2019.02.18

【芝居】「僕らの力で世界があと何回救えたか」タカハ劇団

2019.2.9 14:00 [CoRich]

タカハ劇団の新作。14日までB1。120分。

漁業だけが産業の過疎に悩む町。町おこしを目指し物理学研究の加速器を誘致し島に施設ができる。その開設前日、島が見える高校で「科学の町」をアピールするサイエンス祭りの準備をしている。出し物が増えずかつてあったアマチュア無線部のOBたちが呼ばれている。あの頃、仲間うちに居た男は加速器の危険性を指摘し反対運動をしていて、その声を届けるため、やっていたミニFMの番組を海上から発信することにするが、その当日、海は荒れていて、ひとりその友達は海に出て行方がわからないままだ。

舞台奥に積み上げられた学校の机。序盤はかつてあった無線部のOBたちが懐かしみ、無線部が文化祭でやってるような素人向けの出し物の相談から始まります。 アマチュア無線で青春の一時期を過ごしたワタシ。アマチュア無線をここまで丁寧に敬意を持って描いた芝居は観たことがありません。文化祭で楽しいイベントとしてFOXハンティングとか、それようの手持ち八木アンテナ、無線機の懐かしさ。東海を想定した学校の無線部(社団局)のコールサインがJA2Y~というリアリティも。

この町に招致された研究施設は莫大な金が動き、しかしブラックホールが出来てしまうかもしれないという危険性や漁業が成立しなくなるとしての反対運動。ネット以前の時代、無線がミニFMとはいえ放送という運動の強力なツールだった頃を舞台に描きます。

産業がなくなり、工場や研究所を誘致することで浮遊しようという場所、誘致するものの中には危険なものもあるけれど、そこにはそれが必要なものだという切実さ。量子物理学の研究施設の目的はブラックホールを作ることで、それは周囲に危険を及ぼす可能性があって。しかし科学の町というアピールで浮遊したい町が祭りで盛り上がるのです。科学の町での浮揚策はたとえば原発の町の雰囲気を感じ取るワタシです。 無線というノスタルジーすら感じる技術と最先端、その時代の距離もいいのです。

その施設を反対して行方不明のままの同級生たちの想いの物語。反対運動という原動力があって生徒を煽ったり、そのために必要な無線という技術とより広げたいという想いからの行動、そこから何年も経って思い出して。そこに研究施設のせいかどうか、時空が歪んで。物語の要素一つ一つ、人物の造形の一つ一つに無駄がないどころか美しく運ぶのです。見事。

反対運動を煽った教師を演じた若狭勝也は施設が完成した今は昼行灯な雰囲気、そこから急に興奮するきもちの振り幅をしっかり。首長を演じた松永玲子は強い政治家と息子への心配というこれも振り幅。その息子を演じた大久保祥太郎は行方不明の友達が好きすぎて憑依する造形がいいのです。同級生でここで教師になっている小園茉奈の憧れの女の子がそのまま成長している感じ、その同僚を演じた斉藤マッチュはあの頃に戻るようなふざけ具合のバディ感が楽しいのです。

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2019.02.17

【芝居】「たまゆら、の」たまゆら

2019.2.8 19:30 [CoRich]

フリーの女優・環ゆらによる自らのユニット、旗揚げ公演。studio saltの椎名泉の作演による新作書き下ろし。10日まで神奈川県立青少年センター・HIKARI。105分。

望まない妊娠をした少女に部屋を提供し出産までのサポートと養子縁組の支援を行うNPOの一室。水商売の母親の再婚相手との妊娠で母親との折り合いも悪い少女。あるいは有名な大学に進学までしたがそこの講師の男の子供を宿したが相手は別れを切り出してきた女。

社会的に弱い立場の人間を描く作家らしい視線。自劇団では男性俳優が多くどうしても男性を描くことが多くなるけれど今作はオーディションでの多彩な女優を交えて、「女性と命」をめぐる物語に。 歓迎されない妊娠を支える女性は、自らもまた若い頃に堕胎したことに苛まれています。年齢を重ね強くなってはいて、熱意を表面的にはクールに隠しながら、若い女性たちを丁寧に包み込む主人公。双子の堕胎の事実は、漫才師のような口調で現れる二人の少女という形で舞台に現れますが、それは登場人物たちには見えず。知的障碍をもつNPOの調理担当のスタッフにはそれが猫に見えていて、という接点はあるのですが、あくまで彼女たちが現実の世界を優しく包み込むように。

