2018.12.14

【芝居】「親展(毒づくも徒然)」MCR

2018.11.25 19:00 [CoRich]

新旧作品集、4本のうち、新作の一本。OFF OFFシアター。12月2日まで。

パンクバンドの4人とそれぞれの恋人たち。元カノの名前を寝言で言って嫉妬され好きということを禁じられた男はパンクの歌詞も書けなくなり、女は男の好きと言う言葉が聞こえなくなってしまう。
彼女の事が好きすぎる男、しか彼女の方がずっとパンクで、男のバンドが中途半端なことが不満。照れくさいことを英語で言うことにするカップル、唯一のバンドの女性メンバーは女性と同棲しているが、あと一歩踏み込まない。

パンクバンドの4人とそれぞれの恋人たちを描きます。過激に見えるパフォーマンスをしたり過激な歌詞を書いたとしても、ステージを降りた日常では恋人がいたりごくありふれたおだやなかな日々を送る一般人であることだったり。あるいは愛する言葉が伝えられないことだったり、想いが伝えられないことだったり。恋人たちはそれぞれの日常も好きだけれど、ステージの上での姿も愛おしいのです。

ワタシの友人はパンクな生き様で居続けたパンクロッカー・シドビシャスを思い出したというけれど、登場人物たちはむしろごくありふれた人々が多く、ごく穏やかな人々だけれど、好き合っているのに、違和感とは違うなにかすれ違ってしまう歯がゆさを感じるもやもや。時にぶつかり合ったりがそこかしこで細かに起こり続け時間が流れて人々は生きていく、という芝居なのです。

べた惚れされる女を演じた三澤さき、その男よりもよりパンクで芯がある格好良さ。見た目に地味っぽい造型の女を演じた石黒麻衣、内面からわき上がる叫びがまたちょっとズレた感じの面白さで印象的。バンドの紅一点を演じた加藤美佐江、ドラアグクイーンのようにエキセントリック。格好良さすら漂うのは新しい魅力。

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2018.12.11

【芝居】「リフラブレイン(毒づくも徒然)」MCR

2018.11.25 16:00 [CoRich]

新旧作品集の一本。2009年初演。ワタシは初見です。

親が行方不明で貧しい中で暮らしている姉弟二人、弟に金をせびる同級生を撃退したり、親の事故死を知り、弟を高校に通わせるために姉は水商売で働いて支えるが、姉が逆上するのが嫌で恋人の誘惑に応じない弟。借金取りは弟を離れた工場で働かせる。26歳までしか生きないつもりだった姉は会社の同僚に告白するところに弟を立ち会わせるが、告白を前に下衆に面白がる男を許せず弟が刺してしまい刑務所に服役する。自分が刺した男は姉と結婚しているが、 出所した弟が借金取りのもとで働くと看守だった男と姉が同棲している。

親に捨てられた姉と弟。口は悪いが互いに支え合うというか互いに依存し合っている関係。特に最初の頃は姉が弟を守り、弟は姉に従うということに何の疑問もなく縛られているのです。親の事故死を知った姉が何の疑問も持たずに弟の進学を支え、恋人に誘惑されても応じないのは姉のせいという弟でもあることが象徴的。

26歳で死んでしまうと信じ切っていた姉が見事に告白以前に敗れ、弟が犯罪者となったことで何かが吹っ切れたのか姉が見事に替わります。人にどう思われても自分が一緒に居たい男と伴にあることを優先し、弟が二番手に。それなのに弟はへの依存からはまったく抜け出せないのです。共依存で閉塞していた関係の片方がなくなっても、一方の依存からは全く抜け出せないままであること、終幕の「パンとミルクセーキ」に拘る弟の姿は、それがまだしばらくは、あるいはずっと続きそうだということを暗示するのです。

姉を演じた石澤美和は理不尽を絵に描いたような絶対的な存在という説得力。弟を演じた小野ゆたかの気弱さやチンピラっぷりという小さな存在、という対比が楽しい。いわばボケ倒す二人に対して、借金取りを演じた澤唯、やけに真面目さという造形できっちりと突っ込む存在を造形。看守を演じた本井博之のダメ男っぷりも久々に拝見して楽しい。

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2018.12.05

【芝居】「櫻井さん(毒づくも徒然)」MCR

2018.11.25 13:00 [CoRich]

新旧作品集、4本だての一本。90分。

ほとんど誰も気にとめない駅前の銅像の前で拳銃自殺した男。刑事たちが背景を捜査する。直前に会話した男、目にしていたはずの刑事たちは思い出せない。死んだ男は仕事もせず家族には詩人になりたいと話していた。雑紙の投稿で一度入選しただけで食える道は見つけられていなかったが、親は占いに入れあげて地元の名士が前世なのだという。男が死んだ現場に建っていた銅像がそれだった。

