2018.10.13

【芝居】「試験管ベビーの勧進帳と身替座禅」

2018.9.29 10:00 [CoRich]

30日までまつもと市民芸術館、小ホール。60分はちょっと超えて70分弱。

歌舞伎の人気演目「勧進帳」 (wkipedia)と 「身替座禅」(参考) 歌舞伎がどういうものか、勧進帳という演目の背景から登場人物が誰なのか、どういうところが見所なのかのポイントを押さえた解説の役割を口上に持たせて。 芝居の演目というよりは観客に向き合う解説の役割を担う弁士のような立場を一人置いて、解説とダイジェストで構成されたよう。

「勧進帳」は勧進帳の読み上げ、山伏問答、弁慶が主君を金剛棒で叩くなどをみどころをつまみながら。 観客参加といいながら大向こうのかけ声。「中村屋!」みたいなおなじみのものから始まってやがて「湖池屋!」が混じっためくりで指定した言葉を観客に叫ばせる趣向。口上を述べるところの決めぜりふは原文のままにしたり、「ここが見所」と指定して見せたりと、どちらかというと教材のような内容と、観客参加の楽しさを併せ持ち、気楽なだけではなく教育用のコンテンツとしてもよさそうな一本になっているのです。

単に翻案ではなく、原文のままで見所をつまんで見せているというのがなかなかよくて、原文のもつことばのリズムの楽しさを体感できるのです。物語の終幕は元とは変えている、ということを明示してすぱんとオチにするのもまたよくて。

「身替座禅」の方はワタシ初見の演目。 遊女に会いに行きたい男、奥方にばれないように代わりを置いて座禅を組ませてという身代わりの話。 歌舞伎のフォーマットは既に慣れた状態のところに、あまり歴史的な背景にたよらなくていい演目で、むしろ現在の私たちのコメディの文法でもわかりやすいような物語。解説はややすくなくなって、かわりに物語がどう進んで行くか、ということを補助的に弁士が挟んでいくことで、物語全体のリズムは止めないままに一本通しでみたような満足感。

もちろんホンモノの歌舞伎とはちがうものなので学校の芸術鑑賞としてはどうか、ということはあるけれど、予習的にこういうフォーマットのものがあるのはとてもいいのではないかと思ったりもします

気楽な仕上がりとうばかりではなく、スピーディーなテンポ、リズムの楽しさなどが美点の一本なのです。

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【芝居】「Χ(キー)~代入解なき代替可分者の対話」パッチワークス

2018.9.29 11:30 [CoRich]

愛媛の劇団・パッチワークスがはるばる松本まで。深志神社で30日まで。40分ほど。 四国中央に住む主宰、遠く離れた松山の拠点の劇場に居る若い女。役者たるもの作り上げるものを察してほしいという気持ちに甘えるなと若い女が厳しいことを云う。 何のために芝居をしているのか、誰が存在してもいいということを示したいからという切実な気持ちの吐露。高齢者ばかりの町で医療従事者として働き日本に先がなさそうと思ったり、四国を襲う大雨の被害が出たり。あるいは自分自身が病に倒れたり。それでも舞台をつくりたいという気持ちの切実さ。それはやがて弱者は切り捨てようというかつての時代を重ね合わせ。

二人の役者と一人の舞踏家で構成。ちょっと厳しいことを云う若い女性の劇団員という世間とか正論に近い立場の人物を置き、物語全体を貫くのは、どちらかというと自分に対して延々と繰り返す問いかけなのです。なぜ自分は芝居を作りたいのか作るのか、それは「誰もが存在していい=多様性の担保」なのだということ。台詞の上では早々に結論にたどり着いてしまうのだけれど、主宰の男をとりまくさまざまな状況が徐々に開示され置かれた状況の厳しさが見えてくるけれど、それでも貫きたい、という自身の宣言に近い感じ。

