2017.05.30

【芝居】「ああ、演劇」くによし組

2017.5.21 16:00 [CoRich]

21日まで東中野バニラスタジオ(Vanilla Studio)。拝見した日曜夕方の回は、ゲストが下手側に座り舞台につっこみを入れまくるというdisり回として設定されていました。

「くによP組」の作家は、架空の劇団をいくつか並べて描くことで「演劇」を描き出そうと考えるが、なかなかうまくいかない。 「right elbow」は観念的でちょっと頭が良さそうでスタイリッシュ。
「プリティコッペン」は夢をみない女の夢を巡る物語をファンタジーに。
「801」はアフレコ現場の声優たち、若い二人の男の声優が加わる。
が、作家はいろいろ試すも最後の一本が書けず、全体を書き直すといい出す。公演が迫り劇団員たちはそれを阻止し書けてる本の稽古を続けようとするが作家の意思は変わらないうえ、作家がそのほかの諸々も抱え込んでしまう。
「right elbow」はそれを上演するブロッコリーに熱中する先輩は、後輩がお笑いや小劇場がおもしろいということを一刀両断に切り捨てる。がブロッコリーのどこが。
「プリティコッペン」は紅一点の女優やりたい芝居はこれではないと思っているが、ヒロインに抜擢されるとおもしろくなってくる。
「801」はバスケットボール部とマネージャー、の男二人。スポーツドリンクを回し飲みすると、いつの間にか入れ替わっている。
「くによP組」の上演は迫っているが、最後の一本は全く書けていない。もう開場しているが、作家は家にいて劇団員たちは設定だけでも聞きだそうと電話する。

4つの劇団を巡る短編、前半後半に分けて上演しそうな芝居をパロディ風の劇中劇にしたり、その劇団の舞台裏を描いて役者や作家を描いたりして。今作を上演している「くによし組」を模した「くによP組」自体が初日に至っても書けないままだという右往左往を外側を薄皮のように包んでいて、まるで作家自身の姿が見え隠れするようなのです。

とりわけ、その「くによP組」の作家がいろいろ抱え込んでしまう感じや、それまで書いたものをなげうってしまう博打、さらには出演者全員が自分のことを恋愛対象として好きだと思いこんでいるという自意識過剰感めいっぱいまで、作家自身の本当の姿を知る由はないけれど、まるで作家自身のあれこれを自伝的に描いたものを見ているような、微妙な気持ちにさせる、というのが実はちょっとすごいんじゃないかと思ったりします。

アタシの観た回に設定されたディスリ回は、ゲスト2名と作家自身が舞台端に実況席のように座り、つっこみを入れつつなおもしろさ。とりわけゲストの沈ゆうこがよくて、書けないと云う泣き言を叱責し、全部を書き直すという暴言にやめた方がいい、できるできるという応援しという具合で、目が離せないぐらいに楽しい。テレビ実況の「ニコニコ実況」を見ているような楽しさなのです。もちろんゲストによって差は出そうなところではあるけれど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【レビューショー】「日本国 横浜 お浜様 〜yokohama music revue show〜」もじゃもじゃ頭とへらへら眼鏡

2017.5.21 13:00 [CoRich]

神奈川県の文化事業として行われる「地劇ミュージカル」の上演に向け1月のコンペで優勝し、8月の上演を目指す、劇団・もじゃもじゃ頭とへらへら眼鏡によるミュージカルのレビューショー。15曲を詰め込んだ80分。21日までラゾーナ川崎プラザソル。

横浜・本牧の高校演劇部が文化祭上演に選んだのは顧問の友人が書いた戯曲「日本国 横浜 お浜様」だった。いわゆる風俗店の一種・チャブ屋と、そこで働く娼婦・メリケンお浜を題材にしたものだったため、顧問はその採用を渋っている。娼婦とはいえその時代を生きた人物を描きたいと高校生たちは熱心だ。