開演直前、作演の櫻井智也が舞台にあがり、中央にある銅像の台座に収まり、作演自身が銅像、という体裁。しばらくは喋らないけれど、父親や売れた詩人など役はその位置のままで役になったり。 自分が何者かをみつけられていない男の物語。

何者かになれると信じて生きてきているのに、なにもかもがうまくいかなくて、自分が何であるかを見つけたい気持ち。大きく括れば自分探しではあるのだけれど、今作の主人公ははるかに切実で切迫する気持ちで歩むのです。東大生の妹には馬鹿にされ、両親には心配されときに叱られな実家暮らしの日々の息苦しさ。そこなら行けるかも知れないと思っていた一縷の望みな詩作で大人に汚され(いい歳だけど)、自分の拠り所を改めて探さなければと焦り、母親が見つけてきた胡散臭い前世占いに縋らなければいけない絶望感。全体の雰囲気はコメディなのだけれど、物語全体を通してずっと低音で鳴っているような不安と焦りに起因する不穏さがとても印象に残るのです。

後半、「櫻井さん」はバーの主人というもう一つのシーン。刑事たちの日常の一杯で出会っただけの男だけれど、自殺した男に以前会っていたけれど刑事たち自身は覚えてないばかりか、詩を読ませ微妙な空気にされたこと。自殺した男自身も覚えてるか怪しいけれど、おそらくこういうことが日々積み重なって押しつぶされそうになって。同じバーらしい店で銃を入手するシーン。殺された男と同じ役者が演じ同じような造型だけれど金の入手方法などで別人、しかしおそらく同じような結末を辿るだろうどこにでも居るだれもがそうなるかもしれない、というシーンが見事。なるほど自殺した男もこうやて銃を手に入れたのだというある種の種明かしにもなっていて見事なのです。

自殺した男を演じた猪股和磨は気弱で華奢、悩み続ける感じが雰囲気に良く合っています。もしかしたら初演の2011年時点では作演・櫻井智也が感じていたかも知れない焦りを成功者たるとして銅像に収まって見ている構図が面白い。巻き込まれた男を演じた澤唯、悪意なく傷つけ自殺の引き金を引いたかも知れない刑事を演じた篠本美帆がきっちり支えます。年上の刑事を演じた安東信助はツッコミ役の前半の精度がよく、後半の自覚亡く傷つける鈍い男の造型もやけに説得力があるのです。

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2018.12.03

【芝居】「そこまで言わんでモリエール」笑の内閣

2018.11.24 17:30 [CoRich]

京都を経て 25日までアゴラ劇場。 115分。

「アレクサンドル大王」を上演中のモリエール劇団だが作家が契約に反して別の人気劇団での上演を許したことを知る。愛人や妻が女優として劇団の中に居たり、誰を抜擢するか、それぞれに役割をもたせて座組を維持しなければいけない状況の中での事件をきっかけにさまざまなことが噴出する。

いわゆる史実の隙間に挟み込んだ嘘をドタバタ喜劇に仕上げる一本。wikipediaでも読めるような史実ではあって、愛人の人妻、その娘を妻に、別の人妻を愛人にという人となりだったり、若い作家に肩入れして新作で評判を呼ぶ筈なのに裏切られたり、天才子役を寵愛したり。じっさいのところ全員が同じ場所に居るというわけではなさそうな時間軸の操作は感じるけれど、しかし、この劇団が、あるいはモリエールがどういう様子だったかを「喜劇として」感じ取ることができる楽しさなのです。観劇おじさんの描写はオジサン観客の今の姿にも地続きな感じもまた連綿と続くことだなと思ったり。

いちどは終幕したかにみえるけれど、カーテンコールの雰囲気で舞台にあがる作演は、プロレスのマイクパフォーマンスよろしく、いろいろな絶叫解説をするのも楽しい。喜劇は時代性でモリエールの喜劇をそのまま上演すると台詞は鋭く面白いのだけれど、オチがそれほど面白くならないとか、今でもこの時代の喜劇が残っているということのモリエールの凄さとか、twitterのない時代に場外乱闘よろしく他の劇団やあるいは宗教とか政治にも批判に描くということのある種の先進性、なるほど作演が劇団の源流のひとつ、というのもよくわかるのです。

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【芝居】「誰もいない国」新国立劇場

2018.11.24 13:00 [CoRich]