静かに日常として進んでいた会話の芝居、この双子の「生きることは走ること」というセリフをきっかけに登場人物たちが走り回る抽象の世界へ。やがてゴールに向かって走る若い女性二人の出産がゴールテープを切ることができたかどうか、という形で対比し表現しているのです。出産そのものを生々しくなく、しかし身体の疲労ということやスピード感や達成感やゴールできなかった無念さをぎゅっとゴールテープに集約するというのはある種の発明で、シンプルでしかもわかりやすいいいシーンなのです。

主宰・環ゆらは年齢を重ねたゆえの落ち着きと包み込むような安堵させる空気の安心。知的障碍の男を演じた浅生礼史はこういう「喋り口」の役がどうしても多いけれど、正論をゆっくりと噛みしめるように舞台に載せるという意味で確かに効果的でその安定感。養子縁組を希望する夫婦を演じた野比隆彦・渡邊陽子は実直だけどふわふわと定まらない造型は子供が出来れば地に足が付くように感じている人物という裏返しな雰囲気でもあって。 言い寄り続ける男を演じた鷲見武は序盤でデリカシー皆無な雑な人物として描きつつ、忘れた頃の終幕近くでそれが木訥としたしかし熱意のあるまっすぐな男として現れる格好良さ。もしかしたら仕事に全てを捧げてきてしまったNPOの女が自分の人生を歩み出した瞬間、ともいえる雰囲気で。 大学生を妊娠させた挙げ句逃げ出した男を演じた山之口晋也は優しく見えてどうしようもないクズ男を完全にヒールとして演じきります。

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【芝居】「ヨコハマ・ヤタロウ」theater 045 syndicate

2019.2.3 19:30 [CoRich]

4日までB1。100分。

佃典彦が書いた2018年1月横浜での初演作の再演は下北沢への劇団初進出。

無法者に亡き者にされた妻の復習に燃える男がたどり着いた北の最果て、出会った母娘を送り届けた宿で出会った黒幕との対決。男一匹、目的を果たすための覚悟の旅をエンタメに描く物語はほぼそのままに。

舞台装置は大幅に強化され、スチームパンクな雰囲気を纏う重厚さが前面に。物語の語りのスピードと高い密度で、思いのほか歌舞伎というか新感線のようにぐんと奥行きが増しています。

疾走する男を演じた今井勝法は半裸の登場シーンからきっちり走りきる主役のパワー。追う刑事を演じた中山朋文は登場シーンもタバコのシーンなど、精度高いキメのシーンも数多く。女を演じた川添美和はガラッパチ、色気のある女、清楚な花屋など切り替わりのコントラストの振り幅。 日替わりゲストが演じるボス、ワタシの観た回は丸尾聡で、白スーツにサングラス、絵に描いたようなボス、ちょっと役者のキャラクタに合わせたセリフもあって楽しい。横浜の劇団が東京で公演することはそう多くないけど、フルサイズでの上演をきっちりやりきる頼もしさ。

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2019.02.14

【芝居】「PARTY PEOPLE」艶∞ポリス

2019.2.3 14:30 [CoRich]

11日まで駅前劇場。100分。

裕福な家に生まれながらも家を出てOLとして働き、金にだらしない絵描きの男を養っていた女、やがて別れた。
数年後、大金持ちの家で次男の誕生日パーティが行われる。IT企業の社長やパーティ界隈の女たちが呼ばれている。主役の次男は役者志望でハングリーが足りない環境に不満がある。長男は中国人の女と結婚し実家と折り合いが悪い。IT企業の社長はここで出会った女とキスをして恋愛体質の女は盛り上がるが男はつれなく女はさっき貸した金を返せと迫る。派手な服の個性的な女はこの家の妻の友人だが、この場所にいる誰よりも稼いでいる。ラッパーの女と友人は場所に圧倒されているが冷静に見ているところもある。かつて同棲していた男はDJとして、女は恋愛体質の女の友人としてパーティに呼ばれ偶然再会する。