オリジナル曲もミュージカル曲も歌謡曲も混ぜあわせ、これから上演予定の「〜お浜様」がどういう世界を描くかに触れつつ、その上演へ向けて動く人々の物語、というちょっとメイキングの風味を持たせたCMという趣。レビューショーらしく、全体に華やかで、時にミュージカル・シカゴのように色っぽく、時に港のヨーコヨコハマヨコスカを替え歌にしてコミカルなパートもあり。バラエティ豊かで見飽きない物語をごく短く作るというのは巧いやり方。

オリジナル曲だけに頼らず、きちんと権利をクリアしたであろう既存の曲でのダンスレビューを仕上げるのも、ある種の割り切りだと思うのです。堅くなりがちなその地元の物語を継続的に上演していくことで本編となる上演に結びつけていこうというしたたかさ、それはタイトル「日本国 横浜 お浜様」の意味(まあwikipediaに記載がある程度ではあるのだけれど)のみならず、その時代背景を含めて「メリケンお浜」の生きた時代のシンプルなレクチャーになっていてうまい助走だと思うのです。

もちろん時代背景が違いますから、自立している女といっても現在の私たちの価値観とはかなり異なるところもありますし、丹念に人物を調べていくといろいろな見方はありそう。が、この時間のこの場所に生きていた人々をどう描くか、ということは一歩間違えばあっという間に興味を失われるばかりか炎上になりかねない題材です。史実だからそのまま上演すればいいというわけでもない難しい物語の舵取りになるかもしれない、と思いつつ。あれ、もしかして俄然楽しみになってきた、と思ってしまうアタシなんですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.05.26

【芝居】「はたらいたさるの話」きらら

2017.5.19 19:30 [CoRich]

去年熊本と福岡で上演された作品。ワタシは初見です。珍しく勢い余って二回拝見。21日まで王子小劇場。そのあと宮崎。

会社をクビになった中年の女はうどんの自販機がある国道沿いの店に通っている。面白がる中年の男の紹介でスーパーで万引き防止の私服警備の仕事に誘われる。同じ日に寸借詐欺をしようと話しかけてくる若い男とその彼女らしい金髪の女とも出会う。
スーパーで万引き客を監視する中、あの金髪の女が商品を棚に戻している。事情を聞き家を訪ねるとおびただしく汚く、親から戸籍を分けたいといっている。若い男は就活中でいいところまで進んでいるが、潔癖性。中年の男はバツ3でふらふらとしている。

この世界の片隅で不器用に、しかし本人たちは至ってまじめに生き、暮らしている二組の男女。若い男女には親との距離感を常に感じながらの不器用さを描く役割で、男女の関係も何かのきっかけでつながりあうものの初々しさ。中年の男女には生きていくための仕事がより切実なものとなるのは一人で生きていくからで、男女の距離感はあれこれ知ってしまっているからむしろ簡単には踏み込めず、むじろストイックな関係に描くのがおもしろいし、二つの年代でのそのギャップがやけに説得力を持つと感じるアタシです。これをカップルの愛情の物語に観てしまうアタシはちょっとゆがんでるかもしれないとおもいつつ、めずらしく速報ツイートしてしまうのです。

働くことのみならず、生きていくことは何かをまねて、最初は心がこもっていなくても、それはめげずに繰り返し繰り返していくうちにサマになっていくということ。後半で童話として語られる「はたらいたさるのはなし」は山で木を切り金を手にして食事にありつく人間を見てそれを真似しても誰も金をくれなかった猿、という話で、しかしその失敗があったとしても繰り返すのではないか、繰り返していくうちに何かを手に入れるのではないか、と続ける中年の男の奥行き。

それにしても、「戸籍を分けたい」とか「液体と化した野菜に沈むレシート」とか「写真を撮られるためのぎこちない笑顔」とか「病気になった金魚に熱湯をかける」とか「するときにいちいちすべてを確認する」など、ちょっとずれてるような、しかしやけにリアルな描写の一つ一つがちょっとおもしろく、しかも切実さを感じさせる見事さ。

ハンバーグにまつわる女二人のシーンが好きです。 若い女がハンバーグを作ろうと思い立ち、クックパッド通りにフライパンまですべてを新しく誂え、その通りにつくろうとするもちょっとした失敗ですべてを投げ出そうとする。中年の女は目分量で適当に作っていって、拒否しようとする若い女にやや無理矢理に作らせて食べさせるくだり。ちょっとした失敗にくじけずに乗り越える図々しさをまるで教えているよう、一回で諦めないで何度も繰り返していくことを教える、という雰囲気が芝居全体の雰囲気にもよくあっているのです。