ハロルド・ピンター作を寺十吾が演出。 柄本明の主演も評判。11/25まで新国立劇場小劇場。休憩を挟み145分。

ロンドン郊外の屋敷。酒場で知り合った詩人男を家に連れ帰った老人。口数の少ない主人に気を遣って話しかけ、あるいは自分が友人になろうと提案したりするが、はなしが噛みあったりかみあわなかったり。 やがて若い男と中年の男が現れる。主人の同居人で、実は この家の主人は高名な作家なのだという。

酔って気が大きくなったりちょっとした撹乱な感じ。互いの立場を知らず酒場で意気投合して徐々に互いが見えてくることの緩やかしかしパワーゲームなところもあったりして。そこに老いによって混濁する記憶の混乱。 舞台は奥に向かって緩やか傾斜し、一番奥に別室らしい寝室のベッド。時折上から滴ったり流れたりする水は徐々に溜まり静かな浜辺のよう。水と地上を時に水に足を取られながら行き来する老人。 水は滴り続ける酒のようで、それが緩やかに溜まり、意識がぼやけたりはっきりしたりの行き来や足を取られる雰囲気でもあります。酔っ払いのぼやけた会話のはずなのに、突然それまでに築き上げてきたもののプライドゆえかマウンティング合戦のバランスオブパワーが首をもたげ、しかしそれを引っ込めたりすることもな行き来。

翌朝の光景はそのバランス微妙に変わるけれどやはりそれぞれの立ち位置の優位さを微妙に主張し合う雰囲気は変わらず。それは混濁した意識の中で相手を別人だと誤解していて、過去の悪い行いを白状してもなお、その枠組みが大きくは変わらないということに驚きます。男だからそうだとも思わないけれど、ジェンダー的に男の会話ってそうだよなあという感じは確かに感じるワタシなのです。

しかしこの不条理な目にあったり、共感したりとアップダウンの激しい芝居、会話がぐるぐるする楽しさ、それを支える確かな役者の力を感じるのです。とりわけ主人を演じた柄本明の好々爺な感じや威厳の瞬間、酒の前には平等な人間という感じの人なつっこさ。巻き込まれた男を演じた石倉三郎が困りながら、しかし相手への敬意を終始忘れないで居続ける、というキャラクタによくあっているのです。

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2018.11.30

【芝居】「ねこはしる」KAKUTA

2018.11.23 13:30 [CoRich]

豊橋、水戸を経て、まつもと市民芸術館 小ホールで1ステージ。90分。まつもと市民芸術館で行う子供のためのイベント「チャオ・バンビーニ」が猫をテーマにしたさまざま、そこに組み込まれた一本として、 2004年の初演2006年の再演から12年を経て、子供向けの音楽劇としてリニューアル。

ひ弱だった子猫、兄弟たちと離れ、野原にある小さな池に一匹だけ泳いでいた小さな魚と遊ぶうち、走り回り笑うようになる。が、その池が見つかり母猫は兄弟たちにその魚を捕らえるよう、競争させる。

ロビーでのさまざまな子供向けイベントのおかげか、舞台上にも客席にも多くの子供たち。元々の初演再演はもうすこし静かな朗読というスタイルで、スタイリッシュだった印象があるけれど、今作は完全に子供向けの音楽劇というスタイル、子供が泣こうが騒ごうがわりと大丈夫な強度で進む物語。

舞台上にも何席か座布団席。じっさいのところ、固定された客席にじっと座らせるよりもまつもと市民芸術館の人気企画・空中キャバレーのようにほぼ全員を平場においても面白いと思います。何をするかわからない子供と考えるとそれはそれでリスクだとは思いつつ。

「落ちこぼれの僕」という少年を語り部として置き、物語全体をくるむように。親友ができて強くなり、しかしその友人を捕食する側という抜けられない生まれついての業に。じっさいのところ、男の子にとって前向きで元気が出る物語とは言いがたい、実は複雑な感情の物語だとは思うのだけど、もしかしたら、子供がこれから数知れないほど出会っていく理不尽さとの折り合いのつけかた、ということなのかなと考えたりするワタシです。

多田香織、出てきた瞬間、高泉淳子の山田君を彷彿とさせてきっちり弱気な男の子を造形し走りきり当たり役の予感。子供のネコを演じた吉田紗也美は弱気から元気への細やかな変化を丁寧に。友だちとなった小さな魚を演じた添野豪は物語の中心にずっといつづけられる力。大人になったネコを演じた谷恭輔とのややBLな感じ、あるいは異儀田夏葉と桑原裕子のデュオも楽しい。