舞台全体は大豪邸の一室の雰囲気、奥に廊下、客席側に窓があって池があるという設定。舞台下手に四畳半のアパートの部屋で同棲していた過去のシーン。

同棲していた男女のごくプリミティブな金に対する格差とも云っていい見方の違いを根底においてはいると思いますが、この二人の物語そのものが物語の核というわけではなくて、いろいろな人々の群像劇、というのが確かにぴったりきます。 セレブな人々のパーティ、生まれも育ちも裕福だったり、のし上がってきたり、虚勢を張ってはいるけれど内実は火の車だったり、若い女性だからと呼ばれていてもわりと裕福なOLやモデル、ラッパーだったり。バラバラな背景の人だけれど、セレブなパーティという場所にふさわしく振る舞おうとする人々という設定が縛りとして巧く機能しています。

基本的にはコメディので笑いの多いつくりですが、作家がこの劇団で描き続けているのは、人々に対しての鋭くしかし同時に優しい視線なのです。それは登場人物の全てに行き渡っているのです。同棲してる女を演じた川村紗也の上品にまっすぐな感じ、友人を演じた彩木りさ子は実直でゆえに恋愛体質の面倒な二面を丁寧に。 同棲相手の男を演じた常連・谷戸亮太も二つの立場だけど変わらず駄目を自覚してそうするしかない造型に魅力。その男と付き合ってるはずのモデルの女を演じた中山まりあもチャラく見えながらまっすぐなジョシを。ラップする女を演じた奥村佳代の鋭い人を見る目は人物の奥行きを感じさせじつは物語のあちこちの要。とりわけラップバトルのシーンが圧巻で、相手を演じた次男役・藤田晃輔も打ち勝ったという説得力の迫力。ほぼ出落ちに見える派手な出で立ちの女を演じた小林きな子は、見目麗しい、ではなくても誰よりも稼ぐでもなんでも確かな自信を持つことが胸を張り凜として立つ女を体現する迫力をきっちり。

キスして恋愛体質の女から金を借りたという渋江譲二 演じるITベンチャーの社長のヒールをここにい立場の違う女たち全員が責め立てるというシーンが実に良くて、 #Metoo ムーブメントをてらいなく描くのは実は小劇場の芝居でありそうなのにワタシの見てる範囲では初めてなテイスト。素晴らしい。

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2019.02.11

【芝居】「夜が摑む」オフィスコットーネ

2019.2.2 18:00 [CoRich]

12日まで711。100分。

団地の四階に住む男。かつて近所から音の苦情を受けたことから自分の出す音にも他の家の音にも過敏になる。無職で口うるさい男は近所の人々からも煙たがられている。 階下の家族の子供がピアノを習い始め、朝から夜遅くまでピアノの音に悩まされ眠れない日々を送る。

日本で騒音を理由に起きた初めての殺人事件(wikipedia)をモチーフにしながら、そうなるに至るまで男に見えていた世界が描かれます。 アップライトのピアノに繋がったダイニングテーブル。舞台奥には5つの玄関扉。団地を模した模型はテーブルの椅子になったりもする。テーブルにはミニチュアサイズのテレビや冷蔵庫。

テーブルの上を男の一室に見立て、そこに閉じこもり神経を張り詰め、閉塞した気持ちで暮らす男。一方的に被害者というわけではなく、引っ越してきた隣人からの挨拶が遅いと激高する理不尽があったり、とっつきにくさのある人物に造型されています。優しい妻やちょっとこまっしゃくれた息子との会話で気持ちが静まったりはしながらも、近所の人々の冷たい目線と生活音によってどんどん追い詰められていくのです。

団地の同じ間取りで住む家族。ちょっと騒がしい井戸端会議、それぞれに不安はあれど誰もが同じように家族が居て、幸せな日々を暮らしていてという雛形の人々。 実は男には妻も息子も、少なくとも今は現実には一緒に住んではおらず、幻影のようにみえていることが終幕で示されます。無職で愛想のない一人暮らしの男に対しては厳しい目が注がれるのがどれほどのストレスか。孤独であり続けるテーブルの上の一部屋と、後半、テーブルの下で暮らしている雛形の家族、というシーンは、孤独と団欒があまりにも残酷に浮かび上がるのです。