高齢者が多い町に暮らし、医療従事者で、芝居の現場へ通う日々はとても遠く、大雨の被害のダメージはとても大きく、しかも自らも病に冒されていて。開示される状況は地方だからというものもあるし、この個人に依るものもあるけれど、なかなかハードで厳しいものばかり。その中で決心を貫くことの困難さ。時に弱気になり時に怒号となって。同じ一つのことを繰り言のように吐露を繰り返すのです。

なぜ「誰もが存在していい」ことを示すものを作りたいのか、というあたり、ヒトラーの映像が重なったりしつつ、ちょっと主語が大きくなる感はあるけれど、今の世間の続く道の先に、こういう事が起こるかも知れないという恐れの気持ちの切実さはとてもよくわかるし、そこに抗いたいからこそ、自分は演劇を続けるのだという気持ちは悲壮感すら漂うけれど、あまりに切実だということが荒削りに迫ってくるようなのです。

正直にいえば、四方囲みの客席に対して、開場中や上演中にいくつか床に投影される映像、とりわけ字幕がついたもの(上演前の諸注意も含め)は、ある一方に向けた字幕しかないのは惜しい。それほど重要な情報でなかったとしても、読めないとか読むのが困難だというのは想像以上に観客にはストレスだと思うのです。繰り返しが多いので四方向に順に字幕出すだけでもだいぶ楽になる気がします。

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2018.10.11

【芝居】「彼岸花、咲くころ」幻想劇場◎経帷子

2018.9.28 20:30 [CoRich]

まつもと演劇祭の常連団体、経帷子。客席に四方囲まれた舞台の濃密な一本。深志神社。

乳母車を押しながら大切なものを探し続ける赤い服の女。母親を探し続ける少年。彷徨い続けるうちにムカサリ絵馬を売る男と出会う。

白塗り、赤と白、闇のコントラスト。幻想的ではあっても序盤は母と子ということはわかっても実際のところその繋がりまでたどり着くのはちょっと時間がかかる感じ。何が起きてこの状態になっているのか徐々に思い出すかのように、物語も徐々に輪郭が見えてきます。なるほど観客も登場人物と同じような気持ちで進むのです。幼くして火事で亡くなった子供、生き残り後悔する母親。火事の原因は子供が遊んだ線香花火の残り火で、それを紙の宝箱に仕舞って起きた失火。

時折挟まる母親の両親と犬はコミカルな仕草でリズムを作りながら、しかし、冬なのに暑い、ずっと食べてないなど、やはり火事で亡くなったことが示されながら、しかし死んだことを認識しないまま彷徨っているようでもあります。

ムカサリ絵馬(wikipedia)という、鍵となるモチーフ。幼くして亡くなった子供を絵や写真で架空の相手との婚儀を描くというそれ。ちょっとグロテスクな感じもするけれど成長していた子供の幻をみるようだ、という一点に向かって進み始める後半は推進力があって、強烈な印象を残します。

とりわけ、終盤、幕がおちた向こう側には金屏風。亡くなった子供の横に並んでいるのは花嫁姿となった母親の姿。成長して花婿となった息子の隣に居るのが母親、というのはすこしばかり近親相姦的ではあるけれどしかし、成長する前の子供ゆえに母親とは完全に別れたものではない、という「気持ち」の捉え方はワタシには不思議と腑に落ちて感じられるのです。

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【芝居】「一輪の華に幸あれ」近大ドラコミ

2018.9.28 19:00 [CoRich]

まつもと演劇祭のトップ。近大ドラコミ((近畿大学ドラマコミュニケーション)はモリエール「人間嫌い」 (wikipedia) をもとにした60分。30日まで池上邸蔵。

美術学校の人々。なんにでも正直で嘘をつきたくない女は破天荒とみられがち。その友人は波風を立てたくない気質で、何でもあけすけにものをいう友人をうらやましく思っている。飛び級で入学してきた小学生は教師たちからも注目されている。金持ちに生まれた二人の女生徒は美術よりも遊びと恋のほうが重要だ。
ハンサムでモテる教師の講義は大人気で、どの生徒も授業を受けたいと思っている。波風立てたくない女生徒は密かに人気の無い教師に好意を寄せているが、当の教師は破天荒な女の才能を認めている。破天荒は女はハンサムな教師に好意を寄せている。