語り部を兼ねる中年の女を演じたオニムラルミは、心折れる序盤から元気になったり凹んだり、恋したりという振り幅が楽しい。若い男を演じた磯田渉は、ちょっと頭良さそうというかいいとこの子、いろいろなことが起こりすぎて処理できない感じも若い役をきっちり造形します。中年の男を演じた有門正太郎、ふらふらしてるようできっちりブレない強さ、その視点からの台詞、「おまえ、おもしれぇな、」が序盤で圧倒的な印象で、それが終幕背中で語るシーンまできっちり持続するのです。若い女を演じた、はまもとゆうかは金髪でジャージのようなツナギという出で立ち、台詞にもあるけれどわりと美人なのに笑顔がぎこちないという落差、ロビーで見かけてみれば普通に会話ができる女性、役者の凄さ。この世界をかき回すのは実はこの若い女なのだけれど、それをきっちり背負うのです。作演を兼ねて母親であったり、万引きした老婆の声だったりを演じた池田美樹はもちろんこの小さな世界を操りサポートし。二日続けて通ってトークショーも二回観られて嬉しいアタシです。

役者の写真を入れた白黒の当パン、実年齢がわかるように役者の誕生日を入れるのは物語の奥行きを補強するようだし、じつはとてもいいなと思うのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.05.23

【芝居】「60'sエレジー」チョコレートケーキ

2017.5.14 19:00 [CoRich]

人気劇団の割にはあまりアタシは拝見できていないチョコレートケーキの新作。140分。大型連休に3回の週末を含み21日までサンモールスタジオ。

独居老人の死の現場に立つ刑事と警官。遺書らしいノートには上京した頃の事が書かれている。
東京オリンピックを控えた東京の下町、社長とその妻、社長の弟とベテラン職人が働く蚊帳工場に会津から集団就職で上京した少年を迎える。仕事を覚え認められるうち、子供の居ない社長夫婦は息子同然に思うようになり、高校に通わせたいと考える。時代は進み、蚊帳の販売はじり貧になっていく。

次のオリンピックが迫る東京の独居老人の死を物語の起点とある種の救いを持たせつつ、全体として描くのは高度成長に沸く東京で、衰退し幕引きとなるひとつの工場の人々と、その中で成長していった一人の青年の物語。 世間の成長とは違う営みで、しかし人々はちりぢりになってもそれぞれ生きていく姿の十年を通して描きます。人情厚く世話好きでけんかっ早く。いわゆる下町の人間をベースに。

上京した金の卵が学生運動にかぶれていく、という昭和の物語は、正直にいえばわりと早々に見えてしまいますし、蚊帳づくりの十年となればそれが落ち込んでいくのもわかったこと。その中で人々がどう生きたか、ということを描くということはよくわかるけれど、衰退のなすがままに人減らしに会っていく人々を描くので実はそうそう突飛なことは起こらず、いわば予想通りに進みます。

現代を起点とするもう一つの物語にはもう少し仕掛けが用意されていて、実は独りではなかった、ということを描きます。ずっとここに住んでいたのか、あるいは独りになって戻ってくるようにここに来たのかはわからないけれど、そこには救いがなくて、ほろ苦いともちょっと違うテイスト。

東京オリンピックというキーワードで二つの時間を結びつけようという視点はもちろんわかるし、それはかつて何かを捨ててきたのと同じように現在も何かを捨てようとしているのではないか、という相似形を描こうとして意図もわかるけれど、現代パートの比重が少ないので、回想しているだけにも見えてしまうようで、現代の私たちへのノスタルジー以上のインパクトには少々欠ける気がしてなりません。