長時間の逆立ちや踏み台昇降など役者に極端な肉体的負荷をかけるシーンがいくつか。聞いた話では戯曲自体にこの肉体的負荷(種目を変えた物もあるようですが)が指定されているとのこと。シリアスのまま続ける物語の中に少しコミカルに、しかも現実の役者の肉体という形で紛れ込ませてちょっと突き放す雰囲気。

孤独な男を演じた山田百次はずっと居続け、ストレスに苛まれ続けた男のいびつさをしっかり。息子を演じた塩野谷正幸はこまっしゃくれた良く出来た子供、やけに半ズボンが似合う楽しさ。半裸で現れた有薗芳記のシックスパックの腹筋の凄さに目を奪われ、一瞬意識が飛んだワタシです(笑)

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2019.02.06

【芝居】「Mann ist Mann (マン イスト マン)」KAAT×まつもと市民芸術館 共同プロデュース

2019.1.31 19:00 [CoRich]

ブレヒトの喜劇を原作に、飲食付きの130分、2月3日までKAAT・大スタジオ。そのあと長野県・信毎メディアガーデン、 ホクト文化ホール 中ホール、 伊那文化会館 小ホール。KAAT神奈川芸術劇場と長野・まつもと市民芸術館による初の共同プロデュース公演。

インドのイギリス軍、戦地チベットに向かう軍隊の集結地へ向かう機関銃部隊の四人は途中寺院に押し込み略奪を働くが、一人を残すことになってしまう。部隊は四人一組の行動を決められておりそれを隠すため、通りがかりにみつけた地元の荷揚げ人夫を兵士に仕立てることを思いつく。

客席前方席はテーブル有りのキャバレー形式、後方席でもロビー販売のビールやカレーパンなど持ち込み可の客席。役者たちはレストランのコックや給仕たちという仕立てで開場中の誘導をし、その従業員たちがキャバレーの出し物として、芝居を演じる、というスタイル。喜劇とはいいながら相当に深刻な物語の外側にちょっと猥雑で騒々しい殻をかぶせることで、観客からは箱庭の世界で起きているように距離を持って体験させる、と言うスタイル。

イギリス人の兵士たちはインドの寺院で当たり前のように略奪しみじんも罪の意識もなく、ただただ隊での処罰を避けるにはどうしたらいいかと行動します。残された一人がアイルランド人という設定で少々小馬鹿にされているというのも、時代の雰囲気を色濃く残します。

それに巻き込まれるのは港町で妻と慎ましく暮らしていた荷揚げ人夫で、頼まれたから断れない、いくつかの交渉はするものの、結局のところなりすましの片棒を担ぎ、それはほんの一瞬の筈だったのに、そのまま兵士となり同僚となる道に巻き込まれていきます。人夫らしく「象をもっていれば安泰」という価値観を逆手に取られ、偽りの象の売買に加担され、それを見咎められて裁判にまでかけられて。

巻き込まれる過程では完全に人のいい被害者だけれど、「ワタシをワタシたらしめているものは何か」が徐々に剥ぎ取られていくような恐怖。全体のトーンはコミカルなのに怖さが際立つのです。終幕、戦地でいっぱしの兵士となった元人夫は完全に兵士のそれとなり、撃ちまくる大砲がかつての妻の故郷だったこともなんとも思わなくなっています。そのなりすました相手が現れても同僚も含め取り合わず、完全にその人間に成り代わり、無慈悲な兵士に成り果てているのです。

あるいは規律に厳しい軍曹は寺院を襲った犯人を追っているのだけれど、反面雨の降る日は酒場の女を求めて骨抜きどころか醜悪な一面を覗かせます。もちろん人間なのだからいろんな面あるけれど、戯画的に正反対の人物を切れ目無く描くことで、その人をその人たらしめているものがなにかということがあると信じたいワタシの心を揺さぶるのです。

人夫を演じた武居卓はコミカルで人がよく巻き込まれがちな男から、自我を揺さぶられ、まったく別の人間になってしまう狂気の一部始終をきちんと背負います。真剣な狂気みたいまものの造型の巧さは 土砂降りボードビル( 1, 2) でも存分だったけれど、それを磨き抜いていて印象に残るのです。 軍曹を演じた串田和美は堅物と醜悪の二面を行き来する人間の弱さが目立つ造型の奥行き。