もともとの「人間嫌い」は未読です。その男女を入れ替え、女子学生たちと男性教師たちの恋心の齟齬を背景に、本音を押し通し建前を嫌う人、逆に自分を押し殺しこうあることが望ましいという規範で生きる人のとやりとり、若さ故のまっすぐさは美徳かも知れないけれど、時にそれは滑稽にすらなってしまうぐらいに上手くいかない。とりわけ、行為をよせていった男性教師から見放され、しかし恋心の行き先を、それまで好意を寄せられながらまったく意に介さなかった別の男性教師に乗り換えようというあたりの人間くささはなかなかの皮肉で面白く。

建前で生きていて心優しい友人だったはずの女が裏で糸を引き貶めている、ということをすぱんど挟み込む終幕は巧くい。学園長のオーバーアクションな感じなどの振り幅も楽しく、60分にコンパクトにまとめられテンポの良い舞台に仕上がっていて、モリエールは小難しいと思い込んでるアタシですが気楽に楽しめる一本なのです。

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2018.10.09

【芝居】「父が燃えない」箱庭円舞曲

2018.9.27 19:30 [CoRich]

これと対になるように旅行のことを描いた作品があるようですが、そちらは未見、110分。30日まで浅草九劇。

父が亡くなり、火葬場に集う兄弟・親戚たち。いろいろ用意は行き届かないけれど、久々に会う人々も居たりする。父の還暦の時を思い出したりする。張り切って準備した旅行に、失踪している母を連れてきたり、長女が結婚しようと恋人を連れてきたり、あるいは父親の愛人が現れたりしたあの旅行は散々だったけれど、思い出す。

ふすまと畳、大きめのちゃぶ台を中心にした和室のしつらえ。火葬場の控え室と、回想となる還暦旅行の旅館の一室を継ぎ目なく行き来します。 単に場所が変わるだけではなく、回想シーンにだけ存在し火葬場の場面に居ない人々、つまり亡くなった父親や失踪中の母親などの登場人物をほかの登場人物が演じるスムーズに時間と場所を入れ替えて回想を挟みながら進むスタイルは不思議な雰囲気を纏います。

母親が失踪した家族、仲が悪いわけではないけれど家族旅行に象徴されるように成長してそれぞれがバラバラ、決して巧くいっているわけではないし、決して立派というわけでもない父親の葬儀の家族をめぐるちょっと微妙な空気感を描きます。

葬儀なのに酒や料理を用意してないとか、僧侶への心付けを出してないなどいわゆる常識なさげな感じもあるけれど、もう無くなる家、檀家としての立場でもないと云ってみたりして確信犯的にやってる感じもあって、なかなか正体がつかみづらい兄弟たち。長男は離婚・再婚し、妻は子供が欲しいが最近はレス、妻に時折嫁としての立場を求めるようなバランスの悪さもあったり。長女は未婚、わりとダメ男にひっかかりがち。次男はちょっとこじらせた感じでまだバンドの夢を諦めて無くて。もういい歳だけど、それぞれ決して成熟して立派になったということもなく、家族の関係としても未完成感がただよう人々。それは列席する親戚たちも同じで、あけすけで無遠慮な叔父や父の介護に忙殺され酒好きな未婚女性、行方不明の母親の弟、滅多に逢わない北海道の親戚もそれぞれに何かを抱え、なにかがちょっとだけ欠けている人々。 二つの時間軸を細かく行き来しながら描き出すという方法選んだからこその、このスムーズな切替え。なるほど。