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2018.11.27

【芝居】「贋作 桜の森の満開の下」NODA MAP

2018.11.16 19:00 [CoRich]

坂口安吾の「桜の森の満開の下」「夜長姫と耳男」を下敷きに夢の遊眠社が上演、再演や新国立劇場での上演、歌舞伎での上演を経ての五回目の上演。ワタシは初見です。

鬼と人間が明確に別れていた時代。飛騨の王は三人の飛騨の匠を捕らえ、二人の娘のためにミロクボサツを掘るように命じるが、三人は身分を偽った別の男たちだった。
謀反が起こり飛騨を倒し彫り上げた化け物によって戦乱が収まる。大仏開眼によって国を治めることを願う新たな王だったが、自分もまた謀反を起こされることを恐れ周囲を鬼だと名指しして迫害を繰り返す。

力を手にしてのしあがった王、その時代の変化の中で持ちあげられ迫害される男。それを翻弄する妖しい魅力を持つ女の存在。迫害される側としての「鬼」が権力の構造の中で生まれていく過程と、それとは別に人の心に巣くう残虐さの表出としての「鬼」の存在が対比されるように描かれるのです。

翻弄される側の男・耳男を演じた妻夫木聡は翻弄されるある種の弱さとはいえるけれど、このパワフルなキャストの中での存在感は惜しい。翻弄する姫を演じた深津絵里は天真爛漫と残虐さのアンバランス、人の中に巣くう鬼をしっかりと体現。謀反で勝ち昇った王を演じた天海祐希は迫力と身のこなしの美しさ。もう一人の職人を演じた古田新太は時にコミカルさもきっちりと。

為政者が自分のために歴史を書き換えることに躊躇が無いことはもしかしたら初演では歴史の一ページという反省だけど、それを現実のものとして目の当たりにしてしまった私もまた、現実と地続きだということの絶望を感じるのです。

いくつもの美しいシーン。大きな木に大量の桜吹雪、あるいは長いテープ状のものを自在に伸縮させてフレームを切り取るような効果を出したりも印象深い。舞台前面にしつらえられたスロープを上ってくる役者、なるほど「地面の下」に眠るものたちが再びこの世に現れて物語を語るよう。

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【芝居】「さよならはここにいる」こゆび侍

2018.11.16 12:30 [CoRich]

こゆび侍の新作。18日まで王子小劇場。120分。 町全体で引っ越しを決めて期限がまもなく。ニュータウンへの移住が進みつつあるけれど移住の有無すら決めていない女。 昔からの書道教室だった家で高校生の頃はあまり書道は好きじゃなかったが母親が姿を消し娘が跡を継いで教えて年を重ねてきた。教え子の一人の男子高校生が事故に遭い葬儀のあと戻ってくるとその教え子が居る。この家からは出られないのだという。

消えていく町にある書道教室の部屋を定点にして描きます。子供の頃からずっと住んだ家、離婚して女手ひとつで育ててくれたけれど結局は底に一人残され、恋人もいないままに歳を重ねて来た女の10代、30代、40代を行きつ戻りつしながら描きます。町は消え、この家は出ていかなければいけないのに、この場所を離れがたい強い気持ち。この家を離れがたい気持ちは30代の時に通ってきていた今は亡き教え子の存在。亡くなったあとしばらくこの家にふいに現れ二人だけですごした緩やかな時間、現れなくなった今も忘れられない女の気持ち。

幽霊が現れるファンタジーという描き方ではあるけれど、彼女にとってだけ、ココロの様々な要因からそう見えたかも知れない、と言う程度には抑えが効いていて、ファンタジーに頼り切った物語ではなくて、むしろ主人公の女の子の動きを細やかに描くのです。

ネタバレかも

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2018.11.23

【芝居】「魔法少女的ゾンビ」ムシラセ

2018.11.11 18:00 [CoRich]

ムシラセ、久々の本公演。11日までシアターミラクル。70分。

オーディションによって選抜され、代替わりしていくアイドルのオーディション。とりわけ伝説として語られる初代の人気は今でも凄かったが、引退後は表舞台に出てこなくなった。製薬会社が主催し、薬によってアイドルに変身する、というアイドルで、オーディション会場に集まる人々はぱっとしない。

伝説の初代の存在と、薬によって変身するアイドルということが徐々に語られる物語。オーディション会場に集まる人々が一癖も二癖も。可愛いけれど地味な女だったり、どう考えてもおばさんな女が経済的な理由と子供に見せたくて応募しているということだったり、ぶりぶりなアイドルっぽい女が実は魔女だと中学生になって騙されて引きこもった過去、あるいは恰幅のいいオジサンだったりと、ちょっとアイドルに見えない人々のあれやこれやの序盤。それぞれに背負っている物語はあるのだけれど、正直にいえばちょっとキャラクタが強いというかいかにも作られた感じではあります。それは「いろんな人々がいる」ということを描くことが重要な場面だということは後半でわかってくるのです。

