか、ということは変わるけれど、母親の価値観とは少し違っても娘の幸せが一番と自分に言い聞かせるような母親の姿がぎゅっと浮かび上がるのです。

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2018.05.27

【芝居】「粛々と運針」iaku

2018.5.19 11:00 [CoRich]

ほぼ一年前の作品を再演。 28日までこまばアゴラ劇場。P>

二人ずつ三組、男の兄弟、夫婦、縫い続ける二人の女。
実家で母と二人暮らしのフリーター兄と結婚して家を出て会社員となってい働いている弟、倒れた母親、死も覚悟しなければならない段に至って変わりたくない兄と変わらなければいけないと考える弟と。
子供を作らない約束で結婚し一軒家を構えた夫婦、妻は総合職で仕事が好きで子供によってキャリアを手放したくないと考え、バイトから社員とはいえファミレス店長で収入の点で引け目を感じている夫。もしかしたら妊娠したかもれないと告げた妻は堕胎を考えていて。

兄弟と夫婦、二組がもう一人の死と生と向き合い、迷い、ときに言い争いになって進む会話。運針を続ける女二人は、死が見えてきた母親とこれから生をうけるかどうかという胎児の姿。物語では交わらないはずの6人だけれど、後半ではあっさり構造の壁を越えて対比し議論になったりもして、芝居だからこそ自由に時間も空間も飛び越えてつながる話は、生から死という人生、死から生という輪廻でぐるりと一回り、 針を縫い進め、時計の秒針のように時間を刻みながら営んできた人々の暮らしを描き出すのです。

桜が生の象徴に描かれるのが印象的なのです。それは満開の桜は生きていることの象徴でその盛りには切れず、伐採するなら人が忘れかけたころということだったり、その盛りの桜の下にはたくさんの命が埋まり堆積した上で人々が生きているということを丁寧に。

じっさいのところ、初演と今作、ワタシの印象は変わらず。それはキャストが同一ということのせいもあるかと思います。大きな変化があるわけではありません。役者それぞれの芝居が熟成、というのは少しばかりファンタジーな気持ちになったりするワタシです。

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2018.05.24

【芝居】「俺の屍を越えていけ」feblabo×シアターミラクル

2018.5.12 18:00 [CoRich]

2003年の渡辺源四郎商店以来、いくつも繰り返し上演(1, 2, 3) されている短編。20日までシアターミラクル。80分。

地方のラジオ局、リストラ対象者を一人若者たちに選ばせるという社長の命令無茶ぶりな命令。選んだチームについては本人には伝えられないという形ばかりの匿名ではあっても大きくはない会社の中の出来事で、その対象者もみな顔と名前が一致するぐらいの距離感で「いけにえ」を探すという話。それに背くことは事実上困難で、ならばそこに合理的な理由宇をつけて議論していく過程は、直接このグループの中の誰かを選んで自分を守るバトルロワイヤルではないけれど、やりたくないことを仕事として割り切るためで、自分の気持ちを守るための行動なのです。

右肩上がりの成長が疑問なく信じられた時代ならいざしらず、縮小していくなかでどう生き残るかという瀬戸際、迎え入れられた社長の理性的で正しいかもしれないけれど血も涙もない方針で若者達が考えること。 それぞれに忙しくて出入りもあって会話は時折脱線してとりとめない感じもするけれど、会話の中で若者たちは仕事とは何か、年齢を重ね会社の中でキャリアを重ねていくことはどういうことか点描し反芻し、時に議論していくのです。それは時に個人的な恨みだったり恩義、会社にとって必要な人材かなど視点をくるくると変えていくのです。

誰が聴いているのかわからない早朝の番組の常連リスナーの存在、ラジオは聴いている側に一対一ということはよくいわれるけれど、送り出す側ももしかしたらそう思える瞬間がある、というラジオの特性を知り尽くした作家らしい書き方で、ラストシーンのじんとくる感じ。最近ラジオにどっぷりはまっているから感じる新しい感想だったりもします。

年上のディレクター(高木健)、営業(山田岾幡哉)の二人のパワーバランスが物語の背骨で、しっかりとした座組。 正直にいえば、座った位置が悪く、二人の対面シーンでディレクター側の顔が見えないシーンがあって、受けているのに表情がみえなくて、ちょいと惜しい。

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2018.05.22

【芝居】「焔の命--女優の卵がテロリストになった理由」オフィス上の空プロデュース

2018.5.12 13:00 [CoRich]

13日までエコー劇場。

東京オリンピック直前にある劇団が多発テロを起こした。それから数年、初公判のころ首謀者の一人とされた女優の家族をライターが訪れる。劇団内を扇動したのだという論調一辺倒になっていることに違和感を抱き、取材を始める。
学生劇団の数人で旗揚げをした劇団、作演の力が強く根強いファンがいるものの動員は伸び悩み、公演のたびの赤字を劇団員のアルバイトで補填しているが、自分たちはおもしろいものを作っていると信じており、自分たちの作品に観客たちがついてきていないのだと考えている。
もっと作品を研ぎ澄ますために、一ヶ月にわたり人里離れた別荘で合宿稽古をすることを決める。

小劇場の劇団がなぜテロを決行するに至ったか、その醸成される過程を背景に。「女優の〜」はその中でも地味で口数も少ない女を指していて、彼女の視点でその家族やアルバイト先でのそれぞれの立場を交えてフリーライターの聞き取りという形で描きます。

売れてないが故にアルバイト先では応援はされても、女を切り売りすることを求められたり、あるいは純粋な応援とはいえストーカーもどきがついてまわったり。家族もまた、内定を蹴ってまでアルバイトで芝居を続けていることへの風当たり。全面的に支える恋人は自分から切り離してしまうこと。 いくつかあったはずの帰る場所、それぞれの居心地が悪くなっていくことでその範囲がどんどん狭まっていって、それが合宿稽古という閉鎖された空間で集団が暴走していくこと、程度の差こそあれそこかしこにありそうな、団体のありかたの一つ。

売れない小劇場劇団がそれでも続けていくモチベーションは自分たちはいいものを作っているというある種の盲信。作り出すために信じることは必要なことだけれど、度を超したときに起こる悲劇。近くはオウム真理教から少し昔のあさま山荘まで、暴走した集団の中で起きていること、その中で地味だったはずの女がなぜそこから抜け出せなかったかということ強烈に印象づけられるのは、これが過去の話でも単なるフィクションでもなく、現在進行形でも上からの指示で何でもやってしまう、ということがほんとうに頻発している私たちから地続きに感じられるからなんじゃないかと思うのです。

正直にいえば、物語に対して少々登場人物が多いような気がしないでもありませんが、まあそう大きな問題ではありません。

「女優の卵」を演じた福永マリカ、ちょっとおどおどした口数の少ない女性の役はちょっとめずらしい気がします。その居場所を失いたくないからほとんどニコニコしているという造型、美しいけれど哀しい。看板女優を演じた佑木つぐみの造型がちょっと凄くて、盲信と何かを手に入れたいという強烈な気持ちのちょっと怖い感じすら。

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