若い役者や作演が現実には肌感覚として理解出来ないであろうこの時代の風情と心意気を描き出していることは間違いなくクオリティが高くて(口調をあの頃の映画風にする必要はあるのかよくわからないけれど)、そこだけで十分エンタテインメントとして面白いのだけれど、彼らならもう一歩も二歩も踏み込めそうだとも思うのです。少年を演じた足立英は若い純朴から学生運動で少々ひねていくところまでという振り幅の広い成長期をきっちりと。ベテランを演じた林竜三は不器用な心意気とでもいうような造形で説得力を。社長を演じた西尾友樹のがらっぱちさと人情の厚さな造形、あるいは妻を演じた佐藤みゆきも下町の気っぷの良さとでもいう女将さんな雰囲気が楽しい。何より、弟を演じた岡本篤、とりわけ工場を辞めるまでのシーンでの下町の若者感が実にいい味わいで、そのまま寅さんの世界に出てきそうな厚みを感じるのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.05.20

【芝居】「りんぷん手帖」やみ・あがりシアター

2017.5.14 14:00 [CoRich]

16日まで王子小劇場。90分。戯曲pdfのダウンロードコードを会場では無料で配る心意気。

結婚し専業主婦となった女、ずっと家にいる妻のことを夫は心配し、主婦友をみつけたらと勧める。妻はネットの掲示板で出会った三人の専業主婦たちと時々会うようになる。その会を主催する女は出会うなり、夫に買ってもらった手帖にあらかじめ書き込んであった予定を続けていこうと切り出す。友達ができたらしたいことがずっと書き連ねてあるのだ。

四人の主婦友たち(+うち一人の夫)の物語が順方向に進む一年と、20歳過ぎの親友らしい女性二人から逆方向に時を進めて子どもの頃の初めての出会いに至る十数年の物語の断片を交互に組み合わせ、終幕に放り投げられた「手帖」が主婦たちから少女たちに渡って時間軸がかみ合います。少女たちの側に再就職を果たし子持ちとなった夫が現れたりはしますが、基本的な物語としては別個のもので、かならずしも組み合わせによって生まれた妙という感じになっていないのは惜しいところ。

二つの物語が描くのは、子供のころは何も考えずに自然にできていたはずなのに、おとなになって改めて難しい、友達を作るということかなと思います。主婦四人はそれぞれのバックグラウンドがかなり異なっていて、仕事ができて家事もあっという間に終わってしまって時間をもてあますであったり、サッカー選手の妻であったり、一方では経済的には困窮していてクスリの売人もどきのヤンキーだったり、あるいは夫に愛され続けているがそれがなぜかDVに繋がるゆがんだ妻であったり。巻き込まれるように過ごす一年だけれど、埋められない溝も、近寄る距離もそれぞれにあって。近寄る距離感があればもしかしたら緩やかには続けられるかなという終盤。 一方の少女たち、幼い頃にヤな感じで出会ったとしても、自分のやりたいことををそれぞれにやっていて、進む道が離れ、暫くぶりでも会えばすぐに距離が縮まる絶妙の距離感の心地よさ。これからもきっと続くと思わせる雰囲気。

昆虫好きな若い女を演じたさんなぎの自在なテンションと美しさのギャップ。その親友を演じた高橋ゆなの序盤で見せるはっとするような色気が、子供に戻っていっても隠せないのもまた魅力。家でぼおっとしていた妻を演じたこうこの揺れないフラットさが物語の柱のよう。手帖の主を演じた小川碧水は台詞でも現れる「儚すぎる」たたずまいとDVにまつわるギャップの面白さ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「インテリぶる世界」箱庭円舞曲

2017.5.13 19:00 [CoRich]

美大の学生たちによるアートユニット。一人の家の空きガレージをアトリエとして活動を始める。どうやって多くの人々に届くかというアートテロが彼らの命題で、はやり始めたネットに対して、ネットワークビジネスからヒントを得た2n-1をキーワードにして、チェーンメールをしかけて一定の評価を得る。
20年が経ち、ユニット名を一人で引き継いだその家の息子と、独自の感性で突き進む男の二人だけだった。美術雑誌の記者が取材でアトリエを訪れ、かつてファンだったユニットの他のメンバーを集めようとするが思うように集まらない。