序盤ではあまり現れないスタッフは冷たいを通り越して感情を無にしているとおもうほど。 中盤から後半にかけて、台詞で明確というわけではないけれど、彼女こそが伝説の初代のアイドルで、表舞台から姿を消していていること、薬によってアイドルになるのだという背景、それはもしかしたら死という結末や抜け殻のようになってしまうかもしれないという怖さ。フィクションなのだけれど、現実に私たちが目にしているアイドルのありかたの残酷さの映し鏡のようでもあるのです。

初代アイドルがスタッフになっているのはその辛さを繰り返させないためだというダークさと、オジサンでもアイドルになるという過ぎるポジティブさという骨格が力強い構造なのです。 オーディションが終わった後日談的な終幕近く、まあわりと速い段階で判るオチではあるけれど、出落ち感含めてそういう風体の役者の圧倒的な力で寄り切った感はあります。演じた山森信太郎の説得力と可愛らしさのギャップの面白さが際立つのです。スタッフを演じた渡辺実希はこういう冷たさが似合う役どころ、アイドルだった姿も透けて見えるのもまた説得力。

  

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2018.11.22

【芝居】「トリガー」ユニークポイント (演劇と映画って何が違う?)

2018.11.11 13:00 [CoRich]

80分の本編を全編上演後、そのうちの3分ほどのシーンを撮影・編集して映画として上演することを通して、演劇と映画の違いを体感するワークショップ的な4時間半。学習院女子大学・やわらぎホール。ワタシはたぶん初見です。

母親が認知症になりその介護のために実家である団地に戻ってきた夫婦。認知症が進み、冷蔵庫や棚を鎖で塞ぐほどになっている。しばらくは妻も長距離の通勤をしながら支えてきたが、家の匂いにたえられないと、東京に戻ってしまい別居が続いている。
上階には子どもの頃から行き来のある親戚の親子が住んでいる。ある日、母親がかつて働いていた施設で育ちお世話になっていたと、教え子が母親を訪ねてきて、その家で介護の手伝いをすることで居候するようになるうち、上階の親戚とつきあうようになる。

まず演劇での上演。
家を離れて親が歳をとり、介護が必要になるという時間の流れと、元々他人だった配偶者から義親をどうとらえるか、世界の見え方の違い。介護の負担が全て外からの収入を絶たれた専業主婦たる嫁に課せられていたかつての時代から、妻が経済力を持ち、むしろ稼いでいるから介護をしないと宣言できる自由を勝ち得たこと、別居し別の男の存在など、やや批判的な視線は混ざる気はするけれど、どちらがより収入を得ているかという絶対的で批判しがたい尺度を物語にもちこむことでそれを封じるのは巧いと思うのです。

母親が徘徊すること止めるため冷蔵庫に巻かれた鎖はかなりショッキングな描写であるのみならず、終盤では母親の死をその時点では明確には語らなくても、その鎖を外すということ(と、ぐらぐらしていた奥歯が痛みとともに抜けるということと合わせて)でごくスムーズそうとわかる、巧い「装置」として働いているのです。

その映像化。
別居した妻が別の男とともに久しぶりにこの家を訪れ、一刻も早く離婚届を手に入れて東京に戻りたい、という後半の場面を。男がある意味壊れる「トリガー」となるこのシーン。

たった3分のシーンを作り上げるために、監督はこの場面に自分の解釈を入れて描くという説明、たとえば夫の背中から妻と男を撮り、二人の背後から夫を取るという枠組みでどういう印象を観客に届けたいかという意図を伝わるようにつくること。あるいは編集を前提にして物語の流れとは関係なく効率のために時間とはバラバラに撮ったり、どの大きさで撮るか、「ちょっと嘘をついて」と言いながら実は立ち位置をかなり大胆に変えたり、怖く見せるためにどの高さの視点から撮るかなどの様々の工夫の数々。カメラからストレージに送り込んだものをリアルタイムでPC編集出来るというテクノロジーがあってこその見せ方、そのスピード感と合わせて、実に面白いのです。

その映像はYouTubeにもアップロードされていて、オリジナルの編集視点を変えたもう一つの編集で違う印象がきちんと伝わってくる、という面白さで、勉強にもなるし、楽しい時間なのです。 -->

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