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2019.02.05

【劇作家大会】公募短編リーディング&ブラッシュアップトーク

2019.1.27 13:00

劇作家大会 大分で「豊後国」から「豊」の一文字をテーマにしたごく短い戯曲を三本。リーディング上演を三本行い、ブラッシュアップトークを行う2時間。

絵本作家の女、ワープロに向かい子供の声に耳を傾け、黄色い渡り鳥と七色の鯨の物語を描く。夫の帰宅で作った肉オムレツはその子供のリクエスト。夫と二人きりの食卓。(日下 渚『明日は鯨に美味しいものを』)
窃盗団が忍び込んだ住宅で160万円を見つけたが、老女が独り死んでいた。金庫の中には空の封筒、三人の名前が書いてある。金は孫たちに渡す物だったのではないかと気が咎めるが(ルーシー・ラブグッドウィル『お婆ちゃんの贈りもの』)
ホームレスの暮らす公園。役所の男が通りかかり、話しをする。川向こうの再開発で景気がよく、ホームレスはそちらに移り住むものが出てきている。酔っ払いの男や家を出てきた人妻、それに恋心を抱く若い男。みな新しい生活を心に抱くが、独りこの場所に残ろうとする男が居て。(本橋浩行『ヒグラシとゆうかつ』)

「明日は~」は子供を亡くした女がそのことから逃れられないまま、夫婦ふたりきりの生活なのに夫に向き合えないまま10年が過ぎてしまった女。前半はその見えている子供たちが黄色い渡り鳥、七色の鯨をめぐる話をして、それを絵本して。後半では夫に料理を作るが、それは夫のためではなくマボロシの子供に頼まれた物を作ったのだ、と我に返り夫に向き合うことを決める、という物語。

ディスカッションではそれしても10年がちょっと時間軸として長すぎるように感じるという指摘や、子供に言われて作る肉オムレツが作られていたかどうかのわかりにくさの指摘などがありました。ゆったりした時間に見えてじつは濃密に語られる物語。私も子供を失い前向きになるという物語の骨格をディスカッションで初めて理解したので偉そうなことは云えないのですが。

「お婆ちゃん~」はルパン三世を思わせる盗賊団、イキナリ死体を前にして戸惑う泥棒たちというドタバタ。時に恋愛がまぶされていたりするものの、ディスカッションでは「泥棒に入ったらそこに死体が」というシチュエーションに圧倒的に力がある、と言う指摘。封筒に書いた名前で孫たちへのプレゼントと想いを馳せるぐらいに余裕のある泥棒たち、ということにもうちょっと人のいいという人物の説得力が欲しい気もします。

「ヒグラシ~」はホームレスというコミュニティ、そこにずっと居続ける男と、それを気遣い出て行きづらい気持ちの仲間たち。役人の同僚もそこにからんでいたりした場所、コミュニティがあるけれど終わっていく雰囲気の場所、そこに想いを残す役人の静かな物語。当初予定していた役者ではなく、トークゲストの佃典彦のサプライズ的登場、ホームレスコミュニティの主という役の奥行きが嬉しい。

3本を2時間ではあるけれど、3本のディスカッションの時間配分のバランスがあまり上手く行っておらず、5:3:2ぐらいの感じに。盛り上がった結果とはいえ、またこのセッションに限らないけれど時間が伸び気味になりがちだったのが他セッションとのハシゴでちょっと厳しいところ。

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2019.02.04

【劇作家大会】「痕跡」 劇作家協会 (スペシャルリーディング)

2019.1.26 15:30

2014年初演2015年再演作を劇作家大会に合わせて豪華なキャストでリーディング上演。

舞台に何本かマイクを立て、舞台奥に椅子を一列に。その場面に登場する人物がマイクの前に立ち、立ち位置で位置関係や塊を表現するスタイル。リーディングとはいいながら、たとえば雷の閃光の音や光をドラマックに音響・照明をつけるなど、かなり演出を入れた形になっています。舞台では創作の懐中電灯のシーンが好きなのだけど、そのあたりはト書きであっさりと。