回想場面だけに登場する父親かと思っていると終幕、くるりとファンタジーを纏い、送られる父親が子供たちに語りかけます。孫とか結婚とかバンドとかの心配事はあってもそれはどうでもよくてただただ元気で生きていけ、というシンプルなメッセージはここまでに細かく積み重ねてきたそれぞれの人々の背景が一気にフラッシュバックするよう。かさねて係員として登場する作家は舞台中央先端に置かれた骨壺を見つめるラスト、自身の亡父を重ね合わせたポートレイトのようなキマまったシーンなのです。

子供が生まれた作家、今作で育休を宣言。暫く公演期間は空くようですが、再び彼に触れられる日が楽しみなのです。

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2018.10.06

【芝居】「あじのりの神様」あひるなちゃら

2018.9.26 19:30 [CoRich]

85分。30日までスズナリ。初日は終演後にラジオ公開放送形式でのトークショーが設定されていました。

団地の広場、ベンチが一つ。幼なじみの男二人。一人はバツイチシングルファーザー、もう一人は妻が主婦で子持ちなのに無職、子供たちのあいだで噂になっている「あじのりの神様」は実は自分なんじゃないかと考えている。それは、団地のいくつかの家の玄関の前に時々、味海苔が置かれている現象が頻発している。
幼なじみの二人が子供だったころ、子供たちの噂は昼間からベンチに座って何をしているかわからない中年男二人で、アーバンとシロジと呼んで、ついていったり尾行したりしている。父母たちはちょっと気にしているが、子供たちの興味は止まらない。結婚を決めたカップルが団地に住む両親に挨拶に来たその日、女は黒魔術に凝っていることがわかるがその中身は世界平和とか可愛らしいものだった。

子供たちが噂している謎の現象、「あじのりの神様」を足がかりに、かつ同じ団地で噂になっていた男たち「アーバン&シロジ」を並列に描きます。平日昼間から何をするでもなく公園に居たりして、何をするかわからない中年男たち、いまどきの現実の感覚だとあからさまに警戒されることだけど、そこまでではないゆるさ。もちろん子供たちの安全は前提ではあるけれど、「何をしているかわからないおじさん」の謎めいた存在を許容するあのころの懐かしさを感じるワタシです。

子供たちの噂は現代にも置いて、「あじのりの神様」というまた一段ひねった存在にして、そこを起点にあのころの謎を思い出す構成が巧いなぁと思うのです。そのあじのりの神様の正体、みたいなものが物語のもう一本の糸。黒魔術に凝った女性が黒い紙を広場に散らかすという奇行めいたことをする時点でまあ「あじのり」との関わりは早々にわかるけれど、それがどうなって団地の各戸の前になったかをあっさりと落とすのも、クールな感じです。

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【芝居】「咲き誇れ」トローチ

2018.9.24 14:00 [CoRich]

110分。30日までRED/TEATER。

閉店するライブバー。 野球選手を辞めて地元の電気工事会社で働いている男、その会社の社長は常連で、娘はここでアルバイトしている。事故で亡くなった社員の妻もここでアルバイトしているが、夫が着ていた作業着を毎日着て居て、元野球選手のせいで事故に巻き込まれたと思っている。
離婚し地元に戻ってきた若くない女が店に通ってきている。大雨が降る最終日、元野球選手を取材したいとライターが訪ねてくる。

生活は続いているけれど経済的には下降線という地方都市、閉店間近のライブバー。プロ野球選手になったり結婚したりでこの町をでたけれど、どうにもならず半ば嫌々戻ってきた人々、ずっとここで暮らしてきた人々、ここを出た人とここを出て行こうと考えている人と。

物語の軸となるのは野球選手で、地元出身で応援する人も居るけれど、現役時代から札付きだったり、仕事も熱心に取り組むわけでもなく、少し会話するだけで誰もがこれはダメだと虚勢を見抜かれるよう。地元の有名人ではあるけれど、その扱いにちょっと困っていて、目を覚まして変わることを辛抱強く待ってるひとがいても、基本的には悪態をついて一貫してヒールでありつづけます。そのあげくに捨てぜりふを残すように出て行き、あまりにあっけない終幕だけれど、若いうちに成功を収めてそのあとの人生がぱっとしないまま座りのわるいまま生き続けなければならないことの辛さが滲むのです。