演劇でアーティストを描く場合にはどうしても作家自身の視点で創作の現場の姿が見え隠れします。今作は、集団で活動していくということで、創作に対する立ち位置の差とそれによって別れてしまった人々の姿、さらにはそれを目撃した人としての記者であったり、そこからはもう少し距離感の違う親や妹であったりという周囲の人々を含めた総体として物語を描くのです。

ずっと物語の中で見え隠れするのは、ホンモノとニセモノ(というと言い過ぎか)のグラデーション。今作ではアートユニットで明確に突き抜けたアーティストであるサムライと呼ばれる男を頂点に、何かを表現しようともがくがそこまでは突き抜けられない男だったり、いいわるいを見分られ、それを形にするかに対してのセンスを持っている人々だったり、おしゃれだからとそこに乗っかろうとする(残酷に云えば)凡人だったり。 少し距離のあるはずの父親もまた、実はちょっとセンスはあってそこからは踏み込んでこない絶妙な距離感なのもちょっといいのです。

このグラデーション、絵画音楽演劇といったいわゆる芸術にとどまらず、アタシにとっては感覚的に近い工業製品を作る会社組織のプロジェクトであったり、工芸もしかしたら飲食店であったり、さらには会社や部署、サークルの活動そのものにいたるまでおよそ「人間の活動」すべてにあてはまりそうにも思えてきます。そう考えれば、作家が「箱庭円舞曲」として活動してきたこれまでの変遷もまたアートのかつどうであると同時に人の営みなのだと思い至るのです。

一世を風靡したユニット、時間を経て一人のプロデュースとなってもかつての仲間たちを再結集させたがる観客たちの無責任。過去は過去としても現在の自分の活動を見て評価して欲しい気持ち。もしかしたら作家自身が感じたことなのかも知れませんが。

正直にいえば、当日パンフ「リーダー」と銘打たれた人物が二人。20年前と現在でユニットのリーダが変化したということなのだけれど、アタシはちょっと誤解して一人の人物を二人の役者で演じてるとなぜか思い込んでしばらく混乱していたりも。

個性豊かで力量のある役者たちの魅力もその一端を担います。マネキンとのセックスやら首つりパフォーマンスやら少々まともじゃないところまで突き抜け、周囲を意に介さず活動を続けるサムライを演じた安東信助はふわっとし造形だけれど、ロゴの話しなど所々で鋭いセンスも舞台上で垣間見え厚みのある造形。美大教授を演じた林和義は、年齢が上で先生なのだとしても若者たちにアートに対して本気でぶつかる熱さ、とりわけどう活動していくかについて熱く議論するシーンの格好良さにしびれます。父親を演じた大谷亮介、難しいことはわからないといいつつ支え見守り、でもちょっと仲間に入りたい気持ちが見え隠れする可愛らしさ。元カノを演じた小林さやか、物語の中で果たす役割は少ないけれど、決して若くはなくても可愛らしさと色気で現れ、あるいは軽トラぶつけるアクティブさも見え隠れしてなかなかない役が魅力的。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「不謹慎な家」MCR

2017.5.13 15:00 [CoRich]

2014年にPANDA JOCKYとして上演されたものをMCRとして櫻井★の手による演出で上演。90分。新作と交互上演で17日までOFF OFFシアター。

演出は変わりましたが、重なる役者も多く、キレキレのせりふが飛び交うことも含め印象は変わりません。

連れ込まれた男について、初演(有川マコト)でアタシは「飼っている」と表現したけれど、再演(澤唯)はもう少し違う印象。こちらは男が自律的に選択してここに居るし、好きでたまらないけれど、理性的な部分も残っていてという造形に見えるのは、役者が今まで演じてきた役がアタシの中でフラッシュバックするからかもしれません。/P>

これに比べると初演でサイコパスかと思った連れ込んだ女(初演・再演とも徳橋みのり)の印象はあまり変わらず。劇場の大きさがそう変わらないこともあって(3年まえに比べるとMCRは相当に客が呼べるはずだと思うのだけど、OFF OFFでこの期間はどうなんだろう)。兄を演じた堀靖明、二本立てのもう一本(見られませんでした)にも出演しています。普通のひとをきっちり演じるのを目にすることも多くなりました。きちんとフラットに「この世界の外側」の人を演じるのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.05.18