物語そのものは知っていて、これだけの役者が揃うとなるとなかなか期待値も上がるわけで、そういう意味では序盤は全体に抑えた感じになっていて少しばかりに不安な感じに。しかし、多くの役に見せ場のようなものがある芝居でもあり、後半に向けて役者の凄みがどんどん見えてくるのです。 田中真弓の義妹かつ看護士がほんとに力量。声優でもあり厚みのある声はさすが本職の領域。小宮和孝が演じるバーテンダーののんびりだが思うところの意思人の良さ、クリーニング工場の社長を演じたラサール石井のがらっぱち、しかし後半にかけて抱えてきた重み。鍛治本大樹の演じた焼き肉屋店長の軽く見える雰囲気と裏に抱える闇のコントラスト。クリーニング屋作業員とデートをする女を演じた高畑こと美は屈託のない、しかし深みのある造型は印象に残ります。

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2019.02.01

【劇作家大会】「長い女」 劇作家協会 (月いちリーディングの作り方+月いちリーディングの未来)

2019.01.25 18:30

稽古部分も公開されていたようですが、前のイベントとの間の食事時間が全く取れず、泣く泣く断念。本編30分ほどとディスカッション。

父親と母親。娘を寝かしつけていちゃいちゃするが、娘は起きてくる。父親が創作したお話しをねかしつけに話してくれる。長女は「ネオ白雪姫」がお気に入りだ。 魔女が美しい白雪姫を妬み毒入り手羽先で毒殺しようとするが失敗に終わる。両親を早くに亡くし長女が妹弟を育て三人で暮らす家だったが、次女が結婚の為家を出ることになる。そのお祝いの日、かつて父親が書いていた「お話し」を見つけて、三人でごっこ遊びをしていたのだ。

劇団対抗で順位をつけるというイベント用に作られた短編なのだそうで、作家自身も言うとおり、かなり盛りだくさんに要素を詰め込んで作られています。笑いも多くて盛り上がるのだけれど、実際のところ相当に入り組んだ物語で、全容を掴むのはなかなか難しいというのがディスカッションを通して浮かび上がります。戯曲を手元に持つゲストの劇作家さえ作家の意図が完全に伝わっていたとはいえず、客席からもわからなかった、の声が多数。私はといえば、当日パンフの前書きやディスカッションを通してやっとこさの理解だけれど、この短時間にこれだけの複雑な要素を詰め込んだことに驚いたのです。しかも、理解が中途半端だったとしても面白い、とは感じるのです。

議論の途中でもコメントがあったように、場面場面はおもしろく全体でも楽しさやイキオイのようなものがわりと支配的だったり役者のちからもあいまって、で、よくわからなくてもおもしろい、と言う印象を持ってもおかしくないもりあがりなのです。

双子の次女長男を産んでほどなく両親がなくなり、長い時間に妹弟を育ててきたという長女の孤独がもとにあり、成長した妹の結婚にあたって、妹弟が生まれる直前の両親の様子や父が書いた「ネオ白雪姫」のごっこ遊びを久しぶりにやってみているというのが全体の構成。最初は両親が居るように見えるけれど、それも妹弟が想像でエチュードとして演じている(二回挟まる「こんなだったのかなぁ」という小声のセリフがそれなのだそうで)というあたりが単なるごっこ遊び以上に奥行きが生まれた反面、その順序も含めてかなりわかりにくくなった印象があります。ディスカッションのやりとりや、作者の口上を見て再構築して、この奥行きの深さに気付くアタシなのです。

確かに判りやすい物語ではありませんし、前段の『エチュード」部分が本当に要るのか、イオンの手羽先で毒殺とかその売り場主任の不倫疑惑みたいなくだりは(ホントにおもしろくて好きなのだけど)こういう形であるべきなのかなどバランスに議論があるところだと思いますが、元々のイベントのための30分の制約をなくしたフルバージョン、見せ方次第ではおもしろく、そして見やすいものになるんじゃないか、という期待を持たせられる力のある一本だと思うのです。

続けて、日本各地でリーディングイベントを開催する、劇作家協会の各支部の紹介などのシンポジウム。札幌、神奈川、東海、関西、東北、および東京のリーディング部や事務局。それぞれの場所での活動の頻度やどのように選んでいるかの紹介。戯曲の募集をするためになかなか出てこないところでどう敷居を下げるかとか、あるいは多くの人からの批評に晒される場なわけで、じつは相当に事務局の下ごしらえがされていて、開催までの間に事務局がそういう場であることの覚悟やケア、あるいは質問の内容をある程度方向を合わせてきている、というようなことが語られました。なるほど、確かに相当な労力。ちょっと軽い気持ちであちこちで、と思っていた私の浅はかさに恥ずかしくなったりもするのです。