対となるように描かれるのは、もう一人地元を出て結婚し別れて出戻ってきた女。序盤から酔いつぶれ、濃い化粧で迷惑顧みず連日店に入り浸る女なのです。有名人とか使い物にならないというわけではないのですが、柔らかくはあってもちょっと虚勢があって、地元の側が扱いに困るような感じもまたもう一人の生きづらいひとなのです。

地元に居続ければいいかというと、それもまたそうでもなくて。ちょっとくすぶるように地元で地道に生きる人もいる反面、人なつっこいいい人だと思っていたのにカジュアルに女を襲ったりする地獄絵図と隣り合わせだったり。あるいは何か事件があって明確に嫌ったり避けたりしたいのに、コミュニティがそもそも小さいために、顔を合わせないわけにはいかないというのも地方都市の一つの真実なのです。

それぞれ出て行って夢破れて戻れる場所としての地元ともいえるけれど、そんなことでもないと戻らない場所という側面でもあって、それはわりと低く響くメッセージになっています。

野球選手を演じた東地宏樹は虚勢を張って生きる男のきまりのわるさ★を造形。地元に出戻ってきた女を演じた小林さやかは若くなくなってるのにイタいはしゃぎっぷりも見事に、これもまた女の虚勢のありかた。野球選手に違和感を抱えて生きている女を演じた増子倭文江は、愛想なく「生活」している女の造形のリアルさ。

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2018.10.04

【イベント】「雨の濡らした夕月夜〜彩り続ける者達の傘〜」(月いちリーディング 2018/9)劇作家協会

2018.9.23 17:00 [CoRich]

すっかり開演時間を間違えていたワタシ、痛恨の30分遅れ。戯曲冒頭部のpdf公開で補足しつつ、YouTube公開を待っています(ごめんなさい)。

作詞作曲、小説家や料理人などものを作る人やアーティストを集めるシェアハウス。どこからか資金はでているが、ここで育って3ヶ月ぐらいで出て行く子が望まれている。外では雨、魚、銃弾などが降っている。が、恋人だった男が何かに気づいて出て行ったあとに書けなくなった小説家はそれでもここに住んでいる。
出て行った男の後にもう一人男が入居の為に訪れるが、何を作るかはこれから決めているのだという。そんなことは今までに例がなかった。
外で降っているものはいっそう悪くなり、人々は避難することになる。

わりと多くの人々。外でただならぬことが起こっている近未来だけれど、物語は閉じたこのコミュニティと家の中だけで描かれます。芸術と戦争のありかた、ということかもしれないけれど、それは明確には描かれず。 終演後のディスカッションの中で小田原に住む作家は箱根の噴火を経験したときに何かがが起こるかもしれないという不安のなかからも着想の一つだとあげています。物語の外側で起きていることの不安要素だけれど、その中でも繭のように守られ生きられる場所、という存在が物語の中心に据えたのかなと思います。

ミステリーめいたことはいっぱい散らばっているのだけれど、出て行った男が知ったこと、来た男の隠された目的、どういう目的でこの場所が維持されていて、どういうきっかけで出て行くのか、数年前に大失敗で終わったらしい東京オリンピックで何が起きたのか(これが凄く気になる。スピンオフで観たいぐらい)など多くの魅力的な謎はわりと細かく周辺を描く割に、何も明確にもされず解決しないままに物語は終わります。そういう意味ではミステリーとは違うもので、あくまでも背景で、物語が描くのは住んでいた人のありようの生きている姿かと思うのです。

終演後のディスカッションでは、わりと作家は「楽しい時間を観客に過ごして欲しい」ということをいい、演じた役者たちからはどういう流れで造型された人物かが戯曲の中から読み取りづらく苦労したような指摘がありました。さまざまな人々とさまざまな動きがあって、明確に物語としてスジがあるのは恋人が出て行ってからずっと書けないままここに居続けた作家が、最後に書いた文章が出版という形になったことぐらいで、ほかの人々にはあまり明確な物語が与えられていません。劇団という手持ちの役者の中では違う魅力がある可能性はありますが、リーディングで新たな役者たちと作り上げるという形の中ではその造型に苦労するということはよくわかります