【芝居】「あぱあとめんと」Room105

2017.5.12 19:00 [CoRich]

同じ舞台セットで、役者脚本を入れ替えながら公演を打つ、あるいは宣伝の実験を掲げるユニット(落ち着いたらレポートが上がるのを楽しみにしています)の旗揚げ。100分のアナウンスですが、初日は120分。14日までSTスポット。

アパートの四つの部屋。女性が住む部屋には恋人も居るが、借金取りが毎日のように押し掛けている。 中学生の娘と父親が住む部屋、娘は自分が本当の娘ではないと普段から疑っている。家を出たきり行方がわからず大家や他の住人も探している。 大家の孫は精神を病んでいるふりをしているが、実はもう健常に戻っているがそれを隠している。
ある日、同じアパートに男が引っ越してくる。少し堅物で融通が利かない。

10年の時間を経て隠していたことをベースにしつつ、勘違いを重ねたコメディ的な描き方も含めて描きます。 正直にいえば、役者の演技に少々不安があったり癖があったり、あるいはコメディともリアリティとも違う不安定な感じを受ける初日です。 役者の年齢がわりと近いのに年齢の幅がある登場人物を演じさせるのはこの手の物語では難しいとこレオですが、たとえば老婆のメイクの不自然さを逆手に取って伏線回収につなげたり、バランスのいいところも感じます。もう一つ正直にいえばいわゆるゲイなどセクシャルマイノリティの物語としての扱いが少々雑な気がしないでもありません。

言葉を言葉通りにとってしまい比喩が理解できない堅物の男を演じた川田智史が、徳に後半で圧倒的な存在感。こういう役は結果として面白おかしいとしても揺らがず堅物でありつづけることが大切なのだけど、それをきちんと支えきります。関西の女性っぽい、ちょっとラフなネイティブな言葉が心地よい。

売りにしている「同じ舞台セット」に関しては、そのままで繰り返し使うには少々クオリティ、たとえば扉の幅の不自然さであったり押し入れのスムースさなど少々不安が残ります。まあ繰り返してバージョンアップしていくということを信じて。当日パンフをカラー冊子にするのも心意気ではあるけれど、まずは何処に限られたコストを配分するかと言うことの選択はここではない気がします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「バージン・ブルース」うさぎストライプと親父ブルースブラザーズ

2017.5.6 18:00 [CoRich]

21日までアゴラ劇場。70分。

娘の結婚式、控え室。落ち着かない二人の男。 片方の男が突然倒れ、ここまでの走馬燈を観る。

ネタバレかも

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.05.15

【芝居】「チル、幻滅。」しあわせ学級崩壊

2017.5.5 19:00 [CoRich]

7日まで上野小劇場。60分。

一本の電話。人を殺したのだということを芝居にして上演し、それを批評され、理由を突き詰めようという。が、理由はわからないのだという。四つ打ちリズムに乗せた上演が人気だという。
殺したのは、あなただ、ワタシは目撃者だ、あなたが殺されなければ始まらない。こうしなければうまくはなせない。台本はまだない?もう読んでいるでしょう(といって首を絞める)

会場中から舞台奥では四つ打ちリズムを大音響で奏でるDJブース。それに会わせるように、せりふを断片に区切り繰り返し、リミックス。それは作家と批評家、男女二人の劇団員、電話してきた男と殺された女などいくつかのカップルの組み合わせ。劇中劇のようであり、迫った公演の外側で起きていることのようであり。

正直にいえば、物語らしいものはほとんどなくて、殺す殺される、それを目撃する、それをはなすためには殺人が必要、というごく小さい範囲での反芻もしくは一足跳びの結論になってしまっていて、舞台のせりふそのものから受け取れることはそう多くはありません。繰り返しのループの中で何かを積極的に受け取ろうと前のめりになることで見えてくるものがあるのではないか、とは思うのだけれど、今作に限っていえば、そこまでは踏み込み損ねてしまったアタシなのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«【芝居】「TTTTT」キュイ