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【劇作家大会】「メゾン」 劇作家協会 (みんなで劇場へ行こう〜アクセシビリティの可能性)

2019.1.25 15:00

大分の劇作家大会のプログラムのひとつ。 さまざまな障碍に対して情報保障やアクセスのありかたを実演とシンポジウムという組み合わせで。30分ほどの芝居とシンポジウムで2時間ほど。

子供が生まれた夫婦、35年ローンで買ったマンション。子供の成長とともに親との関係も変化する。ある日、母親に癌が見つかるが、完治するまでは子供に知らせないとして隠し通すことを決める。

第一部は情報保障がなされた30分ほどの短編の上演。第二部は身体障碍者の劇場へのアクセス、視覚聴覚の障碍に対するサポート(情報保障)を含む劇場とアクセシビリティにまつわるシンポジウムという構成になっています。

まずは芝居、アクセシビリティ以外の部分について。 3人の芝居、ごくシンプルに夫婦と子供、子供が生まれ家を背負うまでの日々。母親の癌というトピックスは盛り込まれるものの、じっさいのところビックリするようなことは起こらなくて、物語はごくシンプルでまっすぐ進みます。生まれ育て、あるいは死ぬという時間の流れを丁寧かつシンプルに描きます。視線はあくまでも優しく、子供を育てたという経験を持つ人にこそシンクロしそうに思います。

今回の上演は、およそ考えられる情報保障を全部入れていて、舞台の上は上演以外の要素がたくさん乗っていて、まさにショーケースという感じがします。リアルタイムの音声解説と手話通訳、舞台上の字幕表示、手元のタブレット端末での字幕表示の4種類が同時進行で。

音声解説は位置関係などト書き的なものなど、最初から設定されているものを主体に。字幕にも音声解説の内容を出そうとしたからかもしれません。これは音声解説がやってることが視覚障害の人に見えるように、という今回のイベントのための措置だと思うけれど。

字幕は台詞中心で、私も何度か上演で目にしたことがあるようなもの。英語に対する日本語字幕という感じがちかいかもしれません。タイミングのみリアルタイムであわせているよう。手話通訳は台詞を中心に舞台の上を動き回り時に俳優の間に入ったり目線が交差したりと、かなり積極的に「観るべき場所」をガイドしつつこの作品の作演をやっている本人だからこそできるという感はあるけれど、パフォーマンスの一部になっていて、単に横に立つ手話通訳とは雰囲気が異なります。

シンポジウムはNPO代表・廣川麻子、手話ガイド・作家の米内山陽子、音声ガイド・檀鼓太郎、一般の立場としての作家・わかぎゑふ、車椅子の作家・はしぐちしん、司会・瀬戸山美咲で構成。リアルタイムの字幕翻訳を行うために4人構成の「要約筆記」のチーム、スマホアプリ・UDトーク+編集担当、手話通訳でこの部分も情報保障を行います。

身体の障碍については、 特に小劇場の場合は車椅子でのアクセスの厳しさ、とりわけ劇場の中での座席迄の導線や、位置が選べなかったりというあたりの現状の共有が行われ、 情報保障に関しては、今回のような多くの手段が用意されることは少ない現状であること、海外では公演期間中に何日かいくつかの手段の情報保障が用意される例も多いことが紹介されました。日本のいくつかの劇団で行われている脚本の借用はこれらの手段が用意できない時の次善の策ではあるものの、無いよりはずっといいこと、しかしながら開演1時間前に貸し出し、開演前に返却という厳しいところもあるなど、なかなか厳しいところもあるということが共有されました。

そもそも演劇は多様な人々が生きていることを表現するもので、その中には叶わないけれど、そういう人生があるというものを観たい人もいるし、自分はそういう目に遭わなかったけれど、そういう人が私たちの隣人に居るのだということをちゃんと心に刻むこと。表現と観客、両方がちゃんと交われるようにアクセスの方法を作り出していく、ということは当たり前なのだけど、コストもかかるものなのでなかなか厳しいとおもいつつ、でも、やんないとね。と思うのです。

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