群像劇として人々の点描なのか、こういう色んな事が起きている外を想像させることに主眼を置くのか、あるいは役者の魅力をみせるのか、なかなかどこに着目すればいいのかは観客としては迷うところ。切って捨てるにはあまりに魅力的な謎の数々をそれぞれの役者がきっちり演じることの楽しさという芝居の原点をも感じるアタシです。

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2018.10.02

【芝居】「うれてるものにごあいさつ」ワタリダロケットとミユキーズ

2018.9.23 14:00 [CoRich]

女優・岡本みゆきと、俳優・織田裕之によるそれぞれのユニットの名前を冠した企画公演。 70分。23日まで神奈川県立青少年センター 2F HIKARI。

屋根のあるバス停、バスが発車した直後にスーツケースを牽いた女が駆け込んでくるが間に合わない。暑い夏の日。あと1時間はバスは来ない。自動販売機を見つけるが、小銭がなくて飲み物が買えない。
若い女と若くない男が来るが、女は機嫌が悪い。二人は夫婦で、夫は知人の葬儀にでるため地元に妻を連れてきた。
若くない男女も現れる。この二人も夫婦で、妻は同じ葬儀に出るために夫を連れて地元に来た。地元の二人は幼なじみだ。昨晩、妻が宿に戻ってこなかったことを夫は気にしている。 葬儀の翌日、帰るためのバスを待っている人々。

二組の夫婦と、もう一人の水商売な女がゴドーならぬバスを待つ1時間強。暑い夏の日差し、かろうじて屋根と少し離れた自販機だけのバス停。気まずくてもあまり離れられず、まったく他人というわけでもない微妙な距離感の5人。 地元の幼なじみの男女。男は若い妻を迎えてウハウハかと思いきや、ものすごく気を使い機嫌をとるし、ちゃんと愛しているし。女はちょっと気が強そうだけれど、夫のことは愛しているし、夫は帰ってこない妻に焼き餅を焼くぐらいに妻を愛していて。爆発するような恋心という時期はとうに過ぎ、しかし嫌というわけではない距離感で偶発的に出会って(それが葬儀というのも若くない人々っぽい)かつての恋人だった二人が思い出をなぞりながら歩くうちに燃え上がるというよりはちょっと昔が蘇り確かめてみたくなった気持ちの一夜、という感じだし、それを声高に避難する夫も後ろめたいだめ中年。だめな人を避難するでもなく、そのままの人として描くこと、少しばかりのほろ苦さと、記憶の向こうの甘酸っぱさと。

次のバスが来て、残されたのは幼なじみの二人、こんなことがあってもそれで何かが変わるのか、でもたぶん変わらないんだろうなとワタシは思ったりするんだけどどうだろう。再びスーツケースで転ぶという終幕も、ひとまわりした感じで巧い。 一夜の盛り上がりに乗ってしまった幼なじみの男女、女を演じた岡本みゆきはクールな女を演じる事が多い役者ですが、クールに見えてその実一夜の盛り上がりというのがちょっといい。男を演じた織田裕之はひたすら腰が低く、人懐っこい造型で対比がいいペア。女の夫を演じたコヤマアキヒロもまたクールだけれどヤキモチ焼き、そのうえこちらもちょっと一夜の過ちの人間ぽさがいい塩梅で。男の若い妻を演じた丹羽亜友美は若くて元気で、しかし今作に置いては濃ゆい中年男女だちの間では子供っぽさすら感じさせるのは対比としてワンポイント。スーツケースの女を演じた環ゆらは半ば巻き込まれた感じ、ちょっとツクリモノっぽいコミカルさがリズムを作ります。

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2018.10.01

【芝居】「海辺の鉄道の話」水戸芸術館ACM劇場

2018.9.22 14:00 [CoRich]

茨城県のローカル線、ひたちなか海浜鉄道湊線が第三セクターになってからの10年を描く物語 水戸芸術館ACM。24日まで135分。

茨城交通が湊線の廃線を検討するが、地域のコミュニティを維持しようと地元の住民たちによる応援団が立ち上がり、第三セクターとして再出発する。新しく迎えられた社長の才覚と応援団の力により、通学の高校生や飲酒して帰宅する勤め人をとりこみながら黒字への転換が見え始めたときに地震が起こる。が、残したいという気持ちは大きくうねり、線路はつながる。終着駅をさらに延伸する動きは止まらない。

舞台を覆うように線路が走り、各駅ごとに図案化された実際の駅名標や駅舎、風景をジオラマのように置いた舞台。鉄道会社の社長、応援団のリーダーを一つの核に、もう一つの核に利用者の中心をなす高校生の男女を置いて、応援団の人々、鉄道会社の社員たち、ローカル線を取材する新聞記者など、現実の人々を時にデフォルメして描きます。 地方の私鉄として生まれた路線が廃線の危機を乗り越え、第三セクターとして再出発。高校生向けに高い割引率の一年定期や、飲酒後の帰宅に会わせた終電時間の検討など使ってもらうための鉄道会社としての工夫、駅をコミュニティの核として成立させるための美化活動やイベントの数々。会社と地元の利用者の二人三脚で歩いてきた日々。高校生たちは同じ電車で通うからこそうまれる友達や恋心の芽生えや、地元で働いたりほかの土地に出て行ったりというインキュベーションの3年間を支える鉄道とその土地のこと。長い期間での取材をへて作家が描いた世界はドキュメンタリーでもあるし、地元の人々の想いを描く側面もあって、暖かく優しいのです。

中盤、2010年4月からの大人たちの一年、高校生たちの一年、という二つのシーケンスを描きます。上り調子だったり、少しばかり浮かれたような調子の一年は、わたしたちはもう知っている2011年の3月に向けて突き進むのです。震災の大打撃を受け全員を失意のどん底に突き落とすのだけれど、そこからの復興の日々を現在に向けて。震災までの3年があったからこそ、この被害にもかかわらず廃線を逃れ復興に向けた日々を進められたことが描かれます。並行して震災で進路の修正を余儀なくされた生徒たちの姿も。互いにひかれあう男女がしかし、長い間引き離され別々の道を歩むことはちょっと切なくもあるのです。 さらに終盤では、今時ほとんどありえない、延伸に向けての活動という未来が見えているという希望の終幕。

鉄道、震災、とりわけそこに向けての日々を描く手法という意味でもNHK朝ドラ「あまちゃん」を思い出して少し涙するワタシです。こういう断崖絶壁に向かってそれを知らずに突き進むような話に弱いということなんだけども。

ワタシが拝見した土曜昼の回は地元のミュージシャンによるミニコンサートやトークショーが設定されていたのですが後ろ髪引かれる思いで、日が暮れる前にその路線を乗りに行こう、と思い立ちなんとか終点・阿字ヶ浦駅で日没に間に合いました。可愛らしい駅名票や本社のある那珂湊駅舎に飾られた応援団作成の新聞などを眺めることでより近く感じられるいい体験なのです。

役者を変更して、社長を演じた春海四方は人懐っこく調整型のリーダをぴったりと。町の応援団のリーダを演じた杉木隆幸は人なつっこさ、巻き込むオジサンな感じ。カメラ好きの応援団を演じた酒巻誉洋はコミカル強め、しかしラストのダンスでのタップはカッコイイ。駅の看板猫を演じた二人、佐野功は冷静沈着な年上、田島亮は天然キャラを可愛らしく。東京に出て行く女子高生を演じた白井風菜はヒロイン感たっぷり。地元の役者たちをまじえたのもいい座組なのです。

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